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河兄・アジスキタカヒコネと妹・下照姫が河内でいた所【磐舟山の碑】から日本神話の謎解き(3)
大阪市内 #上町台地 の崖上、ひっそりとたたずむ #磐舟山の碑 に触発されて #古事記神話 #葦原中國 神話の考察・3回目。作者 #太安万侶 が神話に例えた史実はどのようなものだったのでしょうか? #古代河内湖 #味原 www.zero-position.com 古代河内湖(弥生時代)の兄・アジスキタカヒコネと妹・下照姫の位置関係 兄・アジスキタカヒコネの一族 北の淀川、南の大和川からの活発な土砂堆積が現在の大阪(河内)平野を造りました。 縄文時代の河内海は湾になり、弥生時代には開かれた汽水の湖から、閉じられた淡水の湖(後の草香江)に変化しました。 おそらくそのころ、今から二千二百年前(紀元前…
下照姫とアメノワカヒコ【磐舟山の碑】から日本神話の謎解き(2)
「#古事記 の例え話(#日本神話)は読み手の解釈が重要」という作家 #太安万侶 の言葉に従い #葦原中國 について考察しました。結論から言うと葦原中國とは #古代河内湾(河内湖)であった可能性が非常に高いと推理 #下照姫 #アメノワカヒコ 目次 「葦原中國平定」神話。例え話の解釈 葦原中國は古代河内湾(湖)だった!? 本文 www.zero-position.com 「葦原中國平定」神話。例え話の解釈 作者・太安万侶が残したという「古事記の例え話(神話)は解釈が重要」という言葉を手がかりに、 古事記(上巻五)「葦原中國の平定」神話に登場する下照姫とアメノワカヒコ(天稚彦、天若日子)の『史実』を…
摂津国風土記の「#高津(こうづ)」で伝えられる #アメノワカヒコ(天稚彦) と #アメノサグメ(天探女)の伝承。#古事記 #葦原中國の平定 には 二神が揃って登場します。 #磐舟山の石碑 近くの #産湯稲荷神社、境内の #産湯玉之井 の由緒は高津伝承と繋がっています 目次 アメノワカヒコとアジスキタカヒコネはそっくりさん(古事記) 産湯稲荷神社(うぶゆいなり) 産湯玉之井 本文 www.zero-position.com アメノワカヒコとアジスキタカヒコネはそっくりさん(古事記) 摂津国風土記の「高津(こうづ)」には、アメノワカヒコ(天稚彦、天若日子)が天下ったところという伝承が紹介されていま…
大阪市内を南北に走る #上町台地。台地特有の高低差が見える崖上の住宅地の中にひっそりとたたずむ #磐船山の碑。江戸期の国学者は、ここを日本神話(#古事記)の舞台と考えていたのでしょうか。 目次 磐船山(いわふねやま)の碑 摂津国風土記「高津」 アメノワカヒコ(天稚彦)とアメノサグメ(天探女) 本文 磐船山(いわふねやま)の碑 磐船山の碑 34.6673312, 135.5288146(N34°40'02.51",E135°31'44.03")/大阪市天王寺区味原町11/玉造筋に面した高いところです。駐車場はありません。 産湯稲荷神社から産湯通りをから東に歩いて4分。 市内南北を走る玉造筋に沿っ…