メインカテゴリーを選択しなおす
作家の井沢元彦氏は、『逆説の日本史』において、朝廷が、刀伊の入寇の最大の功労者、藤原隆家に恩賞を与えなかったのは、朝廷の「危機管理能力の欠如」であり、その伝…
しかし、996年(長徳二年)正月、藤原隆家は、従者の武士を連れて、花山法皇の一行に矢を射かけて、法皇の衣の袖を弓で射抜く、事件を起こす。 その事件を藤原道長…
1019年(寛仁三年)3月末~4月、刀伊の入寇が、発生した。 刀伊とは、朝鮮の高麗語の高麗以東の夷狄である、東夷を指し、日本語の刀伊を当てたとされる。 刀伊…
藤原隆家は、996年(長徳二年)2月7日、従者の武士を連れて、花山法皇の一行を襲い、法皇の衣の袖を弓で、射抜いた。 花山法皇は、出家の身で、女通いが露見する…
#4504 さもこそは都のほかに宿りせめうたて露けき草枕かな
令和7年2月2日(日) 【旧 一月五日 大安】 大寒・鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)さもこそは都のほかに宿りせめうたて露けき草枕かな ~藤原隆家(979-1044)『後拾遺和歌集』巻9-0530 羇旅歌さすがに都の外に宿りするとなると、わびしい露に濡れた草枕であるなあ。
【光る君へ】#46 隆家大活躍の平安最大の対外危機・刀伊の入寇の場にまひろ?再会の周明に心境吐露も束の間、悪夢再び
まひろが「ここ」にいる違和感 NHK大河ドラマ「光る君へ」第46回「刀伊の入寇」が12/1に放送され、かつて長徳の変でやらかした藤原隆家が、日本を救うヒーローとして大活躍した。合戦シーンも満載で、平安大河で初、だけれど通常大河では見慣れた「首」も登場した。 隆家が外国からの侵入者に対して鏑矢をつがえる姿を見て、花山院の御車に矢を放ったあの姿(ノリノリの若気の至りの表情が最高だった)を思い出した視聴者は多かったのでは?隆家にとっては、あれは一族の没落を引き起こした取り返しのつかない一矢、当人も後悔しきりだったようだが。同じ行為なのに、今回はもたらす結果がだいぶ異なる。 隆家役の竜星涼は、「ちむど…
素人が語る歴史(笑)入寇とか倭寇とか元寇とかの「寇」って何?
元寇とか入寇とか倭寇に使われる「寇(こう)」について寇とは「あだ、かたき。外敵。害を加える、侵略する」という意味なので元寇は「元(中国)が日本に攻めてきたー!」倭寇は「倭(日本、この場合は日本の海賊)が中国に攻めてきたー!」刀伊の入寇「東夷がー日本に(以
「刀伊」とはなんぞ「刀伊(とい)」とは「東夷(とうい」のこと日本で読めるように「刀伊」と当て字にしたらしい中国朝廷(中華)に帰順してない民族東夷・西戎・南蛮・北狄と呼んで 四夷、又は夷狄と総称(蔑称)した「夷」は日本の「蝦夷」と同じ使い方と言えばわかりや
藤原道隆の四子・藤原隆家は、996年(長徳2)権中納言の時、兄の伊周(これちか)とともに、花山法皇への暴力事件を起こし、出雲権守(いずもごんのかみ)に配流され、病のため但馬(たじま)に留まりました。997年、東三条院詮子(せんし)の病気によって伊周とともに召還。帰京後は兵部卿となり、のち従三位(じゅさんみ)へ。1002年(長保4)権中納言に再任され、04年(寛弘1)正三位、07年従二位、09年中納言となりました。長和元年(101...
藤原道隆の四子・藤原隆家は、996年(長徳2)権中納言の時、兄の伊周(これちか)とともに、花山法皇への暴力事件を起こし、出雲権守(いずもごんのかみ)に配流され、病のため但馬(たじま)に留まりました。997年、東三条院詮子(せんし)の病気によって伊周とともに召還。帰京後は兵部卿となり、のち従三位(じゅさんみ)へ。1002年(長保4)権中納言に再任され、04年(寛弘1)正三位、07年従二位、09年中納言となりました。長和元年(101...
#745 隆家と花山院の賭け事 from『大鏡』 ~『光る君へ』を楽しむため
大河ドラマ『光る君へ』では描かれていませんが藤原隆家と花山院の賭け事を『大鏡』より花山院が通れるものなら通ってみろと挑発し、それに乗った隆家勝つのはどっち⁉ …
#708 第20回「望みの先に」感想~大河ドラマ『光る君へ』
伊周・隆家兄弟の自滅”長徳の変”大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第20回「望みの先に」について久しぶりの花山院の登場、結果的に院に弓を射かけたことから始…
前回への補足。 よく考えたら,為時パパの越前守任官に「苦学の寒夜 紅涙襟を霑す」の漢詩が影響を与えたってのは,説話集や後の歴史物語に出てくるだけで,当時の記録類にはなかったのよね・・・。なので,まひろサンが介入したって別にいいわけだ。よし,許す(←何様?) さて。 「私はここに来てはおらぬぞ」・・・って,親子丼とか高御座でホニャララとかしてたクセに,何を今更外聞を憚ってるんすか(笑) 中関白家に戻ってのご兄...
#699 第19回「放たれた矢」感想~大河ドラマ『光る君へ』
見事な陣定で庶民のための政治を行う道長と、伊周との間の主導権争いが激化していく大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第19回「放たれた矢」について道長が政権首…
長徳の変(ちょうとくのへん)とは、長徳元年(995年)4月10日の藤原道隆の死後、弟の藤原道長が内覧の宣旨を得た後に起きた政変で、花山院闘乱事件(かざんいんとうらんじけん)ともいわれています。長徳2年(996年)正月16日、太政大臣藤原為光の四女に通う花山法皇を、自分の思い人の為光三女が目当てと誤解した藤原伊周が、隆家と謀って道すがら待ち伏せ、彼らの従者が放った矢が法皇の袖を突き通した一件に発端するといわれてい...
さわサン・・・;;; でも,ヒネちゃダメよ〜。 登花殿,枕草子の世界が全開じゃあ〜〜〜〜っ! 香炉峰から全員による雪まろばしに持ってくとはね〜。強引さにちょっとワロタ。でもキャピキャピしてて,定子後宮らしくて,よきよき。 行成クン,お上と道長クンとどっちを取るの・・・つったら,結局は道長クンになるんだよな。隆家クン,えびすくい踊り出したらどーしよーかと(爆) 伊周クンの挑戦的な言葉と振る舞いが,詮子サマの反感を買うと...