メインカテゴリーを選択しなおす
とあるヒマ人(実は筆者のこと)がネット徘徊していたら、筆者の生息地域にある 小さな神社に触れた記事に遭遇したと思ってください。 その神社はさほど有名でもない・・・というよりは、むしろまったく無名と 言った方が適切な印象です。 ただ筆者は以前からその神社の名称が珍しいこと、...
「天変地異」とは、このくらいの説明になっています。 ~天変とは天空に起こる変動、地異とは地上に起こる変異。 要するに、天地の間に起こる自然の異変のことで、風、雨、雷、日食、月食、 彗星や地震、洪水などのことをいう~ では、こうした「天変地異」に遭遇したとき、それぞれの...
和田八幡宮(→神奈川県川崎市宮前区野川)は鎌倉幕府の有力御家人で相模三浦氏の支流・和田氏の氏神が祀られたのが起源となる神社です。創建年代の詳細は不明ですが、地元の伝承として「池の主」と呼ばれていた白蛇(→龍神のこと)が、住みかの池を埋められて逃げてきた場所が和田八幡宮であったといい、境内には白蛇池が残されています。この地は鎌倉時代前期は和田氏の所領であったので、伝承は1213(建暦3)年5月の和田合戦で和田一族...
蛇苦止堂(じゃくしどう→神奈川県鎌倉市大町1丁目)は、鎌倉時代中期に北条政村(→北条義時5男、母は伊賀氏、7代執権)が若狭局(わかさのつぼね→源頼家の妻)を供養するために長興山 妙本寺(→神奈川県鎌倉市大町1丁目)境内に建立して堂宇です。創建は1260(文応元)年と伝わります。若狭局は、1203(建仁3)年9月2日の比企能員(ひきよしかず)の乱で北条氏に滅ぼされた能員の娘で、2代将軍源頼家の側室となり長男一幡(いちまん)を生みますが...
牛頭天王社(ごずてんのうしゃ→神奈川県横浜市緑区長津田町)は、長津田村が小田原北条氏の領国であった頃、この地の領主であった引田氏が祇園社(現在の八坂神社→京都府京都市東山区祇園町北側)を勧請して牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったのが始まりです。創建時の牛頭天王社は現在の王子神社(→神奈川県横浜市緑区長津田7丁目)寄りにあったようですが、江戸時代中期の1796(寛政8)年に現在地に移されたようです。『小田原衆所領役帳』(...