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松江でレンタカーを借りて、八重垣神社へ来ました。 御祭神 素戔嗚尊 稲田姫命 大己貴命(大国主命) 青幡佐久佐日古命(佐草宮司先祖神) 八重垣神社は、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治するとき、後に妃とした稲田姫命をお助けした場所です。 敷地内の佐久佐女の森(奥の院)にある大杉の周囲に八重垣(四方八方の垣根)を造り見事に八岐大蛇を退治、めでたく稲田姫命とご結婚された場所とされています。 で、日本初の歌を詠んだ場所でもあります。 「八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」 有名な歌ですよね。 こちらの狛犬は年季が入っていて、素晴らしい面構えです。 永い年月で顔の形が変わってしまっています…
ワンっワンっ けたたましい鳴き 声で目が覚めました。 時計を見れば朝の 4 時 44 分。 よりにもよってお化けタイムにおあつらえ向きな数字並びで吠える我が家のワンコ。 アラームが鳴るまでのあとわずかな時間だけと 布団の中で抵抗しつつ、今までにないことだけに、もしや怪しい気配でも...
今朝は「現代語古事記」中つ巻神武天皇のところから読み直しています。おはようございます。 あなたの断捨離を全力で応援するやましたひでこ公認 断捨離®️トレーナー…
#4145 倭は国のまほろばたたなづく青垣山籠れる倭しうるわし
令和6年2月11日(日) 【旧 一月二日 友引】・立春 黄鶯睍睆(うぐいすなく)倭は国のまほろばたたなづく青垣山籠れる倭しうるわし ~倭健命《ヤマトタケルノミコト》(72-114) 『古事記』大和は国の中でもっとも素晴らしいところだ。重なり合った青い垣根のような山に籠もっ
日本書紀・古事記には時代の合わない記事が多数練り込まれており、その中には外来の要素が盛り込まれている場合が少なからず見受けられる。 古事記の崇神天皇の段に、苧環(おだまき)型蛇聟入伝承といわれる奇譚説話がある。夜な夜な活玉依毘売(イクタマヨリヒメ)の所
#4134 八雲立つ出雲八重垣妻籠みに八重垣作るその八重垣を
令和6年1月31日(水) 【旧 一二月二一日 友引】・大寒 鶏始乳 (にわとりはじめてとやにつく)除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり ~森澄雄(1919-2010)『雪櫟』Photo:みのり -MINORI- 「除夜」は大晦日ですから、もう1ヶ月前なのになんでこんな句を載せたかというと、今日1月3
本居宣長の義理の曾孫で幕末・明治期に活躍した国学者・歌人 本居豊頴(もとおり とよかい)が評論した田道間守(たじまもり)
田道間守慟哭の絵 田道間守の評論文語意調査表 私は公爵、伯爵などの爵位や博士の学位を持つ明治時代の有名人が尊敬に値する人物を評論した明治32年発行の「明治名家古人評論」という文庫本サイズの祖父の蔵書を持っています。 これまで、その中から「ラ・ファイエット」、「上杉謙信」、「鄭成功」を取り上げ、ブログで紹介しましたが、今回は「お菓子の神様」の田道間守(たじまもり)について紹介します。 今回のテーマ「田道間守」を評論した本居豊頴(もとおり とよかい)」という人はこ爵位や博士を持っていませんが、国学者・歌人として、教育者・評論家の「杉浦重剛」と同様に、明治時代に日本文化の発展に貢献した功労者の一人で…
JUGEMテーマ:歴史 笑い」を旨とする祭があります。防府(山口)の「笑い講」、名古屋(愛知)・熱田神宮の「酔笑人神事」、東大阪(大阪)・枚岡神社の「注連縄掛神事」、日高(和歌山)・丹生神社の「笑い祭」などが代表的です。昨年はその
入手場所:素盞雄神社東京都荒川区南千住6-60-1TEL:03-3891-8281バナー↓をポチポチッとお願いします正月恒例の授与品ツアーに出かけた。お正月は授与品の宝庫、神社仏閣の中には正月しか授与されない縁起物が数多くあるのだ。訪れたのは荒川区南千住にある「素盞雄神社」「蘇民将来子孫也」のカラフルな幟が揺れている。素盞雄大神が旅の途中で宿を求めた時、裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄の蘇民将来はもてなした。素盞雄大...
初日の出を見る国は意外と少ない-太陽信仰天照大神と結びついた日本のご来光
初日の出を見る習慣が在る国はどの程度あるのかと思い調べてみると、モンゴルや韓国、ロシアやアメリカ、カナダなどが上げられていて思ったより少なかった。
2024新春 良い年になりますように!一年に一度の最初の朝日(元旦)を祝う行為は、平安時代にはもう行われていました。四方拝という天皇の元旦の儀式が始まりで、新年の始まりに神様に参拝されているのです新年を祝う初詣、それが庶民の間に現在の形で広まり、初日の出を拝むという習慣になったそうな。全国では明治以降に盛んになったと言われています。2022年5月6日にUPした動画です。「日出ずる処}...
ボ・・・ボクは・・・や・・・やっていませ・・ん。 ウソです、ボクがやりました。 クー様私のzoom中にイタズラしてました・・・賢くて困っちゃう♪ 【Mシ…
JUGEMテーマ:歴史 その2からの続き女陰石と道祖神の話は前回で一通り終了したものとして、今回はその延長で少々飛躍ぎみというより誇大(古代…?)妄想レベルな話をしてみます。 《6》卵生神話 サルバドール・
内海八幡神社の御朱印情報|応神天皇の行在所跡に鎮座|小豆島五社八幡宮の1社(香川県小豆郡小豆島町)
所在地香川県小豆郡小豆島町馬木甲42祭 神応神天皇・仲哀天皇・神功皇后由 緒926年、京都・石清水八幡宮より御分霊を勧請したのが始まり。この地は応神天皇の行在所跡といわれています。HP小豆島 内海八幡神社 公式サイト随身門醤油の香りが漂う醤
阿豆枳島神社の御朱印情報|古事記・日本書紀ゆかりの地|小豆島の祖神・大野手比売を祀る(香川県小豆郡小豆島町)
所在地香川県小豆郡小豆島町福田 星ヶ城山・山頂祭 神西峰・大野手比売・罔象女神東峰・豊受大神・天御中主神・高皇産霊神・瓊瓊杵命・天児屋根命・天太玉命由 緒阿豆枳島神社は小豆島の最高峰・星ヶ城山の西峰と東峰それぞれに鎮座する神社で、西峰に小豆
古事記を学校教育で取り上げてはならないと宗教教育の禁止を誤解する日本
古事記について義務教育で教えたらどうかと言えば、自称保守と言う人ですら猛然と反論に熱中してきたりするので驚く。
日本で一番古い歴史書は「古事記」(こじき)だと、学校の授業で初めて教わった とき、筆者はその語感りから「乞食」(こじき)を連想してしまったものです。 今思えば、まことに不謹慎な所業でした。 もっとも、この「乞食」という言葉自体もあまり歓迎されるものではなかったようで、 後に...
先日の神戸婦人大学では2講義➕絵手紙クラブの【くたくたDay】💦まず午前の講義テーマは★八百万の神々を学ぶ★神戸女子大学の河田名誉教授が日本最古の歴史書である「古事記」の内容の一部を教授してくださいました🍀出雲大社で祀られている大国主神(オオクニヌシノカミ)は心の優しい神で 皮を剥がされて泣いていた因幡の白兎を助けましたこの神話が【因幡の白兎】ですそして根の堅州国で数々の試練を乗り越え地上に戻ると国づくり...
先日、とあるTV番組で見て・・・え~~~そげんとこがあると???近くに住んどうとに・・・本なごと凄かとです! 炎造です~~~( ´ ▽ ` )ノ 行って来…
日本神話の一つに「国生み/国産み」と呼ばれる物語があります。 「大八島/大八洲」(おおやしま)」、要するに、現在日本列島と呼ばれている 島々の創造過程のお話のことで、『古事記』では、その大事業の経緯はこのような 説明になっている・・・とのことです。 ~伊邪那岐(イザナギ)、...
JUGEMテーマ:歴史 その1からの続き《3》スサノオは和歌山発…? 〜松前健説 出雲と紀伊が深い関係にあることは昔から指摘されていたようで、須佐や熊野といった地名が両方に存在しますし、スサノオを祀る須佐神社は和歌山
入手場所:鹿児島神宮鹿児島県霧島市隼人町内2496-1TEL:0995-42-0020バナー↓をポチポチッとお願いします鹿児島県郷土玩具ツアー。鹿児島空港でレンタカーをチャーターして最初に訪れたのが「鹿児島神宮」駐車場に車を停め階段を上ると木々に囲まれた境内が現れた。手入れが行き届いた境内は静かで荘厳な空気が漂っている。朱塗りの本殿・拝殿はとても立派、彩色も美しく見とれてしまう程だ。鹿児島神宮は708年創建、地元では「お...
とにかくやってみる。行動あるのみ! ご訪問ありがとうございます。断捨離で人生を変えたいあなたを応援するやましたひでこ公認断捨離®トレーナー岐阜のわらやまゆ…
2023年10月17日 「見終える」じゃなくて、「読み終える」ではありませんか?とつっこまれそうですが、いや、ほんま、「見終える」なんです(笑)もちろん、著者小名木義行氏の解説部分は読むことになりますが、その解説部分とて会意文字、形成文字の勉強が入ります。第1章の古事記序文に始まり、第2章は創世の神々、第3章伊耶那岐神(イサナキノカミ)、伊耶那美神(イサナミノカミ)二神の国生み、神生み、最後の三貴神...
神武天皇から持統天皇までの記紀が扱う時代について系図を作成してみた。 この時代の神武天皇からはじまる系図では、通常は男系の単調な系図となっていて、神武天皇から成務天皇までは父子継承であることから、系図は一直線になっている。 ところが、本来の記紀には多彩な母系も記述されており、決して一直線の単調な系図で表されるようなものではなく、また、"神武"のような漢風諡号も使われていない。 漢風諡号を用いた単調な系図は、そもそもの記紀の世界観からは大きく異なったイメージを与えて、あまり適切ではないのではないか? 漢風諡号を用いず、母系も意識した系図を作成すると、どのようになるのか? そのような観点から、記紀…
前回(上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱)自作の『記紀等準拠系図』を紹介したが、この系図を眺めると、親子継承の間隔や婚姻関係など、いろいろ無理があることに気づく。 〇親子継承が大きく伸びている部分として、①ワチツミ、②物部十市根、③武内宿禰が挙げられる。②③は伊香色女、伊香色男の世代が3世代ずれている。①については、ハエイロネ姉妹の世代が3世代、ワチツミが1〜2世代ずれている。 〇3代から6代までの天皇は、磯城県主ハエの子の世代の娘を妃としており、この間の天皇を直系で繋ぐのは無理がある。 〇同世代で活躍したとされる四道将軍の四人の世代がバラついていて、同時期に活躍していたとするのは無理が…
解説:第五代孝昭天皇と第十代崇神天皇の出自と水銀朱利権について
前回(世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱)紹介した世代修正系図では、第四代と第五代の間、第六代と第七代、第九代と第十代の間を分割した。 第七代倭根子(大倭根子・彦フトニ:孝霊天皇)については大直根子(オオタタネコ)と同一人物ではないかとしたが、今回は、第五代ミマツ彦(孝昭天皇)と第十代ミマキ入彦・イニエ(崇神天皇)の出自について。 第五代ミマツ彦(孝昭天皇)に関して、「ミマツ彦の同母弟」という意味の名を持つミマツ彦イロドが、徳島の那賀川に拠点を持つ長国造の祖先とされていて、事代主の孫との伝承があり、ミマツ彦イロドを祀る『御間都比古神社』が徳島の山中に現存する。 事代主については出…
四代懿徳五代孝昭間、六代孝安七代孝霊間、九代開化十代崇神間を切って世代を見直した『世代修正系図』から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は、2世紀の様子について紹介する。 弥生時代後期、阿波の那賀川上流で水銀朱鉱山(現在の若杉山遺跡など)が開発される。事代主一族がこの水銀朱利権を掌握していた。※事代主については出雲の国譲りに関する物語などで大活躍する神であるが、式内神社の分布を見ると、徳島の那賀川周辺にのみあるなど、事代主は本来は那賀川の開拓に関する神であったとみられる。 100年代後半、大物主一族が、奈良盆地南東の泊瀬川上流域、宇陀の水銀朱鉱山を開…
シナリオ:2世紀末から3世紀初頭『綏靖天皇のクーデターと世俗王孝昭天皇の登場』
四代懿徳五代孝昭間、六代孝安七代孝霊間、九代開化十代崇神間を切って世代を見直した『世代修正系図』から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は西暦200年前後の様子を紹介する。 ホホデミは即位後、程なくして亡くなる。ここで、皇后イスケ依姫はホホデミの長男タギシミミを男王に選ぼうとする。一方、川派(カワマタ)姫がイスケ依姫を追放するクーデターを起こし、川派姫の夫である渟名川ミミが男王として第二代綏靖天皇となる。2世紀末のことである。※男王がメインか、女王がメインかで、話は変わる。神武天皇は明らかに三輪祭祀の巫女を出す磯城県主家に婿入りしていて、発言力があっ…
四代懿徳五代孝昭間、六代孝安七代孝霊間、九代開化十代崇神間を切って世代を見直した『世代修正系図』から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は西暦200年代の様子を紹介する。 第四代スキツミ(懿徳天皇)でホホデミ(神武天皇)から続く祭祀王家は途絶える。スキツミの親族、ワチツミは淡路に拠点を置き、吉備勢力と関係を深める。 世俗王第二代の倭足彦(記紀では第六代孝安天皇)の代替わりとして、ミマキ入彦が纏向を制圧し、世俗祭祀の統一王(記紀では第十代崇神天皇)となる。250年ごろのことである。※ミマキ入彦の出自であるが、皇后のミマキ入姫が、又の名をミマツ姫とも言わ…
シナリオ:3世紀後半から4世紀前半『垂仁天皇、景行天皇、ヤマトタケル』
四代懿徳五代孝昭間、六代孝安七代孝霊間、九代開化十代崇神間を切って世代を見直した『世代修正系図』から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は西暦200年代後半から300年代前半の様子を紹介する。 彦坐王は初代世俗王ミマツ彦(孝昭天皇)の子の天足彦の子孫で、和珥氏一族。子の丹波道主王とともに四道将軍の派遣で丹波方面で活躍して、奈良盆地北部から淀川・琵琶湖・丹波を支配していた。 第十代崇神天皇ミマキ入彦五十瓊殖(イニエ)の代替わりとして、第十一代垂仁天皇イクメ入彦五十狭茅(イサチ)が200年代後半に即位。 垂仁天皇は彦坐王家に介入。彦坐王の子の佐保彦を滅ぼ…
系図から見えてくる世界。(参照:世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱) 今回は、西暦300年代後半から400年まで。 足仲彦即位(仲哀天皇350年頃)時点で、関門海峡・北九州以外は勢力下に置いていた。また朝鮮半島では新羅や百済が国として形成されはじめて、皇后の息長足姫(神功皇后)は新羅の権益(母方が新羅王子天日槍の子孫)を有していたことから、関門海峡、北九州、新羅の制圧を企図した。 そこで若狭水軍を息長足姫に束ねさせ、紀伊水軍を武内宿禰に束ねさせて、瀬戸内海と日本海から関門海峡を挟み討ちにし念願の関門海峡制圧に成功した。 ここで不測の事態が起こる。足仲彦(仲哀天皇)が急死してしまっ…
関門海峡制圧(仲哀天皇崩年の前年:記崩年干支によると361年)以降、莫大な富と文化が瀬戸内海・難波に流入。巨大な前方後円墳の造築が可能になり、記録も詳細に残せるような文明開化が起こった。 このため五世紀の歴史は詳細な様子がわかる。以下は、各天皇の元年崩年をまとめたもの。 ※記紀記事の西暦(絶対年代)への比定については、不確定性が多い。日本書紀はストーリー上の都合に応じて改竄している可能性が高いほか、暦について春秋二倍暦などを考え始めると、あらゆる解釈が可能になる。上記表では、古事記記載の崩年干支が、一年暦に換算された正確なものとして、各天皇の元年崩年を整理した。 以下、5世紀の様子を紹介する。…
畿内政権の制圧圏、日本の範囲はどのように拡大していったのだろうか。 記紀が語る領土拡大の歴史についてまとめてみた。 ハニヤス王鎮圧時の制圧圏 畿内はハニヤス王の反乱鎮圧時点で制圧は完了したとの歴史認識のようで、日本書紀には「畿内無事」との記載がある。 このほかに、崇神天皇即位後、制圧伝承のない地域として、紀伊半島と四国がある。ミマツ彦カエシネ(孝昭天皇)が、宇陀の水銀朱などの鉱物資源の権益を求めて、出身母体の事代主一族が支配する四国那賀川流域から紀ノ川を遡って奈良盆地南西の玉手の地に進出したと『解説:第五代孝昭天皇と第十代崇神天皇の出自と水銀朱利権について - 上古への情熱』や『シナリオ:2世…
邪馬台国論争のキーポイントは、 240年代の伊都国が属していた女王国は畿内の政権と言えるのか? 「解説:記紀が語る領土拡大の歴史 - 上古への情熱」を見てみると、邪馬台国論争にも明確な結論が出るように思う。 魏志倭人伝に見る伊都国 魏志倭人伝では240年代に魏側の使者が倭国に訪れていることから、240年代の倭国の様子を記載している。 伊都国は「代々王がいて、みな女王国に属する。帯方郡の使者が往来し足を止めるところ」とされている。 240年代に伊都国は女王国すなわち邪馬台国に属していたことになる。 日本書紀に見る伊都国 日本書紀では仲哀天皇が崩御する前年に伊覩県主の五十迹手が降伏している。それ以…
初代神武天皇から四代懿徳天皇までは名の最後がミミ、ミとなっている。 初期天皇家系図 ※系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。 名のさいごがミ、ミミとなっている耳王家は彦ホホデミ神武天皇から始まり最後が磯城津彦の子のワチツミとなる。四代スキツミ懿徳天皇の世代までは、すべて男で姫がいない特徴がある。(正確には男女不明であるが、明確な姫がいない。) ワチツミの父は、三代磯城津彦タマテミ安寧天皇の子で、安寧天皇と同じ磯城津彦であるが名前が伝わらない。また「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」…
初期天皇家の妃は古事記と日本書紀で記載が大きく異なる。 初期天皇家系図 ※系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。 耳王家の妃に関する系譜は、記紀で大きく異なる。古事記では妃を大物主及び磯城県主からとしているのに対し、日本書紀は事代主の子孫の出身としている。 大物主は三輪山の神であり、磯城県主一族は大和盆地南東部の実力者で間違いない。 一方で、「解説:第五代孝昭天皇と第十代崇神天皇の出自と水銀朱利権について - 上古への情熱」でも解説した通り、事代主一族は那賀川の水銀朱鉱山開発を行うなど鉱山権益の実…
神武東征に際し活躍した弟磯城は初代磯城県主となり、磯城県主家は代々妃を出し繁栄するが、七代孝霊天皇に妃を出して以降、歴史から消えてしまう。 初期天皇家系図 ※系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。 弟磯城は神武東征の立役者として初代磯城県主黒速となる。神武天皇は大物主の子のイスケ依姫を妃とした。このイスケ依姫と弟磯城は関係者で兄弟と考えられるが、関係についてはっきりとは書かれていない。 綏靖天皇世代の磯城県主ハエは、子や姪が3代から6代の天皇妃となり、強大な権勢を保持していたと考えられる。この磯城…
初期天皇家系図 ※系図作成上の基本的な考え方は「上古の時代の系図の作成 - 上古への情熱」及び「世代を修正した系図を作ってみる - 上古への情熱」を参照。 崇神天皇に至る基本的な経緯は以下の通り(参照「解説:第五代孝昭天皇と第十代崇神天皇の出自と水銀朱利権について - 上古への情熱」)。①弥生時代後期、事代主一族が那賀川上流の水銀朱鉱山を開発。②その後、大物主一族が、日向出身の饒速日と、那賀川の事代主一族のトミ彦とともに、大和の宇陀の水銀朱鉱山を開発。③噂を聞きつけた日向のホホデミ(初代神武天皇)が三輪山麓に乗り込んできて、大物主一族と手を結び、饒速日とトミ彦の一族を追い出した。④しかし物流は…
JUGEMテーマ:歴史 永井豪のマンガ『凄ノ王』(1979年連載開始)というタイトルを比較的長い間“スゴノオウ”と読んでおり、スサノオと読むのだと気づいたのはけっこう大人になってからです。なぜこんな誤解をし
数年振りに4回目の和歌山に行ってきました。 1度目は熊野本宮大社、2度目は那智大社、3度目は白浜だったので、今回は4度目にしてやっと速玉大社を訪れ、 1日で周ろうと思えば周れる熊野三社を10年以上かかってやっ
古事記の下巻の仁徳記の前に、次のような記述がある。 起大雀皇帝盡豐御食炊屋比賣命凡十九天皇 仁徳(オホサザキノスメラミコト)から推古(トヨミケカシキヤヒメノミコト)まで十九の天皇、だとされている。ところが、実際の記事は十八代で一人少ないのである
武内宿禰は紀氏、葛城氏、平群氏、蘇我氏などの祖 とされる人物で、天つ神系豪族の架空の共通祖先とか 祖先の習合とか考えられる事もあります。 それはちょうど、海部氏・尾張氏と物部氏が 協力関係になった事で、天火明命が ニギハヤヒ様と同一視されるのと似てますね。 第8代孝元天皇の皇子である彦太忍信命の子ないし孫で 弟に甘美(うまし)内宿禰がいます。 一般的に武内だと思われてますが 弟と同様に武(たけし)内宿禰と読むのだ、 武は美称(宿禰は尊称)だ、という説もあります。 武内宿禰は応神天皇の実父の可能性もあります。 応神天皇は仲哀天皇の死後に産まれており 神功皇后と共に行動していたのは武内宿禰なので。…
顔の左半分が…弛んで…ほうれい線が深くなってるその理由 ごきげんさまです❣️大阪府富田林市在住断捨離®︎トレーナーインターン今川芳美です ラン…
ごきげんさまです。 あなたの断捨離を全力で応援するやましたひでこ公認 断捨離®️トレーナーたかはしよしこです。 今読んでいる本現代語訳なので文章は平易ですが内…
今朝、ピンポーンとドアベルが鳴ったのでドアカメラをチェックしたら、何やらスーツ姿の男性がふたり。 ぱっと見、不動産屋ふうである。 あれー?不動産屋が来るな…