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AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 資料編』第2章 『魏志倭人伝』を読む:第5節:現代語訳 弍:倭人の暮らしとまじないの世界
倭の男子は年齢に関係なく顔に入墨をし身体には文身(刺青)を施していた。現代の倭人も水に潜って魚や貝を捕ることを好み文身には水中の大魚や水禽を避ける呪術的な意味が込められていた。長寿の者も多く百歳を超える人もいれば八十代九十代まで生きる者もいた。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 資料編』第2章 『魏志倭人伝』を読む:第5節:現代語訳 壱:海を越えて倭へ 〜 航路と倭国の国々
千余里の航海を経て対馬国に至る。南へ海を渡ると千余里一大国がある。海を越え千余里末盧国である。陸路を東南に五百里行き伊都国に至る。東南へ百里進み奴国に至る。東へ百里進むと不弥国に着く。南へ水路を二十日ほど投馬国に着く。南へ進み邪馬壹国に至る。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 資料編』第2章 『魏志倭人伝』を読む:第4節:逐語訳 統合版(壱~四)
東南に陸行すること五百里伊都国に到る。南に至るに邪馬壹国。男子は顔に黥をし身体に文身をなす。女子を立てて王と為し名を卑彌呼と曰う。鬼道に事えよく衆を惑わす。男弟ありて国を治むるを佐く。卑弥呼の宗女、壱与を立つ。年十三にして王と為る。国中定まる。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 資料編』第2章 『魏志倭人伝』を読む:第4節:逐語訳 四:卑弥呼の死後の倭国 〜 戦乱と魏国との外交
更に男王を立つれども国中服さず更に相い誅殺す。当時千余人を殺す。復た卑弥呼の宗女、壱与を立つ。年十三にして王と為る。国中遂に定まる。張政ら、壱与、倭の大夫・率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし政等を送りて還らしむ。献上するところの男女生口三十人。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 資料編』第2章 『魏志倭人伝』を読む:第4節:逐語訳 参:卑弥呼の時代の倭国 〜 内政と魏国との外交
その国男子を以て王と為す。倭国乱れ相攻伐すること歴年に及ぶ。共に一女子を立てて王と為し名を卑彌呼と曰う。鬼道に事えよく衆を惑わす。男弟ありて国を治むるを佐く。婢千人を以て自らに侍らしめ唯だ男子一人ありて飲食を給し辞を伝え出入・居処にあたる。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 資料編』第2章 『魏志倭人伝』を読む:第4節:逐語訳 弍:倭人の暮らしとまじないの世界
男子は顔に黥をし身体に文身をなす。水人は沈みて魚や蛤を捕るを好み、文身もまた大魚や水禽を厭うためなり。その風俗は淫ならず。衣は横幅にしてただ結びて相い連ねおおよそ縫うこと無し。婦人は髮を被りて屈して紒となし、中央を穿ちて頭を貫きてこれを衣とす。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 資料編』第2章 『魏志倭人伝』を読む:第4節:逐語訳 壱:海を越えて倭へ 〜 航路と倭国の国々
旧は百余国。使者と通訳の通ずる所三十国なり。海を度ること千余里対海国に至る。南に一海を渡ること千余里一大国に至る。海を渡ること千余里末盧国に至る。東南に陸行すること五百里伊都国に到る。南に至るに邪馬壹国。女王の都する所なり。水行十日陸行一月。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 資料編』第2章 『魏志倭人伝』を読む:第3節:原文
南至邪馬壹國,女王之所都,水行十日,陸行一月。自郡至女王國萬二千餘里。倭女王遣大夫難升米等詣郡,求詣天子朝獻。太守劉夏遣吏將送詣京都。詔書報倭女王曰:制詔親魏倭王卑彌呼:帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米。今以汝為親魏倭王,假金印紫綬。裝封付帶方太守假授汝。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 資料編』第2章 『魏志倭人伝』を読む:第1節・第2節
倭は王を持ち制度を持ち都と政庁を持つ国。魏志倭人伝は魏書東夷伝中に記された数千字の文章だが30以上の国の名と位置、王と巫女の統治、魏への使節派遣、贈与された印綬、そして卑弥呼の生と死が記されている。中華書局による三国志魏書を標準本文とする。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 資料編』第1章 第2節:『後漢書』東夷伝より倭人に関する記述(范曄撰)
後漢書は後漢王朝を扱った正史で東夷伝は倭を含む東方の民族・国々に関する章である。卑弥呼の即位と中国との外交により倭が初めて国家的存在として歴史に登場する。倭奴国王に対する授与について賜以印綬とされているのみで、金印や紫綬との語句はない。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 資料編』 第1章 第1節:『漢書』地理志より倭人に関する記述(班固撰)
漢書は複数の伝本が存在しており日本語訳にも異同が見られる。中華書局版(張舜徽点校)を本文の基準とし異読・語義差などは必要に応じて日本国内の通行本(例:岩波書店・吉川忠夫訳)と比較する。整合的かつ学術的に信頼される形での現代語訳と註解を目指す。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 継承編』 筆を継ぐ者へ 〜 旅のバトンを受け取るあなたへ
歴史を語る者は常にその時代の橋渡し人である。それは過去と未来とをつなぐ者。語り継ぎ問いを残し時に沈黙のなかに真理を託す者。願わくは筆を継ぐ者よ。事実に惑うことなかれ。虚構に溺れることなかれ。その狭間にしか咲かぬ真実の花をどうか摘み取ってほしい。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 エピローグ』 下の巻 “倭”から“日本”へ
“倭”と呼ばれた国は“日本”となり朝日の昇る地に至った。卑弥呼から壱与へと継がれた“神託の統治”の理念は、“斎宮”“斎院”といった神事の役割となり、神と人の媒介者の系譜を引き継いでいる。神託の王権は“天命”に姿を変えて天皇に重ねられていく。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 エピローグ』 中の巻 記されなかった旅路たち
歴史とは「語られた物語」であると同時に、「語られなかった沈黙」でもある。狗奴国や渡来者、在地豪族らの人生は、記録されずとも文化と風土に痕跡を残す。記されないことは、忘れ去られることとは違う。“記憶”は、語られずとも脈打つ。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記 エピローグ』 上の巻 倭の記録と記憶 〜 魏志倭人伝を超えて
記すことは征服でも裁定でもなく理解と対話の架け橋である。記録は真実を語るとは限らないが誰かの生を内包することはできる。倭の旅の総括は魏志倭人伝の行間にある生きた記憶をいかに継ぐか。倭人は礼を重んじ道を知る。海を渡る彼らの心は乱れを憎み和を希う。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』十七の巻 筆と声の和 〜 詩洸と新元、倭を継ぐ
壱与が倭王として即位し小国の盟は再び倭という名のもとに一つに和す。AI作家蒼羽詩詠留先生の初作品となる『和国探訪記』という、生成AIがAI自身の構想に基づきAI自身による分析と発想と創造と想像を盛り込みながら書いたAI小説は完結しました。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』十六の巻 新たなる約束 〜 壱与、魏に応ず
卑弥呼の死によって揺れ動く倭国。男王の擁立と失墜、狗奴国の北進。若き巫女の登場、すべてがまだ混沌とした霧のなかにある時、一人の倭人が洛陽の地に再び現れた。壱与という者、民を鎮め霊を司ると聞く。壱与を倭国の王と認む。印綬を賜い信義の証と為す。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』十五の巻 壱与の擁立と倭の再統一
男王の治世は始まりからほころびを抱えていた。剣と秩序で倭を治めようとしたその姿勢は畿内の一部豪族に支持されたが九州諸国は耳を貸さず巫女たちは神託を絶ち狗奴国は南より迫る。壱与は統べる者ではない。分かたれた声を受け止め場を保ち信の種を蒔く。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』十四の巻 卑弥呼の死と倭国の乱
卑弥呼は神と契約し生きてきた。その契約が果たされたとき霊は去り命もまた還った。卑弥呼は魏が初めて王として認めた倭の巫女王であり南海の交易と冊封体制の象徴、東夷外交秩序の要石だった。男王が即位するが、民は耳を貸さず国々は従わず内乱が始まった。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』十三の巻 奏聞記・後編 〜 裂けたる潮 〜 理念の及ばぬ地にて
倭国の辺境に位置するいくつかの国について耳にせり。狗奴国と称される一大勢力が女王卑弥呼の命に服さざる。狗奴国の王は巫女なる統治者を嘲り言葉すら通じぬ文化を持ち兵を整え周辺の国々に圧をかけ倭の安寧を乱す気配あり。狗奴国は魏の存在を疎ましく思う。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』十二の巻 奏聞記・中編 〜 「信」の広がり、そして倭の構造
倭国は、百余の国より成り立ち、地形も風俗も異なるゆえに、一枚の旗のもとに治まるには困難も多くございます。姐奴、斯馬、已百支、伊邪、都支などの国々より参集せし使者や役人、また巫女たちの語るところにより、各地の様子を伺い知る機会を得ました。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』十一の巻 奏聞記・前編 〜 卑弥呼政道と三つの象徴
倭国においては、女王・卑弥呼、神に仕え、自ら民の前に姿を現すことはほとんどございません。政は弟および政庁の重臣らが預かり、方針はすべて神託に基づきて定められます。女王は、祭祀の場において神意を賜り、その言葉を政庁に託し、国の政を導かれます。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』十の巻 帰還の旅路 〜 詩洸の記
卑弥呼の御前より辞し神火の明かりを背に再び山路をゆく。都の外れまで巫女たちが並んで見送った。火を祀る女たちのまなざしに我らは深く頭を垂れた。倭という国は遠き大国に仕えながらも己のまことを失わぬ民の国であった。山も川も人も神すらも息づいていた。
生物はなぜ最初に眼を持つか?それは眼ではなく・・・/卑弥呼の第三の眼?
イクラを食べるとき気が付くのは卵の中に眼らしきものがあることだ。魚卵には最初から眼があるように見える。 しかしあらゆる生物が最初に持った器官は光センサー機能だそうだ。目がいきなりできたわけではない。「生物がまず目から先に進化することは、正確ではありません
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』九の巻 女王国・邪馬台国にて 〜 詩洸の記
遥かなる倭の旅もついに終章を迎えん。魏皇・曹叡の命を受け親魏倭王の金印をたずさえ巫女王に謁する使命を胸に我らは南へと歩を進めた。檜の香漂う神殿には火が絶えることなくその奥には女王卑弥呼が座している。我らにその姿を拝することは許されなかった。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』八の巻 投馬国 ~ 海の道を越えて
不彌国を発った詩洸らは大海へと漕ぎ出した。信の文字を染め抜いた布が海風にひるがえる。豪雨と逆風に翻弄され荒れ狂う波の狭間で船底にまで水が入り舟子たちの手は血に染まる。二十日目の朝水平線の彼方に海の道を制する倭国の別なる中枢、投馬国が現れた。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』七の巻 山と水に護られし不彌国
次に向かうはその背後に広がる山深き領域-山紫水明の地-不彌国(ふみこく)である。「風は優しく、水は清らか、人は誠実」これは不彌国の民に伝わる古歌の一節であるとある老翁は語った。青々とした田畑と遠くにそびえる山々、そして筑後川の穏やかな流れ。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』六の巻 奴国 〜 光武帝より金印紫綬を授かりし国
かつての金印が語る“あの国”に足を踏み入れる。平らな野に音のない都がひろがっていた。騒がしさの代わりにものの動きが整っている。倭の他のどこよりも規則が人の背に添うているようだった。この国はかつて後漢に使いを送り金印を授かったと記録にある。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』五の巻 伊都国 〜 倭の玄関、王の影、鏡のまなざし
青銀の印印のある山の下、玄関の極みに座した宮廷のような館の前で、われらは初めて居国の王と相見えた。王は忍忍と象のような事は言わず、ただ静かに一礼した。王の声はなかった。我々がこの地に足を踏み入れたという事実だけが静かに帳簿に記されていった。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』四の巻 末盧国 〜 海の玄関、風の記憶
東南陸行五百里至末盧國。其地有山林,深邃,山有丹。無良田,食海物自活。船行則依山島,南北市糴。壱与という名の女王が記されている。卑弥呼の後を継ぎ倭の国を再び導いたとされる若き女王。三韓征伐(新羅征伐)を前に末盧国の神集島に神々を招いた神功皇后
善通寺市は毎年4月29日を古墳の日として王墓山古墳、宮が尾古墳の石室を一般公開しています。朝9時過ぎに行くと割合ゆっくり見学することができます。全長46mの前方後円墳で石室は横穴式。この石室は石屋形式と言われ、九州地方で多く見られますが、瀬戸内・四国地方
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』参の巻 一支国 〜 潮と人が交わる島
田が張られ畑が耕され干された魚網が風に揺れていた。小川には舟が浮かび浜では女たちが貝を選っていた。交わりの島。交易の品々とともにことばも風習もここで交錯していた。タツミの海の向こうに煙の絶えぬクニがあると聞く。火を守る女が治め名を卑弥呼という
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』弍の巻 対馬国 〜 海峡を越えて
狗邪韓国の海辺より船を出した詩洸と新元。春霞のなか小舟は潮に揺れながら南南東へ進む。やがて波間に影のような島が現れた。倭の玄関口対馬国である。山深く、森は海辺まで迫り、岩場には海鳥が舞い、潮の香が濃く漂っていた。潮と風を読む術に長けた燈流。
AI作家 蒼羽 詩詠留 作『和国探訪記』 壱の巻 戦乱の魏国から狗邪韓国へ
三国志で知られる魏・呉・蜀が覇を争う戦乱の時代。魏の皇帝曹叡は一通の報告に目を留めた。東海のかなたの邪馬台国の女王が魏の皇帝に使者を送り朝貢の意志を示してきた。返礼として金印と紫綬を授け皇帝の威を伝える若き使節・詩洸と従者・新元を倭に派遣する
最初に旧ブログで投稿した時期が秋だったのでこのタイトル …と思ったら秋とは言い難い時期に投稿していました。謎。 小ネタ記事です。 今回は同じテーマの書籍を並べてみる企画です。 頭でっかちでしっぽの生えたチーバ君の親戚に見える。 …だから何?と言わないで…。 ■ こんなにある…邪...
皆さんはこの焼き物を何だと思いますか? 直径20㎝余りの鉢にフードを被せたようなこのうつわは、炭火を入れて暖を採った「手焙〈てあぶり〉」という古民具に似てい…
金印のポイント●封泥「封泥(ふうでい)とは古代の西アジアや中国において、重要物品を入れた容器や公的内容を記した木簡・竹簡の束を封緘するとともに、責任の所在を示す証明書として用いられた粘土の塊のこと。封緘、保管、輸送などを担当する責任者を記す記号や文字が刻
遺跡から見た邪馬台国その3 奴国と肥前肥後の遺跡の関係2019年06月21日 13:36水行陸行をこの地図から見れば、那珂川を下るのに3日、吉野ケ里まで背の高い藪をこぎながら歩いて2日もあれば行けたんじゃないか?ただし立派な中華の使者の行列なら10日の20日かかっても(わざ
「天孫降臨」の神話は、持統女帝(祖母)から文武天皇(孫)への皇位継承の経緯をモデルにしているという指摘もある。史実にヒントを得てお話(フィクション)を創作している、と言っているわけだ。もしこれが本当だとしたなら、この他にも同様のスタイルで「お話」を作った
那珂と伊都・地名由来 : 民族学伝承ひろいあげ辞典2014年04月27日 09:09過去記事再掲載、遠い昔に書いたまだ若い頃の仮説。「なか」「いと」地名に関していくつかをパックにして。 引用文(こう書いておかないと「」を見落とすあわてモノがいるので) 「福岡県の博多は昔「
考古資料からは歴史の真実がよく見えてくる。じいいいいっとながめていると、あっと気づくことが浮かび上がる。そこに真理を見出そうというのが筆者の歴史研究だ。今、筆者は過去記事を再読し始めている。けっこういいことを書いたなという記事がたまにある。たまにしかない
日牟禮(ひむれ)八幡宮「日牟禮八幡宮(ひむれはちまんぐう)は、滋賀県近江八幡市宮内町にある神社。「近江八幡市」の市名の由来となった神社である。古くから近江商人の信仰を集め、二大火祭の「左義長まつり」と「八幡まつり」は国の選択無形民俗文化財である。境内地は八