メインカテゴリーを選択しなおす
『池亭記』は天元五年(982)10月頃に、慶滋保胤が著した随筆である。(『扶桑略記』) 当時の平安京の様子や新居での生活についてくわしく記されている。 『池亭記』現代語訳 都の様子について語る 私は二
漢書(前漢書、漢書地理志)について、倭に関する記述を解説しています。漢書の倭の記述にある「如淳の注釈」の解釈によって、倭に関する内容が変わってしまいます。古代の倭を知ることや邪馬台国論争において、漢書は重要な史料です。
後漢書について、倭に関する記述を解説しています。後漢書の倭に関する記述は、魏志倭人伝の内容と酷似しています。しかし、魏志倭人伝とは異なる字が使用されていたり追加情報があるなど、邪馬台国論争において後漢書は重要な史料です。
日本最大にして唯一の官撰百科事典である『古事類苑』。この中には、倭に関する日本の公式見解ともとれる内容が記述されています。内容を知れば、邪馬台国の謎を解く手がかりになるかもしれません。
梁書の倭に関する記述を解説しています。魏志倭人伝をベースにしつつ、魏志倭人伝にはない記述もあります。この記述が弥生時代のことかどうかが議論の的になっています。古代の倭を知ることや邪馬台国論争において、梁書は重要な史料です。
翰苑の倭に関する記述を解説しています。魏志倭人伝や魏略など様々な文書を引用しており、客観的な立場で倭のことを記述しています。古代の倭を知ることや邪馬台国論争において、翰苑は重要な史料です。
論衡の倭に関する記述を解説しています。倭人が周王朝に対して朝貢していたという記述がみられます。中国正史以外では、現状見つかっている最古の倭人の記述であり、古代の倭を知ることや邪馬台国論争において、論衡は重要な史料です。
魏略(魏略逸文)の内容をまとめています。と言っても、魏略は原文が散佚しているため、どの書物でどう魏略が引用されているかを記載しているだけですが。
紀元前から7世紀頃までの朝鮮半島の様子が記録されている『三国史記』。三国史記は現存する最古の朝鮮史書であるが、その中には倭や卑弥呼についての記述がある。
陰陽道の教えに沿って一日を過ごした平安貴族~九条殿遺誡・現代語訳~
『九条殿遺誡』は10世紀半ばに右大臣藤原師輔が記した家訓書。 目次 平安貴族の一日 起床後の作法 宮中での心得 教訓 幼年期 仏を大切にする 天皇に尽くし、父母を敬う 対人関係の心得 質素倹約のすすめ
壱岐市立一支国博物館(いきしりついきこくはくぶつかん)建築家黒川紀章が最晩年に設計 長崎
建築家黒川紀章が最晩年に設計した、陶器を連想させる緑の施された屋根は、弥生時代の風景を建物によって蘇らせる山の稜線のような屋根にしたそうです。遠く、弥生時代の遺跡「原の辻遺跡」を望む展望台。 弥生時代には中国や朝鮮半島と海を介して隣り合う「海の街道」として栄え、 今でも弥生時代の一支国の原風景を残す、貴重な場所だそうです。 島のあちらこちらから古代日本を物語る貴重な資料が多数出土し、これらを一同に展示しています。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2013.05.26 長崎県壱岐市芦辺町深江鶴亀触 2000年以降に全国を巡って写した、思い出の写真を4Kフォトムービに再編集しました。 <Youtubeライブラリ>WiHi接続の方は再生画質を調整してお楽しみください。 https://www.youtube.com/pl..
目次 平安時代の一年(7~12月)七月7月15日 盂蘭盆供(うらぼんぐ)7月中旬 相撲節会八月8月上旬(丁の日) 釋奠8月11日 定考8月15日 石清水八幡宮の放生会九月9月 陣定9月9日 重陽の節供
【平安時代】穀倉院の活動記録~穀倉院別当も務めていた安倍晴明~
『安倍氏系図』によると、安倍晴明は穀倉院別当を務めていたので、穀倉院の活動を記録する。 目次 花山天皇時代永観三年(985)1月22日 楽所始の饗宴2月15日 翌日の饗宴について取り決め寛和三年(98
【平安時代】夢想の記録(夢のお告げ)、どんな夢を見たのか、夢を見たあと何をするのか
日付の記載がない項目は、同日条に記載。 目次 夢想の記録と影響夢の内容神仏のお告げ夢のお告げ外出しない行事を延期する寺社へ参詣して祈る僧を呼ぶ祓を行うその他夢想の記録と影響 夢の内容 神仏のお告げ 永
古代日本の元号。飛鳥時代には、大化・白雉・朱鳥・大宝・慶雲・和銅の計6つが制定されたと伝えられています。ですが、大化・白雉・朱鳥に関しては、出土した木簡での確認が取れないのです。 ※引用、漢数字⇒アラビア数字 藤原宮跡(特別史跡)および福岡市元岡遺跡から、大宝年号(701―)を記した木簡が出土している。大宝年号はこれまでに元年(3点)・二年(8点)・三年(3点)が見つかっていて、諸国官衙が日本独自...
方忌かたいみは陰陽道における方角についての禁忌で、方違かたちがえは方忌を避けるために他の場所に泊まることである。 忌むべき方角は年単位・月単位・日単位あり、年単位では大将軍・金神・八卦、月単位では王相
陰陽道における方位神(天一神・太白神・大将軍・金神・王相ほか)
遊行神 遊行神:諸々の方位を巡り移動する神。 天一神 全宇宙を司る天皇・人皇・地皇の三皇のうちの地皇である。『和漢三才図会』では、天地開闢の後に盤古が生まれ、その次に三皇が生まれたという。室町時代の賀
十干 十干は五行(木・火・土・金・水)をそれぞれ陽と陰に分け、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十個にしたものである。『五行大義』によると、「干」は物事がまっすぐに竿の上に立っているようにはっき
日付の記載がない項目は同日条。 円融天皇時代 天元五年(982) 天元五年(982)2月4日、円融天皇は前年の晦日に足を痛めたが、痛みが治まらないため陰陽師を召して占わせることにした。また、医者も呼ぶ
日付の記載がない項目は同日条。 いろいろな穢れ 人の死穢 寛和四年(987)2月2日乙未、或る人曰く、藤原道兼の邸宅にて頓死した女がいたが、知らせなかったという。(『小右記』同年2月3日条)この事が起
北海道にも古墳があります。8~9世紀前半にかけての築造。本土日本の時代区分では、奈良~平安初期に相当します。※江別古墳群(復元)、北海道江別市元江別 ※各々、一部を引用 古墳時代を象徴する前方後円墳こそ県下にはないが、終末期古墳とよばれる律令国家成立期前後の古墳は、県内にも多数存在する。これは北海道の続縄文文化の系統を引く土壙墓と、南の古墳文化とが融合して出現したもので、小規模な円形墳丘の中に石...
平安時代の行政区分を見ると、北海道(蝦夷地)がありません。では、北海道は外国だったのか? それも違います。北海道に「国」はなかったので。※境界の日本史(p136-137)/森先一貴・近江俊秀/朝日選書983/2019.4.25……本の見開きページをスキャンしてアップしました。検索すれば、ウィキなどで綺麗な画像がヒットしますから、地図の詳細は、そちらでご確認頂ければと思います(_ _)さて、上図は律令制に基いた行政区分、...
「渡嶋」と目にすれば、大抵の人が北海道の渡島(おしま)半島を連想します。ただし、読みは「ワタリノシマ」です。北海道~本州に跨る海峡付近を指しました。 ※引用(改行を加えました) 津軽の北ということから、当然のなりゆきとして導かれる、渡嶋を北海道とする説が、近年の学界では有力である。しかしその前提には、当時の「津軽」を現在の津軽半島一帯にまで広げて考える理解があり、この点についてはさらに慎重に検討し...
東北には、阿部・安倍といった苗字が多いです。奈良時代の後半以降に下賜された臣姓で、その頃は大抵、「阿倍」と書いていました。平安期には、安倍清明で知られるように安倍表記が、江戸になる頃には、阿部表記が主流だったようです。……先に安倍清明(10世紀)を挙げましたが、こちらは中央の安倍。中央の安倍の歴史は古く、後世は陰陽道に生きるようになりましたが、継体天皇の時代以降、急速に力をつけた氏族であると見られてい...
英語の「civilization(文明)」の「civil」。辞書で調べると形容詞で、「市民の・公民の」、「国家の・国内の」といった意味があります。古代ギリシャの都市国家(ポリス)が、解りやすいでしょうか。アテネ(最盛期の人口3万人)やスパルタ(最盛期1万人)。標準的なポリスだと、人口は5000人くらいと見られます。ポリス同士は、互いの国益を巡って激しく戦争もしますが、外敵に対しては一致団結。文化圏としての強い絆があり...
■誰が?何のため?『亀石』・『石舞台古墳』・『酒船石』古代ミステリー(奈良県明日香村)
目次 1 古代ミステリーの地『飛鳥』をポタリング 2 聖徳太子が生まれた『橘寺』 3 巨石を用いた石室『石舞台古墳』 4 『誰のお墓か』はミステリーの一つ 5 誰が?何のために?『酒船石』 1 古代ミステリーの地『飛鳥』をポタリング (写真:『亀石』何の
朝鮮半島・釜山郊外の島にある獐項遺跡から出土した2体の人骨。約6300年前に生きていた人物で、現代韓国人より日本人と近縁でした。※「科学」2022年2月号、p134より(岩波書店)ちょ~っと図が見難いと思うんで、必要な部分を拡大しますね(↓)※「科学」2022年2月号、p134より(岩波書店)、拡大図左上に縄文人のグループがあります。真ん中ぐらいに、現代日本人のグループ。そして、右下には中国(北京)と、隣に南中国。左上に...
■押戸石の丘~謎の巨石群に記されたシュメール文字?~(熊本県阿蘇郡南小国町)
目次 1 謎の巨石群「押戸石の丘」へ 2 「押戸石の丘」までは、細い砂利道が続きます 3 「嘘つきは挟まれる?」様々な巨石群 4 古代シュメール文字が刻まれる巨石 5 見渡す限りの草原と巨石群は一見の価値アリ 1 謎の巨石群「押戸石の丘」へ (写真:「押
4.18 知ってみよう書いてみよう ヲシテ文字(ホツマツタヱ)
いじめ、虐待、不登校、引きこもり、離婚、ネグレスト、DV、依存症、ハラスメント、8050問題…これらが全部、自分の親子関係から、来ていると知っていますか?あら…
播磨灘(はりまなだ)の中央に位置する家島諸島(いえしましょとう)に到着した、狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)一行。 そこで、四代目先導こと槁根津日子(さおねつひこ)(以下、サオネツ)と出会ったのであった。 前回は椎根津彦(しいねつひこ)(
播磨灘(はりまなだ)の中央に位置する家島諸島(いえしましょとう)に到着した、狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)一行。 小柄な剣根(つるぎね)が解説していた時、筋肉隆々の日臣命(ひのおみ・のみこと)が、島内の大岩について、自慢気に語ってきた。
日本最古の国営の銅山があった「長登銅山跡」を紹介する施設「大仏ミュージアム」
JUGEMテーマ:歴史「奈良の大仏のふるさと」長登銅山跡の資料が展示してある「大仏ミュージアム」 今回は、山口県美祢市見東町にある「大仏ミュージアム」をお届けします。 ここには、長登銅山文化交流館があり、古代
狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)一行は、播磨灘(はりまなだ)の中央に位置する家島諸島(いえしましょとう)に到着した。 ここで、本編の主人公、サノが口を開いた。 サノ「前回の予告通り、家島(いえしま)に着いたぞ! 兵庫県姫路市に編入されている
興世姫(おきよひめ)と別れた狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)一行は、嵐に遭遇した。 そんな危機的状況の中、一行を先導する者が現れた。 二代目(一号)「ンア~。」 サノ「おおっ! 二代目っ! 助かったぞ!」 二代目(一号)は、一行を荒波の
七つ目と八つ目の候補地、無人島の高島(たかしま)と高島山(たかしまやま)の一帯に滞在中の狭野尊(さの・のみこと)(以下、サノ)一行に基づく伝承が他にもあるので、ここで紹介したい。 ここで、長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)(以下、イツセ)が噛み