※陰陽道に関係のありそうなものだけ 天禄元年(970)の年表 天禄元年(970) 3月 3月29日 触穢 天禄元年(970)3月29日庚午、右大臣藤原伊尹以下が参内し外記に仰って言われたことには「冷然
安倍晴明情報局(年表/説話/ゆかりの地/陰陽道全般/平安時代の生活など)、陰陽師たちの活動記録(年表)、平安時代の用語集
【年表】 多数の史料をもとに安倍晴明の陰陽師としての活動をご紹介。説話や伝説に見られるような超人的な能力をもつ陰陽師ではなく、一人の官人陰陽師としての晴明の実像が浮かび上がる!
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※陰陽道に関係のありそうなものだけ 天禄元年(970)の年表 天禄元年(970) 3月 3月29日 触穢 天禄元年(970)3月29日庚午、右大臣藤原伊尹以下が参内し外記に仰って言われたことには「冷然
村上天皇時代 天慶九年(946) 10月28日 陰陽寮が出宮の時間を勘申する 10月28日乙酉、陰陽寮は出宮の時間を午二刻と勘申した。(『九暦』) 天暦二年(948) 3月20日 陰陽寮が清涼殿への遷
平安時代の年表―村上天皇時代に起きた出来事(天暦元年~五年)
平安時代の年表:村上天皇の御代、天暦元年~天暦五年までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上天皇時代の年表(天暦) 他の年表を見る 年
陰陽道用語が関わっている和歌を集めました。平安時代の生活に陰陽道が根付いていたことがわかります。 陰陽道と和歌 方違 片時も 見ねば恋しき 君を置きて 怪しや幾夜 外にねぬらむ 和歌片時も 見ねば恋し
平安貴族の日記をもとに、当時の陰陽師がどんなことをしていたのか、仕事内容を検証することで幻想的な印象とは異なる陰陽師の実像が浮かび上がります。穢れを祓ったり、怪異の吉凶や物忌の必要性について占う陰陽師
藤原道長が朝廷の権力を掌握していくにつれて、それをよく思わない者も出てきた。彼らは法師陰陽師を使って道長を呪詛したり、邸宅の下に厭物を埋めた。 『宇治拾遺物語』『古事談』『十訓抄』には「藤原道長が愛犬
陰陽師が登場するまで 継体天皇七年(513) 6月 五経博士が派遣されてくる 継体天皇七年(513)6月、百済から五経博士として段楊爾(だんように)が日本に派遣されてきた。(『日本書紀』) 継体天皇十
平安時代の年表:醍醐天皇の御代、延長年間の出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 朱雀天皇時代の年表(延長年間)
平安時代の年表―村上天皇時代に起きたできごと(天暦六~十一年)
平安時代の年表:村上天皇の御代、天暦六年(952)1月1日から天暦十一年(957)10月27日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村
平安時代の年表:円融天皇の御代、天元元年(978)12月6日から天元六年(983)4月15日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 文末
平安時代の年表:円融天皇の御代、貞元元年(976)7月13日から貞元三年(978)11月29日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 円
平安時代の年表:村上天皇の御代、天慶九年(946)4月20日から天慶十年(947)4月22日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上
平安時代の年表:村上天皇の御代、天慶九年(946)4月20日から天慶十年(947)4月22日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上
平安時代の年表:朱雀天皇の御代、天慶五年(942)1月1日から天慶九年(946)4月20日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 朱雀天
平安時代の年表:村上天皇の御代、天徳元年(957)10月27日から天徳五年(961)2月16日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村
平安時代の年表:円融天皇の御代、天延元年(973)12月20日から天延四年(976)7月13日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 円
平安時代の年表:村上天皇の御代、応和元年(961)2月16日から応和四年(964)7月10日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上
平安時代の年表:村上天皇の御代、康保元年(964)7月10日から康保四年(967)5月25日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上
平安時代の年表:冷泉天皇の御代、康保四年(967)5月25日から安和二年(969)8月13日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 冷泉
花山天皇時代の年表
花山天皇の御代、安倍晴明は天皇の前世を見抜き、病気を治した。花山天皇が出家する際にはいち早く退位を察知して式神に参内させた。天皇の出家後は熊野参詣に同行し、花山院の修行の妨げとならないよう結界を張って
平安時代の年表―朱雀天皇時代(延長八年9月22日~天慶九年4月20日)
平安時代の年表:朱雀天皇の御代、延長八年(930)9月22日から天慶(946)4月20日までの出来事を年表にまとめました。 文章が長いので折りたたんでいます。 朱雀天皇:延長八年(930)9月22日-
平安時代中期、源頼光は重病で病に臥しており、あらゆる薬を処方しても回復しなかった。ある夜、頼光の前に見知らぬ法師が現れ、病状を尋ねてきた。法師の正体は土蜘蛛の妖怪だと見抜いた頼光は、枕元に置いてあった
平安時代の人物の属星(本命星)を確認する一覧表(和暦・西暦対応)
属星ぞくしょうとは、自分の運命を司る星のことである。生まれた年の干支によって決まり、貪狼星・巨門星・禄存星・文曲星・廉貞星・武曲星・破軍星の七種類がある。平安時代では、毎年元日に自分の属星に対して身の
平安時代において日蝕があると、陰陽寮が中務省に予め伝えておき、中務省は文書を作成して太政官に知らせる。少納言が奏上した後、太政官は諸司に知らせる。(『延喜式』) 平安時代の日食 日蝕があった場合 朝廷
『池亭記』は天元五年(982)10月頃に、慶滋保胤が著した随筆である。(『扶桑略記』) 当時の平安京の様子や新居での生活についてくわしく記されている。 『池亭記』現代語訳 都の様子について語る 私は二
平安時代の貴族と『白氏文集』、『長恨歌』が平安文学に与えた影響
『白氏文集』は唐の白居易による詩文集。会昌五年(845)に完成した。日本では平安時代の承和年間(834~848)以降に伝わってきて、大流行した。特に『長恨歌』や『琵琶行』が好まれた。『源氏物語』や『枕
平安時代の貴族と『白氏文集』、『長恨歌』が平安文学に与えた影響
『白氏文集』は唐の白居易による詩文集。会昌五年(845)に完成した。日本では平安時代の承和年間(834~848)以降に伝わってきて、大流行した。特に『長恨歌』や『琵琶行』が好まれた。『源氏物語』や『枕
中務省は宮中の政務を行う部署である。中=宮中、務=政務を意味する。 大内裏図では、陰陽寮の隣にある。 基本情報 人員構成 職掌 定員 卿 一名 大輔 一名 侍従 八名→二十名 内舎人 九十名~ 大内記
『簠簋抄』『泉州信田白狐伝』『安倍晴明物語』には、幼い安倍晴明(安倍童子)が小蛇あるいは亀が子どもたちにいじめられていたところを助け、そのお礼として龍宮に導かれて褒美を渡されるという説話が収録されてい
【現代語訳】『賀茂保憲女集』序文―陰陽師・賀茂保憲の娘の歌集
『賀茂保憲女集』は、安倍晴明の師匠で陰陽師の賀茂保憲の娘が編纂した歌集である。歌集の序文には保憲女自身の不幸に対する嘆きから始まり、身分の貴賤や日本の四季のめぐり、和歌の起源、男女の恋愛、最後に流行り
目次 醍醐天皇 説話 聖帝の例えとして名前を挙げられる 村上天皇 or 朱雀天皇の御五十日の餅の儀において、藤原伊衡の和歌に対して返歌を詠む 生前の悪行によって地獄で罰を受ける 朱雀天皇 村上天皇 説
目次 藤原公任 説話 東三条殿の立后について失言を放つ 三船の才 藤原実資 説話 藤原実頼の名前が由来 豪華な邸宅 藤原済時 説話 気難しい性格 大饗において永平親王に接待させて大恥をかく 藤原師尹
目次 晴明の位階・官歴 解説 天文博士 主計権助・主計助 備中介 大膳大夫 散位 晴明の位階・官歴 官職 官位 初出 典拠 天文得業生 天徳四年(960)9月23日 『中右記』嘉保元年(1094)11
陰陽道の教えに沿って一日を過ごした平安貴族~九条殿遺誡・現代語訳~
『九条殿遺誡』は10世紀半ばに右大臣藤原師輔が記した家訓書。 目次 平安貴族の一日 起床後の作法 宮中での心得 教訓 幼年期 仏を大切にする 天皇に尽くし、父母を敬う 対人関係の心得 質素倹約のすすめ
醍醐寺五重塔は朱雀天皇が醍醐天皇の冥福を祈るために建てた塔で、現存する京都最古の木造建築物である。承平六年(936)に着工し、村上天皇の御代の天暦五年(951)10月に完成した。 内部には両界曼荼羅・
目次 藤原純友の乱 年表 承平六年(936)6月 朝廷が藤原純友に海賊追捕の宣旨を下す 承平六年(936)8月19日 平将門と藤原純友が比叡山で結託する 承平六年(936)藤原純友が海賊追捕の宣旨を蒙
在位期間一覧
目次 改元の時期 改元の時期一覧 改元の理由(詳細) 延喜→延長 承平→天慶 天暦→天徳 天徳→応和 康保→安和 天延→貞元 貞元→天元 永延→永祚 永祚→正暦 正暦→長徳 長徳→長保 長保→寛弘 改
目次 『往生要集』における地獄 等活地獄 等活地獄の地理 黒縄地獄 黒縄地獄の地理 衆合地獄 衆合地獄の地理 叫喚地獄 叫喚地獄の地理 大叫喚地獄 大叫喚地獄 焦熱地獄 焦熱地獄の地理 大焦熱地獄 大
目次 一条天皇時代 寛弘二年(1005) 11月22日 陰陽寮が内裏で起こった火災の祟について勘申する 11月29日 賀茂光栄が賀茂臨時祭の日時・紫宸殿出御の日時・官奏に伺候する日時・除目の日時を勘申
紫式部 源氏物語 現代語訳 あらすじ:第一部(桐壺~藤裏葉)
源氏物語:第一部(桐壺~藤裏葉)のあらすじです。 目次 源氏物語 1: 桐壺 あらすじ:帝が寵愛していた桐壷の更衣が亡くなる、更衣そっくりの藤壺が入内する 2. 帚木 あらすじ 3. 空蝉 あらすじ
目次 後一条天皇時代 長和五年(1016) 1月29日 陰陽寮が神鏡を移す日時と伊勢奉幣の日時を勘申する 2月6日 陰陽寮が翌日の行幸の吉時を勘申する 2月19日 陰陽寮が斎王のことを伊勢に報告する日
天徳五年(961)~寛弘二年(1005)。 目次 年表 詳細なできごと 村上天皇:天慶九年(946)4月20日-康保四年(967)5月25日 康保年間(964~968) 源満仲の夢に龍女が現れる 冷泉
『道賢上人冥途記』は道賢上人が修行中に倒れ、日本への復讐を企む菅原道真や地獄で罰を受ける醍醐天皇に遭遇し、再び現世に戻ってくる説話。『扶桑略記』にも同様の記述がある。 『扶桑略記』の記述は『道賢上人冥
目次 陰陽師が登場する説話宇治拾遺物語内記上人、法師陰陽師の紙冠を破ること今昔物語集慈岳川人、地神に追わるること東三条の銅の精、人の形となりて掘り出ださるること近江国安義橋なる鬼、人を喰らうこと播磨国
【年表】平安時代の陰陽師たちの活動記録(醍醐天皇期~村上天皇期)
出典:日付の記載がない項目は同日条に記載されています。 目次 醍醐天皇時代延長二年(924)12月29日 陰陽寮が追儺に使用する道具を渡す延長四年(926)8月5日 陰陽寮が神祇官とともに霖雨の祟りに
天徳四年(960)3月30日、内裏の清涼殿において村上天皇が主催した歌合である。後の歌合の規範となった。左方と右方に分かれて和歌の優劣を競い、結果は左方の10勝5敗5分で左方の勝ちとなった。 目次 歌
目次 平安文学における冥界冥界に行った人々安養尼(953-1034)因幡国国隆寺の法師大神晴遠讃岐国山田郡/鵜足郡の女尊恵上人藤原輔道藤原行成(972-1028)源公忠(889-948)源満仲の郎等源
寛和の変(花山天皇の退位・出家)~出家の途中で安倍晴明の家の前を通りかかる
寛和かんなの変とは、寛和二年(986)6月23日に起こった花山天皇の退位・出家事件である。『古事談』では、寵愛していた弘徽殿の女御の死を悲しんでいたところへ藤原道兼が出家を勧めてきたとされている。しか
平将門の乱は、天慶二年(939)11月に起きた、平将門による反乱である。藤原純友の乱と合わせて承平天慶の乱と呼ばれる。 目次 基本情報背景将門と叔父良兼の対立兵乱の兆し平将門の乱野本合戦川曲村合戦将門
年表 延長元年(923)4月 朝廷が菅原道真に右大臣正二位を贈る 延長八年(930)6月 清涼殿落雷事件 清涼殿の柱に落雷があり、大納言藤原清貫らが犠牲になった。この落雷は、菅原道真の怨霊による祟
長徳の変(花山院闘乱事件)は、長徳二年(996)1月16日、藤原伊周・隆家の従者と花山法皇の従者が闘乱になった事件である。この事件以降、藤原伊周・隆家兄弟は没落することとなった。 目次 道長と伊周・隆
目次 菅公の祟り清涼殿落雷事件落雷の犠牲になった人々天満大自在天神として祀られる内裏焼亡事件対策菅公の祟り 清涼殿落雷事件 清涼殿落雷事件は、延長八年(930)6月26日に平安京内裏の清涼殿南西の第一
目次 滝夜叉姫の伝説姫塚『忍夜恋曲者』如蔵尼の伝説『今昔物語集』巻17第29話『元亨釈書』如蔵尼の墓滝夜叉姫の伝説 姫塚 秋田県仙北市田沢湖の姫塚に残る伝説。天慶の乱に敗れた平将門の娘滝夜叉姫は五人の
目次 陰陽道の祭祀祭祀の記録(五十音順)疫神祭鬼気祭招魂祭泰山府君祭本命祭陰陽道の祭祀 祭祀の記録(五十音順) 疫神祭 和暦 日付 担当 出典 長徳四年 7月5日 (陰陽寮) 権記 鬼気祭 和暦 日付
鎮宅とは、「宅(家屋)」の鬼神を鎮めることで、鎮宅霊符は鬼神を鎮めるための霊符である。 人間の住む家屋とその下の土地には鬼神がいると信じられていた。 目次 鎮宅鎮宅霊符神鎮宅霊符の逸話安倍晴明と鎮宅霊
目次 あ行【あ】安倍晴明【い】和泉式部一条天皇【え】円融天皇【お】大江匡衡か行【か】花山天皇寛朝さ行【す】朱雀天皇た行【た】醍醐天皇は行【ふ】藤原顕光藤原兼家藤原公任藤原伊周藤原実方藤原実資藤原彰子藤
平安時代の陰陽師たちの活動記録一覧表。 詳細は下記: + 使い方を見る 表示数を変更する 絞り込み検索する 改元がある年は、改元後の元号で表示している。 個人名が不明な項目は担当欄を「陰陽師」としてい
平安時代の陰陽師たちの活動記録(年表)・後編(安倍晴明没後)
目次 一条天皇時代寛弘二年(1005)11月22日 陰陽寮が内裏で起こった火災の祟について勘申する12月21日 陰陽寮が内裏造営の日時を勘申する寛弘三年(1006)7月15日 陰陽寮が客星について御卜
平安時代の陰陽師たちの活動記録(年表)・後編(安倍晴明没後)
目次 一条天皇時代寛弘二年(1005)11月22日 陰陽寮が内裏で起こった火災の祟について勘申する12月21日 陰陽寮が内裏造営の日時を勘申する寛弘三年(1006)7月15日 陰陽寮が客星について御卜
目次 祟りの記録神の祟り怪異の記録怪異全体怪異を示す夢想動物の怪異犬の怪異鳥の怪異鼠の怪異牛の怪異猪の怪異場所の怪異天体の怪異祟りの記録 神の祟り 寛弘七年(1010)9月15日庚寅、前日に御卜による
【平安時代】穀倉院の活動記録~穀倉院別当も務めていた安倍晴明~
『安倍氏系図』によると、安倍晴明は穀倉院別当を務めていたので、穀倉院の活動を記録する。 目次 花山天皇時代永観三年(985)1月22日 楽所始の饗宴2月15日 翌日の饗宴について取り決め寛和三年(98
目次 平安時代の一年(7~12月)七月7月15日 盂蘭盆供(うらぼんぐ)7月中旬 相撲節会八月8月上旬(丁の日) 釋奠8月11日 定考8月15日 石清水八幡宮の放生会九月9月 陣定9月9日 重陽の節供
身に付着した穢れを取り除くため、陰陽師たちは河原にて祓(解除げじょ)を行う。『枕草子』三一では、弁舌さわやかな陰陽師に依頼して、河原で呪咀の祓をしているのは気持ちのいいことだとしている。 目次 基本情
【平安時代】物忌の記録(天皇の物忌、平安貴族の物忌、物忌の軽い・重い)
目次 いろいろな物忌天皇の物忌一条天皇三条天皇平安貴族の物忌藤原道長物忌の重さ軽い物忌重い/固い物忌いろいろな物忌 天皇の物忌 一条天皇 寛弘六年(1009)8月6日戊子、一条天皇の物忌のため、釋奠祭
目次 1月1月1日 元日節会1月1日 四方拝(987~)1月2日 二宮大饗1月5~6日 叙位儀1月7日 白馬節会1月8~14日 御斎会(ごさいえ)1月16日 踏歌節会1月17日 射礼1月中旬 賭弓1月
【平安時代】夢想の記録(夢のお告げ)、どんな夢を見たのか、夢を見たあと何をするのか
日付の記載がない項目は、同日条に記載。 目次 夢想の記録と影響夢の内容神仏のお告げ夢のお告げ外出しない行事を延期する寺社へ参詣して祈る僧を呼ぶ祓を行うその他夢想の記録と影響 夢の内容 神仏のお告げ 永
方忌かたいみは陰陽道における方角についての禁忌で、方違かたちがえは方忌を避けるために他の場所に泊まることである。 忌むべき方角は年単位・月単位・日単位あり、年単位では大将軍・金神・八卦、月単位では王相
安倍保名:連夜説教 現代語訳 第七席 安倍保名の来歴 并びに白狐前生物語のこと
基本情報 情節 三十みそあまり 我も狐の穴にすむ 今ばかさるる 人もことわり 時の流れは早く、物は代わり、星は移り、桑田・碧海も様変わりして、どれほどの年月が経ちましたでしょうか、天文暦道に名高い安倍
陰陽道における方位神(天一神・太白神・大将軍・金神・王相ほか)
遊行神 遊行神:諸々の方位を巡り移動する神。 天一神 全宇宙を司る天皇・人皇・地皇の三皇のうちの地皇である。『和漢三才図会』では、天地開闢の後に盤古が生まれ、その次に三皇が生まれたという。室町時代の賀
十干 十干は五行(木・火・土・金・水)をそれぞれ陽と陰に分け、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十個にしたものである。『五行大義』によると、「干」は物事がまっすぐに竿の上に立っているようにはっき
天文密奏とは、天文・気象に異常が見られた際に天文博士が状況と吉凶を占った結果を天皇に奏上することである。 一条天皇時代 大雨 長徳四年(998)9月1日、大雨によって鴨川が決壊し、京中が海のように水浸
日付の記載がない項目は同日条。 円融天皇時代 天元五年(982) 天元五年(982)2月4日、円融天皇は前年の晦日に足を痛めたが、痛みが治まらないため陰陽師を召して占わせることにした。また、医者も呼ぶ
日付の記載がない項目は同日条。 いろいろな穢れ 人の死穢 寛和四年(987)2月2日乙未、或る人曰く、藤原道兼の邸宅にて頓死した女がいたが、知らせなかったという。(『小右記』同年2月3日条)この事が起
『前賢故実ぜんけんこじつ』は、天保七年(1836)~慶応四年(1868)から明治時代に刊行された伝記集で、神武天皇から後村上天皇までの有名人500人余りが人物画とともに収録されている。全10巻20冊。
小野篁たかむらは平安時代初期の文人・詩人・歌人。延暦二十一年(802)~仁寿二年(853)。小野妹子の子孫。安倍晴明より約100年前に生きていた。昼は朝廷に仕え、夜は冥界に降りて閻魔大王に仕えた。 史
基本情報 原文 大唐より日本へ伝来するは、昔人王三十九代天智天皇の御宇よりこの方、日本より大唐へ官銭を遣わすなり。天智天皇より五十五年目の遣唐使安倍仲丸若少にて渡海す。其の時、日本は四十四代元正帝、大
基本情報 原文 先ず、此の書は佛暦經三千百巻に説き給うと云う。一義又百六十巻に説き給うと云う。両義有り何れにても文殊結集し給うと意を得るべきものなり。 天竺より大唐へ伝来を意得は、大唐雍州城荊山の麓に
陰陽道の秘伝書・三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集―金烏と玉兎―
『簠簋内伝金烏玉兎集(以下『金烏玉兎集』)』は安倍晴明が編纂したと伝えられている占いの実用書である。『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』ともいう。陰陽道の秘伝書である。 初出は『簠簋抄』で、伯道上人
簠簋抄 現代語訳 吉備真備が帰朝し、金烏玉兎集を安倍童子に渡す
基本情報 原文 ある時、武帝の仰せには「吉備末永く渡海成る間日本に帰さん」と倫言あり、その時武帝七宝を吉備に賜る。謂われるところの一は七帝の政、二は簠簋、三は野馬台の詩、四は囲碁、五は金鶏、六は日本領
安倍保名:連夜説教 現代語訳 第九席 童子・道満、大内にて術くらべ ならびに晴明入唐のこと
基本情報 『安倍保名:連夜説教』とは 題名 安倍保名:連夜説教 著者 三浦浦三 編 出版社 其中堂 出版年月日 明30.6 情節 折にふれ ことにふれつつ 来し方を 老いの心に 忘れかねつる 生者必滅
安倍保名:連夜説教 第八席 保名義父に対面す ならびに子別れの和歌のこと
基本情報 『安倍保名:連夜説教』とは 題名 安倍保名:連夜説教 著者 三浦浦三 編 出版社 其中堂 出版年月日 明30.6 情節 恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信田の森の うらみ葛の葉 さて、前回
安倍保名:連夜説教 現代語訳 第二席 安倍仲麿入唐ならびに凌雲閣酒宴のこと
基本情報 『安倍保名:連夜説教』とは 題名 安倍保名:連夜説教 著者 三浦浦三 編 出版社 其中堂 出版年月日 明30.6 情節 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出し月かも 何れも早々と
簠簋抄 現代語訳 安倍童子、龍宮に招かれる~帝の病を平癒させ、清明の名を賜る
基本情報 原文 その後、彼の童子も化来の人なる故に、年積り鹿島の明神に百日参籠申し、其の内万事死相を見るべからず由誓願す。然るに、九十九日目に童子数多集まり、小蛇を殺さんと引き回すを、安倍童子これを見
いろいろな説 「大阪府」説 大阪府の晴明神社に「安倍晴明生誕伝承地」がある。 信田明神の狐 『人国記』巻上「和泉国」によると、信田明神には野狐が多く、よく人間を誑かしていた。この国はただの狐に衣服を着
今昔物語集 現代語訳 観音に仕りし人、竜宮に行きて富を得たる語
「観音に仕りし人、竜宮に行きて富を得たる語(仕観音人行龍宮得富語)」は、『今昔物語集』巻十六第十五話に収録されている。 基本情報 内容 今は昔、京に年若い男がいた。名前は語り伝えられていない。侍である
基本情報 高山祭の記録 従五位下行備後介藤原朝臣山陰、従五位下行陰陽権助兼陰陽博士滋岳朝臣川人らを遣わし、大和国吉野郡高山において祭礼を修させた。董仲舒祭法により、五穀から虫害を祓うためである。(『日
陰陽寮と神祇官 災いが頻繁に起こり妖徴も見られたので、神祇官が亀卜、陰陽寮が占筮を用いて占ったところ、伊勢大神神社及び諸神社の祟りによるものだという。(『続日本紀』天応二年〈782〉7月29日条) 神
陰陽道の歴史―時代とともに変化する陰陽道・後編(鎌倉時代~)
鎌倉時代 武士階級が力を持ち始め、公家の総体的な地盤沈下に伴い武家は公家の行動規範を左右していた陰陽道をも取り込んでいく。 武家政権である鎌倉幕府の成立後、陰陽道は幕府を守護し存続させるために機能する
新・安倍晴明一代記(仮)(前編):延喜二十一年(921)-天徳三年(959)。 参考(五十音順):『安倍晴明物語』『宇治拾遺物語』『大鏡』『源平盛衰記』『古今著聞集』『古事談』『今昔物語集』『泉州信田
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※陰陽道に関係のありそうなものだけ 天禄元年(970)の年表 天禄元年(970) 3月 3月29日 触穢 天禄元年(970)3月29日庚午、右大臣藤原伊尹以下が参内し外記に仰って言われたことには「冷然
村上天皇時代 天慶九年(946) 10月28日 陰陽寮が出宮の時間を勘申する 10月28日乙酉、陰陽寮は出宮の時間を午二刻と勘申した。(『九暦』) 天暦二年(948) 3月20日 陰陽寮が清涼殿への遷
平安時代の年表:村上天皇の御代、天暦元年~天暦五年までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上天皇時代の年表(天暦) 他の年表を見る 年
陰陽道用語が関わっている和歌を集めました。平安時代の生活に陰陽道が根付いていたことがわかります。 陰陽道と和歌 方違 片時も 見ねば恋しき 君を置きて 怪しや幾夜 外にねぬらむ 和歌片時も 見ねば恋し
平安貴族の日記をもとに、当時の陰陽師がどんなことをしていたのか、仕事内容を検証することで幻想的な印象とは異なる陰陽師の実像が浮かび上がります。穢れを祓ったり、怪異の吉凶や物忌の必要性について占う陰陽師
藤原道長が朝廷の権力を掌握していくにつれて、それをよく思わない者も出てきた。彼らは法師陰陽師を使って道長を呪詛したり、邸宅の下に厭物を埋めた。 『宇治拾遺物語』『古事談』『十訓抄』には「藤原道長が愛犬
陰陽師が登場するまで 継体天皇七年(513) 6月 五経博士が派遣されてくる 継体天皇七年(513)6月、百済から五経博士として段楊爾(だんように)が日本に派遣されてきた。(『日本書紀』) 継体天皇十
平安時代の年表:醍醐天皇の御代、延長年間の出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 朱雀天皇時代の年表(延長年間)
平安時代の年表:村上天皇の御代、天暦六年(952)1月1日から天暦十一年(957)10月27日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村
平安時代の年表:円融天皇の御代、天元元年(978)12月6日から天元六年(983)4月15日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 文末
平安時代の年表:円融天皇の御代、貞元元年(976)7月13日から貞元三年(978)11月29日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 円
平安時代の年表:村上天皇の御代、天慶九年(946)4月20日から天慶十年(947)4月22日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上
平安時代の年表:村上天皇の御代、天慶九年(946)4月20日から天慶十年(947)4月22日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上
平安時代の年表:朱雀天皇の御代、天慶五年(942)1月1日から天慶九年(946)4月20日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 朱雀天
平安時代の年表:村上天皇の御代、天徳元年(957)10月27日から天徳五年(961)2月16日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村
平安時代の年表:円融天皇の御代、天延元年(973)12月20日から天延四年(976)7月13日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 円
平安時代の年表:村上天皇の御代、応和元年(961)2月16日から応和四年(964)7月10日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上
平安時代の年表:村上天皇の御代、康保元年(964)7月10日から康保四年(967)5月25日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 村上
平安時代の年表:冷泉天皇の御代、康保四年(967)5月25日から安和二年(969)8月13日までの出来事を年表にまとめました。通常の記録に加え、説話も追記。陰陽寮の活動は色付きで紹介しています。 冷泉
花山天皇時代の年表
基本情報 情節 三十みそあまり 我も狐の穴にすむ 今ばかさるる 人もことわり 時の流れは早く、物は代わり、星は移り、桑田・碧海も様変わりして、どれほどの年月が経ちましたでしょうか、天文暦道に名高い安倍
遊行神 遊行神:諸々の方位を巡り移動する神。 天一神 全宇宙を司る天皇・人皇・地皇の三皇のうちの地皇である。『和漢三才図会』では、天地開闢の後に盤古が生まれ、その次に三皇が生まれたという。室町時代の賀
十干 十干は五行(木・火・土・金・水)をそれぞれ陽と陰に分け、甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十個にしたものである。『五行大義』によると、「干」は物事がまっすぐに竿の上に立っているようにはっき
天文密奏とは、天文・気象に異常が見られた際に天文博士が状況と吉凶を占った結果を天皇に奏上することである。 一条天皇時代 大雨 長徳四年(998)9月1日、大雨によって鴨川が決壊し、京中が海のように水浸
日付の記載がない項目は同日条。 円融天皇時代 天元五年(982) 天元五年(982)2月4日、円融天皇は前年の晦日に足を痛めたが、痛みが治まらないため陰陽師を召して占わせることにした。また、医者も呼ぶ
日付の記載がない項目は同日条。 いろいろな穢れ 人の死穢 寛和四年(987)2月2日乙未、或る人曰く、藤原道兼の邸宅にて頓死した女がいたが、知らせなかったという。(『小右記』同年2月3日条)この事が起
『前賢故実ぜんけんこじつ』は、天保七年(1836)~慶応四年(1868)から明治時代に刊行された伝記集で、神武天皇から後村上天皇までの有名人500人余りが人物画とともに収録されている。全10巻20冊。
小野篁たかむらは平安時代初期の文人・詩人・歌人。延暦二十一年(802)~仁寿二年(853)。小野妹子の子孫。安倍晴明より約100年前に生きていた。昼は朝廷に仕え、夜は冥界に降りて閻魔大王に仕えた。 史
基本情報 原文 大唐より日本へ伝来するは、昔人王三十九代天智天皇の御宇よりこの方、日本より大唐へ官銭を遣わすなり。天智天皇より五十五年目の遣唐使安倍仲丸若少にて渡海す。其の時、日本は四十四代元正帝、大
基本情報 原文 先ず、此の書は佛暦經三千百巻に説き給うと云う。一義又百六十巻に説き給うと云う。両義有り何れにても文殊結集し給うと意を得るべきものなり。 天竺より大唐へ伝来を意得は、大唐雍州城荊山の麓に
『簠簋内伝金烏玉兎集(以下『金烏玉兎集』)』は安倍晴明が編纂したと伝えられている占いの実用書である。『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』ともいう。陰陽道の秘伝書である。 初出は『簠簋抄』で、伯道上人
基本情報 原文 ある時、武帝の仰せには「吉備末永く渡海成る間日本に帰さん」と倫言あり、その時武帝七宝を吉備に賜る。謂われるところの一は七帝の政、二は簠簋、三は野馬台の詩、四は囲碁、五は金鶏、六は日本領
基本情報 『安倍保名:連夜説教』とは 題名 安倍保名:連夜説教 著者 三浦浦三 編 出版社 其中堂 出版年月日 明30.6 情節 折にふれ ことにふれつつ 来し方を 老いの心に 忘れかねつる 生者必滅
基本情報 『安倍保名:連夜説教』とは 題名 安倍保名:連夜説教 著者 三浦浦三 編 出版社 其中堂 出版年月日 明30.6 情節 恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信田の森の うらみ葛の葉 さて、前回
基本情報 『安倍保名:連夜説教』とは 題名 安倍保名:連夜説教 著者 三浦浦三 編 出版社 其中堂 出版年月日 明30.6 情節 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出し月かも 何れも早々と
基本情報 原文 その後、彼の童子も化来の人なる故に、年積り鹿島の明神に百日参籠申し、其の内万事死相を見るべからず由誓願す。然るに、九十九日目に童子数多集まり、小蛇を殺さんと引き回すを、安倍童子これを見
いろいろな説 「大阪府」説 大阪府の晴明神社に「安倍晴明生誕伝承地」がある。 信田明神の狐 『人国記』巻上「和泉国」によると、信田明神には野狐が多く、よく人間を誑かしていた。この国はただの狐に衣服を着
「観音に仕りし人、竜宮に行きて富を得たる語(仕観音人行龍宮得富語)」は、『今昔物語集』巻十六第十五話に収録されている。 基本情報 内容 今は昔、京に年若い男がいた。名前は語り伝えられていない。侍である
基本情報 高山祭の記録 従五位下行備後介藤原朝臣山陰、従五位下行陰陽権助兼陰陽博士滋岳朝臣川人らを遣わし、大和国吉野郡高山において祭礼を修させた。董仲舒祭法により、五穀から虫害を祓うためである。(『日
陰陽寮と神祇官 災いが頻繁に起こり妖徴も見られたので、神祇官が亀卜、陰陽寮が占筮を用いて占ったところ、伊勢大神神社及び諸神社の祟りによるものだという。(『続日本紀』天応二年〈782〉7月29日条) 神