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平将門の乱は、天慶二年(939)11月に起きた、平将門による反乱である。藤原純友の乱と合わせて承平天慶の乱と呼ばれる。 目次 基本情報背景将門と叔父良兼の対立兵乱の兆し平将門の乱野本合戦川曲村合戦将門
【年表を歴史小説でつなぐPJ】絶海にあらず<上> 北方謙三 930年頃の日本
平安時代の京では、藤原北家が次第に強大な権力を握りつつあった。その北家に繋がる藤原純友は、ふとしたきっかけで任官することになる。藤原氏の氏長者、忠平の窮地を救ったのだった。純友は従七位下伊予掾(いよのじょう)として任官、赴任する。 瀬戸内海では水師たちが、京からの指示による内...
瀬戸内海の海賊(藤原純友と村上水軍) 私の出身地は香川県西部の観音寺という所で、瀬戸内海の近くで、海から2㎞ほど離れた財田川沿いにあります。 瀬戸内海は7世紀ごろからすでに海賊が多かったところだったようですが、10世紀前半に宇和島の日振島を本拠地にして朝廷に反乱を起こした藤原純友は、西は九州の大宰府から東は兵庫県の播磨まで瀬戸内海全域に勢力を伸ばし、各地の国府などを襲撃しています。 同時期に起こった東国での平将門の乱は2ヶ月で平定されていますが、藤原純友の乱は平定するのに2年かかっています。 藤原純友は藤原氏の中でも最も栄えた宗家である藤原北家の出身でしたが、父が早死にしたため都での出世を諦め…