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< 勝竜寺城>の”城門”を巡るー細川藤孝のお城でしたが、山崎の合戦時には明智光秀の本陣として使用
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
【津屋崎祇園山笠2024】新町流の舁き山(山崎の合戦/関ヶ原基次奮戦)
福津市の夏をいろどる伝統行事「津屋崎祇園山笠」にあわせて、3つの舁き山(岡流・新町流・北流)が公開されました。今回は豊村酒造のすぐ横に展示されている、新町流の舁き山をご紹介します。表標題は「山崎の合戦」、見送り標題は「関ヶ原基次奮戦」。▲津屋崎千軒の街並み▲表標題「山崎の合戦」▲表標題解説表標題のモチーフは、羽柴秀吉が明智光秀を撃破して、天下統一の足掛かりとした「山崎の合戦」です。明智光秀・羽柴秀吉・...
明智光秀敗走す!山崎の戦い本陣跡そして光秀最期の城「勝龍寺城」
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、明智光秀敗走す!山崎の戦い本陣跡そして光秀
秀吉と光秀の天下分け目の天王山"山崎の戦い"!秀吉の本陣跡「山崎城」へ
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。 全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。現在、家康を辿る城旅を展開中…。今日の夢中は、秀吉と光秀の天下分け目の天王山"山崎の戦い
どうも、クイズで知識も楽しくゲットしたくなるブログです。日本各地にはいろいろな山がありますね。さて、ここでクイズを出します。羽柴秀吉の軍と明智光秀の軍勢が激突した山崎の戦いでも有名な天王山。この天王山がある都道府県は次のうちどこでしょう?山崎の戦いで有名
山崎の合戦は「天王山の戦い」とも呼ばれ、羽柴秀吉の軍勢が、6月13日に摂津国と山城国の境に位置する山崎の地(現在の京都府乙訓郡大山崎町付近)において、明智光秀の軍勢と激突しました。天王山登り口から急な坂を登っていきます。宝積寺は、天王山(270m)の南側山腹にあり、寺伝では神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願により行基が建立したと伝わり、行基が山崎橋という対岸八幡への往来の橋を建てた際に、橋寺として創建した...
山崎の合戦(1)山崎合戦古戦場跡~明智光秀本陣跡~恵解山古墳
羽柴秀吉は高松城に篭る毛利軍を包囲していましたが、6月3日に本能寺の変の報を受け、ただちに毛利軍との和議を結び、「中国大返し」と言われる驚きべき速さで備中から京都に軍を返し、6月13日、秀吉軍4万の兵力で山崎にて1万6000の明智光秀軍と戦いました。両雄がぶつかった「山崎合戦の地」は、現在は京都縦貫自動車道の高架下に「天王山夢ほたる公園」として整備され、広場には、「天下分け目の天王山 山崎合戦古戦場」と記さ...
前回まではこちら⬇️目次天下を競望せず…わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。天正10年(1582年)6月13日、羽柴秀吉(はしばひ…
今日は第3章の最後まで読みました。▪️なぜ、織田信長は京都に2つの二条城をつくったのか▪️なぜ、最大級の南蛮寺が京都の中心に建てられたのか▪️なぜ、明智光...