で、仕事終わりの時間になったらジャイアンは若い子に「はい、今日もお疲れちゃんね」とか言ったそばからわたしの方を振り返って「おい、あたびちゃー、オマエ挨拶もできないのか」って憎悪を込めた態度で言うんです。
午後10時、物音がしたので様子を見に出るとるりこさんが制服を脱ぎ捨てて着替えているところでした。 どうしたの?と声をかけると怒りの早口で、「やめてやる、こんな仕事。女工哀史じゃん。こんなとこ人間の働くとこじゃないよ。明日あたし東京に帰るから」と捲し立てました。 すぐに帰ることのできるるりこさんが羨ましかったです。
寮に戻って、穴が開くほど給与明細を見たんですが、まーまーいろいろと差引されていること。 家賃、厚生年金、社会保険くらいまではなんとなくわかっていたつもりでしたが、細かな費目が結構かかっているような気がしました。 例えば制服のレンタル料まで取るか?って感じです。
期間工の仕事って、ライン作業でおしゃべりしながらってイメージがありました。 実際にみんな楽しそうにおしゃべりしながら仕事をしているんですが、わたしだけは違いました。なんでこんな部署についたかと思い返すと、履歴書にパソコンが使えますとアピールしたからかもです。 そんな間に受けなくたっていいのに。
岩本さんは神経質そうな細身の小柄な人だったんですが、46歳と聞いてそ、んな年代でも期間工の仕事ってできるんだ?と思いました。 九州の方から静岡に来たと言い、「他じゃもう雇ってくれないから、期間工の仕事をできるだけ長く続けたいよ」と言っていました。
結局わたしは静岡での期間工の仕事に決まったんです。 工場勤務で時給1,000円は沖縄の給与水準から見るとかなりいいです。 期間は3ヶ月。 いい歳になった女が住み込みの仕事に就くなんて、事故物件の吹き溜まりでしょ。 それに気づかなかったわたしがバカでした。
おとなしくハンドメイド素材を販売していたらいいのに、ここで飽きちゃうんです。 飽きてパートやってみたいとか思ったんです。 なんで? 今の仕事続けていればそこそこ食べて行けるし、仕入れ次第ではのっと稼げそうなのに。
お金ができたらマックでもなんでも買えばいいんですけれどこの先お金持ちになる予定がないし、だったら今ローンで買って使いながらお金を返していくって発想もあるわけで、中古の安いのを買ったんです。 大体6万円くらいの予算で探すと古い機種しか買えないんです。
それでも痩せていたのは、サプリメントとか下剤とかは一切使っていません。 食事内容を正直に記録して1日1回見直すようにしていました。 今で言う「レコーディングダイエット」ですね。 20代前半の頃は体重を落としたくていろんなことを雑誌なんかを見ながらやってたんですけれど、あんなのは所詮付け焼き刃です。
ネットには「予約必須の人気店」とか書いてあるから」、予約なしで行って心配だったんですが、17時開店を過ぎたくらいの時間帯でしたら予約の有無を聞かれましたが、問題なく入ることができました。 そのくらいの時間でもすでに満席に近かったので、やっぱり予約の電話は入れておいたほうが安心して楽しめるでしょうね。
わたしが沖縄になじめないと感じたのは、ほんとうに最初の数年間で、だれでもできる仕事を「それしかできない」と思い込んでウロウロしていた頃です。 ここで挫けずに、資格を取るとか、何かやってみたら仕事の方から歩いてやって来るようになりますよ。
ようやくコザの街に着いて、わたしたちはアパートが決まるまでホテル住まいをすることにしたんです。 ホテル住まいと言ってもそんなに贅沢なホテルじゃありません。 そもそもコザにはリゾートホテルみたいのは今も昔もありませんから。
あれからコザの街が舞台の映画を何本か見ましたが、圧倒的にコザの街も主役を主張しているんです。 どんなに寂れてもそのままの姿で主役を主張する街。 こんな街はそんなに多くはないと思います。 わたしはコザの街が大好きです。
さて、それだけ頑張った小浜島でのリゾバでわたしたちはいくらくらい貯金できたでしょうか。 どんなに頑張っても貯金できないものだと思っていたわたしたちですが、なんと3か月でひとり30万円貯金できていました。 さらにリゾバの終わりには、ちょっとした離島めぐりみたいな旅行をしました。
お偉いさんが言うには、わたしたちの身分は嘱託社員なんだそうで、正社員登用の道もある。 仕事をするのは那覇の高級シティホテル。 わたしたちは掃除もするけれどシフトを考えたりコンピュータを使った作業も教える。 住まいは那覇で、会社が面倒みる。
すま子さんはもったいぶって仕事を教えてくれなかったけれど、その翌日からはお風呂、洗面台の清掃と備品のセッティング、ベッドメイク、部屋の備品のチェック、掃除機かけと一通りの仕事を教えてもらって、1か月も経つ頃にはわたしたちもベテランと呼ばれていました。
面接のとき「石垣島のほんのちょっと向こうの島ですよ」と面接係の男性がすこし申し訳なさそうなニュアンスで言いました。 その島にあるリゾートホテルで清掃の仕事をわたしたちはするんだそうです。 即「行きます」と返事しちゃいました。
沖縄に来てビックリしたのが、お年玉は二十歳くらいまでもらう代わりに金額はオール千円なことです。 未就学児は500円とか微調整はあるんですが、それでも全員一律でオール千円なんです。 なにかと子供がたくさんいて高額のお年玉と言うのは本音を言えばあげられないんです。
沖縄でビジネス考えるならナイチャーは圧倒的に不利です。 資金もコネもないわたしみたいなただのナイチャーは圧倒的に苦戦するんですけれど、考えてみたらわたしだって沖縄移住35年のナイチャーです。 コネ社会の沖縄ではこれが強い武器になるはずです。
大したことがなかった1年のような気がしていたんですけれど、思い返せばいろんなことがあった1年でした。 書ききれなかったけれどブログを再開したのも今年の大きな出来事です。 お読みくださったすべての方に感謝したいと思います。 ありがとうございました。
リゾバのことを検索してみたら、今は50代のリゾバ求人が結構多いみたいですね。 それを夢見る方もいらっしゃるようですが、夢見るほどのことはありません。 わたしも50代なので言いますが、やめておきましょう、一択です。 もしかしたら50代の方だけを集めたリゾバの求人があるのかもしれません。
お金の準備もそうなんですが、沖縄移住の予備知識がなかったことも、沖縄の生活になじめなかった原因です。 今はネットがあるのでいくらでも予備知識を仕入れることができますが、当時はそんな情報がなかったんです。 あったとしたらわざわざ本を買って読むしかなくて、そこまでしなかったわたしたちはバカでしたね。
「クリスマスケーキは販売するんですか?」12月に入った頃、なんとなく聞いてみたんです。 「シュトーレンを焼くんですけど、フルーツタルトも作ってみようかなと思ってますよ」 「え!フルーツタルト、買った!」と言うことで、今年のクリスマスケーキは隣のパン屋さんで注文することになりました。
パークアベニューにあるデイサービスに通っているんですけれど、朝とか良くホテル「トリップショット」の前なんかで撮影をしているのを見かけていたんです。 有名な芸能人の気配がなかったので「何を撮影しているんだろうね」などとおしゃべりしていたんです。
2020年に開催予定だったスタンプラリーなんですが、コロナの影響で延期されていたものがこの冬開催されました。 コザのパークアベニューとプラザハウスの合同企画で、スタンプを5個貯めるとオリジナルのバゲッジタグを作ってもらえると言う企画で、2023年1月15日までの開催です。
「ここは人気店だ」と記事の中でも推されていたのは夜風にアイスだったんですが、今回は具志川のみどり町にある「蔵」(ZO)と言うお店に行ってみました。 なんでも新聞の記事によるとお店の主は23歳とお若い大阪出身の男の子らしいです。 地元のお客さんに愛されたいと、わざと観光地ではない立地を選んだとのことです。
マリンクレイ洗顔石鹸を使ってみて、泡立ちがいいのに驚きました。 人差し指で少量すくい取るだけで顔全体に泡が行きわたるので、取る量はほんの少しでいいんです。 使い始めて半年くらい経っているんですが、使った量はまだ容器の半分にも到達していません。
沖縄の外人住宅って戦後の米軍統治時代に米軍基地周辺に建てられた、コンクリの平屋住宅のことを言います。 モダンでレトロでかわいい感じの外観なので、カフェやショップとして現在でも使われています。 戦後の1950年代くらいまでに建てられたものが多いので、もう70~80年は経っている住宅がほとんどです。
ツリースカートってクリスマスツリーを置いた床に敷くサーキュラースカート状の全円形のスカートのことです。 これは、ゴブラン織りみたいな素材にクラシカルなオモチャ類のプリントとラメも織り込んであるのでゴージャス感が半端ないです。
沖縄でも修学旅行はあるんです。 小中学生の時は全員参加で楽しく修学旅行に行っていたと思うんですけれど、高校の修学旅行だけは自由参加になっていてクラスの半分くらいの生徒しか修学旅行には参加しないんです。
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