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No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾六
宋の太祖、趙匡胤は、後唐の禁軍将校、趙弘殷の息子である。 趙匡胤は、後周の柴栄が、即位して、世宗になると、近衛軍の将校となった。 その後、柴栄の将軍として、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾五
劉邦に粛清された、韓信、彭越、英布は、劉邦が、漢中王になった後に、劉邦に従った。 そのため、同郷の盧綰、樊噲、蕭何、曹参、夏侯嬰程には、劉邦との信頼関係はな…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾四
劉邦は、諸将に対策を問うた。諸将は、口々に「兵を発して、英布を坑にするのみです」。 劉邦は、暗然とした。親 征は、やむを得ないが、大軍を率いても、英布は、強…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾参
韓信は、事に当たっては、用意周到に計画し、慎重さに抜かりがなかった。 しかし、自分を大いに買って、引き留め、大将軍に推挙してくれた、蕭何だけは、信用していた…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾弐
当時、北方の封牧民の匈奴は、紀元前209年に単于になった、冒頓単于によって、勢力を拡大していた。 冒頓単于は、父の頭曼単于を殺して、単于になると東の東胡・北…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾壱
劉邦が、家臣達と酒宴を行っていた時、劉邦は、「皆、私が、天下を勝ち取り、項羽が、敗北した理由を言ってみよ」と言った。 高起と王陵が、「陛下は、傲慢で、人を侮…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾
紀元前202年、劉邦は、群臣の薦めを受けて、遂に「皇帝」に即位した。 なお、漢王朝は、劉邦が、「漢中王」を称した、紀元前206年を「高祖元年」としている。 …
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾九
「私の力は、山を抜き、私の気は、世を覆うほどである。 しかし、時勢が味方せず、愛馬の騅は、疲れて進まない。 騅が、進まないのに、どうしたらよいのであろうか。…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾八
劉邦は、過去に項羽と義兄弟の契りを結んでいたことを持ち出して、「お前にとっても、父親になるはずだから、殺したら、煮汁をくれ」と項羽に返答した。 次に項羽は…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾七
韓信は、戦国の七雄の内、大国の斉を領有し、河北の趙、燕を支配していた。 そのため、項羽の西楚、劉邦の漢、韓信の斉の三国が、鼎立する、局面となった。 韓信が、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾六
韓信は、李左車の策に従い、労せずして、燕の臧荼を降伏させた。 紀元前204年、韓信は、鎮撫のために張耳を趙王として、建てるように劉邦に申し出ると、認められた…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾五
後に、韓信は、本来、必敗の陣である、背水の布陣で、何故、勝てたのかと聞かれると、「私は、兵法書に書いてある通りにしただけだ。 即ち、『兵は、死地にて、初めて…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾四
その後、韓信は、北に進んで、陳余の部下の代の相、夏説を降伏させると、趙に進軍した。 韓信が、趙を攻めるに先立ち、劉邦の本軍は、兵力不足のため、韓信に対し、韓…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾参
陳平は、偽物の劉邦を滎陽の城の外へ出し、敵の降伏に楚兵が、喜び、油断したところを城の反対側から、脱出する策、金蝉脱殻の計を出し、偽の劉邦には、紀信を、滎陽に…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾弐
陳平は、特に項羽の謀将である、范増に対して、楚の使者が、漢へ派遣された際、当初、范増の使わした、使者として、豪華な宴席に招くと、范増と仲が良いかのように振舞…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾壱
張氏は、息子の張仲を説得して、数日後に孫娘を陳平に嫁がせた。 陳平は、結婚後には、金回りが良くなるとそれを元に交際を広め、社の祭りにてで、宰領役になった際に…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参拾
項羽は、連合軍が、城外に出ると追撃し、更に漢軍10万人余りが、睢水に追い詰められ、殺害されたため、川の水が、堰き止められるほどであったと言われる。 連合軍は…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾九
項羽は、韓王成に仕え、劉邦に仕えていた、張良から、「劉邦は、懐王の約の通り、関中を得れば、東に進んで項羽と争う気はない」との書簡及び、斉の田栄、梁の彭越の謀…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾八
紀元前206年5月、田栄は、項羽により、斉王に封じられた、田都を攻めると、田都は、楚に逃亡した。 田栄は、膠東王に封じられていた、田巿を自分の許に留めると、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾七
劉邦は、韓信を治粟都尉(軍隊の食糧調達とされるが、詳細は不明)に任じたが、韓信に対しては、左程、興味を示さなかった。 劉邦が、漢中王になった後、蕭何は、内政…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾六
韓信は、淮陰の住人で、貧乏で、品行が悪かったため、職に就けずに、他人の家に上がり込んでは、居候するという、遊侠無頼の生活に終始していた。 そのため、淮陰の者…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾五
楚の懐王は、項羽に、約定通り、劉邦を関中王にせよと命じたが、項羽は、従わなかった。 「関中」は、様々な意味があるが、基本的には、中華統一以前の秦国の本領のこ…
◆第081位 『ハリー・ポッターと秘密の部屋』評価:085点/著者:J・K・ローリング/巻数:全1巻/ジャンル:ファンタジー小説/1998年 ◆第082位 『…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾四
項羽は、張耳の高名を知っており、張耳を評価して、趙を分割し、趙歇を代王にすると、張耳を常山王とした。 趙歇は、趙王室の末裔で、趙王を自称していた、陳勝の武将…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾参
紀元前206年、項羽は、王になろうとして、秦を滅ぼすことに功績のあった、諸将を王侯に任じた。 十八王封建である。 九江王の英布、雍王の章邯、塞王及び、殷王の…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾弐
項羽は、劉邦が、戻って来ないため、陳平に命じて、劉邦を呼びに行かせたが、劉邦は、樊噲と共に既に自陣に到着していた。 張良は、劉邦が、酒に酔い過ぎ、失礼になる…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾壱
劉邦は、驚愕し、項伯と会って、姻戚関係を結ぶことを約束すると「咸陽に入って、以来、宝物等を奪う事をせず、項羽将軍を待っていました。 関に兵を置いたのは、盗賊…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐拾
劉邦は、咸陽に入城すると、宮殿の中の女と財宝に目がくらみ、留まって、楽しみたいと思ったが、樊噲と張良に諫められた。 劉邦は、宮殿の女と財宝に、一切手を付けず…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾九
劉邦は、儒者嫌いの通り、酈食其に対して、足を投げ出して、足を女達に洗わせながら、面会した。 しかし、酈食其は、「年長の者にそのような態度を取るべきではない」…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾八
張耳は、信用せず、陳余が、張黶と陳澤を殺害したと思い、尚、責めたために、陳余は、激怒して、「そこまで疑うのならば辞職する」と言い、将軍の印綬を張耳に押し付け…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾七
前述の通り、陳勝の配下であった、武臣は、張耳と陳余に擁立されて、趙王となったが、元秦の将軍で、武臣に降伏し、配下となった、李良に殺害された。 張耳と陳余は、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾六
宋義は、趙の張耳、陳余の救援要請を受けて、趙の鉅鹿へ向かったが、安陽に到着すると、進軍を止めて、46日間、安陽に留まった。 項羽は、「秦軍が、趙王の鉅鹿を囲…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾五
後に劉邦と天下の覇権を争う、項羽は、前述の通り、楚の将軍、項燕の孫である。 項梁、項伯の甥であり、項一族には、項羽の従兄弟の項荘及び、項它、詳細の不明な項襄…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾四
張良は、三度目は、日の昇る前に行くと老人は、後から来た。 老人は、「その謙虚さこそ、宝である」と言い、張良に、「太公望兵書(六韜)」を与えた。 「この書を読…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾参
劉邦が、景駒に兵を借りに行った途上、同様に、景駒に従おうとして、留に赴いた、張良に出会った。 劉邦にとって、張良との邂逅は、景駒に兵を借りるより、遥かに重要…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾弐
『史記』は、他に無数の「劉邦が天下を取ることが約束されていた」との話を載せている。 劉邦が、赤龍の子であるとする逸話があり、漢が、火徳の帝朝と称することに繋…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾壱
しかし、劉太公の度重なる、口添えにより、劉邦は、劉伯の遺児の劉信に爵位を与えたが、その称号は「羹頡侯」であった。 羹頡は、羹(あつもの)の入った、鍋を擦ると…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百拾
懐王は、宋義・項羽・范増を主力軍とし、趙を攻めている、秦軍を破った後、秦の咸陽へと攻め込ませようとした。 一方で、劉邦を別働隊として、西回りに咸陽を衝かせよ…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百九
同年7月、秦に滅ぼされた、斉の最後の王、田建の弟の田假が、斉王として、擁立された。 田儋の従兄弟、田栄は、田假の斉王擁立に激怒し、田假を攻めたため、前述の通…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百八
同年2月、項梁は、東陽県で、陳嬰を加え、英布・蒲将軍等の軍を合わせ、大軍となった。 項梁は、前述の通り、秦嘉、楚王を称していた、楚の公族の景駒と秦嘉、甯君を…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百七
陳勝の死後、叛乱軍の主導者となったのは、楚の将軍、項燕の息子、項梁である。 項氏は、代々楚の武将として、活躍し、「項」という、邑に封ぜられ、項姓の祖先となっ…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百六
蔡賜は、河南郡上蔡県の住人で、房という、邑の爵位を持っていたため、房君と呼ばれた。 紀元前209年7月、陳勝・呉広の乱が起こる。 陳勝達は、陳城を制圧すると…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百五
周巿は、魏王室の後裔である、魏咎を迎えて王としたいと考えて、斉、趙の要請を受けず、陳勝の都、陳城にいた、魏咎を迎え入れようと交渉する。 同年12月、使者が、…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四
部下の一人が、李良に対し、「天下中の人が、秦に背き、有能な人物は、自立しています。 更に趙王の武臣は、元々、将軍(李良)より、出自が低いです。 先程、女児(…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百参
そのため、武臣は、兵を西の秦に向かわせずに、韓広に燕を攻略させ、李良に趙の恒山を攻略させ、張黶に上党を攻略させた。 韓広は、趙のために燕の土地を攻略していた…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百弐
武臣の三十万の軍勢は、白馬津にて、黄河を渡り、河北の諸県に着くと、地元の豪傑達に叛乱軍に味方する様に、説いて回った。 「秦の政治は乱れ、刑罰は、残虐であるた…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百壱
陳勝及び、呉広は、叛乱を起こした際、民衆の支持を集めるため、陳勝は、扶蘇、呉広は、項燕を名乗った。 前述の通り、扶蘇は、秦の始皇帝の長子にして、悲劇の皇太子…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百
中華の歴史は、伝説の黄帝以来、「王」の座に就くためには、高貴な血統を必要として、前述の通り、秦の始皇帝の死後、専横を振るい、二世皇帝の胡亥を殺害した、趙高で…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九十七
紀元前207年、趙高は、丞相の地位にあった、李斯を刑死に追い込むと、自身が、後任の丞相となった。 秦の将軍の章邯は、鉅鹿の戦いにおいて、秦軍を大破した、項羽…
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】百九十五
紀元前207年、趙高は、丞相の地位にあった、李斯を刑死に追い込むと、自身が、後任の丞相となった。 秦の将軍の章邯は、鉅鹿の戦いにおいて、秦軍を大破した、項羽…