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司馬遼太郎の小説、 「燃えよ剣」は、 武州多摩の悪童だった土方歳三が、 "くらやみ祭"のために 大国魂神社(おおくにたま・じんじゃ) に行くところからはじまる。😘 " くらやみ祭 "は、 室町時代からつづくといわれている、 大国魂神社のお祭りだ。😊 大国魂神社は、 111年5月5日の創建と伝えられているから、 いまから1900年以上まえにできたことになる。 鎌倉幕府をひらいた 源頼朝(みなもとのよりとも)が 妻の安産祈願をしたという、 古くて大きい神社だ。😌 きのう深大寺のほうで用事があったので、 少し足をのばして久しぶりにお詣りした。 東京府中の駅前にあるから、 いつもにぎわっている。🥰 お…
鎌倉駅から源頼朝の墓を経由し、荏柄天神社・鎌倉宮・永福寺跡・瑞泉寺まで5か所の鎌倉名所、寺院を見て歩いたウォーキング記録です。
よく知られた史実であっても、よく眺めてみるとその中には何かしら忘れ物をした ように感じられる出来事もないではありません。 たとえて言うなら、「AとBが・・・」で始まった説明が、その部分で途切れて しまって、この後がどうなのかの説明がないままの状態です。 一体どうしたのだ! ...
【鎌倉・鶴岡八幡宮】頼朝の 武家の都の 八幡宮|60歳からの御朱印めぐり〔011/541〕
「鎌倉」と言えば、(独断と偏見で)鶴岡八幡宮。鎌倉幕府を開いた源頼朝が創建した鶴岡八幡宮は、800年以上を経た現在でも鎌倉のシンボル的存在です。※2022年11月参拝
新宿諏訪神社(→東京都新宿区高田馬場1丁目)は、『東京都神社名鑑』には立派な由緒が「創作」されていますが、創建年代等の詳細は不明ながら、江戸時代初期には社殿ができあがっていたようです。江戸時代には諏訪村・戸塚村・大久保百人町・西大久保村などの総鎮守となり、隣接する真言宗豊山派寺院の龍池山 上珠院 玄国寺が別当寺として祭祀を司りどりました。1882(明治15)年に明治天皇の行幸があったようで、境内には戦時中の1943...
箱根神社の御朱印|由緒・境内をわかりやすく解説|関東屈指のパワースポット(神奈川県足柄下郡箱根町)
所在地神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80−1祭 神箱根大神由 緒1191年に編纂された筥根山縁起并序によると、第5代天皇・孝昭天皇の時代に聖占仙人が駒ヶ岳の山頂に神仙宮を開いたのが始まり。その後、757年に箱根大神の神託を得た万巻上人が現在地
先月出張で三島に行く機会があってランチに行ったお店で、混んでるから30分くらいかかると言われたけど、10分程でお料理がやってきてくれたため、浮いた時間でサクッ…
平清盛(1118-1181年)を頂点として朝廷を凌ぐほどの栄華を誇った平家一門の隆盛ぶりを、同門にあった平時忠はこう評したそうだ。~一門にあらざらん者はみな人非人なるべし~(現代言葉に直した~平氏にあらずんば人にあらず~が有名)確かに一時期はこの言葉の通りに「飛ぶ
新田氏は、清和源氏の源義家の三男、源義国を真の祖とする。 源義国は、嫡男の義重に、上野国の新田荘を開拓させると、長男の義重に新田荘、次男の義康に足利荘を相伝…
源頼朝と政子の逢瀬の場所に想いを馳せる 熱海の大観荘に宿泊したあと、遅ればせながら【伊豆山神社】へお詣りに行って来ました。鎌倉殿の13人でかなりフューチャーされましたからね! 昨年の平日ではありましたが、やはり鎌倉殿の13人の影響でかなり賑わっていました。それでは、詳しくレポートしていきましょう。 伊豆山神社 参拝順路 JR熱海駅から伊豆山神社前バス停まで、約7分。(伊豆山神社行、又は七尾行)伊豆山神社前バス停から階段を約170段昇ると神社に到着します。 公式HPより 170段・・・この数字を見ただけでちょっと腰がひけてしまうお年頃のeriza。 大丈夫ですよ(*^^*) 車の方限定にはなって…
鶴岡八幡宮御朱印 参拝日:令和5年(2023年)2月20日 二の鳥居 三の鳥居 手水舎 舞 殿 若宮(下宮) 大石段 本宮(上宮) 授与所 開門・閉門時間 アクセス 江の島岩屋からまた来た道を戻り、江ノ島電鉄江ノ島駅より江ノ電に乗って鎌倉に向かいます。 終点鎌倉なので、乗ってきた電車が「藤沢行」に変っています。 小町通りは平日でも人で込み合っています。 二の鳥居 表参道の二の鳥居に向かいます。 大きな狛犬です 「二ノ鳥居」から「三ノ鳥居」までは、一段高く盛り土された「段葛(だんかずら)」と呼ばれる道となっております。 三の鳥居 参道(ピンボケでした。) やっぱり、鎌倉は平日でも混んでいますね。…
参拝日:令和5年(2023年)2月20日 山ふたつ 頼朝寄進の鳥居 手水舎 奥津宮 アクセス 中津宮から奥津宮まではアップダウンの有る細い道を進みます。 山ふたつ 中津宮から歩いて約7~8分。大きな海食洞の天井部分が陥没した跡で、上から見ると瓢箪のようにくびれ、ちょうど山が二つに分かれているように見えます。約4万年前のものから遥か1650万年前のものまで、悠久の時を重ね形成された地層が、海側の山、サムエル・コッキング苑側とそれぞれに見られます。また、削られた山間からは相模湾が見え、独特の風景を楽しめます。出典:江島神社ホームページ 頼朝寄進の鳥居 手水舎 奥津宮 狛犬 江島神社 奥津宮 中津宮…
前回記事では、伊東温泉旅行でのサイクリング、特にしとどの窟ヒルクライムについて報告した。そのサイクリング後に、去年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも出てきた伊東祐親ゆかりの地を訪ねたので、本記事で報告する。伊東祐親は、伊東を本拠地として、伊豆に流された源頼朝の監視役の立場だった平家側の武士である。 (1)物見塚公園(2023/4/12) 物見塚公園に、伊東祐親の像があるというので行ってみた。伊東市役所の正面玄関の前の小高い丘にこの公園は位置している。市役所の真ん前に伊東祐親の像があるということに、地元の方々の伊東祐親への敬愛が感じられる。 物見塚公園は伊東家館跡らしいが、そうすると伊東市…
0620 起床 気分快 晴 三浦荒崎巡行【見て・歩いて・よろこぶもの】⑫その2 まるで昭和のセットのような商店街のドーナツと、夕陽の海岸。まだ昼間だけど。
血圧値 128/88/71 酸素飽和度 98% 体温 36.4℃ 体重 67.8キロ 城ヶ島からバスで三崎港へ戻ります。 最近人気の、ドーナツ屋さんがあります。 ちょっと、一休み。 2012年12月8日、ミサキドーナツ三崎本店は三崎銀座通り商店街(旧フシミ時計店)にオープン。かつて日本屈指の鮪の水揚げ基地として栄えた三崎港周辺は、今も昭和の佇まいが残り、まるでセットのような商店街が存在します。 ドーナツ屋さんからちょっと歩くとなかなか立派な神社があります。 海南神社は、相模国三浦総鎮守であり、藤原資盈(ふじわらのすけみつ)、資盈の后である盈渡姫(みつわたりひめ)、筌龍弁財天(せんりゅうべんざい…
大庭神社(おおばじんじゃ→神奈川県藤沢市稲荷)は、平安時代の927(延長5)年に作成された『延喜式神名帳』(えんぎしきじんみょうちょう→朝廷より官社に指定された全国の神社一覧)に「高座郡大庭神社」と記載された相模国の式内社13社の1つと比定されます。ただし、江戸時代以前の記録は失われており、創建の詳細は不明です。境内には神仏習合の名残りとして、江戸時代中期の1716(享保2)年に鋳造されたと記される洪鐘(おおかね→梵鐘)...
新田氏は、清和源氏の源義家の三男、源義国を真の祖とする。 源義国は、嫡男の義重に、上野国の新田荘を開拓させると、長男の義重に新田荘、次男の義康に足利荘を相伝…
引地山 養命寺(→神奈川県藤沢市城南4丁目)は、戦国時代の1570(元亀元)年に、本山である蟠龍山 宗賢院(→神奈川県藤沢市大庭)の3代住職・暁堂が開山したと伝わる曹洞宗寺院です。本尊の木造薬師如来坐像(→国指定重要文化財)は、源頼朝に仕えた御家人大庭景義(おおばかげよし)の守護仏と伝わり、鎌倉時代前期の1197(建久8)年の銘があり、前身となる寺院の存在を示唆します。養命寺は、その後衰退したようですが、江戸時代中期の延享年...
「曽我兄弟より熱を込めて」を読んで!日本三大仇討ちの一つを解説!
歴史小説興味あります。読んでみたいんだけど何だか難しそうな気がして。そんなことないですよ。今日ご紹介する本を読めば歴史小説の面白さにはまりますよ!歴史小説に興味ある方いませんかー?または一度読んでみたいなって思ってる方いてませんか?歴史小.
本郷和人 なぜ7人で房総へ逃げのびた源頼朝がたった42日で5万の軍勢を集められたのか? 頼朝
真田広之、渡米約20年で「生まれ変わったような」心境 ハリウッド発の時代劇で主演 ... THE RIVER 「将軍」2023年に米放送予…
柄沢神社(→神奈川県藤沢市柄沢)は、創建年代の詳細は不明ですが、神仏習合の頃は孝安天皇(→実在の可能性が極めて低い6代天皇)を祀る「第六天社」と呼ばれ、鎌倉時代前期の1193(建久4)年には入間野・那須野での巻狩(まきがり→狩りを兼ねた軍事演習)へ向かう途中に源頼朝が参拝したことで信仰が広まったと伝わります。境内には神仏習合の頃の名残りと思われる鐘楼と梵鐘があり、柄沢村が江戸時代中期の1724(享保9)年に下野烏山藩(し...
功徳山 早雲禅寺 天嶽院(てんがくいん→神奈川県藤沢市渡内1丁目)は、真言宗の古寺「不動院」から始まる曹洞宗寺院で、1180(治承4)年に源頼朝が鎌倉入りする途中で立ち寄り、不動明王に大願成就の祈願をしたという伝承が残ります。戦国時代初期の1495(明応4)年、小田原城を奪取して相模平定を目指す伊勢宗瑞(いせそうずい→いわゆる北条早雲)によって伽藍の一寺が創建され、僧の虎堂玄白を迎えて曹洞宗の禅寺として開山したといいま...
新田氏は、清和源氏の源義家の三男、源義国を真の祖とする。 源義国は、嫡男の義重に、上野国の新田荘を開拓させると、長男の義重に新田荘、次男の義康に足利荘を相伝…
東京オリンピックの会場にもなった九十九里浜と養老渓谷・粟又の滝を訪れた話
昨年末の東京・千葉旅行3日目は友人に千葉県東部のドライブに連れて行ってもらいました。ランチの後、九十九里浜へ。九十九里浜は千葉県東部の刑部岬から太東崎に及ぶ日本最大スケールの砂浜海岸。源頼朝が1里ごとに矢を立て、99本に達したことから九十九里と名付けられたよ
指月橋(しげつきょう→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷2丁目)は、源義経(→源頼朝の異母弟)主従が通ったという伝承をもつ多摩川水系の旧三沢川にかかる橋です。江戸時代後期の天保年間(→1830年~1844年)に編纂された『江戸名所図会』には寿福寺十景の1つとして紹介されています。近くには義経と弁慶が大般若経を奉納したと伝わる仙谷山 寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1丁目)があります。江戸時代の天明期(→老中田沼意次の頃)を代表...
二枚橋(→神奈川県川崎市麻生区高石3丁目)は、源義経が作り直したという伝承をもつ多摩川水系の五反田川にかかる橋です。川崎市に残る義経伝説をつなげてみると、義経主従は1180(治承4)年9月に藤原秀衡(ふじわらのひでひら)から与えられた軍勢を率いて奥州平泉(→岩手県西磐井郡平泉町)を発ち、鎌倉街道を南下して仙石山 寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷1丁目)で戦勝祈願をし、五反田川を越える際に軍勢が通れるように橋を補強(→...
八王山 摂取院 常光山(→神奈川県藤沢市本町4丁目)は、戦国時代後期の1572(元亀3)年に本山である天照山 蓮華院 光明寺(→神奈川県鎌倉市材木座6丁目)の27代住職明蓮社光誉(西隠)が自身の隠居所として創建した浄土宗寺院です。本尊は阿弥陀三尊立像で、中尊は像高99cm・全高204cmあり、脇侍2体は江戸時代に彫られたものです。中尊は仏師安阿弥の作で源頼朝の持仏と伝わりますが、実際には南北朝時代に彫られたもので鎌倉扇ガ谷にあっ...
空腹を癒したあとに 向かう先は 鎌倉幕府とともに始まり、 鎌倉の発展を見守り支えてきた 『鶴岡八幡宮』。 鶴岡八幡宮の始まりは、 源頼義が京都の石清水八幡宮を 勧請したことです。 ※勧請と
白旗神社(→神奈川県藤沢市藤沢2丁目)は、創建年代の詳細は不明ですが、相模国一宮の寒川神社(→神奈川県高座郡寒川町宮山)を勧請して平安時代中期までに創建されており、鎌倉時代の1198(建久9)年に白玉山 般若院 荘厳寺(→神奈川県藤沢市本町4丁目)の住職覚憲が別当となり、以後1868(明治元)年の神仏分離令まで同寺が別当寺として祭祀を司りました。鎌倉幕府の公式史書である『吾妻鏡』には、源頼朝(→頼経の異母兄)の追及を受けた藤...
源頼朝が鎌倉で初めて構えた屋敷があった大倉幕府周辺遺跡群で鎌倉時代の土器や陶磁器や整地層が発見された。 18日午前10時と午後1時から現地説明会があるという。[タウンニュース]※新発見以外の歴史ニュースは「歴史タイムッス」でどうぞ。...
伝義経首洗井戸(→神奈川県藤沢市藤沢2丁目)は、源頼朝の追及を受けた藤原泰衡(ふじわらのやすひら→奥州藤原氏4代目)に攻められ、1189(文治5)年閏4月30日、衣川館(→岩手県西磐井郡平泉町高館)で自害した源義経(→頼朝の異母弟)の首級を多と洗ったと伝わる井戸及び供養塔です。義経主従の首級は6月13日に鎌倉腰越で和田義盛・(→侍所別当)・梶原景時(→侍所所司)らによって首実検(→本人確認)が行われています。民間伝承では首実検ののち...
大蔵山 杉本寺(すぎもとでら→神奈川県鎌倉市二階堂)は、奈良時代中期の734(天平6)年に光明皇后(→聖武天皇の后)の発願により藤原房前(ふささき→藤原氏北家の祖)が開基、僧の行基(→東大寺の廬舎那大仏造立に貢献)が開山したと伝わる天台宗寺院で、鎌倉最古の寺として知られています。本尊は三体の十一面観音像で、それぞれ734(天平6)年に行基が、851(仁寿元)年に円仁(→慈覚大師)が、986(寛和2)年に源信(→『往生要集』を著した恵心僧...
新田氏は、清和源氏の源義家の三男、源義国を真の祖とする。 源義国は、嫡男の義重に、上野国の新田荘を開拓させると、長男の義重に新田荘、次男の義康に足利荘を相伝…