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<丹波亀山城>の”城門”を巡るー”御殿門”や”明智門”の他に城門と思われる城門が移築されている
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
< 勝竜寺城>の”城門”を巡るー細川藤孝のお城でしたが、山崎の合戦時には明智光秀の本陣として使用
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
ジョルダーノ・ブルーノの正体は、まさかの“オダノブ”だった説
さて、木内鶴彦氏――臨死体験を経てからというもの、ただの空見上げるおじさんじゃありません。イメージするだけで歴史上の人物に“チューニング”できちゃうという、脳内タイムマシンの使い手です。で、ある日彼がつながったのは――あの天下布武の男、織田信長。……もうここでちょっと笑っちゃいますよね。「この人、絶対歴史好きやん」っていうのがバレバレ。笑でも内容は、笑えない。どころか、とんでもない爆弾を投下してきます。木...
<坂本城>の”城門”を巡るー”西教寺総門”と”聖衆来迎寺表門”に移築と伝わります
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
<明智城>の”城門”を巡る-明智坂の途中にある大手門跡に建つ模擬の”冠木門”
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中ですが、現在は「近畿の城門」に進むのを一旦ストップして、今までお届けし忘れ…
皆様、如何お過ごしですか? 「惚れるとは。きつね婦人の独断と偏見」と云う事で御座いますが、これはあくまでも、わたくしの独断と偏見で御座います。 そんな意見も有るのだなと、寛大に受け流して下されば幸いです。 人に惚れるを歴史上の人物からの例えで出しますと まずは、幕末「新選組局長。近藤勇の正妻、つね」の御話で御座いますが 近藤勇とつねは、近藤勇が武蔵の国、多摩で天然理心流の道場「試衛館」で道場を継いだ後、武家の娘であったつねは御見合しまして結婚致しました。 ※歴史小話 余談ですが、近藤勇は御百姓の三男ですが、試衛館入門後、道場主の近藤周助に腕を見込まれて養子となり、道場を継ぎま
【新説!】織田信長が明智光秀に殺されたのは当然の結果であることが判明。
明智光秀は「恩知らずな歴史的悪者」ではない…カリスマ・織田信長が「本能寺の変」を防げなかった本当の理由 …歴史からどんなことが学べるのか。国際日本文化研究センター助教の呉座勇一さんは「ビジネス雑誌など
稲畑御霊神社と言う、明智光秀を祀る祠が、丹波市に有る事を知りましたが・・・。場所が解らず諦めていましたが、丹波市のTwitterに載っていたので~!早々に出掛けてみました~!丹波市のTwitterでは、宝光寺の近くに、幟が上がっていると書かれていたので、ナビに入力して
明智光秀が、織田信長と信忠を襲撃した後、都は大混乱。その時、上賀茂神社から治安を願い、献上金をだしたそうです。期間限定で、その時の資料が展示されていたので行って来ました。本能寺の変の五日後、献上金を貰った、明智光秀は、治安を約束した禁制の朱印を書いたそう
明智光秀が、山崎の合戦後、討たれたと言われる明智藪近くにある本経寺。以前は、御朱印を、されていなかったのですが・・・。大河ドラマの影響で、御朱印を始められたと言う事で、行ってみました。前回伺った時には、住職さん不在だったので、今回は先に、電話確認してから
宇治市市外にある、神明神社。以前訪問した時には、誰も居なかったので解らなかったのですが。。。御朱印を頂ける事を、Twitter情報により知り、再び訪問しました~!御朱印を頂けるのが、正月元旦と毎月1日の月次祭のみと言う事で。自分の休みと、重なった日に御邪魔しまし
昨日、Web検索していたら・・・。埴生城の御城印が発売されている事を知り~!早々に買いに出掛けました~!土日に訪問して買える場所を調べたら、「ふるさと丹波路」と「さか栄」「ルジャルダンポップ」の三ヶ所で、最も埴生城に近い「ふるさと丹波路」に行く事に。営業時間
東南寺は、琵琶湖の戸津ヶ浜(延暦寺の東南)に伝教大師が、創立したそうで、坂本城の二の丸付近に在ったらしいです。坂本城跡の浜からは、対岸の近江富士が見え、景色も良い場所ですね。この御寺の境内には、坂本城の落城で殉職した兵士達を供養する首塚がある事も有名です
亀岡市余部に在った城で、現在の西岸寺辺りが、本丸跡とされています。その西岸寺さんから、新たに、御城印が出されたので行ってみました~!御寺の門前には、丸岡城跡の大きな石碑が建っていました。資料によれば、天正3年~4年頃まで、(看板と合ってませんが・・・。)
6月28日、盛安寺の訪問後、時間が有ったので、坂本城跡に行ってみました。住宅地の路地を通り、坂本城跡の石碑に到着。奥には、坂本城落城時に、無くなった兵士の供養塔がある、東南寺が見えます。次に、行ってみたかった、明智塚へ、その後、琵琶湖湖畔にある、坂本城跡
亀岡市内、丹波亀山城跡にある、大本教にて。新たに、御城印を作られてた事を知り、7月に出掛けてました。天正三年、織田信長の命を受け、丹波攻略を任された、明智光秀が、天正五年、荒塚山の館を改修し、新たな拠点として、城を築城。当時は、三層から成る天守が、建って
明智光秀御朱印巡り!近畿版と言う事で・・・。残っていた奈良県へ行って来ました~!奈良で、明智光秀ゆかりの地を探してみた処。郡山城・多門山城・法隆寺・今井郷などなど・・・。迷っていましたが・・・。本人が確実に行ったかも?と言う場所へ!目指した場所は!福智院
明智光秀ゆかりの地、三十六ヶ所巡りの最終は、西教寺へ!(と言いながら・・・三十六ヶ所には、3ヵ所残し・・・五拾をオーバーしてます・・・。)本当は、順番に、ゆかりの地を巡りたかったのですが・・・。コロナウィルスの影響で、行ける処からとなっております。。。京
京阪電車・穴太駅から歩いて、5分。盛安寺へ行きました。御寺には、大河ドラマ「麒麟がくる」の幟が出ていました。境内には、明智光秀との関わりが書かれてた看板がありました。本堂前で、手御合わせ、寺務所にて、御朱印を頂きに行きましたが・・・。誰も居られなかったの
京阪坂本駅から、レンタサイクルを借りて、聖衆来迎寺へここの御寺には、坂本城の城門が移築されたと言う門が、伝わっていて、以前から行きたい場所の一つでした。境内には、自由に入れますが、御寺の建屋内へは事前予約が要るようです。御朱印は、本堂の右奥の方へ入った庫
コロナ過の影響で、県外移動の自粛中、ネット検索していたら・・・。福井の称念寺と明智神社で、御朱印を始めた事をしり、何とか頂きたいと思案していた。(昨年調べたら、何方も御朱印をしていなかったので行く予定は有りませんでした。)5月末から、何とか県外移動が可と
坂井市の称念寺を後にして、福井市の明智神社へ!県道25号線から、旧朝倉街道の交差点に左折する角に、山本食料品店があり、そこで先に、御朱印を購入・・・。(^^;)交差点を曲がって、少し行くと大きな看板が有り、臨時駐車場が出来ていました。車を降りて、案内標識
元亀三年、明智光秀が、田中城に籠城したと言う事が、信長公記で知られていましたが、針薬方と言う資料により、永禄九年頃に、田中城の籠城にも居た事が解って来ました。と言う事で、越前からの帰り道、田中の氏神様でもある、田中神社に寄ってみることにしました。大きく立
滋賀県高島市にある、びわ湖108霊場 第19番 紫芝林山・大善寺西教寺の末寺で、織田信澄が、大溝城城下に別院として建てたそうだ。御寺の門前にも、由緒書きがありました。大溝城の縄張りは、明智光秀が担当したらしいので、御寺の位置も把握していた事でしょう。御寺の
ゴールデンウィーク初め、コロナウィルスで外出自粛に成った時に。Web検索していたら!明智光秀の御朱印袋が出ていた・・・。気には成っていたが、買いにも行けず・・・。非常事態宣言が、解除されて程なく、電話を掛けて在庫の確認をしてみた!するとまだ!売っていると
京都府亀岡市千代川にある、岩城(いわしろ)神社。明智光秀が、八木城攻めの時に、戦勝祈願をしたそうだ。昔から、京都縦貫道を、千代川インターを降りて、田舎へ抜けるルートとして使っていたが・・・。鳥居が見えないので、まさか!こんな処に、有るとは夢にも思いませんで
コロナウィルスの影響で、非常事態宣言となり、外出自粛していましたが!なんとか、5月21日に解除されましたので、感染予防をして出掛けました。外出の目的地は!昨年登った、愛宕神社です!何故かと言うと、明智光秀仕様の限定・御朱印を出されたからです~!貰うからに
京都府亀岡市にある、鍬山神社へ行きました。(昨年秋に訪問したが・・・。アップのタイミングを逃して遅くなってしまった・・・。)鍬山神社は、紅葉の名所で!亀岡市内では一番!ではないでしょうか~!幼少の頃のインパクトが!強かったせいか?京都の名所を行っても、ま
兵庫県篠山市にある、金山城跡。明智光秀が、黒井城と八上城を分断する為に、築いた城と言われています。金山城跡近くで、御朱印を頂けないか?と大乗寺さんへお邪魔しました。(^^;)案内の看板から、奥へ行くと、車が一台通れる狭い道をしばらく走ると、大きな山門が見
昨年秋から、埴生城跡の整備が、始まったとかで、チョット立ち寄ってみました。今回は、大手ルート(オレンジ矢印)ではなく、最短ルート(赤矢印)を攻略。公民館脇の路地を行き、橋を渡ると、ロープで仕切られた区間が有りました。そのロープを辿って行くと広い場所に出ま
明智光秀ゆかりの地を、巡った帰り道。元・檀家寺でもある、南丹市園部町埴生にある、最福寺に立ち寄りました。何故かと言うと、江戸時代、船井ごおり三十三ヵ所観音の23番だったので、御朱印を頂きたいと、お邪魔しました。(^^;)突然の訪問にも拘らず、御朱印を頂く
第34回特別展・明智光秀と戦国丹波(丹波進行前夜)を見に、亀岡市文化資料館へ行ってきました~!明智光秀の書状や関係武将の資料など、93点の展示がありました。更に!当日は、展示品の解説があり参加しました~!こう言う企画に参加すると、裏話など聞けるので徳をし
大河ドラマ・麒麟がくるに合わせてか?第54回京の冬の旅(非公開文化材特別公開)にて、妙心寺では、仏殿と浴室が公開されていいました。仏殿は、普段は外側から網越しに本尊が見られるのですが、今回初めて、内部を見られる様にされたそうです。何故かと言うと~!この仏
明智光秀は、天正9年4月、細川忠興の茶会に招かれ、丹後観光~!天の橋立にて、舟遊びをしたそうだ。そして、智恩寺の文殊堂にて、細川藤孝・里村紹巴らと連歌をし、「うふるてふ松は千年のさなら哉」と読んだとか。有料駐車場に車を止めて、智恩寺へ、大きな山門が見えま
丹後宮津にある盛林寺(曹洞宗)へに行きました。ここは、明智光秀の娘(玉)が、光秀の首を供養したと言われる処です。山崎の合戦後、娘の玉は?味土野に幽閉されていたので、盛林寺へ来る事が出来ないと思うが・・・。出掛ける前に、電話予約していた時間に、無事到着。(
京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の大本山・妙心寺へ行きました。本能寺の変後、明智光秀が妙心寺を訪れ、辞世の句を認め自害しようとした。この時、叔父の大嶺院・慈沢(密宗)が悟った為、自害を思い留まったと言う伝説。1587年、明智光秀の菩提を弔う為に、叔父の密
京都市北区にある、大本山・大徳寺へ行きました。本能寺の変後、明智光から、大徳寺に、銀百枚の寄附を貰いましたが、山崎の合戦後、それを隠す為に、光秀の母を弔う為頂いた物とし、山門を建てたそうです。山門が有った場所は、大徳寺の本坊で、明治時代に、金地院に移築さ
明智光秀ゆかりの地で、一番の難所・・・。(^^;)愛宕神社へ行きました。京都バス・清滝下車、神社までは、片道2時間半の山道を上ります。中学の遠足で上った経験がありますが、大人になるとチョットきつかった・・・。道中は、木の杭を打ちつけた階段状の坂道が続きま
高野山・奥の院に在る、明智光秀の供養塔まで出掛けました~!京都からは、阪急で「高野山1dayチケット」を使って、阪急・大阪メトロ・南海(難波~高野山間)・南海林間バスが、乗り放題で、3090円した。ケーブル高野山駅から、南海林間バス「奥の院前行き」に乗車、一
明智光秀の戦いで、窮地に絶たされた場所。本圀寺・金ヶ崎と来れば!の来るは!天王寺砦の戦い!(黒井城攻めも、そうだけど正確な場所が解らなので、朱印を頂く意味が無い。)天王寺砦跡を検索したと処、大阪市天王寺区生玉寺町、月江寺付近だったそうだ。高野山からの帰り
勝龍寺城は、山崎の合戦時、明智光秀が立て籠もった城で、また、娘の玉が輿入れした城ですね!明智光秀が、最後に戦った地と言う事で、朱印を頂きに行きました。勝龍寺城から南へ、下った処にある、勝龍寺(真言宗)の御寺に行きました。ここも!大河ドラマ「麒麟がくる」の
京都市左京区北白川、瓜生山の山頂に勝軍山城が有った。戦国時代、明智光秀が、比叡山延暦寺を牽制する為に、数か月滞在したと言う。また、吉田兼見の日記にも、光秀が吉田山へ通った事が記載されている。城跡の登り口に在る、狸谷不動院(真言宗試験道)にて、御朱印を頂く
勝龍寺城公園の資料館を訪問した後、明智光秀本陣跡を訪問。まずは、勝龍寺城近くの恵解山古墳へ、自転車で、約5分程で到着以外に近かった・・・。恵解山古墳は、前方後円墳で、前方が山崎方向に向いて居て、明智光秀が陣を置いたのでは?と考えられています。古墳周辺は、
京都市東山区梅宮町にある、明智光秀の首塚。粟田口にて、晒されていた首を、まとめて埋葬し、供養されていたが、江戸中期に、明田理右衛門宅に移され祀られていたそうだ。その後、この地へ移って来たらしい・・・。ここは、昔、青蓮院門跡と縁のある、尊勝院の敷地で、梅宮
本日は、廬山寺の特別展・明智光秀の念持仏を見に行って来ました~!ネットでは、小さく感じましたが、厨子の全体は大きくて、チョットした仏壇並みの大きさでした。中央の地蔵尊は持ち運べる大きさだが、収納すると大きい募金箱位はなるだろう。。。正親町天皇の女房書は、
安土駅から歩いて、30分・・・。安土城跡に在る、摠見寺へ行きました。安土城は、織田信長の城で、明智光秀も城内を往来した、ゆかりの地です!以前、訪問した時は、入山料は無かったのですが・・・。有料と成っていました・・・。(^^;) 入山料城跡のみ(500円)
滋賀県犬上郡多賀町にある、多賀大社へ行きました。近江鉄道、多賀大社前を歩いて、20分ほどで到着。十年ぶりの訪問です。(^_^;)多賀大社は、武田信玄・豊臣秀吉・明智光秀などの書状が有る事は!知られていましたが、今年になって多賀町佐目が注目を浴びる様になりました
朝から、京都市バス・地下鉄一日乗車券(900円)を使い~!本圀寺→吉田神社→蘆山寺→天寧寺と巡って、最後は~!京都市中京区にある、法華宗・本能寺へ行きました。御存じ!「本能寺の変」の舞台と成った、御寺です。(羽柴秀吉の町整備により現在の地へ移転。)御寺の入
京都市右京区京北周山町にある、慈眼寺(曹洞宗)へ行きました。慈眼寺へは、京都市内から、周山街道162号線経由で、1時間ほどです。歴史本で、周山に明智光秀の木造がある事を知り!長い間、行きたいと思っていたが、なかなか行く機会が無かったのですが・・・。SNS