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0600 起床 気分快 曇 頼朝と3つの半島。鎌倉幕府を築いた「半島物語」。
血圧値 121/83/77 酸素飽和度 98% 体温 36.3℃ 体重 65.8キロ 運勢 The Hanged Man 真鶴岬から見る絶景の大海原。 三つ石というのが有名だそうです。 僕はまだ見たことがないけど。 展望所は標高約50メートル、眼前に大海原が広がり、爽快な眺望が楽しめるそうです。 水平線には大島や初島、式根島などの島影が浮かび、空気が澄んでいれば三浦半島や、遠く房総半島のシルエットも見ることができるのです。 関東地方から、南の太平洋に突き出す3つの半島。 日本の歴史の始まり以来、これらの半島は人々の生活や歴史の動乱に、深くかかわってきました。 真鶴岬の上空から東を俯瞰したGoo…
先日、同期仲間のラインにメッセージが、 どうでもいい情報との頭書きの下に、 明日放送される「ポツンと一軒家」に我が家の菩提寺が放送されるとのこと。将来鬼籍に入ったらそこにお世話になるらしい。
すみません、アドレス変更しました。自分が誰かということを須佐之男さんも全然教えてくれないけれど、教えて教えてじゃなくて自分で思い出せばいいと思いつきました。
「武者の世の始まり」とされる、保元の乱は、日本の権力闘争の構造を根本的に変えた。 藤原忠実、頼長と藤原忠通の政治的暗闘は、27年間続いたが、保元の乱の武力衝…
おつかれさまです。 来週、2月23日は「2(ふ)2(じ)3(さん)」の語呂合わで、「富士山の日」! ということで、富士山信仰の神社「多摩川浅間神社」へ。 神社の境内には見晴台があり、晴れていると多摩川越しに富士山を拝むことができるんです! 場所は東京都大田区。 最寄駅は東急東横線多摩川駅。 創建は鎌倉時代。 源頼朝の出陣の後を追って妻・北条政子がこの地を訪れた際、夫の出征が無事であることを祈り、身につけていた「正観世音像」をこの丘に建てたことが「多摩川浅間神社」のおこり。 古墳のうえに創建された神社なので石段を登った小高い場所にあります。 まずは手水舎で身を清めるわよ! あ、手水舎が富士山! …
頼朝の軍議と安産祈願の寺・日蓮宗大巧寺:江ノ島・鎌倉日帰り旅②
江ノ電で鎌倉駅に着きましたが、JRの西口側に出口があります。目的地の若宮大路はJR東口側にあるので、地下道を通って東口に抜けます。 東口の駅前広場は昔とあまり変わっていません。 小町通りの鳥居には、「八幡宮近道」とありますが、これはとんでもないフェイク情報です。鶴岡八...
平泉・中尊寺に遺された奥州藤原氏三代、清衡・基衡・秀衡のミイラ(他に四代目にあたる泰衡の首級も)については、あまり詳しいことは分かっていないようだ。その中でも三代・秀衡のケースを見てみると、実は大変に忙しい最中だったにも関わらず、彼もきちんとミイラになっ
安和の変は、理由は、不明であるが、左大臣の源高明が、謀反に加担していたと結論され、大宰員外権帥に左遷することが決定した。 源高明は、長男の源忠賢と共に出家す…
藤原実頼は、947年(天暦元年)、村上天皇が、即位すると、左大臣に就任する。 同時に弟の藤原師輔は、右大臣に任ぜられた。 藤原実頼及び、藤原師輔の兄弟で、共…
さて皆様は歴史に登場する言葉それぞれの違いについてよくご承知でしょうか。 例えば、よく似た文字が並ぶ以下の言葉です。 〇公家(くげ) 〇公卿(くぎょう) 〇公暁(くぎょう/こうきょう/こうぎょう) えぇ、かく申す筆者自身はかなりのオタオタ状況に陥ってしまうほどの、いわば...
葛の葉伝説が伝わる地、信太の森にて歌を鑑賞す ~源頼朝との意外なつながり
“和泉なる 信太の森の 尼鷺(アマサギ)は もとの古枝に 立ち返るべし” By 源頼朝(1147-1199) from 古今著聞集 1.葛の葉伝説のルーツはいずこ? 2.源頼朝が信太の森を詠んだ歌 2-1.信太の森とはどこにあったのか? 2-2.頼朝が握っていた権力の問題 2-3.女性の財産権の問題 2-4.この地域を侵食していった勢力の存在 1.葛の葉伝説のルーツはいずこ? 上記の画像は安倍晴明にかかわる「葛の葉伝説」で知られる大阪府和泉市にある信太森葛葉稲荷神社(しのだのもりくずのはいなりじんじゃ)。伝説ではこの地で安倍晴明の父親、安倍保名がキツネが化けた女性(葛の葉)と結ばれて生まれた子…
筆者の生息地・熱田では、地元の熱田についてもっとよく知ろう、もっとよく 知って貰おうとの趣旨のイベントがこ数年続けて開催されています。 うっかりすると噛みそうなタイトルですが、「あったか!あつた魅力発見市」と 銘打っています。 もっとも、こうした地元の啓発・情報発信という...
組織のトップに征夷大将軍を据える形の「幕府」という政治方式を採用した 武家政権は、日本の歴史上に三つ登場しています。 しかも、そうした幕府の名称がそのまんま日本史の時代区分の名称にも採用されて いるわけですから、このことはかなり重大な意義を持つものと思われます。 念のため...
平等院と宇治川の間にあるあじろぎの道は、春は桜、秋は紅葉など四季折々の景色を楽しみながら歩ける川沿いの遊歩道。ベンチも設置されており、、宇治川の景色を楽しみながら休憩できます。石碑の後ろの朱色の端は、は宇治川に浮かぶ塔の島とあじろぎの道を結ぶ喜撰橋。喜撰橋を渡って塔の島へ。橋を渡ると、塔の島にそびえ立つ大きな石塔が見えて来ます。高さ15mの浮島十三重石塔は、現存する近世以前の石塔としては、わが国最大...
紫式部の父・藤原為時は、長和5年(1016年)4月29日に園城寺(三井寺)にて出家。式部の母の兄弟である康延(こうえん)、式部の異母弟・定暹(じょうせん)は、三井寺の僧侶でした。『紫式部日記』には、中宮彰子が出産の際、園城寺の心誉阿闍梨(しんよあじゃり)がもののけの調伏に当たったとあります。園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山で、山号は長等山(ながらさん)。三井寺という通称を持ちます...
「年寄りの冷や水」・・・無分別に若者のマネをする高齢者を冷やかしたり警告したりする時に使われる言葉だ。 ところが、歴史にはそれとは逆に「年寄りの熱血」と呼びたくなるような人物も登場している。 例を挙げるならダ、たとえばイマイチさえない状況にあった源氏が、
目次基本情報御由緒御朱印御朱印帳境内案内参拝を終えて地図基本情報神社名:牛天神北野神社御祭神:菅原道真公社格等:村社鎮座地:東京都文京区春日1-5-2最寄駅:…
↑源頼朝公が文治5年(1189)の奥州討伐の後に創建した、神奈川県鎌倉市二階堂に所在する国指定史跡、永福寺跡(ようふくじ あと)を探訪しました。永福寺跡は、ブラタモリ「鎌倉〜頼朝は武士の都・鎌倉をどうつくった?」で紹介され、発掘調査を担当した鎌倉市教育文化財部の福田誠氏は「頼朝は一連の権力闘争の勝利宣言をここでしたのではないか?ある意味、頼朝の権力を見せつけるための寺だった」と述べています。↑現地解説板...
No.004【中国史の運命を決定した、殷周革命と劉邦の即位】弐百四拾六
宋の太祖、趙匡胤は、後唐の禁軍将校、趙弘殷の息子である。 趙匡胤は、後周の柴栄が、即位して、世宗になると、近衛軍の将校となった。 その後、柴栄の将軍として、…
鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(1147-1199年)が開催した富士の巻狩り(1193年)の際に、 工藤祐経(1147?1154?-1193年)を父親の仇として討ったのは、曾我十郎・五郎の 兄弟でした。 「ちなみに」を補足をするなら、そこで催された「巻狩り」とはこんなことでした。...
↑源頼朝公が治承4年(1180)に大蔵に御所(幕府)を設けた際に鬼門の鎮守とし、以降歴代の将軍も尊奉した、神奈川県鎌倉市に鎮座する荏柄天神社(えがら・てんじんしゃ)を探訪しました。由緒は、現地解説板と荏柄天神社公式サイトの情報を合体させて、以下に整理・引用させて頂きました。■平安時代後期の長治元年(1104)晴天の空が突如暗くなり、雷雨とともに黒い束帯姿の天神画像が天降り、神験をおそれた里人等が社殿を建て、...
源頼朝墓の下にある白旗神社(西御門)は、源頼朝の御墓を守っていた法華堂があった場所。勝運の神様・源頼朝のご利益とパワースポットとして人気です。
鎌倉鶴岡八幡宮の若宮近くに鎮座する、漆黒の白旗神社。源頼朝公と実朝公をご祭神に、勝負運や学業成就のご利益があると言われています。期間限定の御朱印は貴重です。