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2025年3月30日昨日の大雨から一変して、晴天となった日曜日。新しいマウンテンバイクを購入したので、自転車で約40分程かけて練馬区の石神井城へと向かいました。石神井城は豊島氏の居城の一つ。豊島氏は平安時代末期から室町時代中期にかけて、現在の台東区・文京区・豊島区・北区・荒川区・板橋区・練馬区・足立区あたりで勢力を誇っていました。石神井城の周りを流れる石神井川。川は防御、生活、物資流通など城造りには欠かすことのできないファクターとなります。石神井は開発が進んで、綺麗な住宅街となっています。石神井城跡は現在、石神井公園となっており花見シーズンということもあり、多くの人が各々の時間を過ごしていました。池に浮かぶ森が石神井城となります。橋を渡れば石神井城の内郭入口です。橋の前には石碑があり、漢字が薄く羅列してい...石神井城@東京都
2025年3月2日本日は打ち合わせで広島に来たので、前乗りして広島城へと向かいました。広島城は日本100名城に選定され、国の史跡にも登録されています。また、名古屋城、岡山城と並ぶ日本三大平城なのでとても人気の城です。広島城を築城したのは毛利輝元。小国の大名だった毛利氏は、毛利元就の時代に中国地方を支配する大名となります。毛利元就の孫にあたる毛利輝元は豊臣政権下で五大老にまで上り詰めます。そして、本拠地の安芸郡山城から新たに広島城を築城。1589年築城開始1590年堀と城塁が完成1591年毛利輝元が入城1593年石垣工事が完了1599年全工事完了しかし、1600年の関ヶ原の戦いにおいて、西軍総大将だった毛利氏は減封の上、山口県の萩に転封。以降は福島正則が入り、1619年からは浅野氏が250年に渡って広島城主...広島城@広島県
2025年2月8日掛川城を9時30分に出て、東海道本線で掛川駅から金谷駅に移動。二駅乗って約15分ほどで到着します。東海道本線で巡る城、二城目は静岡県島田市の諏訪原城を目指します。Googleマップでは金谷駅から歩いて約20分くらいで到着となっていましたが、30分以上は歩きました。駅から諏訪原城に向かう途中は、かなり急な坂が続きます。空き家が多い住宅の道をひたすら進みます。山の上は諏訪原城の出丸跡。登城ルートが分からずでしたが、下から写真を撮っておきました。諏訪原城に向かうには、主に二つのルートがあります。一つは旧東海道を通るルートと、県道島田岡部線を通るルート。ワタクシはまずこの出丸を目指したので県道島田岡部線のルートで向かいました。こちらは本丸など主郭の下をグルっと周るルート。しかし、山道を容赦なく車...諏訪原城@静岡県
2025年2月7日清洲城に行った後は岐阜駅に移動。今年竣工となる新築ビルの設計打ち合わせにやってきました。岐阜駅前にある黄金の織田信長像が、めちゃくちゃカッコよかった!「夢幻の如くなり」と「天下布武」の大きな幟旗が痺れます。織田信長に縁のある地に足を踏み入れたのだと改めて実感。やはり織田信長はかっこいい。打ち合わせが終わったのが14時30分。急いで大垣城に向かいます。前回訪城したのが昨年の6月。数ある城の中で大垣城をセレクトした理由は、前回行った時に訪問時間が早すぎた為に、続日本100名城スタンプを押せなかったこと。さらに、勉強不足によって大垣城の見どころの一つでもある石垣の化石を、まさかの見ないで帰るという失態を取り戻すためです。乾隅櫓脇の水之手門跡から入城します。乾隅櫓は本丸曲輪の北西に位置した二重の...大垣城【二回目】@岐阜県
2025年2月8日掛川市で一泊し、本日も過密スケジュールで東海道本線で三つの城を巡る旅に出ます。昨晩はライトアップの掛川城を楽しみましたが、今日は快晴の掛川城をホテルの部屋から見ることができました。たまたまですが、素晴らしい部屋を用意して頂きました。最高にかっこいい天守!朝起きてこのロケーションを見ることができるとは、本当に贅沢でした。ホテルの朝食を食べ、7時30分に出発。個人的にはオープン前は人が少ないので、良い写真も撮れるの為、朝一の城が好みです。ホテルを出て約10分程で大手門に到着。天守に続いて復元された櫓門。出入りする冠木門下が4.4mありますので、馬に乗ったまま入城できます。昨晩もこの角度から写真を撮りましたが、このスポットはとても映えます。現在の大手門は、当時の位置から50m程離れた場所に復元...掛川城【二回目】・掛川古城@静岡県
2025年2月7日今日は設計打ち合わせがあった為、岐阜県へ!打ち合わせが13時からだったので、朝6時半に家を出て岐阜駅に向かう東海道本線を途中下車。清洲城を訪城しました。個人的に清洲城のイメージと言えば、織田信長の居城だった。そして、織田信長が本能寺の変で討たれた後、家老が集まって織田家の後継ぎ問題と領地配分を決めた清洲会議かな。あとは東海道新幹線からも見える天守としても有名ですね。清洲駅で下車し、歩いて約15分ほど。看板通りに歩くと清洲公園の駐車場が現れ、そこから天守方面に向かいます。やはり清洲城と言えば、この撮影スポット。朱色の橋と天守がとても映えます!橋の下を流れるのは五条川。清洲城は五条川が天然の堀となっていました。城造り、城下町に水は欠かせません。川は城の守りの要にもなりますし、物資運搬にも使え...清洲城@愛知県
2025年1月25日鉢形城に訪城の跡は、またしても日本100名城の金田城へ移動。群馬県の太田市に位置する山城で、下道で1時間程で到着。車の場合は山の麓にあるガイダンス施設に車を停めて歩いて登るか、山頂付近に駐車場があります。ワタクシは山頂付近まで車で行きました。しかし、上にはどこにも金山城のパンフレットがない為、いずれにしてもガイダンス施設に寄ってから訪城するのがお勧めです。ちなみに、御城印もこちらで購入できます。金山城は標高235mの金山の尾根上に曲輪を配した山城。駐車場の前には展望デッキがあり、絶景を望むことができます。この日は快晴だったので、最高の景色を見ることができました。金山城の1469年、新田一族の岩松家純によって築かれ、その後は由良氏→北条氏と変わり小田原合戦で滅亡した北条氏と共に金山城も廃...金山城@群馬県
2025年1月25日仕事休みの土曜日、埼玉県寄居町にある鉢形城に初訪城しました。土造りの中世城郭で、日本100名城かつ関東7名城のひとつ。鉢形城の築城は1476年。関東管領山内上杉氏の重臣となる長尾景春によって築かれました。その後、関東地域で勢力を伸ばした北条氏康が占領し、三男の北条氏邦が城主となります。鉢形城は北陸、信濃の抑えとして重要な役割を担っていました。小田原城を本城とする北条氏の支城ネットワークとして、山中城、八王子城と同じく鉢形城も有名な城です。今回は練りに練ったルートで幾つかの城を周るため、車で6時半に自宅を出発。8時半に到着して活動開始です。鉢形城には幾つか駐車場があります。今回は鉢形城歴史館に車を停めて、泉水坂から大手側に回り込み入城します。登っている泉水坂の右手には、起伏に富んだ曲輪が...鉢形城@埼玉県
2025年1月18日午前中に小机城を訪城した後は、茅ヶ崎城に移動!電車で30分くらいで行けるので、ぜひセットで周って頂きたいですね。地下鉄ブルーラインセンター南駅が最寄りになります。住所は神奈川県横浜市都筑区。駅から10分程度で茅ヶ崎城に到着です。センター南周辺はニュータウンですが、その住宅街の中にポツンと現れる森。現在は茅ヶ崎城址公園として整備されています。標高は約35mなので、これから中世城郭に足を踏み入れるビギナーさんも、訪城しやすいと思います。公園化されているので、至る所にベンチもありピクニックもできそうです。公園入り口から階段を上がって進むと、中郭と西郭に向かう道で分岐します。まずは中郭を目指します。中郭の下には北郭があり、広めな曲輪が広がります。北郭の前には中郭があります。茅ヶ崎城は資料が少な...茅ヶ崎城@神奈川県
2025年1月18日今日は初めて神奈川県横浜市にある小机城に訪城しました。小机城は室町時代に築城。長尾景春の反乱に対して、太田道灌が攻め落としたことで、小机城は一度廃城。その後関東一円を支配する北条氏によって、再び城として復活しました。小田原を本城とする北条氏は、城代として笠原信為を任命。しかし、小田原合戦で豊臣によって北条氏が滅ぼされた事で、やはり小机城も廃城となります。今残っている遺構は北条氏時代のものになるので、是非行ってみたいとずっと思っていました。続日本100名城に選定されています。JR横浜線小机駅から歩いて10分ほど。小机駅は新横浜駅からも一駅と、かなりの好立地です。小机駅のホームから見た小机城。奥にある小高い山の上が小机城になります。標高は約50mの山城。小机駅に着いたのは10時頃。まずは駅...小机城@神奈川県
仁木城 三河 その2 春日部氏の詰城として築かれ、家康による改修が行われた可能性がある山城
仁木城は愛知県豊田市上仁木町にあります。今回はその2です。今回の参考資料も(1)「藤岡・小原・旭の中世城館」愛知県中世城郭研究会1993(2)「愛知県中世城館跡調査報告2」愛知県教育委員会1994(3)「小原の城郭」作図:千田嘉博小原村文化財保護委員会1993などです。城址位置の地図、城域全体図はその1をご覧ください。その1は→こちら仁木城Ⅰ郭を取り巻く土塁は全周を取り巻く石塁だった?現況はⅠ郭の土塁は全周を取り巻いていませんが、資料によってはほぼ全周を取り巻いていた、部分的に土塁を設けてなかった、などの見方があるようです。仁木城Ⅰ郭北辺土塁石積の土塁(石塁)だったか見どころです!Ⅰ郭の土塁は、かなり風化しているため往時の姿は不明確ですが、写真のように石積だったことが確認できる遺構もあり見どころでした。仁...仁木城三河その2春日部氏の詰城として築かれ、家康による改修が行われた可能性がある山城
杉谷城 伊勢 方形の曲輪が連続する信長狙撃で有名な萩原善住房が城主だったと伝わる城郭
杉谷城は三重県菰野町杉谷にあります。善住房は居所から杉谷善住房とも呼ばれます。佐々木承禎に頼まれて千種越えをする信長を鉄砲で狙撃しましたが失敗し、後に捕らえられて鋸引きの刑に処せられたと伝わります。後世の耕作地化や宅地利用などで改変がありましたが、見どころの多い城郭遺構を見学することができました。今回の参考資料は(1)「三重の中世城城館」三重県教育委員会1976(2)「再発見北伊勢国の城」伊藤徳也著2008と国土地理院Webの地図・空中写真閲覧サービスなどです。※資料(1)は”三重の中世城城館”でWeb検索するとpdfファイルでのダウンロードができます(約18MBあり)。杉谷城付近には伊勢の有力豪族が割拠していた千種城、保々西城、田光城などには伊勢の優族が割拠していたようで、ほうけいの曲輪が連続する構造は...杉谷城伊勢方形の曲輪が連続する信長狙撃で有名な萩原善住房が城主だったと伝わる城郭
鶴ヶ城 美濃 大堀切が見どころの鎌倉期に築城され戦国期まで改修が繰り返された山城
鶴ヶ城は岐阜県瑞浪市土岐町鶴城にあります。鎌倉時代に土岐氏が築城したと伝わり、織田信長によって後に改修が行われたとされます。城の築かれた地山は砂岩の岩盤で、これを削り出した切岸が守りの要となっているようですが、背後の尾根を大きく掘り切った大堀切の規模は圧巻で見どころでした。土岐氏の時代には南東約2.5㎞にある土岐氏の居館である一日市場館の詰城だったともいわれます。今回の資料は(1)「岐阜県中世城館跡総合調査報告書第三集」岐阜県教育委員会2004(2)東海古城研究会会員さんの調査資料(3)「東美濃の山城」東美濃歴史街道協議会のパンフレットなどです。鶴ヶ城土岐氏の本拠地一日市場館が2.5㎞先に見える尾根上に占地されている資料(3)で鶴ヶ城と呼ばれるのは「縄張りが鶴翼を広げたように見えることから」とされますが、...鶴ヶ城美濃大堀切が見どころの鎌倉期に築城され戦国期まで改修が繰り返された山城
力尾城 伊勢 道路開削で一部の遺構が消滅したが残存部分だけでも楽しめる山城 ハチに注意!
力尾城は三重県三重郡菰野町菰野字力尾にあります。城主は土方氏と伝わり、土方氏が菰野陣屋へ移った後、山下に土方氏の菩提寺として見性寺が創建されました。城域の遺構は南側にバイパス道路(306号)を敷設するため平成10、11年に発掘調査が行われ、そのご主郭に当たるⅠ郭は道路工事で消滅しましたがその他の遺構の多くはおおむね原形を残しているようでした。今回の参考資料は(1)「再発見北伊勢国の城」伊藤徳也著2008(2)「三重の中世城城館」三重県教育委員会1976(3)「力尾城跡発掘調査報告」三重県埋蔵文化財センター2001などです。※資料(3)は→こちらからダウンロード可能(約30MB)力尾城菰野陣屋へ移る前の土方氏の居館は山下の見性寺にあったか見性寺は土方氏の菩提寺として造営され、今でも立派な山門等が残り、城山の...力尾城伊勢道路開削で一部の遺構が消滅したが残存部分だけでも楽しめる山城ハチに注意!
砕導山城 若狭 その1 広大な曲輪群と段切り遺構が見どころ 東海古城研究会の見学会で訪れました
砕導山城は福井県高浜町にあります。砕導山は「さいちやま」と読みますが、難読ですね。今回は所属する東海古城研究会の日帰り見学会で、近くの高浜城も併せて見学しました。高速道路が出来ても、愛知県から若狭までバスで往復約6時間かかりますが、以前は1泊したとベテラン会員さんのお話でした。今回の参考資料は(1)見学会当日資料(2)高浜町郷土資料館提供の当日資料(3)「福井県史通史編2(中世)」福井県編1994(4)砕導山城跡保存会のパンフレットと資料などで、当日は保存会の方のガイドがありました。砕導山城若狭湾内の高浜湾には高浜漁港があり往時も良好な漁港だった高浜の港は漁港とし、漁師だけでなく魚を商売も盛んだったようで、逸見氏の戦いには漁師や商人も加勢したとされます。また軍港としても重要な拠点だったようです。砕導山城現...砕導山城若狭その1広大な曲輪群と段切り遺構が見どころ東海古城研究会の見学会で訪れました
徳川居城「江戸城跡」探訪、巨大天守台や百人番所に威厳を見る!【東京・千代田区】
気軽に旧江戸城跡の見学ができる皇居東御苑を紹介。江戸時代の番所建物や、門跡や堀の石垣、巨大な天守台跡など結構遺構が残ります。江戸城の歴史も交えながら紹介。自然が楽しめる都心の憩いの場として、城好きでなくてもオススメのスポットですよ。
2023年11月3日東北城巡り五城目は、山形県にある上山城。最上氏の最南端の城塞で、伊達家や上杉家との攻防の舞台となった地でもあります。山形城からは車で20分程。山形県上山市にあります。上山といえばやはり温泉。城下町は温泉街となっていて、すこぶる雰囲気が良いです。そんな、かみのやま温泉の小高い丘に上山城があります。当時の遺構はほんの一部を残すのみとなっています。上山城の始まりは南北朝時代。その後、同じ山形県にある米沢を当時は納めていた伊達家と、この城を取られたり取り返したりを繰り返し、戦国末期は最上義光が納めました。江戸時代は藩主が次々と変わりつつも、上山藩は幕末まで生き残りました。昔は本丸に三重の天守、各所に櫓門がある近世城郭だったそうです。現在は、二の丸跡に模擬天守が建っています。城の内部は上山市の博...上山城