継体持統⑬:上宮王家滅亡事件と皇極天皇の関与
643年に山背大兄王が蘇我入鹿に滅ぼされた上宮王家滅亡事件。系図を見ると用明天皇後裔一族のほぼ全員が殺されているのがわかる。凄まじい皆殺し事件である。 皇極天皇の関与 皇極天皇は事件に関与していたのであろうか。 皇極天皇の前夫の高向王が泊瀬王の義兄弟との解釈が正しいとすると、628年の政変時に、皇極天皇は舒明天皇+山背大兄王+蘇我蝦夷陣営に対し、相当な恨みを持っていた可能性がある。 593年に聖徳太子は崇峻天皇=泊瀬部天皇の後継の地位を継承したが、この崇峻天皇の資産を継承したのが名前からすると聖徳太子第二皇子の泊瀬王である。 628年推古天皇崩御時、聖徳太子の最有力後継者はおそらく泊瀬王であっ…
2024/08/31 16:11