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沖縄各地のの1950年代から70年代にかけての古い写真を紹介して、定点観測で2022年に同じ場所で撮影した写真と照らし合わせる、と言った内容です。 大体は那覇の写真が多いんですけれど、わたしが土地勘のあるコザはキーストーンスタジオとかプラザハウス、諸見マーケットやBCストリート(中央パークアベニュー)、パルミラ通り、中の町、コザ暴動などの写真がありました。
土曜日は夜から孫娘の通う今帰仁の保育園で夕涼み会がありました。宜野座で用事があったので、「孫娘の誕生日/宜野座のアイスクリーム屋さん」こちらでもご紹介した宜野座の「クリームクリーム」さんでクリームぜんざいを食べました。クリームぜんざいの写真
エアコンクリーニングが終わってからプラザハウスのサーティーワンに行きました。 お昼ご飯は食べていなかったので、なんか食べておいた方がいいかなっと思ってサーティーワンの隣のタコス屋さんに行きました。 オニオンリング食べたかったんですけれど品切れだったのでビーンズブリトーだけにしました。
沖縄移住したらナイチャーだからっていじめられないか心配する方も多いんじゃないかと思います。 小浜島ではお祭りを見に行って「ナイチャーは見るな」とか怒鳴られたことがあるし、35年前に移住した頃はたしかにわたしも沖縄の人たちの気持ちを考えない行動をしていたから嫌われていたんじゃないかなとか思います。
沖ツラは沖縄に転校した高校生のてーるーが好きになったひなちゃんの方言がまったくわからなくて困っているのを、ひなちゃんの親友かなちゃんが通訳してあげるんだけど、実はかなちゃんはてーるーのことが好きで・・・って内容のお話です。
気になるA1cは14%。 14って。 ちょっとヤバいんじゃないですか、この数値。 以前通ってた個人病院でも12%だったことあるんですが14はまだ未知の数値。 入院とかするのかなと思っていたら、意外とそんなこともないみたい。
ネットには「予約必須の人気店」とか書いてあるから」、予約なしで行って心配だったんですが、17時開店を過ぎたくらいの時間帯でしたら予約の有無を聞かれましたが、問題なく入ることができました。 そのくらいの時間でもすでに満席に近かったので、やっぱり予約の電話は入れておいたほうが安心して楽しめるでしょうね。
それでも痩せていたのは、サプリメントとか下剤とかは一切使っていません。 食事内容を正直に記録して1日1回見直すようにしていました。 今で言う「レコーディングダイエット」ですね。 20代前半の頃は体重を落としたくていろんなことを雑誌なんかを見ながらやってたんですけれど、あんなのは所詮付け焼き刃です。
お金ができたらマックでもなんでも買えばいいんですけれどこの先お金持ちになる予定がないし、だったら今ローンで買って使いながらお金を返していくって発想もあるわけで、中古の安いのを買ったんです。 大体6万円くらいの予算で探すと古い機種しか買えないんです。
おとなしくハンドメイド素材を販売していたらいいのに、ここで飽きちゃうんです。 飽きてパートやってみたいとか思ったんです。 なんで? 今の仕事続けていればそこそこ食べて行けるし、仕入れ次第ではのっと稼げそうなのに。
ことの始まりは今年の1月頃、インスタのDMにメッセージがきたんです。 わたしが投降したお好み焼きの写真に「これはとてもおいしそうな食べ物です。これはどのようにして作りますか?フランスにはこのような食べ物はありません」みたいな感じです。 よく中国人がDM送って来るのはインスタでもあって、日本語おかしいし、なんならオール漢字だしでこれは見るからに怪しいので完璧無視するんですが
結局わたしは静岡での期間工の仕事に決まったんです。 工場勤務で時給1,000円は沖縄の給与水準から見るとかなりいいです。 期間は3ヶ月。 いい歳になった女が住み込みの仕事に就くなんて、事故物件の吹き溜まりでしょ。 それに気づかなかったわたしがバカでした。
期間工の仕事って、ライン作業でおしゃべりしながらってイメージがありました。 実際にみんな楽しそうにおしゃべりしながら仕事をしているんですが、わたしだけは違いました。なんでこんな部署についたかと思い返すと、履歴書にパソコンが使えますとアピールしたからかもです。 そんな間に受けなくたっていいのに。
寮に戻って、穴が開くほど給与明細を見たんですが、まーまーいろいろと差引されていること。 家賃、厚生年金、社会保険くらいまではなんとなくわかっていたつもりでしたが、細かな費目が結構かかっているような気がしました。 例えば制服のレンタル料まで取るか?って感じです。
午後10時、物音がしたので様子を見に出るとるりこさんが制服を脱ぎ捨てて着替えているところでした。 どうしたの?と声をかけると怒りの早口で、「やめてやる、こんな仕事。女工哀史じゃん。こんなとこ人間の働くとこじゃないよ。明日あたし東京に帰るから」と捲し立てました。 すぐに帰ることのできるるりこさんが羨ましかったです。
で、仕事終わりの時間になったらジャイアンは若い子に「はい、今日もお疲れちゃんね」とか言ったそばからわたしの方を振り返って「おい、あたびちゃー、オマエ挨拶もできないのか」って憎悪を込めた態度で言うんです。
事務所から電話があって「けろさんはどうしても出勤日数が足りないので、明日1日だけお仕事をしていただけますか?」と言われました。 あと1日仕事をしたら赴任旅費も支払うし、契約満了にすると言われたら行くしかありません。
ああそうなのか、英語では田んぼのことをエクスプロレーションと言うのか、ずいぶんと小洒落た表現だね、けど泡瀬にも胡屋。高原にも田んぼはないんだけどな。 と、その時は思ったんですが何週間か経ってから聞き直してみると「探訪」って言われました。 意味違いすぎ。
ローズガーデンの社長さんは毎朝全店舗を回って「オイシイデスカ?」とお客さんに声をかけるので有名でしたが、今はそこまでしていないだろうと思ってたんですが、自費出版したらしい自伝本がドーンと積んであって、お達者だなと感心しました。 自伝では幼なじみのエルヴィスプレスリーについてもかなり書かれているようです。
可愛い服着たしどこか行きたいね、ってことで銀天街のそばにできたダカーポ食萄に行って来ました。 かねひでのコザ十字路店の向かい側で、銀天街の近くにできたガラス張りのおしゃれなお店です。 前から気になっていたんです。
「ぎゃー!」とか思ったんですけれど、サポートの人に悪意はなさそうだったので、同じ予算ならノートの方がハイスペックなのが買えますよ、と勧められたマックブックも見たんですが、画像編集をするのでやっぱりデスクトップのが欲しくて、同じパソコンを1ヶ月に2台買うハメになっちゃいました。
腎臓の数値にはドクターは触れませんでしたが、「栄養指導で言われたことを注意して、あとは様子見ですね」とのことでした。 血圧が上がってきているのを「なんでかねー?」とドクターは言ってましたがここまで来るには、腎臓内科に通ったり、てんかんの可能性がないか脳波の検査もしたりで結構大変だったんです。
お値段も薔薇のカゼインボタンが2個で3,000円で売れたりして、それなりにいいお値段が付いたんです。 それで調べていくうちに、チェコのガラスボタンがかわいいと思って、これを仕入れできないものかと考えるようになったんです。 チェコが世界的に有名なガラスの産地らしいんですよね。 わたしも彫金のアトリエで簡単なガラス玉やトンボ玉を作っていたので、素材としてのガラスはきらいじゃないです。
体力もついて来た自信があるから、あの崖も上れるはず、と決めて行ってみたんですけど意外と楽勝で、夏に来た時は、なんで上れなかったのか不思議でした。 それだけ体力がついて来たんだなと、うれしく思っています。 予約通りの時間に着いたので、ちゃんと席はありました。
ここから先はより深い興味があったり必要のある方向けなんですが、インストーラーは「ラピゲ」こと「RapidGator」がいいですね。 ラピッドゲーターは運営が米国なので、同じお支払いをするにしても中国のインストーラーより安心かと思います。 ラピッドゲーターで映画やゲームを落として使っている方も多いので調べてみるといいでしょう。
店番をしていたんですけど、バス通勤で冬場、雪が降ると時間が読めないんですよ。 よく世間では沖縄の人は時間にルーズだといいますが、冬場の札幌だって負けていないと思います。 雪を見越して早いバスに乗ればいいって話なんですが、仕事に対してそこまでの熱量がなくて遅刻ばかりしていたのですぐにクビになりました。
一緒に暮らしたい、とできたばっかりの彼氏に言われてホイホイ仲宗根町に引っ越したんですけれど、彼氏がメンヘラでモラハラ&DV野郎だったんです。 当時は精神分裂症と診断されていたんですけれど、今では統合失調症ですね。
子どもの保育園探しでは、まず電話帳を見て近場から北谷、北中くらいまでで送迎できそうなところに電話をかけまくって話を聞きました。 それでもわたしにもちょっと夢があって、北谷のモンテッソーリのバイリンガル教育をしている保育園にまず電話をしたんです。
わたしが沖縄に来た頃は卒業式あとに学ランの背中をメリケン粉と生卵まみれにして帰宅する中学生をよく見ました。 「えー、この子たちお好み焼きになってる」と思っていました。 今の沖縄の卒業式は、お菓子のレイを贈る、非常に平和なものになっているそうです。
バイリンガル教育は、まず親からバイリンガル教育はメチャクチャお金がかかります「仕事よりも保育園探しが先」こちらの記事でも書きましたが、わたしも子どもをバイリンガルに育てたくてモンテッソーリの保育園に問い合わせをしたんですが、この保育園の料
何年か前、バーガーキングで「焼きりんごバーガー」を出していたんです。 りんご味に弱いわたしは速攻行って食べてみたんですが、りんごの味がほとんどしなくてがっかりした記憶があったので、今回もあまり期待していなかったんです。 バーガーキングのは日本人のメンタルに配慮した、極マイルドな味付けと分かりました。
わたしの中には「絶対NGな仕事」と言うのも明確に存在していて、それはスーパーのレジと飲食関係でした。 スーパーのレジは「他人のお金を扱う責任は負えない」と思っていて、飲食は高校生の頃にやってたバイトがキツかったからです。
結局、今月はレーザー治療がなかったんですが、眼球の下の方に出血があるらしく、そこはレーザーでは焼ききれないようで手術をした方がいいと言われました。 けれどもそれは今すぐにと言うわけでもないので、当分は経過を見せてくださいねー。
求人誌も見ていましたが、別のところから職業訓練校の受験の話が入って来ました。 試験があるようなんですが、授業を受けながら半年間、給付金があるみたいなので、それに目がくらみました。 給付金は12万円ほどと聴きましたが、ラボより多いし、最低限の生活なら賄えそうでした。
教わっていたのはリューター(研磨機)を使って、柔らかい925シルバーを使って子供用の虫歯の詰め物(インレー)を作っていく作業からでした。 詰め物って言っても子供用ですから、耳かすよりも小さいので、慣れるまでは大変でした。
届いた履歴書を興味半分で見ていたんですけれど、感じたのが「全員字が汚い」ってことでした。 もともとの各人の素養はあると思うので字が下手なのは大目に見るとして、それでも丁寧に書こうとしている人がいないのは悪い意味で面接スレしているような、「とりあえず履歴書出しておこう」みたいな感覚があるように感じました。
コネがなかったみたいなので、間に立ってくれた人に75万円支払ったそうです。 20代の若者に75万円は大金ですよね。 そのお金は真栄平さんがお母さんに借りたそうで、ボーナスですぐに返せると言っていたそうです。
とてもたくさん良い仕事をさせてもらって感謝している2年間です。 それで仕事を辞めて半年ほどプラプラしていたら働かんぬーの夫が「けろちゃん、お店をやってみない?」といきなり言い出したんです。
一番街はわたしがコザに来た35年前、とても栄えていて、七夕飾りとか豪勢にやっていたのを覚えています。 その頃は一番街まで歩いて来れる距離だったので、毎日のお買い物も一番街を抜けたところにあったコザショッピングセンターで買っていました。 とても賑やかなアーケード街だったんですよね。
3月は孫お兄ちゃんと息子の嫁さんの誕生日があるので、お買いものをしようかなーと言うことです。 それだけではなかったんですけど。 姪っ子の就職祝いにサボンのヘアケアセットとかいいかなと思っていたし、サボンに行くならわたしもスクラブ欲しいと思っていたので結構用事があったんです。
目が悪くなっていることも最大限に悲観しているんですけれど、「おいおい、それは網膜症の症状じゃなくてただの老眼だろう?」って思いながら読みました。 それくらい毎日、意味不明に落ち込んでいました。
その頃はカントリー調のクラフトが流行っていた時代でした。 特に沖縄はアメリカンカントリーってことで全国的に有名なお店が多かったです。 そんなお店が多い中、わたしの店らしさを出してお客さんに選んでもらうにはどうすればいいか。
新年度から特別支援学校の卒業生が3名デイサービスに来ているので、その3名の歓迎会と言うか、入社式がありました。 「え~?わたしそういうのやってもらってない」って大人げなく文句を言ったんですけれど「入社式は新卒の方たちが対象です」と説明されてしまいました。
次の衝撃も石垣島です。 札幌ラーメンの看板につられて味噌ラーメンを注文したら、つゆがただの味噌汁だった、ってこれもネタではないです。 まあねー、八重山の札幌ラーメンの主だってほんとうの味噌ラーメンなんて食べたことがないはずですし、地域によってずいぶんと解釈がちがうんだなと納得しました。
バンコクで撮った写真を合成してみましたジューススタンドのお嬢さん5年前バンコクで撮った写真をダブルエクスポーズ(合成)してみました。まずはこの写真。チャトゥチャックウィークエンドマーケットのジューススタンドでリンゴのスムージーを買いました。
何人か知り合いに声をかけてパッチワークの小物などを作ってもらっていたので、ある程度の数は集まったんですが、カートを満載にしたつもりでも売れ方が激しかったので、あっと言う間にカートは空っぽになります。 お店は週末だけの営業だったので平日は商品制作に時間を使うことができたし、店番をしながら針仕事はできたんです。
クリスマスリースは多くのお客さんの目を惹きました。 ポツポツと売れて行ったんですが、お客さんの中にNHK沖縄の人がいらして「リースをクリスマスまでニュース画面に映していいか?」と言うことでお買い上げいただいたんです。 その通りFちゃんが作ったリースは夕方のローカルニュースの画面に1か月間映りました。
1日はレンタカーを借りてパールリッジ、アラモアナ、ハナウマ湾のところにあったベンフランクリンと回ったのでワイキキとローリーは使わず、バスですべての用事が済ませられました。 ハワイのクラフトショップをいくつか回ってわかったことは、Pくんはたくさんの洋書を見てそこからインスパイアされてリースなどを作っていたことです。 どうりで似たような作品を作る人を見かけないわけだと思いました。
店内もクラシカルでエレガントなしつらえで、ほんとうだったらわたしみたいな庶民は入っちゃいけないお店なんですよ、おそらく。 けど無理を承知で行ってしまうんですよ、月宛飯店の「エビパン」が食べたくて。 わたしもそんなにしょっちゅう月宛飯店に行ってるわけではないんですけれど、それでも10年に1回くらいは行っています。
連休中はちょっと風邪をひいてしまったので行けなくて、連休終わりの土曜日に行ってみました。 みなさん公園には行くんですね、 駐車場がほぼ満車でした。 県総合運動公園のユリ園はオートキャンプ場の近くにあります。 ご家族連れや犬の散歩で来ている方たちがたくさんでした。