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加賀百万石の金沢城を歩く。 その5 <本丸石垣・東ノ丸下石垣・薪ノ丸石垣>
「その4」のつづきです。金沢城本丸まで制覇したので、次は本丸の石垣を下から見て歩きます。 まずは、本丸北西側の戌亥櫓台石垣。出隅はきれいな算木積みです。 ...
「その3」のつづきです。金沢城本丸付段にやってきました。 極楽橋を渡ってすぐの本丸北西側付段にある三十間長屋。万延元年(1860年)に建てられたもので、国...
加賀百万石の金沢城を歩く。 その7 <いもり堀・辰巳櫓台・鯉喉櫓台・百閒堀>
「その6」のつづきです。玉泉院丸の石垣から東側にも石垣はつづいています。 土手の上部に見える石垣。鉢巻石垣ですね。彦根城や江戸城にもありますよね。 鉢巻石...
木ノ本の樹徳寺には、黒田氏歴代の墓石と、黒田官兵衛の肖像画の掛け軸が収められています。樹徳寺は、もともとは木之本町黒田地区にあり、官兵衛の祖先といわれている黒田氏が黒田に居住していた頃の菩提寺でした。明治11年に黒田から田居集落に移り、昭和33年に本堂が建てられていました。黒田氏歴代の墓石官兵衛の衣冠束帯姿の肖像画としては日本に唯一のものだそうです。(木之本地蔵院の書院に展示されていたパネルを撮影した...
天正11年(1583年)4月16日、一度は秀吉に降伏していた織田信孝の再挙兵に対し、羽柴秀吉軍は、美濃へ進軍しますが、揖斐川の氾濫により大垣城に入ります。揖斐川大垣城柴田勢は佐久間盛政に攻撃を命じると、大岩山砦を守っていた中川清秀>が討死し、秀吉軍は苦戦を強いられます。佐久間盛政黒田官兵衛軍は、盛政の攻撃を撃退。盛政は次に岩崎山の高山右近を攻撃、右近は木ノ本の羽柴秀長の陣所に逃れました。盛政は、「大岩山陥落...