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須磨区多井畑には、在原行平に寵愛された松風・村雨の墓があります。松風・村雨 まつかぜ・むらさめ在原行平(ありわらの-ゆきひら)が須磨(すま)でよんだという歌をもとに生まれた説話上の姉妹。かつて行平に愛された海女の姉妹が亡霊となって旅の僧の前にあらわれ,行平形見の狩衣(かりぎぬ)を身につけて舞う。能「松風」,御伽(おとぎ)草子「松風村雨」,人形浄瑠璃(じょうるり)「松風村雨束帯鑑(そくたいかがみ)」などは松風物とい...
多井畑厄除八幡宮の近くには、義経腰掛けの松があります。源平合戦の折り、源義経一行は、多井畑厄除八幡宮で先勝祈願をした後、この地の松に腰をかけ休息を取り出陣したと言い伝えられています。義経腰掛の松 1184年(寿永3年)2月7日未明源義経一行は多井畑厄除八幡宮で戦勝祈願した後、この松の木の下で休息をとり一の谷に向かったと伝えられている。それから後、村人はこの場所に社を作り「ほんがんさん」の愛称で親しみと尊敬...
須磨寺の宝物館の一角にある「須磨寺小石人形舎」では、アートデザイナーの故木島武雄氏が、須磨や各地の小石を集めて『源氏物語』や源平合戦の場面を表した小石人形が展示されています。光源氏を彩る人々光源氏、葵の上、桐壺帝、桐壺更衣、紫の上など百人一首の詠人清少納言、小野小町など在原行平と松風村雨源平合戦などの情景が、センサーで作動して動くしくみになっています。一の谷合戦平敦盛青葉の笛を吹く平敦盛平家の公達...
源頼政の伝説から重量不定の法則(?)についての検証を試みる ~頼政塚・千葉県印西市
↑の画像鵺退治で有名な「源三位」こと源頼政(1104~1180)の首が葬られていると伝える「頼政塚」。とその説明板。千葉県印西市にあります。 平家政権打倒を掲げた以仁王に呼応して挙兵(1180年)するも追討を受けて敗北、最後は京都の平等院で自害して果てたとされる源頼政。そんな彼の首がどうして関東地方、千葉県にあるの? というのが今回のテーマのひとつ。 彼の鵺退治に関しては前回の投稿で取り上げましたが、出典元となる「平家物語」では彼は朝廷に怪異現象を起こしていた怪物、鵺を見事退治した報奨として伊豆国をもらっています。そして彼の息子である仲綱が国司となった、頼政自身は丹波と若狭にも所領を得た、とな…
この首塚(五輪塔)は、寿永3年(1184)年2月7日に起きた一の谷の戦いで、熊谷直実に討たれ戦死した平敦盛の菩堤を弔う為に建立されたものです。平敦盛卿首塚 敦盛卿の御首を埋葬する。敦盛卿は首と胴とは別々に埋葬せしも胴塚は幕討死の場所たる一の谷にあり謡曲「敦盛」と敦盛首塚謡曲「敦盛」は、戦乱の巷では敵であった者同士が、極楽浄土で共に成仏する運命になった事を主軸にして作曲された修羅物である。一の谷の戦いで少...
さて、平治の乱から15年くらい経った1176年(安元2年)、夏ごろから急に宮中は不幸が続きます。後白河上皇の妻、建春門院。二条天皇の中宮、高松院。後白河上皇の孫、六条上皇。近衛天皇の中宮、九条院。と、相次いで亡くなってしまいます。 この時の天皇は、六条上皇の三つ年上の叔父で、後白河上皇の息子、高倉天皇です。六条天皇は享年13才ですから、この当時16才ということになります。高倉天皇の母親は建春門院こと平滋子(たいらのじし)。清盛からみれば義妹にあたる人です。つまり、高倉天皇はお母さんを亡くしたことになり、同時に母方のバックアップを失ったことになります。奥さんは清盛の娘の平徳子(たいらのとくし)で…
即成院は那須与一ゆかりの寺とされ、京都で病にかかった与一が、即成院の阿弥陀如来に祈願したところたちまち回復、以来、阿弥陀如来を肌身はなさず持っていたと伝えられています。また、「屋島の戦い」の時も一心に阿弥陀如来に祈ったところ、見事に扇の的を射る事が出来たといわれています。即成院 与一の手洗い場本堂裏には与一の墓とされる石塔があります。即成院のHPによると「源義経の家来であった那須与一は、義経の命を受...
#270 読了『平家物語 あらすじで楽しむ源平の戦い』~日本の古典『平家物語』を読むために
『平家物語』の戦いに焦点を当ててあらすじで理解することと、平重盛についてその見方を豊かにしてくれる1冊です。 『平家物語』について当然知っておくべきこと、まだ…
大型店舗のブックオフに行ってきました。 いろいろと見て回ると、PSPコーナーにて発見した乙女ゲームをお迎えしました! オトメイトアイディアファクトリーグ…
#336 2023年7月の購入本 その2 マルクス。、源平合戦について
2023年7月に購入した本第二弾『一八世紀の秘密外交史:ロシア専制の起源』『源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究 (講談社学術文庫)』の2冊一八世紀の秘…
#345 本レビュー『源平合戦の虚像を剥ぐ』~日本の古典『平家物語』を読むため
『平家物語』による「平家物語史観」なるものから距離を取って史実を見てみようと『源平合戦の虚像を剥ぐ 治承・寿永内乱史研究 (講談社学術文庫)』を読みました。平…
※このページは、『脱出ゲーム 香川県からの脱出』の途中のページです。ゲームを最初から始めたいときは、「【脱出ゲーム 香川県からの脱出】タイトルページ」へ進んで…
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義経じゃないほうの源平合戦 (文芸社文庫 し 6-4)義経が活躍したことで有名な源平合戦。本作で描かれている、じゃないほうの武将は源範頼です。鎌倉幕府を作った源頼朝は源氏の3男。義経は9男そして範頼は6男。範頼は、母親が遊女だったということから、他の兄弟より軽く見
Lさんが突然「父ちゃん、百人一首やろう」って言ってきたんです。学校で百人一首の勉強をしてきたみたいなんですね。近々大会があるとかで。広瀬すずちゃんが出ていた「ちはやぶる」っていう映画をテレビで見た影響もあるみたいなんですけど。で、読み手をや
■源平合戦最終の地『壇ノ浦』と『関門トンネル人道』(山口県下関市)
目次 1 関門海峡を望む源平合戦最終の地「壇ノ浦」へ 2 関門トンネルを抜けて下関へ 3 関門海峡を眼前に戦う源義経・平知盛 4 関門海峡は歩いて渡れる「関門トンネル人道」 5 九州門司と本州下関を結ぶ関門トンネル人道 1 関門海峡を望む源平合戦最終の
【なぜ彼は齢77にして立ち上がったのか】高田崇史『QED 源氏の神霊』
次で最新刊になりますね。(一応ガイドブックが来年出るみたい、楽しみ)おや、誰かが幸せになったみたいだぞ。ということで短編の答え合わせがここで登場します。今回は…割と素直よ。
参道の思いもよらぬ異国エリアで、寄り道してしまったけど、ようやく最初の目的の須磨寺へ橋の向こうは仁王門。阪神大震災で、お寺が倒壊して新しく立て直したと思ってた…
楽しい日本史 -武士による支配- 12.大天狗 後白河上皇に翻弄された源平合戦
大天狗とよばれる後白河上皇に翻弄され、平家は滅び、源氏は仲たがいが起きる。後白河上皇が平氏を揺さぶり、今度は源
【アニメ『平家物語』】2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では語られなかった討たれる側の物語。
平家物語,アニメ,大河ドラマ,鎌倉殿の13人,歴史,軍記,山田尚子,
「早鞆の瀬戸(はやとものせと)」と言われる海流の流れの早い関門海峡で、幅が一番狭い(約700m)場所に面した「みもすそ川公園」。 頭上の迫力満点の巨大な「…
<7月1日追加>6月20日のブログで、 「また、海峡に向かって長州砲の原寸大レプリカが5門並んでいて、その真ん中の1門からは発射音と煙が出てくるという演出があ…
【写真追加(2022.9.30)】下関ってどんなとこ?? ~みもすそ川公園・松平健さん手形登場~
<以下、9月30日追加分>一昨日だっけな??2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に「平清盛役」で出演された「松平健さん」の手形が、みもすそ川公園に登場…
昨日はちょっと長府に用事があって、先日の「維新・海峡ウォーク」以来の長府方面。行きはJRで長府駅まで行って用事を済ませ、帰りは関門海峡沿いをウォーキングをしな…
【写真追加(2022.8.28)】下関ってどんなとこ?? ~平家の一杯水~
<以下、8月28日追加分>昨日、ひさびさに「平家の一杯水」の前を通ったら、こんな説明看板があったので追加しま~す。これまたあまりたいした追加じゃなくてすみませ…
下関ってどんなとこ?? ~源平night in 赤間神宮・そらから魅る超絶景 in 関門海峡~
「源平night in 赤間神宮」が10月の毎週土曜日に、「そらから魅る超絶景 in 関門海峡」が10月10日、11日に、それぞれ開催されるようですよ~詳しく…
一ノ谷の戦い(2)河原太郎・次郎ゆかりの三宮神社~小野八幡神社
神戸の元町駅から南東5分、大丸神戸店の斜め向かいにある三宮神社。生田神社の八柱の裔神を祭った一宮から八宮までの神社(生田裔神八社)の中の三柱目に当たる湍津姫命(たきつひめのみこと)を祭った神社です。三宮神社の境内には、河原霊社があり、源平一ノ谷合戦の東城戸における戦いで、生田の森に陣取る平家方に攻め込み、戦死した河原太郎高直・次郎盛直の霊を祀っています。武蔵国の住人、河原太郎高直と次郎盛直兄弟は、...
須磨寺は源平合戦ゆかりの寺です。源平の庭一ノ谷の戦いでの平敦盛と熊谷直実の一騎打ちの場面を再現した庭で、馬上から扇をかざして呼び止める直実と、それに振り向く敦盛の姿がリアルに表現されています。これらの像だけは、震災の時にも壊れなかったそうです。 熊谷直実像直実は、武蔵国熊谷郷の豪族の出身。保元・平治の乱では源氏方でしたが、義朝の死後は一時、平家に仕え、頼朝挙兵後は、再び源氏方につきました。一の谷...