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紫式部の父・藤原為時は、長和5年(1016年)4月29日に園城寺(三井寺)にて出家。式部の母の兄弟である康延(こうえん)、式部の異母弟・定暹(じょうせん)は、三井寺の僧侶でした。『紫式部日記』には、中宮彰子が出産の際、園城寺の心誉阿闍梨(しんよあじゃり)がもののけの調伏に当たったとあります。園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山で、山号は長等山(ながらさん)。三井寺という通称を持ちます...
藤原惟規は、勅撰集に選ばれるほど歌の才能があったそうです。『後拾遺和歌集』に、越後へ向かう時に詠んだ歌があります。辞世の歌 「みやこには恋しき人のあまたあればなほこのたびはいかむとぞ思ふ」惟規は最後の「ふ」の文字を書けずに息絶えたため、父・藤原為時は「おそらくこのように書きたかったのであろう」と書き足したといいます。都へ帰りたいとい気持ちを抱きながらも、再び都の地を踏むことが出来なかった惟規。。さ...
JR二条駅から徒歩5分、中京区西ノ京北聖町にある大学寮跡。大学寮(だいがくりょう)は、式部省に所属した官僚育成のために設けられた高等教育機関です。官僚の候補生である学生に対する教育と試験及び儒教における重要儀式である釋奠を行いました。大学寮で、紀伝道(漢文や歴史を学ぶ学科)を修めると、文章生となり任官しました。紫式部の父・藤原為時は、その文章生でした。為時の息子で、紫式部の同母兄もしくは同母弟ある藤原...
紫式部は、長保4年(1002年)ごろ、『源氏物語』を書き始めたとされています。のちに藤原道長に召し出され、一条天皇の中宮・道長の長女である藤原彰子に女房として仕えることに。女房名は藤式部(とう の しきぶ / ふじ しきぶ)で、後に「紫式部」と呼ばれたとされています。彰子の家庭教師としての役割も果たしたとされ、この間、道長の支援のもとで『源氏物語』を完成させています。『源氏物語』の執筆地として有力なのは石山...
大原野神社は、京都盆地の西縁、西山山地の一峰にあたる小塩山の麓に広がる大原野の地に鎮座しています。紫式部は大原野神社を氏神と崇め、この大原野の地を愛していたといいます。『源氏物語』二十九帖「行幸(みゆき)」の巻には、冷泉帝が大原野へ鷹狩りに向かう華やかな行列を光源氏の養女・玉鬘が見物する様子が描かれいます。また、紫式部が生前に自ら撰んだとされる「紫式部集」に次の歌が詠まれています。長徳2年に越前守とし...
元三大師堂本尊は元三大師(良源)。他に毘沙門天像、薬師如来像、不動明王像などを安置。毘沙門天は京都七福神の一つ。鐘楼手水社廬山寺(ろざんじ)(廬山天台講寺[ろざんてんだいこうじ])沿革天慶年中、元三大師良源によって草創される。良源は康保3年(966)55歳で第18世天台座主となり、内供奉に補せられて以降、比叡山から宮中に参内するにあたり、現船岡山の麓、現蘆山寺通北に輿願金剛院を建立し、寛和元年(985)正月3...
京都市上京区北之辺町の廬山寺は、紫式部の邸宅跡として知られています。山門南門(薬医門)遡れば、紫式部の曽祖父である藤原兼輔(堤中納言)が建てた邸宅があり、藤原為時に譲り、紫式部はこの邸で生まれ育ち、『源氏物語』を執筆したとされています。廬山寺(ろざんじ)現在の廬山寺は豊臣秀吉の時代にこの地に移されたもので、ただしくは廬山天台講寺という。もとは天慶元年(938)に慈恵大師良源(じけいだいし りょうげん)...
前回,斉信クンのディスインフォメーションにしてやられて(;´д`)ショボンヌな道長クンでしたが・・・それって,検非違使別当の実資サンがちゃんと裏を取ってれば良かっただけの話でわ? もしかして,実資サン,驕りが目に余った中関白家失墜の為にわざと・・・?とかね。 さてさて。 アヴァン,越前和紙に目を輝かせるまひろサン。確かに良き紙ですわね。 でもね,まひろサン,冬場の紙漉きは手がかじかんで大変なのよ?あなた,お家の切り...
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜前回、いきなり「妻になれ!」って言われたまひろで終わったけど、今回はどうなる?ってことで第24話の感想ぉ!宣孝…
越前の旅(8)しきぶんミュージアム「光る君へ 越前 大河ドラマ館」
武生中央公園内にあるしきぶきぶんミュージアムには、「光る君へ 越前 大河ドラマ館」や、紫式部が暮らした越前の文化や歴史を紹介する歴史展示、お土産やグッズを販売する「光る越前SHOP」があります。エントランスでは、まひろ(紫式部)役の吉高由里子さんのウェルカムメッセージのVTRが流れています。等身大パネルと一緒に記念撮影ができるスポット「衣装や小道具の展示コーナー」藤原為時紫式部(まひろ)為時が太郎に読み聞かせ...
紫式部公園に隣接した「紫ゆかりの館」は、紫式部が越前国の国司に任命された父・藤原為時とともに、武生で青春時代を過ごしたことから2021年4月23日にオープンした資料館です。 出逢いの庭紫式部の間紫式部が越前国府で過ごした青春の日々を表した展示・体験空間紫式部が越前国を訪れ、その後「源氏物語」を執筆するまでのストーリーを、絵巻物風の映像で紹介しています。また、姫君のタイプを診断できる性格診断のゲームもありま...
園内には、十二単をまとった金色の紫式部の像があります。顔は日野山、からだは京を向いているのは、日野山を見ながら京の小塩山を懐かしむ式部の心情を表しているのでしょう。像の背後のレリーフ紫式部の歌碑園内を一周すると、平安時代にタイムスリップしたかのような感覚に陥ります。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています...
紫式部公園は、紫式部を偲んで造られた平安時代の庭園を再現した公園です。「越前富士」と称される日野山を借景にした寝殿造庭園となっています。寝殿造り=寝殿、正殿などの建物と、池や築山を配した庭から成る貴族の屋敷の建築様式のこと。源氏物語に登場する主要キャスト&主要人物を表す植物釣殿池にせり出す釣殿は総檜造り。池を中心に、橋や遣水などが配置され、平安時代の雅さを感じることができます。にほんブログ村 歴史ブ...
前回の補遺。 「悪い顔」する宣孝サンなら黄金を受け取っといて,しれッと自分の思うように政務を行っちゃいそうな気がする(笑) 舞い戻ってきた伊周クンに対する公任クンの温情が,イイネ♪ ・・・残念ながら貴子サンの死に目には会えなかったけど。 三国サン殺し,火曜サスペンス劇場みたいになるのかと思ったら,すぐに解決しちゃったのね(苦笑)。まあ,大きな物事を頼む時にはそれ相応の「お礼」というものが必要なのは,古今東西の...
#735 第23回「雪の舞うころ」感想~大河ドラマ『光る君へ』
まひろと左大臣道長そのつながりで越前に来て、宋人に生かされる⁉大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第23回「雪の舞うころ」について宋の商人朱による殺人事件は…
皆さぁ〜ん、大河ドラマ「光る君へ」見てますかぁ〜今回から越前だねってことで第22話の感想ぉ〜!今回から越前国へ赴任する為時とまひろ国府へ行く前に敦賀で宋人の朱…
越前市京町に建つ越前国分寺。天平13年(741)に出された聖武天皇の詔勅によって、国府があった武生にも国分寺が建てられました。ご本尊は、奈良時代の高僧行基の作といわれている天拝薬師如来座像。越前国分寺天平11年(739)聖武天皇の勅命により、越前国の国分寺として建立された。当時の越前国は今の石川県をも行政下にあった国内有数の大国であった為国分寺の規模も国内屈指のもので、三大国分寺の一つに数えられた事もある。当時...
#726 第22回「越前の出会い」感想~大河ドラマ『光る君へ』
まひろはついに越前へ、一方の京の道長には次々と政治問題が持ち込まれて悩むそんな大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第22回「越前の出会い」についてまひろは、…
河濯山芳春寺は、越前市で唯一の臨済宗大徳寺派の寺で、大日如来を本尊に祀っています。すぐそばを川が流れ、古くはこの川で身を清めてからお参りをしたことから、河濯と呼ばれるようになったそう。通称「かわっさん」と呼ばれ、安産・病気快癒にご利益があるといわれ、お堂には、お札に奉納された古い絵馬や提灯がたくさん掛けられています。境内には松尾芭蕉の色紙塚(句碑)があるそうですが、先を急いでいたため、探しませんでし...
まるで文化財のテーマパーク!天台寺門宗の総本山「園城寺」(三井寺)
おつかれさまです。 今日は、滋賀県大津市にある 園城寺の文化財 を紹介します。 園城寺は、滋賀県大津市園城寺町にある天台寺門宗の総本山の寺院。 通称:三井寺 滋賀県は、国宝・重要文化財に指定されている建造物がある都道府県ランキング3位!(1位は京都府、2位は奈良県) そのほとんどが大津市にあり、中でも三井寺には数多くの国宝・重要文化財が残されています! その数なんと 重要文化財は12件! 国宝は4件! 美術工芸品を合わせると 重要文化財42件! 国宝10件! まるで、 文化財のテーマパーク! ということで、その一部を紹介します! まずは、三井寺の玄関。 仁王門(重要文化財) 屋根入母屋造桧皮葺…
真願寺は、敦賀城の北西隅に当たる乾門跡に建てられたお寺で、門前には城跡碑があります。敦賀城は大谷吉継の居城として知られています。1582年(天正11年)、本能寺の変で織田信長が明智光秀に討たれると、羽柴秀吉が台頭。その家臣であった蜂屋頼隆によって、三層の天守を持つ敦賀城が築かれました。しかし、頼隆は九州平定中に病死したため、1589年(天正17年)大谷吉継が入城し、水城として大改修しました。関ケ原の戦いの後は...
・・・枕草子誕生のシーンの数分間,何度か見返しましたが,やっぱいいね。武士がメインの大河と違って,劇的な「神シーン」ってのはないけど,じんわり来るのは多いなあ。 この後の定子サンと清・少納言&定子サンが産む三人の御子(脩子内親王,敦康親王,媄子内親王)も,ちゃんと描かれるのかしら。清・少納言が内親王に仕えたという説もあることだしね。 さて。 アヴァン,為時パパの人間観察力,すげーな(微笑) 10年以上の雌...
福井県敦賀市曙町に鎮座する氣比神宮(けひじんぐう)は、大宝2(702)年の建立と伝えられる7柱のご祭神をまつる神社で、市民に「けいさん」の愛称で親しまれています。松原客館は、気比神宮の神官が管理していたともいわれることから、気比神宮近くにあったという説もあるとのこと。敦賀は天然の良港を有するとともに、北陸道諸国(現在の北陸地方)から畿内への入り口であり、対外的にも朝鮮半島や中国東北部への玄関口にあたる要衝...
紫式部は、父の藤原為時が越前守として赴任した際に同行し、国府があった現在の越前市に約1年暮らしました。当時、国府の役所である国衙が本興寺のあたりにあったのではないかと推測されており、発掘調査が進められています。境内で行われた本年度の発掘調査では、平安時代前期の層から幅約250センチ、深さ約70センチの溝が見つかり、古文書に記された境内の大きさと掘られた方向が東西の正方位に当たり条里制の特徴と合致し...
今年3月、春の青春18切符を使って、福井まで行って来ました。私にとって初めての越前の旅で、朝からドキドキ!始発の東海道線で名古屋まで行き、特急しらさぎに乗り換え。ホームには、撮り鉄の皆さんが今か今かと待ち構えていました。指定席は完売だったそうで、自由席には長蛇の列が!幸い名古屋が始発だったため、運良く座れました。ここで座れないと、3時間立ちっぱなしということがあるそうです(^_^;無事JR武生駅に到着。4時間...
気比の松原から神明社へ。神明社の付近では、渤海との貿易によってもたらされたとのではないかと思われる青磁器片が出土していることから、神明社から永建寺にかけての辺りに、松原客館があったのではないかとも推測されています。当社はもともと近隣島郷十一ヶ村の惣神であり寛文年間(1667)西今浜村に創立、明治七年東今浜村の島明神を合祀神明社と改称。明治九年村社に列せられ、更に明治四十三年鋳物師村の村社及び松中村の無格...
松原客館(まつばらきゃっかん)は、平安時代前期の9世紀頃に、渤海の使節団(渤海使)を迎えるために越前国に設置されたと考えられる迎賓・宿泊施設。使節団が上京するまでの間、一時的にとどめ置かれ、食料や衣服などが支給されていたとみられています。松原客館の場所は、福井県敦賀市の気比神宮付近や来迎寺・永建寺付近一帯(現在の松島町付近)、西福寺、櫛川遺跡など7カ所が推定されていますが、存在した時期や場所など謎が...
琵琶湖に浮かぶ朱塗りの大鳥居の光景から、近江の厳島の異名を持つ滋賀県高島市鵜川の白鬚神社。「白鬚さん」、「明神さん」の名で広く親しまれ、延命長寿・長生きの神様として知られ、また、縁結び・子授け・開運招福・学業成就・交通安全・航海安全など、人の世のすべての「導きの神」でもあります。祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)国道を挟んだ向かいに社殿があります。社伝では、垂仁天皇(第11代)25年に倭姫命によって...
前回への補足。 よく考えたら,為時パパの越前守任官に「苦学の寒夜 紅涙襟を霑す」の漢詩が影響を与えたってのは,説話集や後の歴史物語に出てくるだけで,当時の記録類にはなかったのよね・・・。なので,まひろサンが介入したって別にいいわけだ。よし,許す(←何様?) さて。 「私はここに来てはおらぬぞ」・・・って,親子丼とか高御座でホニャララとかしてたクセに,何を今更外聞を憚ってるんすか(笑) 中関白家に戻ってのご兄...
そーいえば,耄碌した兼家パパのお見舞いに夫婦揃って行った時,道長クン,奥さんのことを「明子女王」と紹介してたよね? 明子サンの父上は臣籍降下した源高明で,明子サンが生まれた時には既に「源」だったから,明子サンも当然「女王」ではないわけで・・・。 叔父の盛明親王の養女になってる(詮子サンとこに引き取られる前のことね)ので,ご機嫌取りの意味も込めて道長クンが女王付けしたのかしらん? それとも,「あの高明の娘」であ...
JR二条駅から徒歩5分、中京区西ノ京北聖町にある大学寮跡。大学寮(だいがくりょう)は、式部省に所属した官僚育成のために設けられた高等教育機関です。官僚の候補生である学生に対する教育と試験及び儒教における重要儀式である釋奠を行いました。日本古代の令制官司の一つ。天智朝にその起源があり,大宝令によって確立した。大学とは律令制の最高の学校であり,また官人の養成機関であった。式部省の管轄下にあり,その事務官...
大河ドラマ『光る君へ』が始まりましたね。年始でバタバタしていたこともあって、昨夜ようやく観ました。毎年当ブログにて大河ドラマ解説をしてきたわたしですが、...
「紫式部」という名を知らない人は少ないでしょう。紫式部といえば、いうまでもなく『源氏物語』の作者であり、平安時代を代表する女流作家ですが、じゃあ、紫式部...
紫式部の父・藤原為時とは?花山天皇に仕え不遇となった生涯と人物像に迫る。
2024年NHK大河ドラマは「源氏物語」の作者である紫式部が主人公でそのパトロンでもあった藤原道長とのラブストーリーも含む「光る君へ」(主演・吉高由里子 作・大石 静)です。2020年の「麒麟がくる」、2021年の「青天を衝け」、2022年