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ごきげんよう、まんきんたんです 高松市屋島東町にある「安徳天皇社」を訪ねました。 平家一門に連れられて、三種の神器とともに都落ちした安徳天皇のために造営…
門司港レトロの散策から、関門トンネルの人道を歩いて下関へ☆福岡/北九州旅行記②【2025.01】
※【福岡/北九州旅行記①】の続きになります。 小倉駅前のホテルからの朝の眺望。駅前には割と古い建物が多かったようです。 朝8時にホテルをチェックアウト。小…
三種の神器... 昔はなにかに付けて言っていたような気がする。 なにかが何かは覚えていないけれど...w 例によって浅~く調べて都合のいいように想像しているので、間違っていることが多々あると思う。が、まぁそうであっても誰かの人生に影響するものでもないし、ましてや自分の人生にも影響はないので良しとする(大汗) 調べてみたらダラダラ長くなってしまった ( •᷄◡̑•᷅ )ヤレヤレ 「三種の神器」の読み方 「三種の神器」ってどの様に読むのか? 一般的には「さんしゅのじんぎ」らしい。 学生の頃は「じんぎ」じゃ「仁義」になっちゃうじゃん、なので「しんぎ」じゃないのか?、と思っていた。 だが、誰が三種の神…
建礼門院徳子の歌から平家物語と中世日本の世界観を覗き見る ~京都大原・寂光院その他
“思ひきや 深山の奥に 住居(すまい)して 雲居(くもゐ)の月を よそに見むとは” --建礼門院徳子(1155-1213?)作として平家物語に登場 日本史を代表する「悲劇のヒロイン」ともいえる建礼門院徳子、源平合戦の最終章たる壇ノ浦の合戦において息子の安徳天皇、母の平徳子など平家一門とともに入水するも源氏方に(髪の毛を熊手で引っ掛けて引き上げるというかなり荒っぽいやり方で)救助され、その後京都大原の寂光院にて亡き一族の菩提を弔いながら余生を送ったと言われています。 ただし彼女の生涯や人となりに関してはよくわかっていないことが多く、没年も「歴代皇紀」をはじめとした各種文献に記された内容から121…
福岡へ戻っても髪は白くならないよ♪ 本日はお日柄も良く 晴れ時々曇天の良い塩梅のお天気です。 天気が良い!そうだ、山口へ行こう(*´▽`*) ってな訳ではございませんが 山口県の赤間神宮に行って参りました。 壇ノ浦の合戦に敗れ、8歳で入水された安徳天皇を祀る「赤間神宮」 前身は「阿弥陀寺」といいましてね ご存じの方もいるかと思いますが 「耳なし芳一」の舞台となったお寺だそうです。 阿弥陀寺は明治8年に廃されてまして 仏像を除く宝物一括が赤間神宮に伝えられたとの事ですよ 鳥居を潜って直ぐこの外観 りゅ、竜宮城やん!!!!!(*´▽`*)ステキ 圧巻です! 曇天でも写真に映えるわ( *´艸`) 参…
赤間神宮 [下関市] ~ 壇ノ浦戦で入水した安徳天皇を祀る神社
旅行2日め、雨降る中をレンタカーを借りて移動です。レンタカーはこちら、軽とみまどうほどのコンパクトな車、トヨタルーミー。今迄乗ったこと車の中でもっとも饒舌で、速度出しすぎたり、センターライン踏んだり、車間詰めたりするといちいち注意してきます。なまえは「小姑くん」にしました。ばあさんがお参りしたいとのことで、最初にやってきたのは赤間神宮。壇ノ浦の戦いで敗れ、徳子に抱かれて入水した若干8歳の安徳天皇を祀っている神社です。中国っぽい門構え。耳なし芳一の舞台になったのも、この神社だそうです。10円パンの屋台。パンが10円で売ってるのかと思ったのですが、後で調べてみるとそうではなくて十円玉をかたどったパンのようです。下関らしい、フグの郵便ポストも。さて、雨もざんざか降ってきたので、次の目的地に移動しましょう。[赤間...赤間神宮[下関市]~壇ノ浦戦で入水した安徳天皇を祀る神社
アニメ『平家物語』 第十話「壇ノ浦」についてTVアニメ「平家物語」公式サイト琵琶法師により語り継がれ、後世の文学や演劇に大きな影響を与えた大古典『平家物語』。…
「関門トンネル人道」で海底県境を越えてみる【福岡県/山口県】
関門海峡をはさんで向かい合う福岡県の門司と山口県の下関は、関門橋や関門国道トンネル、関門鉄道トンネルなどで結ばれていますが、歩行者用の海底トンネルがあるのをご存知ですか?それが「関門トンネル人道」。ここはなんと本州と九州との間の海底を歩いて
〈山口/関門海峡 壇ノ浦PA〉源平合戦で有名な古戦場は潮流が速い‼️
日中、下関市長府のお客さん訪問、小倉からレンタカーで、壇ノ浦PAから関門海峡みると潮の流れが速い! 長府の町も城下町の風情が残る屋敷、寺、神社など仕事でなきゃ少し町歩きしたい町でした^^* 関門橋下関門司の間の関門海峡を跨ぐ高速道路の吊り
山口県下関市の壇ノ浦漁港に小さな神社がありました。蛭子神社といいます。 (赤間神宮徒歩5分) 赤間神宮から少し歩いていたとき、壇ノ浦の海に行くと、凄く気になる神社がありました。 コレです。蛭子神社、地元では「蛭子社」と呼んでいます。※この蛭子神社に関しては現地から得られる情報だけでは不明な点が多いので、下関市役所観光政策課及び赤間神宮に教えてもらいました。皆様、有り難うございました。 この蛭子神社は、壇ノ浦漁港の船泊りある小さな神社です。 江戸時代の1807年(文化四年)に、この神社の記録があります。「防長寺社由来」という書物に、この壇ノ浦蛭子神社の由来が書かれているそうです。1863年5月に…
■源平合戦最終の地『壇ノ浦』と『関門トンネル人道』(山口県下関市)
目次 1 関門海峡を望む源平合戦最終の地「壇ノ浦」へ 2 関門トンネルを抜けて下関へ 3 関門海峡を眼前に戦う源義経・平知盛 4 関門海峡は歩いて渡れる「関門トンネル人道」 5 九州門司と本州下関を結ぶ関門トンネル人道 1 関門海峡を望む源平合戦最終の
△35△下関で火の山公園に〜秋のキャンピングカーで日本縦断旅
本州最西端の毘沙門ノ鼻を出発して🚛唐戸市場へgogo🚛『△34△本州最西端の毘沙ノ鼻へ〜秋のキャンピングカーで日本縦断旅』昨日車中泊した道の駅は本州最西端…
ホテルを出発後、山陽小野田ICから高速道路に乗り平戸を目指しました。途中、壇ノ浦パーキングエリアに立ち寄りました。ここは関門海峡の景色が見られる風光明媚なパーキングエリアです。壇ノ浦パーキングエリアの見取り図。2階は全て展望デッキになっています。1階の入口。土産物売り場の様子。展望デッキから見た関門橋。壇ノ浦パーキングエリア下り線にある宿泊施設、ファミリーロッジ旅籠屋。写真の左端に写っています。このPA...
源平合戦の最終章・壇ノ浦の戦い・・壇ノ浦が見下ろせる場所に合戦の様子を描いた立派な壁画がありました。 (鮮やかな巨大壁画) 福岡県北九州市門司の和布刈(めかり)公園にある第2展望台には、高さ3メートル、長さ44メートルの壁画があります。この壁画は、山口県下関市にある赤間神宮が所蔵する「紙本金地著色安徳天皇縁起絵図」の一部をもとにした壇ノ浦の決戦が描かれています。300mm×350mm×50mmの大きさの有田焼の陶板1400枚を貼って作った壮大な作品です。この壁画は、第二駐車場に行く道沿いにあり、その鮮やかさで目立ちます。 壇ノ浦の戦いに関しては下をクリックして御覧下さい。 (壁画に書かれている…
源範頼と義経が壇ノ浦の戦いの戦勝祈願をし、平知盛の墓がある甲宗八幡宮(福岡県北九州市)
壇ノ浦決戦を前に源範頼・義経が戦勝祈願のために訪れた神社を参拝してきました。 (壇ノ浦を前に源氏の勝利を祈願) 源平合戦の最終章・壇ノ浦の戦い。1185年3月に行われたこの合戦を前に、鎌倉方の大将であった源範頼と副将の源義経の兄弟が参詣し、重藤弓と鏑矢を奉献して戦いの必勝を祈願した神社があります。 関門海峡・壇ノ浦の九州側、福岡県北九州市門司区にある甲宗八幡宮です。この神社は平安時代の860年に創建されています。 【壇ノ浦の戦いに関しては下をクリックしてどうぞ】 壇ノ浦の合戦の壁画があります。 そして戦いに勝利した後には、その御礼として範頼・義経が社殿を新たに造営した、との記録が社伝に残ってい…
下関と言えば、「関門海峡」に「関門橋」。ということで、いつも下から眺めている「関門橋」ですが、やっぱり上から「関門海峡」と「関門橋」の壮大な景色を見てみたくて…
「早鞆の瀬戸(はやとものせと)」と言われる海流の流れの早い関門海峡で、幅が一番狭い(約700m)場所に面した「みもすそ川公園」。 頭上の迫力満点の巨大な「…
<7月1日追加>6月20日のブログで、 「また、海峡に向かって長州砲の原寸大レプリカが5門並んでいて、その真ん中の1門からは発射音と煙が出てくるという演出があ…
九州駅巡り21夏-筑豊編(37) 壇ノ浦から関門トンネルを歩いて和布刈へ
下関駅からサンデン交通バスの日の山線に乗車しました。バスは右手に海を見ながら国道9号を東へ。どこだったか観覧車が見えました。唐戸や壇之浦という名のバス停を通っていくと・・・前方に大きな吊り橋が見えてきました~。その橋をくぐったすぐ先の御裳川バス停で下車します。後払い260円也。Suica使えました。 ちなみにバス停名は「みもすそがわ」と読みます。なかなか覚えられませんでした。バス停から海側を望みます。大きな...
こんにちは、暖淡堂です。 Takachiko!Takachiko!暖淡堂の方で、現代詩やエッセイを続けて公開しています。 dantandho21.blogspot.com 平家物語は、僕の好きな本です。岩波文庫版の「平家物語」、何度も読んでいます。平安時代末期から鎌倉時代にかけて、最終的に源氏の開いた鎌倉幕府に権力の中心が動くことから、源氏が勝った、源氏の世の中になったという理解がされがちかと思います。ただ、保元物語、平治物語、平家物語などと読み進めていると、なんだかちょっと違う理解の仕方もありかな、という気になってきます。 平安時代は多くの人が知っているように、藤原氏(藤原北家)に権勢が集中…
【写真追加(2022.8.28)】下関ってどんなとこ?? ~唐戸バスのりばにはご用心!!(笑)~
<以下、8月28日追加分>「唐戸バスのりば」のわかりやすい看板があったので追加しま~す。あまりたいした追加じゃなくてすみません。。。 <以下、6月12日原…
壇ノ浦・関門海峡大橋を間一髪ですり抜ける 〜通行止め1時間前〜
ぎりぎりセーフでした。 ただいま小倉のホテルでグッタリしていますが、なんとか九州に上陸できたことに安堵しています。 台風の北上に伴い、九州自動車道の通行止めもどんどん北上する中、午後6時頃までに関門
[6月4日]まだ梅雨入り前の事。今日はいつ梅雨入りしてもいいようにとりあえずバイクに乗る日。それほど快晴ってわけでも無いし何処行こうかと考えましたがチビッ子バイクではあまり行かない山口県の下関周辺でディープに遊んでみようと思います。北九州市営モノレールの下を通って新門司から関門トンネルを目指す途中に新しく出来た北九州横須賀フェリーの発着場の近くにある津村島に寄ってみました。今は埋め立てで陸続きになってる津村島と言う小さな島で離島だった明治の40年に石灰石の採掘が始まり当時は200人も住んでた島だったらしい。その石灰岩の採掘は露天掘りだったのか採掘跡が池みたいになってる。手前が海で向こうが採掘跡の池。なんか不思議な風景だ。島を取り囲むようになった湾の中には黒鯛(チヌ)の良型が悠々と泳いでいました。わたしもフェリーターミナルが出来るまで来たこと無かった場所だったので新発見。では小銭を払うのがめ..
ここ二三日、梅雨らしい気配があって狙っていた川ではフライが出来なくなってしまった。 川が荒れりゃあ海、それで投げ竿を抱いて海に走る。だが仕方なく海、という気持ちは全く無い、森と渓に閉じ込められていたので海になんもかんも抛り投げてみたくなっていた。 去年の今頃ちょっと良かったずっと西の浜で投げてみたかったが西風が強い。それで風裏の壇ノ浦に行った。鯨が見下ろす浜辺である。
10年前のGWに、何してたのかとUSB見たら、雨の中を壇ノ浦の合戦跡地にいた(笑) 寿永4年(1185)3月24日、 平知盛を大将とした平家と、源義経ひきいる源氏が合戦をした壇ノ浦の戦い。 義経が教経の攻撃をかわし、
壇ノ浦の戦いって聞いたことはあるけど、どこにあるの?山口県下関市、義経のいた壇ノ浦の海を旅した記録です。下関市には、歴史好きの方もそうでない方も楽しめる場所がたくさんあります。下関市の観光スポットと、歴史をたどって感じたことをお伝えします。
土曜スタジオパーク『鎌倉殿の13人』壇ノ浦直前SP▽ゲスト 菅田将暉さん
ゲストは、源義経を演じる菅田将暉さん。役への思いや撮影秘話などを伺います。小栗旬さん、中村獅童さん、田中泯さんが証言。菅田さんが若者の声に応えるコーナーも!
2022年(令和4年)下関赤間神宮で開かれた安徳天皇を偲ぶ先帝祭・本殿祭に参加
2022年(令和4年)5月3日(火:祝) 壇ノ浦に近い山口県下関市赤間神宮で 安徳天皇をしのぶ先帝祭の本殿祭が行われました。 今回は新型コロナ関係で関係者以外非公開でしたので、 本殿外に立ち参加しました。 (先帝祭とは) 「先帝祭」の“先帝”とは、1185年に行われた源平合戦最終章・壇ノ浦の戦いで、8歳で崩御した安徳天皇のことで、先帝祭は、壇之浦の合戦で入水したその安徳帝を偲ぶお祭りです。 先帝祭は毎年5月2~4日に3日間にわたり行なわれます。 しかし2022年(令和4年)は新型コロナウイルスの影響で規模が縮小し関係者のみに参拝者を限定した本殿での儀式なども限られた神事だけが行われました。 (…
2022年(令和4年)NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」関連地に行ってみよう!!
2022年(令和4年)NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、人気ですよね。 おっさんも鎌倉や下関周辺など、「鎌倉殿の13人」関連の地を色々行きました。 実際に自分で訪れた場所が、ドラマで紹介されると、「あっ 行った事がある」と 親近感がわきます。 ということで、今回は おっさんが自分で歩いた大河ドラマ「鎌倉殿の13人」関連の地をイッキに紹介!! 【鎌倉】 言わずと知れた日本史上初の武家政権・鎌倉幕府が置かれたところ。 幕府関係の史跡がたくさんありますよ。 【源平合戦最終地:関門地区】 【2022年(令和4年)5月3日(水・祝)安徳天皇をしのぶ先帝祭・本殿祭に参加しました】 【義経が逃れた地:奈良…
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 今日の夢中は、源氏対平家、宿命の対決の最終決戦、「壇ノ浦古戦場跡」です。 ■壇ノ浦の戦い 寿永2年(1183年)、源義仲に攻められた平家は、安徳天