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蛇苦止堂(じゃくしどう→神奈川県鎌倉市大町1丁目)は、鎌倉時代中期に北条政村(→北条義時5男、母は伊賀氏、7代執権)が若狭局(わかさのつぼね→源頼家の妻)を供養するために長興山 妙本寺(→神奈川県鎌倉市大町1丁目)境内に建立して堂宇です。創建は1260(文応元)年と伝わります。若狭局は、1203(建仁3)年9月2日の比企能員(ひきよしかず)の乱で北条氏に滅ぼされた能員の娘で、2代将軍源頼家の側室となり長男一幡(いちまん)を生みますが...
讃岐局蛇苦止霊之墓と佐竹やぐら(神奈川県鎌倉市大町:妙本寺)探訪記
先日訪問した比企能員(よしかず)邸跡に建つ、神奈川県鎌倉市の妙本寺を再訪しました。↑再訪した理由は、撮影し忘れてしまった(涙)比企能員の娘で源頼家公の嫡子「一幡(いちまん)」の生母、讃岐局(さぬきのつぼね)の「讃岐局蛇苦止霊之墓(さぬきのつぼね じゃくしれいのはか)」を撮影するためです。自分は方丈門の横に建つ案内看板で、比企一族関連の史蹟は撮影したのですが「讃岐局蛇苦止霊之墓」は看板には掲載されてお...
このページは比企能員邸跡に建つ神奈川県鎌倉市の「妙本寺」探訪記の後編で、比企氏関連史跡を紹介します。↑写真は「比企能員公一族之墓」と刻まれた供養塔です。はじめに比企能員(よしかず)について、Wikipedia情報の一部を以下に引用させて頂き、復習しました。『愚管抄』によると阿波国の出身。源頼朝の乳母を務めた比企尼は、頼朝が流人となった後も20年間支援を続けた忠節の報いとして、甥である能員を猶子として推挙し、比...
鎌倉駅から東南へ約500m、静かな比企谷(ひきがやつ)に建つ、日蓮聖人を開山に仰ぐ日蓮宗最古の寺院、日蓮宗 霊跡本山 比企谷妙本寺(みょうほんじ)を訪問しました。※以下「妙本寺」と省略させて頂きました。妙本寺の地には比企能員(ひきよしかず)の屋敷があったことで知られていますが、開基は比企能員の末子の比企大学三郎能本(よしもと)とのこと。↑写真は立派な屋根が印象的な「祖師堂」です。本堂ではありませんでした。...
鎌倉比企ヶ谷「妙本寺」!鎌倉殿をめぐる悲劇…比企一族ここに滅ぶ
全国の城や史跡をぶらり旅する「夢中図書館 いざ城ぶら!」。いま「鎌倉殿の13人」に夢中…。いざ鎌倉殿ゆかりの地へ!今日の夢中は、鎌倉比企ヶ谷「妙本寺」!鎌倉殿をめぐる悲劇…比企一族ここに滅ぶ…です。
妙本寺の方丈門のところに境内の案内図があります。ここから門に入らず脇の細い道を進んで行くと、階段があり、これを上って行くと、蛇苦止堂というお堂に辿り着きます。比企の乱で、井戸(一説に池)に飛び込んで自害したという若狭局は、後に北条政村の娘に霊となって憑き、日蓮によって供養され、蛇苦止堂(じゃくしどう)に祀られたといいます。比企の乱より50年ほど後、北条政村の娘が何かに取憑かれて座敷をのたうち回り苦し...