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長興山 妙本寺(→神奈川県鎌倉市大町1丁目)は、1203(建仁3)年9月2日の比企能員(ひきよしかず)の乱で滅亡した比企一族の屋敷跡に比企能本(ひきよしもと)が開基し、日蓮が開山した日蓮宗の霊蹟本山寺院です。創建は鎌倉時代中期の1260(文応元)年と伝わります。比企能本(ひきよしもと)は比企能員の乱の前年に生まれた比企能員(ひきよしかず)の末子で、『吾妻鏡』には、比企能員の妻妾と能員の2歳(→数え年)の男子は助命され、和田義盛に...
源氏将軍の血を受け継いだ最後の女性…竹御所鞠子ゆかりの鎌倉史跡
こんにちは。夢中図書館へようこそ!館長のふゆきです。全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、源氏将軍の血を受け継いだ最後の女性…竹御所鞠子ゆかりの鎌倉史跡です。
先日の放送(12月4日)で、三寅というわずか二歳の赤ん坊が京から鎌倉に送られてきました。後の鎌倉幕府の4代将軍・藤原頼経です。摂政関白を歴任した九条道家の三男で、摂家から迎えられた摂家将軍で、九条頼経とも呼ばれています。九条道家と西園寺公経の娘・掄子の子として生まれ、生まれたのが寅年・寅月・寅刻だったので、幼名を三寅(みとら)と言いました。両親ともに源頼朝の同母妹坊門姫の孫であり、前3代の源氏将軍とは遠...
このページは比企能員邸跡に建つ神奈川県鎌倉市の「妙本寺」探訪記の後編で、比企氏関連史跡を紹介します。↑写真は「比企能員公一族之墓」と刻まれた供養塔です。はじめに比企能員(よしかず)について、Wikipedia情報の一部を以下に引用させて頂き、復習しました。『愚管抄』によると阿波国の出身。源頼朝の乳母を務めた比企尼は、頼朝が流人となった後も20年間支援を続けた忠節の報いとして、甥である能員を猶子として推挙し、比...
神奈川県鎌倉市雪ノ下1丁目13−26の若宮大路幕府舊蹟を訪問しました。と言っても、↑写真の石碑が小さな辻に建っているだけでしたが。↑ 若宮大路幕府舊蹟の石碑(地図赤丸)は、鶴岡八幡宮の三之鳥居(地図青丸:八幡宮前交差点)から南東に位置していました。↑若宮大路の「ショウワパーク鎌倉雪ノ下駐車場」の脇を東へ入り、閑静な住宅地を貫く路地を進みました。↑ここを歩くのは、今日が最初で最後だと思いました。↑道なりに...