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牛頭天王社(ごずてんのうしゃ→神奈川県横浜市緑区長津田町)は、長津田村が小田原北条氏の領国であった頃、この地の領主であった引田氏が祇園社(現在の八坂神社→京都府京都市東山区祇園町北側)を勧請して牛頭天王(ごずてんのう)を祀ったのが始まりです。創建時の牛頭天王社は現在の王子神社(→神奈川県横浜市緑区長津田7丁目)寄りにあったようですが、江戸時代中期の1796(寛政8)年に現在地に移されたようです。『小田原衆所領役帳』(...
梶ヶ谷神明社(→神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷4丁目)は、創建年代などは不詳ですが、江戸時代前期の元禄年間(→1688年~1704年)に創建されたと伝わります。江戸時代には光永山 寿明院 西福寺(→神奈川県川崎市高津区梶ヶ谷5丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。明治時代初期の1870(明治3)年に近くの子神社(ねのじんじゃ)を合併し、1873(明治6)年に村社となりました。高度経済成長期の1968(昭和43)年に区画整理事業で境内が整理さ...
新作八幡宮(→神奈川県川崎市高津区新作3丁目)は、創建年代などは不詳ですが新作村の鎮守社として崇敬され、幕末期の慶応年間(→1865年~1868年)に村内の熊野神社を合祀したといいます。神仏習合の江戸時代には、無量山 昌谷院 養福寺(→神奈川県川崎市高津区新作1丁目)が別当寺として祭祀を司っていました。〖祭神〗・玉依姫(たまよりびめ)・応神天皇(おうじんてんのう)・神功皇后(じんぐうこうごう)〖境内社〗・飯綱大権現・...
八雲神社(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、創建年代は不詳ながら上市ヶ尾村(→現市ヶ尾町)の鎮守として崇敬されてきました。江戸時代には当時の京都八坂神社(→京都府京都市東山区祇園町北側)の祭神・牛頭天王(ごずてんのう→疫病を防ぐ神)を祀る牛頭天王社と称し、真言宗豊山派の初割山 永寿院 東福寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)が別当寺として祭祀を司っていました。1868(明治元)年の神仏分離令により神仏習合が終わり、素...