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現在の大河ドラマ光る君への時代です。この時代あまりドラマになることはありませんでした。内容は戦国時代と比較して新鮮です。平安貴族の優雅な生活が描かれています。ドラマ自体は藤原姓の登場人物が多く人間関係が複雑、難解です。平安時代の貴族の優雅な生活が忍ばれます。過去の投稿記事です。源氏物語の現場紫式部-リタイアじーじの徒然絵日記いよいよ来年の主役、紫式部の登場です。石山寺には、お堂の一画にに紫式部の人形がこんな風に展示されています。お堂の一画で、こんな感じで、源氏物語を執筆されていたの...gooblog石山寺東大門重要文化財-リタイアじーじの徒然絵日記大津市の三番目の名刹石山寺です。来年の大河は紫式部だそうです。来年の舞台になるのでしょう❗きっと延暦寺、三井寺と比較するとこじんまりしています。東大門は頼朝に...平等院鳳凰堂国宝
(albumの君#3)彼女のファミリーヒストリーのルーツは、遥か【奈良時代】の歴史上に残る人物
今回は、新しい彼女となった女性の家族(ご先祖)に関する紹介です。今、NHKで放送している大河ドラマ「光る君へ」のタイトルである"君"というキーワードをここでの恋愛シリーズのタイトル名称"albumの君"に対応させたのも、この彼女のイメージからです。 彼女そのものが、私にとって、遥か昔の平安時代の貴族女子であったとの想いが強いのです。それは、彼女の顔つきが当時の美人基準であ…
今回はまひろ(吉高由里子さん)や道長(柄本佑さん)が属す世界、平安貴族について考えてみたい。とりあえずは、その前に前回、少し触れた位袍の色について。以下の画…
ついに始まった2024大河『光る君へ』。おもしろくなるかどうかはまだ分からないが、昨年とは大いに違って、丁寧かつ真摯に制作されている印象を受けた。 人気の戦…
平安時代の宮廷社会を生き抜くためのノウハウは今の日本社会を生き抜くためのスキルに似ているのでないだろうか。誰もが平等に機会を与えれることになっているが、実はそれは欺瞞であることは 経済格差が広がるにつれ意識されてきている。見た目とセンスの男社会、教養を武
特撮で有名な円谷プロの元スタッフのブログです。面白くてためになる「小説」や「お話」「詩」をお届けします。【通常ブログ画面】 からお入り下さい。
2024大河『光る君へ』がいよいよ明日スタートする。前作の2023大河『どうする家康』が人気の戦国大河でありながら、あまりにもひどい出来(幼稚な脚本と演出)…
平安時代の年表:村上天皇の御代、天慶九年(946)4月20日から天慶十年(947)4月22日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上
平安時代の年表:朱雀天皇の御代、天慶五年(942)1月1日から天慶九年(946)4月20日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 朱雀天
平安時代の年表:村上天皇の御代、天徳元年(957)10月27日から天徳五年(961)2月16日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村
平安時代の年表:円融天皇の御代、天延元年(973)12月20日から天延四年(976)7月13日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 円
平安時代の年表:村上天皇の御代、応和元年(961)2月16日から応和四年(964)7月10日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上
平安時代の年表:村上天皇の御代、康保元年(964)7月10日から康保四年(967)5月25日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上
平安時代の年表:冷泉天皇の御代、康保四年(967)5月25日から安和二年(969)8月13日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 冷泉
花山天皇の御代、安倍晴明は天皇の前世を見抜き、病気を治した。花山天皇が出家する際にはいち早く退位を察知して式神に参内させた。天皇の出家後は熊野参詣に同行し、花山院の修行の妨げとならないよう結界を張って
平安時代中期、源頼光は重病で病に臥しており、あらゆる薬を処方しても回復しなかった。ある夜、頼光の前に見知らぬ法師が現れ、病状を尋ねてきた。法師の正体は土蜘蛛の妖怪だと見抜いた頼光は、枕元に置いてあった
平安時代の年表―朱雀天皇時代(延長八年9月22日~天慶九年4月20日)
平安時代の年表:朱雀天皇の御代、延長八年(930)9月22日から天慶(946)4月20日までの出来事を年表にまとめました。 文章が長いので折りたたんでいます。 朱雀天皇:延長八年(930)9月22日-
平安時代において日蝕があると、陰陽寮が中務省に予め伝えておき、中務省は文書を作成して太政官に知らせる。少納言が奏上した後、太政官は諸司に知らせる。(『延喜式』) 平安時代の日食 日蝕があった場合 朝廷
『池亭記』は天元五年(982)10月頃に、慶滋保胤が著した随筆である。(『扶桑略記』) 当時の平安京の様子や新居での生活についてくわしく記されている。 『池亭記』現代語訳 都の様子について語る 私は二
皆様、如何御過ごしですか? 目覚めましたら、 中山美穂の「ただ泣きたくなるの」が頭の中に流れてきまして 寝起きでミポリン聞きました。 本日は十三夜なりと云う事で、 十三夜の説明と平安貴族ばりに愛の
『日本百景』 夏 第563回 奥穂・西穂 その3 (西穂独標でビバーク) 〔長野県・岐阜県〕夜明けの光に穂先が光る西穂高岳:穂高連峰では最も低い標高なれど最も危険な岩稜を抱いている 西穂高岳 にしほたかだけ (中部山岳国立公園)長野県松本市と岐阜県高山市にまたがる標高2,909 mの飛騨山脈(北アルプス)南部の山である。山域は中部山岳国立公園に指定され、花の百名山にも選定されている。 また、我が選びし【名...
目次 藤原公任 説話 東三条殿の立后について失言を放つ 三船の才 藤原実資 説話 藤原実頼の名前が由来 豪華な邸宅 藤原済時 説話 気難しい性格 大饗において永平親王に接待させて大恥をかく 藤原師尹
醍醐寺五重塔は朱雀天皇が醍醐天皇の冥福を祈るために建てた塔で、現存する京都最古の木造建築物である。承平六年(936)に着工し、村上天皇の御代の天暦五年(951)10月に完成した。 内部には両界曼荼羅・
目次 一条天皇時代 寛弘二年(1005) 11月22日 陰陽寮が内裏で起こった火災の祟について勘申する 11月29日 賀茂光栄が賀茂臨時祭の日時・紫宸殿出御の日時・官奏に伺候する日時・除目の日時を勘申
陰陽道の教えに沿って一日を過ごした平安貴族~九条殿遺誡・現代語訳~
『九条殿遺誡』は10世紀半ばに右大臣藤原師輔が記した家訓書。 目次 平安貴族の一日 起床後の作法 宮中での心得 教訓 幼年期 仏を大切にする 天皇に尽くし、父母を敬う 対人関係の心得 質素倹約のすすめ
目次 後一条天皇時代 長和五年(1016) 1月29日 陰陽寮が神鏡を移す日時と伊勢奉幣の日時を勘申する 2月6日 陰陽寮が翌日の行幸の吉時を勘申する 2月19日 陰陽寮が斎王のことを伊勢に報告する日
天徳五年(961)~寛弘二年(1005)。 目次 年表 詳細なできごと 村上天皇:天慶九年(946)4月20日-康保四年(967)5月25日 康保年間(964~968) 源満仲の夢に龍女が現れる 冷泉
【年表】平安時代の陰陽師たちの活動記録(醍醐天皇期~村上天皇期)
出典:日付の記載がない項目は同日条に記載されています。 目次 醍醐天皇時代延長二年(924)12月29日 陰陽寮が追儺に使用する道具を渡す延長四年(926)8月5日 陰陽寮が神祇官とともに霖雨の祟りに
寛和の変(花山天皇の退位・出家)~出家の途中で安倍晴明の家の前を通りかかる
寛和かんなの変とは、寛和二年(986)6月23日に起こった花山天皇の退位・出家事件である。『古事談』では、寵愛していた弘徽殿の女御の死を悲しんでいたところへ藤原道兼が出家を勧めてきたとされている。しか
年表 延長元年(923)4月 朝廷が菅原道真に右大臣正二位を贈る 延長八年(930)6月 清涼殿落雷事件 清涼殿の柱に落雷があり、大納言藤原清貫らが犠牲になった。この落雷は、菅原道真の怨霊による祟
長徳の変(花山院闘乱事件)は、長徳二年(996)1月16日、藤原伊周・隆家の従者と花山法皇の従者が闘乱になった事件である。この事件以降、藤原伊周・隆家兄弟は没落することとなった。 目次 道長と伊周・隆
目次 菅公の祟り清涼殿落雷事件落雷の犠牲になった人々天満大自在天神として祀られる内裏焼亡事件対策菅公の祟り 清涼殿落雷事件 清涼殿落雷事件は、延長八年(930)6月26日に平安京内裏の清涼殿南西の第一
目次 陰陽道の祭祀祭祀の記録(五十音順)疫神祭鬼気祭招魂祭泰山府君祭本命祭陰陽道の祭祀 祭祀の記録(五十音順) 疫神祭 和暦 日付 担当 出典 長徳四年 7月5日 (陰陽寮) 権記 鬼気祭 和暦 日付
鎮宅とは、「宅(家屋)」の鬼神を鎮めることで、鎮宅霊符は鬼神を鎮めるための霊符である。 人間の住む家屋とその下の土地には鬼神がいると信じられていた。 目次 鎮宅鎮宅霊符神鎮宅霊符の逸話安倍晴明と鎮宅霊
目次 あ行【あ】安倍晴明【い】和泉式部一条天皇【え】円融天皇【お】大江匡衡か行【か】花山天皇寛朝さ行【す】朱雀天皇た行【た】醍醐天皇は行【ふ】藤原顕光藤原兼家藤原公任藤原伊周藤原実方藤原実資藤原彰子藤
平安時代の陰陽師たちの活動記録(年表)・後編(安倍晴明没後)
目次 一条天皇時代寛弘二年(1005)11月22日 陰陽寮が内裏で起こった火災の祟について勘申する12月21日 陰陽寮が内裏造営の日時を勘申する寛弘三年(1006)7月15日 陰陽寮が客星について御卜
平安時代の陰陽師たちの活動記録一覧表。 詳細は下記: + 使い方を見る 表示数を変更する 絞り込み検索する 改元がある年は、改元後の元号で表示している。 個人名が不明な項目は担当欄を「陰陽師」としてい
目次 平安時代の一年(7~12月)七月7月15日 盂蘭盆供(うらぼんぐ)7月中旬 相撲節会八月8月上旬(丁の日) 釋奠8月11日 定考8月15日 石清水八幡宮の放生会九月9月 陣定9月9日 重陽の節供
【平安時代】穀倉院の活動記録~穀倉院別当も務めていた安倍晴明~
『安倍氏系図』によると、安倍晴明は穀倉院別当を務めていたので、穀倉院の活動を記録する。 目次 花山天皇時代永観三年(985)1月22日 楽所始の饗宴2月15日 翌日の饗宴について取り決め寛和三年(98
身に付着した穢れを取り除くため、陰陽師たちは河原にて祓(解除げじょ)を行う。『枕草子』三一では、弁舌さわやかな陰陽師に依頼して、河原で呪咀の祓をしているのは気持ちのいいことだとしている。 目次 基本情
目次 1月1月1日 元日節会1月1日 四方拝(987~)1月2日 二宮大饗1月5~6日 叙位儀1月7日 白馬節会1月8~14日 御斎会(ごさいえ)1月16日 踏歌節会1月17日 射礼1月中旬 賭弓1月
【平安時代】夢想の記録(夢のお告げ)、どんな夢を見たのか、夢を見たあと何をするのか
日付の記載がない項目は、同日条に記載。 目次 夢想の記録と影響夢の内容神仏のお告げ夢のお告げ外出しない行事を延期する寺社へ参詣して祈る僧を呼ぶ祓を行うその他夢想の記録と影響 夢の内容 神仏のお告げ 永
まず素肌の上に袴をはき、 その上から「単(ひとえ)」「袿(うちき)」「打衣(うちぎぬ)」「表着(おもてぎ)」を順に重ねて、 最後に「唐衣(からぎぬ)」と「裳(も)」を付けます。 重さは15キロから20キロと重たいです。 必ずしも十二枚重ねているから十二単ではなく、<span class="rmarker-s">平均して9枚程度</span>となっています。