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らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~ https://rashimban1.blog.fc2.com/

羅針盤ゼミナールの徒然ブログです。当塾のこと、神社・寺院・古墳・城郭のこと、博物館・美術館・公園・史跡のことなど、いろいろご紹介いたします。神社仏閣・歴史秘話がメインです。

当塾の公式マスコットが、歴史学の立場から解説を加えて訪問した史跡・神社・寺院などを紹介してまいります。塾のブログですが塾の宣伝は少なめです。

西住りほ
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2022/07/12

1件〜100件

  • 市ヶ尾杉山神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    市ヶ尾杉山神社(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、江戸時代初期の創建された五十猛命(いそのたけるのみこと)を祭神として祀る旧市ヶ尾村の総鎮守で、社殿の隣には境内社として稲荷社が祀られています。江戸時代までは杉山社と呼ばれ、近くにある真言宗豊山派寺院の初割山 東福寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)が別当寺として祭祀を司っていました。東福寺については後日ご紹介いたします。〖杉山神社(市ヶ尾)〗祭神: 五十猛...

  • 光明院(神奈川県川崎市多摩区)を訪問しました

    稲荷山 光明院(→神奈川県川崎市多摩区登戸)は、もとは星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺であった、大日如来を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。室町時代後期に僧の源空(誕生年不明~1566年)によって開山され、江戸時代に旗本の河野通良(誕生年不明~1689年)によって中興開基されたと伝わります。江戸時代の度重なる火災によって創建時の堂宇や文書が焼失し詳細は不明です。現在の山門(仁王門)・本堂・...

  • 善正寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    妙永山 善正寺(→神奈川県川崎市麻生区片平5丁目)は、戦国時代前期に小田原北条氏に仕えた大熊修理亮(しゅりのすけ)の一族といわれる僧の善正日中(生誕年不明~1505年)が大熊氏の屋敷跡に開基、善覚院日衆(生誕年不明~1520年)が開山したと伝わる日蓮宗寺院です。1559(永禄2)年に作成された小田原北条氏の軍役帳である『小田原衆所領役帳』で確認してみますと、片平郷は他国衆とされた大熊修理亮が28貫900文の知行(→北条氏が安堵し...

  • 常念寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    稲荷山 常念寺(→神奈川県川崎市麻生区栗木)は、鎌倉時代前期に浄土真宗の開祖親鸞(しんらん)の二十四輩(→親鸞の関東における24人の門弟)の第六番にあたる成然(じょうねん→常然とも)によって創建された浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺院です。もともとは現在の東京都町田市金井町入谷戸にありましたが、室町時代後期・戦国時代中期の1558(永禄元)年9月に時の住職の福受が現在地に移転し中興したと伝わります。この時の本堂と本尊は...

  • 林清寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    青谷山 林清寺(→神奈川県川崎市麻生区栗木台1丁目)は、江戸時代に僧・春朔(生誕年不詳~1664年)が創建した曹洞宗寺院で、柿生霊園を管理する寺院です。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都築郡小机領栗木村には次のように記されています。**************************林清寺除地、村の西北の方にあり、禅宗曹洞派、長津田村大林寺末、青谷山と号す、開山春朔寛文四年(→1664年)六月九日寂す、客殿六間半...

  • 白鳥神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    白鳥神社(→神奈川県川崎市麻生区白鳥2丁目)は、旧片平村と旧五カ田村の鎮守社で、日本武尊(やまとたけるのみこと)を主祭神として祀り、神仏習合時代の愛染明王像(あいぜんみょうおうぞう)も祀られています。社号は日本武尊にちなんだ「白鳥」の地名から1868(明治元)年の神仏分離令以降に付けられたものと思われます。白鳥神社の創建年代は不詳ですが、安土桃山時代末期~江戸時代初期の慶長年間(1596年~1615年)に再建された社殿の...

  • 長念寺を訪問しました

    永池山 長念寺(えいちざん ちょうねんじ→神奈川県川崎市多摩区登戸)は室町時代後期・戦国時代中期の1534(天文3)年に彫られたと伝わる阿弥陀如来像を本尊とする浄土真宗西本願寺派寺院です。1522(大永2)年に僧の法専坊によって創建され、一時期衰えたものの江戸時代前期に秀月禅尼(しゅうげつぜんに)によって中興されました。創建当初は真言宗寺院で、徳川氏が本願寺を東西に分立させた際には東本願寺派に帰属しましたが、江戸時代...

  • 善立寺(神奈川県川崎市多摩区)を訪問しました

    龍燈山 善立寺(→神奈川県川崎市多摩区登戸)は、平安時代初期に慈覚大師円仁が創建したという寺伝をもつ日蓮宗寺院で、日蓮宗の開祖日蓮が最期の20日間を過ごした池上兄弟の館跡に創建された池上本門寺(→東京都大田区池上)の末寺の1つです。ただ、寺伝は伝承の域を超えず、史料上の確実な創建年代として江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』足立郡登戸村の条によりますと、戦国時代中期に日成(生誕年不詳...

  • 栗木御嶽神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    栗木御嶽神社(→神奈川県川崎市麻生区栗木1丁目)は、旧武蔵国都築郡栗木村にあった日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神とする村社御嶽神社と素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神とする無格社八雲神社(やくもじんじゃ)を、明治時代後期の1906(明治39)年に出された一村一社の勅令により、八雲神社の境内に両社を合祀して創建された神社です。現在の社殿は昭和時代後期の1987(昭和62)年に土地区画整備事業の一環で旧社殿の解体、遷座後...

  • 登戸稲荷神社(神奈川県川崎市多摩区)を訪問しました

    登戸稲荷神社(のぼりといなりじんじゃ→神奈川県川崎市多摩区登戸)は、稲荷神と同一とされる穀物・食物の神である宇賀魂大神(うかのみたまのおおかみ)と伊勢神宮外宮の豊受大神(とようけのおおかみ)を主祭神として祀る神社です。宇賀魂大神は神社によっては宇迦魂大神や倉稲魂命と表記されますが、読み方は同じです。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』登戸村の条には、「稲荷社 村の乾(→北西)の方小名...

  • 玉泉寺(東京都狛江市)を訪問しました

    熊野山観音院 玉泉寺(→東京都狛江市東和泉3丁目)は、飛鳥時代前期の634(舒明天皇6)年に僧の浄慶法印が薬師如来と文殊菩薩を安置して開基した大輪寺という寺が前身の天台宗寺院ですが、鎌倉時代に廻国伝説をもつ5代執権北条時頼(ほうじょうときより→北条泰時の孫)が諸国行脚の折に、荒廃した堂宇を再造営したという寺伝を持ちます。そのためか山門の瓦には北条氏の家紋である三鱗紋が、本堂の瓦や寺紋には丸に三鱗紋が用いられてい...

  • 泉龍寺(→東京都狛江市)を訪問しました

    雲松山 泉龍寺(→東京都狛江市元和泉1丁目)は釈迦如来像を本尊とする曹洞宗寺院です。寺伝によると奈良時代後期の765(天平神護元)年に、華厳宗大本山の東大寺(→奈良県奈良市)や雨降山大山寺(→神奈川県伊勢原市)を開いた良弁(ろうべん)僧正がこの地で雨乞いをし、法相宗(ほっそうしゅう)・華厳宗(けごんしゅう)兼帯の寺を創建したのが始まりといいます。平安時代中期の949(天暦3)年に天台宗に改め、法道仙人彫刻の聖観音菩薩像が安置...

  • 伊豆美神社(東京都狛江市)を訪問しました

    伊豆美神社(いずみじんじゃ→東京都狛江市中和泉3丁目)は、平安時代中期の889(寛平元)年9月、宇多天皇の時代に大國魂神社(→東京都府中市鎮座)を勧請して水神社(→東京都狛江市元和泉2丁目)が建つ場所に関東一円の主要神社の祭神をまとめて祀る「六所宮」が創建されたのが始まりです。戦国時代中期の1550(天文19)年、多摩川の洪水により社地が流されたため、1552(天文21)年に現在地に遷座しました。江戸時代には狛江(こまえ)総鎮守と...

  • 宗隆寺(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました

    興林山 宗隆寺(→神奈川県川崎市高津区溝口2丁目)は、池上本門寺(→東京都大田区池上1丁目)の直属末寺に属していた日蓮宗寺院です。創建時は天台宗で本立寺と称していましたが、戦国時代前期(室町時代中期)の1496(明応5)年に日蓮宗に改宗して宗隆寺と寺号を変え、現在に至ります。江戸時代には昨日ご紹介しました溝口神社(→当時は赤城社)をはじめ溝口村全域の社(やしろ)の別当寺として祭祀を司るなど、武蔵国橘樹郡(たちばなぐん)で...

  • 溝口神社(神奈川県川崎市高津区)を訪問しました

    溝口神社(みぞのくちじんじゃ→神奈川県川崎市高津区溝口2丁目)は、創立年代は不詳ですが、神社保存の棟札によると江戸時代中期の1709(宝永5)年に武蔵国橘樹(たちばな)郡稲毛領溝口村鎮守、赤城大明神の御造営を僧・修禅院日清が修行したと記されていて、神仏習合の江戸時代までは溝口村の鎮守・赤城大明神と親しまれ、赤城社と称していたといいます。江戸時代には現在の神奈川県伊勢原市の大山(おおやま)へ巡礼する大山詣(おおや...

  • 保木薬師堂(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    久しぶりに保木薬師堂(→神奈川県横浜市青葉区美しが丘西2丁目)を訪問しました。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』石川村の条には「薬師堂 除地、四畝六歩、村の西にあり、東向にて四間四方の堂なり、薬師仏は坐像にて長二尺ばかり、萬蔵院持。」「萬蔵院 年貢地、村の西にあり、本山派の修験職なり。」と記されています。境内の案内板によりますと、江戸時代中期の1783(天明3)年に清沢村(→神奈川県...

  • 満願寺(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    金剛山 成就院 満願寺(→神奈川県横浜市青葉区あざみ野4丁目)は、江戸時代初期に創建されたと伝わる不動明王坐像を本尊とする真言宗豊山派寺院です。徳川将軍家の菩提寺の1つである三縁山 広度院 増上寺(→東京都港区芝公園4丁目)の裏鬼門に当たることから江戸幕府からも重要視され、江戸時代まではこの地域一帯の真言宗豊山派の拠点的性格をもつ星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺とされました。満願寺があ...

  • 十社宮(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    十社宮(→神奈川県横浜市青葉区美しが丘西2丁目)は、江戸時代初期に創建された旧石川村鎮守八社の1つで、1868(明治元)年の神仏分離令が出されるまでは十社権現社と呼ばれていました。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』石川村の条には「十宮権現社 見捨地、西の方によれり。」と書かれており、隣接する保木薬師堂と共に別当寺(→神仏習合の時代に神社を管理した寺院)の満蔵院が代々その祭祀を守ってきた...

  • 覚永寺(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    清涼山 覚永寺(→神奈川県横浜市青葉区元石川町)は、安土桃山時代後期の1594(文禄3)年に一向宗門徒の釋専念(→俗名井伊直重)によって建立された浄土真宗本願寺派の寺院です。井伊直重は小田原北条氏の有力国衆である世田谷城主吉良氏に仕えた武士だったようですが、織田信長と石山本願寺との間で行われた石山合戦(1570年~1580年)の際にはるばる大坂(おおざか)まで赴き、一向宗門徒として戦いに身を投じたといいます。1580(天正8)年...

  • 石川不動尊(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    石川不動尊(→神奈川県横浜市青葉区新石川2丁目)は、江戸時代後期の「天保十二戌年 奉造立」(→1841年)と刻まれた石の台座(蓮華座)の上に不動明王像を祀っている茂みの中にある堂宇です。1841(天保12)年は老中首座水野忠邦(みずのただくに)が老中真田幸貫(さなだゆきつら)らとともに天保の改革を開始した年でもあります。石川不動尊と刻まれた石碑や堂宇は比較的新しいものですが、不動明王像はそれなりに年季が入っていて、堂宇の中...

  • 平川神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    平川神社(→神奈川県横浜市青葉区美しが丘4丁目)は、猿田彦尊(さるたひこのみこと)を祭神とする旧石川村鎮守八社の1つです。創建の詳細は不詳ながら、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』石川村の条(→項目)には「山王社 見捨地、村の西にあり、これも南向。」とあり、当時は山王社と呼ばれていたようです。説明板には「往古神猿があらわれて田畑を害すること甚しく、村民一致してその霊を祭ることにより...

  • 東郷神社(東京都渋谷区)を訪問しました

    東郷神社(→東京都渋谷区神宮前1丁目)は、1905(明治38)年5月27日~28日にかけて行われた日本海海戦でロシア・バルチック艦隊を全滅させ、日露戦争の勝利を決定づけた東郷平八郎を祭神として祀る神社です。1934(昭和9)年5月30日に東郷平八郎が86歳で死去すると、全国から海軍省に東郷を顕彰する神社の創立を求める要望書と献金が相次いだといいます。その中に旧岡山藩主池田氏の子孫の池田宣政(のぶまさ)がおり、池田侯爵家が所有す...

  • 稲荷森稲荷社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    稲荷森稲荷社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで、入口谷戸の鎮守であったと伝わります。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』の王禅寺村の条(→項目)には「王禅寺村 小名入口 南の方を云 稲荷社 除地、三畝、村の中にあり、南向、まへ(前)に小なる鳥居をたつ、村持」としか書かれておりませんが、川崎市によりますと当時は「稲荷社」と称し、江戸時代初期に久保倉氏(→...

  • 琴平神社福寿稲荷(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    本日は武州柿生 琴平神社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)の境内社である福寿稲荷についてご紹介いたします。由緒によると、江戸時代後期の1824(文政7)年に関東二十八カ国稲荷総社にあたる群馬県の嬬恋稲荷総社から勧請して五穀豊穣と子孫繁栄を願ったものと伝わります。その後、1846(弘化3)年の再建で「福寿稲荷大明神」と改称し、三座に稲荷大明神・多賀大明神・塩釜大明神を祀ったといいます。琴平神社によりますと、稲荷社・多...

  • 琴平神社儀式殿・摂社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    本日も久しぶりに訪問した武州柿生 琴平神社についてのご紹介です。本日は儀式殿と摂社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺5丁目)についてです。赤い大鳥居があるほうが儀式殿・社務所・参集殿・摂社があり、昨日ご紹介した本殿・拝殿とは「琴平神社」交差点を挟んで対角線上にあります。儀式殿の朱塗りの大鳥居は幅14ⅿ、高さ13ⅿという麻生区内の神社の中でもかなり大きなものです。鳥居に掲げられている神額は香川県金刀比羅宮の宮司の...

  • 琴平神社本殿・拝殿(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    久しぶりに武州柿生 琴平神社本殿(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東5丁目)を訪問しました。赤い大鳥居があるほうは儀式殿・社務所・摂社などがある場所で、「琴平神社」交差点を挟んだ石の鳥居と長い石段を登りきった高台にあるほうが本殿と拝殿になります。江戸時代後期の1826(文政9)年に建立された奥院にあたる本殿と拝殿を含む御社殿は、2007(平成19)年に放火によって全焼しました。本殿の天井には渡辺崋山(わたなべかざん)...

  • 香林寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    南嶺山 香林寺(→神奈川県川崎市麻生区細山3丁目)は、鎌倉五山第1位の臨済宗建長寺派に属する禅刹で、本尊は十一面観音菩薩像で「身代わり観音」とも呼ばれています。寺紋は建長寺と同様に鎌倉北条氏(→建長寺を開基)の家紋・三鱗紋(みつうろこもん)を使用しています。↓↓巨福山 建長寺についてhttps://rashimban1.blog.fc2.com/blog-entry-399.html香林寺は、戦国時代の1525(大永5)年に仙谷山 寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区)の...

  • 細山神明社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    細山神明社(→神奈川県川崎市麻生区細山)は、「神明社」の名前の通り天照大神(あまてらすおおみかみ)を主祭神として祀る神社です。拝殿や本殿のある山の中腹には江戸時代以前の神仏習合時代の名残りを思わせる地蔵尊がいくつも建っています。しかし、それら地蔵尊の多くは首が修復されており、明治時代初期に行われ廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動で破壊された痕跡が見てとれます。社伝によると細山神明社は鎌倉時代初期に創建され...

  • 旧乃木邸(東京都港区)を訪問しました

    旧乃木邸(→東京都港区赤坂8丁目)は、日清戦争(1894年~1895年)や日露戦争(1904年~1905年)を戦い、1912(大正元)年9月13日の明治天皇の大葬の日に自刃(→殉死)した陸軍大将乃木希典(のぎまれすけ)夫妻の邸宅です。乃木坂(のぎざか)に面した乃木公園の中にあり、昨日ご紹介した夫妻を祭神とする乃木神社に隣接しています。乃木希典の略歴は昨日ご紹介しましたので、本日は施設のみのご紹介とさせていただきます。乃木邸は室内には入れ...

  • 稲荷神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    稲荷神社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)にある小さな祠で、旧王禅寺村の鎮守五社の1つである山王社の石段の中間地点の左手にあります。稲荷神社専用の石段もあります。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』の山王社条(→ページ)には「末社稲荷社。本社に並びてあり、小祠なり」と書かれています。江戸時代には山王社の末社として並んで建っていたようですが、現在は山王社の石段の中間地点あたりに朱塗り...

  • 乃木神社(東京都港区)を訪問しました

    乃木神社(→東京都港区赤坂8丁目)は、明治時代の軍人・乃木希典(のぎまれすけ)と妻・乃木静子(のぎしずこ)を祭神として祀る神社で、大正時代末期の1923(大正12)年11月1日に創建されました。旧乃木邸は乃木希典夫妻が明治天皇の大葬の日に殉死する当日まで暮らしていた邸宅で、神社に隣接する場所にある東京都の史跡です。〖祭神〗・乃木希典(のぎまれすけ)・乃木静子(のぎしずこ)〖摂社〗・正松神社……1963(昭和38)年創建。 →乃...

  • 伊勢社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    伊勢社(→神奈川県横浜市青葉区新石川)にある神社で、創建年代は不詳ながら江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』にも記載があり、旧石川村の鎮守八社として古くから信仰を集めていたようです。大日孁貴(おおひるめのむち)、すなわち天照大神(あまてらすおおみかみ)を祭神として祀っています。神仏習合の世界では天照大神は本地(ほんち→本体)である大日如来の垂迹(すいじゃく→仮の姿)とされてきましたが、...

  • 日本水準原点(東京都千代田区)を訪問しました

    日本水準原点(→東京都千代田区永田町)は、水準点(→正確な高さを求める測量を行うため国土地理院が作った高さの基準となる点)の高さを定めるため、明治時代中期の1891(明治24)年に設置されたものです。離島を除く全国の主要な道路沿いに設置されている水準点の高さは、この日本水準点に基づいて水準測量によって決められ、この水準点がその地域において行われる高さの測量基準となります。社会科の地利で地図の読み取りの学習で三角...

  • 日比谷公園(東京都千代田区)を訪問しました

    日比谷公園(→東京都千代田区日比谷公園)は、東京メトロ日比谷駅から徒歩3分ほどの場所にある東京都公園協会が運営する歴史ある公園です。東京ドーム4個分にあたる16.2ヘクタールの敷地には、江戸時代に長州藩毛利氏・肥前藩鍋島氏・盛岡藩南部氏・狭山藩北条氏などの大名屋敷(上屋敷)があり、明治時代にそれらが撤去されて陸軍練兵場になりました。そして明治時代後期の1903(明治36)年に日本初の洋風公園として日比谷公園が開園し...

  • 潮音寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    萬松山 潮音寺(→神奈川県川崎市麻生区高石)は、室町時代中期の永享年間(1429年~1441年)に鎌倉五山第1位の建長寺89世・日峯法朝が開基した臨済宗建長寺派寺院がもとになっていまます。江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』によると、戦国時代に廃寺同然となり、菅(すげ)村の臨済宗建長寺派寺院寿福寺(→神奈川県川崎市多摩区菅仙谷)の末寺になった後、武田氏滅亡後に徳川家康の家臣(御家人)となり高石の地...

  • 比川社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    比川社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで谷戸(やと)の鎮守となっています。江戸時代までは第六天社と呼ばれていましたが、明治時代になり比川社と改称され今日に至っています。境内の石碑には、「當社(→当社)は武蔵国一之宮 埼玉県大宮市 旧官弊社大社氷川神社の御分霊を江戸時代の初期 王禅寺鎮守 産神五社 山王大権現 神明宮 稲荷宮 大六天宮 白山大権現の一社として勧請した 江戸期に...

  • 法雲寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    高石山 法雲寺(→神奈川県川崎市麻生区高石)は、寺伝によると平安時代末期に後白河法皇の皇女である笹子内親王(笹子姫)が鹿ケ谷の陰謀(→1177年に後白河法皇とその院の近臣らが京都東山の僧・俊寛の山荘で平氏打倒計画を立てたが露見し、一味が処罰された事件)で、平清盛(たいらのきよもり)の厳しい抑圧から逃れるために従者とともに武蔵国都築郡の高石に流れ着き、高石村を開いたとされます。笹子姫から無事の知らせが届くと、後白...

  • 高石神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    高石神社(→神奈川県川崎市麻生区高石)は、江戸時代前期の1654(承応3)年にこの地の領主加賀美正吉(かがみまさよし)が創建したと神体の裏に記されていると伝わります。加賀美氏は甲斐武田氏の一族ですが、正吉の父・加賀美正光(かがみまさみつ)は1573(天正元)年生まれなので、1582(天正10)年3月11日に武田勝頼公が滅亡した時には数え年10歳だったことになります。『甲乱記』や『信長公記』に名が記されていないため、織田信長による...

  • 王禅寺山王社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    王禅寺山王社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)は、旧王禅寺村の鎮守五社の1つで、星宿山 王禅寺の鬼門除けに建立された社(やしろ)です。「山王社」は「さんのうしゃ」ではなく「さんおうしゃ」と読みます。1868(明治元)年の神仏分離令以降は日枝神社とも呼ばれています。鳥居の近くには江戸時代の石造の仏像や馬頭観音があり神仏習合時代の名残りも見てとれます。祭神は大山昨神(おおやまくいのかみ→山の地主神)で、江戸時代後期の18...

  • 旧近衛鎮台砲兵之墓(東京都港区)を訪問しました

    旧近衛鎮台砲兵之墓は、明治時代前期の1878(明治11)年8月23日夜に起きた竹橋事件の殉難者(→56名が銃殺刑)を埋葬した合葬墓と供養塔で、青山霊園(→東京都港区南青山2丁目)の端にあります。青山霊園には大久保利通(→紀尾井坂の変で暗殺された明治時代初期の最高権力者)、小村寿太郎(→ポーツマス条約の締結や関税自主権を回復させた明治時代の外務大臣)、加藤友三郎(→大正時代の内閣総理大臣・海軍大臣)、乃木希典(→日露戦争で旅順を...

  • 遊就館(東京都千代田区)を訪問しました

    遊就館(→東京都千代田区九段北)は、靖國神社の境内にある戦争博物館ともいえる施設です。「遊就」とは中国の古典『荀子』勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇(えら)び、遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」が選ばれたものです。本来は高潔な人に交わり学ぶという意味ですが、近代日本(→大日本帝国)が経験した戦争によって命を失った戦没者(→英霊と呼ばれる)の遺徳に触れ、学びの場とするという願いが込められていると思います。展示...

  • 靖國神社(東京都千代田区)を訪問しました

    靖國神社(→東京都千代田区九段北)は、1869(明治2)年6月29日に明治新政府によって建てられた「招魂社」に遡ります。近代国家建設の過程でおきた戊辰戦争(1868年1月~1869年5月)で戦死した官軍将兵の鎮魂とその事蹟を後世に伝えるために明治天皇の発願という体裁で建設されました。1877(明治10)年の西南戦争を経て招魂社は1879(明治12)年6月4日に「靖國神社」と改称されて、現在に至ります。なお、「靖國」とは「國を靖んずる(→国家...

  • 景徳院(山梨県甲州市)を訪問しました

    天童山 景徳院(→山梨県甲州市大和町田野)は、戦国時代後期の1582(天正10)年3月11日に田野合戦に敗れて滅亡した武田勝頼公・同夫人(北条夫人)・武田信勝及び殉難した家臣一同の菩提を弔うため、本能寺の変後、甲斐国の争奪戦(→天正壬午の乱)に勝利した徳川家康が、武田旧臣の小幡景憲(おばたかげのり)を普請奉行に命じて建立した曹洞宗寺院です。武田勝頼公に殉じた小宮山友晴(こみやまともはる)の弟で僧侶の拈橋倀因(ねんきょうち...

  • 稲毛浅間神社(千葉県千葉市稲毛区)を訪問しました

    久しぶりに稲毛浅間神社(→千葉県千葉市稲毛区稲毛)を訪問しました。稲毛浅間神社は、平安時代前記の808(大同8)年に富士山の御神体とされる木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祭神として分霊した神社で、中世の豪族千葉氏の崇敬の厚い神社としても有名です。千葉氏の家紋の1つである九曜紋をかたどった神紋と社殿からも、千葉氏との関係性が窺えます。鎌倉時代を通して下総国守護を務めた有力御家人千葉氏も、鎌倉時代後期から南北朝...

  • 天神宮(千葉県千葉市稲毛区)がありました

    薗生神社本宮から千葉市立柏台小学校に向かう一本道を歩いていたら、「エル シエロ アズール」というマンションの前に天神宮(→千葉県千葉市稲毛区園生町)と書かれた小さな神社(祠)がありました。面白いことに道路に背を向けるように、鳥居や祠がマンションを向いて建てられています。マンションのオーナーが個人的に建てたのでしょうか。燈籠には昭和時代末期の1985(昭和60)年9月、鳥居には1988(昭和63)年11月吉日と刻まれているの...

  • 薗生神社(千葉県千葉市稲毛区)を訪問しました

    薗生神社(そんのうじんじゃ)は千葉県千葉市園生町にある旧園生村の総鎮守で、創建年は不詳ながら現在も園生総鎮守として地元の崇敬を集めています。薗生神社は妙見社の本宮と拝殿がかなり離れた場所にあるのが特徴で、祭神は17柱も祀っています。今回訪問したのは本宮のみです。旧園生村は本宮近くの金蔵院付近にあり、中世には金蔵院裏山に千葉氏が治めていた園生城(そんのうじょう)がありました。薗生神社本宮の主祭神の天之御中...

  • 愛親覚羅溥傑仮寓(千葉県千葉市稲毛区)を訪問しました

    愛親覚羅溥傑仮寓(千葉市ゆかりの家・いなげ→千葉県千葉市稲毛区稲毛1丁目)のある稲毛は、明治時代中期以降、保養地として多くの文人たちによって海岸線(→現在の国道14号線)の松林を中心に別荘や別邸が建てられました。また、国鉄(現在のJR)稲毛駅・西千葉駅・千葉駅周辺は陸軍施設が多くあり、大正時代後期の1921(大正10)年に京成電鉄の稲毛駅が開業して以降、浅間神社周辺には陸軍関係者や政治家の別荘・別邸も多く建てられまし...

  • 松陰神社(東京都世田谷区)を訪問しました

    松陰神社(→東京都世田谷区若林)は、1859(安政6)年の安政の大獄で老中暗殺を企てた罪人として伝馬町牢屋敷(→東京都中央区日本橋)で斬首された長州藩士吉田松陰(よしだしょういん)を祀る神社です。吉田松陰は江戸で松代藩士佐久間象山(さくましょうざん)に師事し、君主の下に万民が結集する一君万民論を説きました。1854(嘉永7/安政元)年のペリー再来の際には下田(→静岡県下田市)で海外密航を企てましたが失敗し、幽閉中に長州萩近...

  • 豪徳寺(東京都世田谷区)を訪問しました

    大谿山 豪徳寺(だいけいざん ごうとくじ)は、東京都世田谷区豪徳寺2丁目にある曹洞宗寺院です。室町時代の1480(文明12)年に世田谷城主吉良政忠(きらまさただ)が創建した臨済宗寺院の弘徳院が前身で、戦国時代に曹洞宗に改宗され、江戸時代前期の1633(寛永10)年に世田谷が譜代大名筆頭の彦根藩主井伊氏の知行地となってからは江戸における井伊家の菩提寺となりました。寺号は2代藩主井伊直孝(いいなおたか)の法号「久昌院殿豪徳天英...

  • 将門塚(東京都千代田区)を訪問しました

    将門塚(→東京都千代田区大手町)は、東京メトロの大手町駅から徒歩3分という一等地に立つ平将門(たいらのまさかど)の首塚と伝わる後世建てられた供養塔です。平安時代前期に父の遺領問題で叔父の平国香(たいらのくにか)を殺害した平将門は、国司と在地領主の所領紛争の仲介をしたため、国衙(→国司の役所)の在庁官人(→役人)と争うようになり、これが朝廷への反逆と見なされたため、939(天慶2)年に平将門の乱を起こしました。将門は常...

  • 神田明神(東京都千代田区)を訪問しました

    「江戸の総鎮守」として名高い神田明神(→東京都千代田区外神田)は、1868(明治元)年の神仏分離令以降正式には神田神社といい、現在でも東京の中心地である神田・日本橋・秋葉原・丸の内・旧神田市場・豊洲魚市場・108町会の氏神として崇敬を集める東京有数の神社です。社伝によると、神田明神は奈良時代の730(天平2)年に出雲一族の真神田臣(まかんだおみ)が武蔵国豊島郡芝崎村(→東京都千代田区大手町)に創建したと伝わります。平安...

  • 神明社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    神明社(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺東)は、琴平神社拝殿の近くにに鎮座さる旧王禅寺村の鎮守五社の1つで、戦国時代に小田原北条氏の家臣であった吉垣氏が創建したと伝わります。江戸時代後期の1830(文政30)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』王禅寺村の条(→項目)にも、神明社・白山社・稲荷森(とうかもり)稲荷社・山王社・第六天社(比川社)の五社が村持ちの社(やしろ)として掲載されています。1559(永禄2)年作成の『小田原衆所領...

  • 江戸城(東京都千代田区)を訪問しました

    江戸城(→東京都千代田区千代田)は平安時代中期の11世紀に秩父平氏の江戸重継(しげつぐ)が館を構えたのが始まりとされます。室町時代の1457(康正3/長禄元)年に武蔵国守護の扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の家宰・太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築城しました。戦国時代には小田原北条氏が扇谷上杉氏を破って武蔵に進出すると、江戸城は1524(大永4)年に小田原北条氏の2代北条氏綱(うじつな)の支配下に入りました。1590(天正18)年7月...

  • 世田谷八幡宮(東京都世田谷区)を訪問しました

    世田谷八幡宮(→東京都世田谷区宮坂1丁目)は、江戸三相撲名所としても有名な八幡神を祀る神社です。創建は平安時代中期の1091(寛治5)年のことで、東北地方の戦乱である後三年合戦(1083年~87年)を平定した源義家(みなもとのよしいえ)が陸奥守(→陸奥国司の最高ランク)を解任されて帰途する際、この地で豪雨に遭い、天候回復をしている間に豊前国宇佐八幡宮(→大分県宇佐市)の分霊を勧請して創建したと伝わります。室町時代の戦乱で社...

  • 國安稲荷社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    神社には都道府県神社庁の管轄下にある神社以外にも個人や企業が創建した神社や祠、海上自衛隊の護衛艦内にある艦内神社など、様々な形があります。久しぶりに訪れてみると、かつてそこにあったはずの神社が忽然と無くなっていたり、宅地造成のために移転していたりすることも稀にあります。私が通っていた小学校の近くにあった神社も跡形なく無くなっていたため、所管の神社庁に問い合わせてみたものの「分からない」とのことでし...

  • 須賀神社(東京都新宿区)を訪問しました

    須賀神社(→東京都新宿区須賀町)は、建速須佐能男命(たけはやすさのおのみこと)と宇迦能御魂命(うかのみたまのみこと)を祭神とする四谷の産土神(うぶすながみ→土地の神とされる)で、「四谷18カ町の総鎮守」と謳われる神社です。もともとは、清水谷(→東京都千代田区麹町)にあった稲荷大明神を祭神とする稲荷社と日本橋大伝馬町(→東京都中央区)にあった牛頭天王(ごずてんのう)を祭神とする牛頭天王社という別々の別当寺(→神仏習合の時...

  • 九段会館(東京都千代田区)を訪問しました

    九段会館(→東京都千代田区九段南)は、1928(昭和3)年11月10日に行われた昭和天皇の即位の礼を記念する「昭和御大礼記念事業」の一環として「軍人会館」の名称で建設された、戦前期に多く見られた屋根が日本城郭風の帝冠様式(ていかんようしき)の建物です。1936(昭和11)年2月27日には前日に発生した二・二六事件(→陸軍皇道派の将校が「昭和維新」を唱えて約1400人の兵士と起こした反乱)を受けて戒厳司令部が設置され、1937(昭和12)年...

  • 東京大学赤門(東京都文京区)を訪問しました

    東京大学本郷キャンパスにある赤門(→東京都文京区本郷)を訪問しました。本郷キャンパスの場所は江戸時代には加賀藩上屋敷が置かれており、赤門の名で知られるこの門はその御主殿門(→御住居表御門とも)でした。もとは15ⅿほどキャンパス寄りの場所に位置していましたが、1903(明治36)年に医科大学創設のため現在の場所に移されたようです。加賀藩上屋敷の御主殿門(赤門)が造られたのは江戸時代後期の1827(文政10)年のことです。江戸...

  • 秋葉大権現(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    秋葉大権現(→神奈川県川崎市麻生区上麻生)は、昨日紹介しました麻生山 浄慶寺の山腹にある神仏習合の名残りと思われる神社です。「秋葉宮」と掲げられた鳥居をくぐると徳川将軍家の菩提寺(→徳川家康の母・於大の方の墓所がある)の一つである無量山 小石川伝通院(→東京都文京区小石川)から移された一対の狛犬が出迎えてくれます。参道脇には七福神の石像や浄慶寺の羅漢像があり、その時々の世相を反映した羅漢像でにぎわう「浄慶寺...

  • 浄慶寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    麻生山 浄慶寺(→神奈川県川崎市麻生区上麻生)は、小田急線の柿生駅から徒歩10分ほどにある阿弥陀如来を本尊とする浄土宗寺院です。安土桃山時代の1584(天正12)年に小田原北条氏の家臣三井左衛門尉(みついさえもんのじょう)が開基し、江戸時代初期の1615(元和元)年に浄慶寺として開山したと伝わります。境内には神仏習合の名残りと思われる秋葉大権現(秋葉神社)もあり、徳川将軍家の菩提寺の一つである無量山 小石川伝通院(→東京都...

  • 十二神社(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    十二神社(→神奈川県川崎市麻生区万福寺)は、小田急線の新百合ヶ丘駅から歩いてすぐの場所にある神社で、江戸時代後期の1830(天保元)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都築郡万福寺村の条には「十二所社」と記されており、江戸時代中期の1711(正徳元)年11月1日に創建され、当時は万福寺村全体で17~18戸ほどでしたが、地元の有力者が資金を出し合って幕末の1851(嘉永4)年9月12日に社殿を再建したようです。現在の万福寺は人口が増...

  • 湯島聖堂(東京都文京区)を訪問しました

    湯島聖堂(→東京都文京区湯島)は、江戸時代前期の1632(寛永9)年に儒学者の林羅山(はやしらざん)が上野の私邸に建てた私塾・文庫・孔子廟(→儒教の祖・孔子を祀る廟)を、1690(元禄3)年に江戸幕府の5代将軍徳川綱吉(つなよし)が神田湯島に移築させ、「聖堂」と呼ぶように改めたものです。孔子廟とともに移転した林家の私塾は多くの門人を輩出し、1797(寛政9)年に幕府の直轄学問所となる昌平坂学問所の基礎となりました。この「昌平」と...

  • 陽運寺と於岩稲荷田宮神社(東京都新宿区)を訪問しました

    江戸時代後期に鶴屋南北が著した『東海道四谷怪談』の主人公お岩さん。自分を毒殺した夫を怨霊となって呪い殺すという江戸時代後期の1825(文政8)年に初演されたこの戯曲はとても有名ですが、夫に毒殺され怨霊になったお岩さんという女性は実在しません。モデルとなった徳川将軍家の御家人田宮又左衛門の娘・於岩(おいわ)さんという女性はいましたが、江戸時代初期の1636(寛永13)年に健気な一生を終えた女性であり、しかも、実際の...

  • 湯島天満宮(東京都文京区)を訪問しました

    湯島天満宮(→東京都文京区湯島)は湯島天神とも呼ばれ、社伝によると古墳時代前期の458(雄略天皇2)年1月に、勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝わります。雄略天皇といえば埼玉県稲荷山古墳(→埼玉県行田市)から「辛亥年(→471年)」「獲加多支鹵大王(→ワカタケル大王=雄略天皇)」と刻まれた鉄剣(→国宝)が出土したことで知られています。この発見により既に発見されていた熊本県江田船...

  • 浅草寺(東京都台東区)を訪問しました

    金龍山 浅草寺(きんりゅうざん せんそうじ)は東京都台東区浅草にある都内最古の天台宗寺院でしたが、戦後に天台宗から独立して聖観音宗の本山となりました。創建は寺伝によると飛鳥時代の628(推古天皇36)年で、本尊は絶対秘仏とされる聖観音菩薩です。それゆえ浅草寺は浅草観音とも呼ばれています。参道には隅田川で漁をしていた兄弟の網に仏像がかかったことが創建につながった逸話や、鎌倉時代に源頼朝が参詣したこと、江戸時代...

  • 宗英寺(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    一抽山 宗英寺(いっちゅうざん そうえいじ)は神奈川県横浜市青葉区鉄町にある釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を本尊とする曹洞宗寺院です。江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』によると、上鐵村の地頭であった加藤権右衛門景正が開基し、僧の仁嶺寅恕が開山したとあります。宗英寺の山号と寺号は開基した加藤景正の法名「大樹院一抽宗英」から採られたものと思われます。仁嶺寅恕は1617(元和3)年に没し、加藤景正は1630(寛永...

  • 金刀比羅神社鎮守堂(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    金刀比羅(ことひら)神社鎮守堂は、神奈川県横浜市鉄町にある一抽山(いっちゅうざん) 宗英寺(→神奈川県横浜市青葉区鉄町)の境内に祀られている神社です。正式には「宗英寺鎮守堂」というそうですが、地元では長らく「金刀比羅神社鎮守堂」と呼ばれています。神仏習合時代の名残なのか、祭神として仏教式の五神が祀られているのが特徴です。〖祭神〗・道了大権現・秋葉大権現・金毘羅大権現・不動明王・白山妙理大権現境内には「萬助...

  • 鐵神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    鐵(くろがね)神社は、神奈川県横浜市青葉区鉄町にある神社で、全国屈指の高校ラグビー強豪校として有名な私立・桐蔭学園のバスターミナルに参道・狛犬・鳥居があり、神社は琴平神社(→神奈川県川崎市麻生区)が管理しているため学園の許可を取らなくても自由に参拝できます。御朱印も琴平神社でいただけます。「鐵」は「鉄」の旧字体です。「由緒・沿革」を記した案内板によると、戦国時代中期の天文年間(1532年~1555年)に創建され...

  • 観福寺(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    宝剣山 観福寺は、神奈川県横浜市青葉区荏田町にある如意輪観音像を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。創建年代は不詳ですが、一説には鎌倉時代初期の1225(嘉禄元)年に印誉という僧侶が開基し、その後衰退したものの江戸時代初期に法印朝寿が中興したと伝わります。江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿」には星宿山 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺であったと記されています。ご住職の話では現在の本堂は...

  • 水天宮(東京都中央区)を訪問しました

    水天宮(→東京都中央区日本橋)は、江戸時代後期の1818(文政元)年に久留米(→福岡県久留米市)藩主有馬頼徳(よりのり)が、三田赤羽(→東京都港区)の久留米藩上屋敷に久留米水天宮を勧請したのが始まりです。1872(明治5)年に現在地に移りました。安産・水難除けの神として崇敬され、都市型の免震構造のコンクリートの箱の上に社殿が建つという首都東京ならではの神社です。祭神には平安時代末期の1185(寿永4)年3月24日の壇ノ浦合戦で入水...

  • 土屋惣蔵片手切(山梨県甲州市)を訪問しました

    1582(天正10)年3月11日午前10時頃、天目山 捿雲寺(→山梨県甲州市大和町木賊)方面を辻弥兵衛と地下人の一揆と織田方に寝返った甘利左衛門尉・大熊備前守・秋山摂津守らに塞がれて、田野村で進退窮まった勝頼公一行の前に、ついに織田軍の先方滝川一益・河尻秀隆の軍勢が鶴瀬から姿を現しました。田野合戦の戦場には、小宮山友晴らが陣城(→防御陣地)を構築した「城作り」が転訛した「四郎作(しろうづくり)古戦場」や、土屋昌恒(まさ...

  • 四郎作古戦場・鳥居畑古戦場(山梨県甲州市)を訪問しました

    「四郎作(しろうづくり)古戦場」と「鳥居畑古戦場」は、山梨県甲州市大和町田野にある武田勝頼公一族が自害する「時間かせぎ」のために勝頼公に従った忠臣たちが最後の抵抗を試みた古戦場跡です。1582(天正10)年3月11日午前10時頃、天目山 捿雲寺(→山梨県甲州市大和町木賊)方面を辻弥兵衛と地下人の一揆と織田方に寝返った甘利左衛門尉・大熊備前守・秋山摂津守らに塞がれて、田野村で進退窮まった勝頼公一行の前に、ついに織田軍...

  • 専修大学黒門(東京都千代田区)を訪問しました

    専修大学(→東京都千代田区神田神保町)は、1880(明治13)年に法律と経済を「専ら修める」ために東京府京橋区銀座(→現在の東京都中央区銀座)に開校した「私立 専修学校」を前身とする創立142周年の伝統を誇る私立大学です。1880(明治13)年の創立時に「経済科(→経済学部)」を日本で一番最初に設置した高等教育機関でもあります。創立には4人の創設者の他に、慶應義塾の創設者である福沢諭吉の尽力がありました。1885(明治18)年に東京府...

  • 駒飼宿(→山梨県甲州市)を訪問しました

    駒飼宿(→山梨県甲州市大和町)は、江戸時代に宿場として栄えましたが、戦国時代の1582(天正10)年3月4日夜明けとともに、武田勝頼公一行は柏尾大善寺(→山梨県甲州市勝沼町)を出発し、笹子峠の手前の駒飼宿の石見某(なにがし)のもとに到着しました。現在は国道20号線となっている大善寺から駒飼宿までの甲州街道沿いや田野古戦場には、後世の人によって創作された「武田不動尊」「日向の宮での軍旗掲揚」「日影の宮での軍旗降下」「鞍...

  • 帯坂(東京都千代田区)を訪問しました

    帯坂(おびざか)は東京都千代田九段南4丁目にある、東京都内に数ある坂道シリーズの一つです。平成時代中頃までは怪談『番町皿屋敷』の伝承地として東京都の公式案内板にも書かれていましたが、現在は案内板が刷新され明確にそれを否定していて面白いと思いますが、これも「創作」であるお岩さんを登場させているので再考が必要と思われます。そもそもの大前提として鶴屋南北の『東海道四谷怪談』も『皿屋敷』も、すべて江戸時代中...

  • 老馬鍛冶山不動尊(神奈川県横浜市都筑区)を訪問しました

    老馬鍛冶山不動尊(ろうばかじやまふどうそん)は、神奈川県横浜市都筑区中川にある旧大山街道沿いにある不動尊です。本堂には大日聖不動明王が祀られています。境内には稲荷社があり、神仏習合のなごりを残しています。本堂に続く石段の脇には「霊泉の滝」と呼ばれる滝つぼがあることから、江戸時代には老馬鍛冶山不動尊は「滝不動尊」とも呼ばれていたようです。とくに江戸時代中期の老中田沼意次(たぬまおきつぐ)政権下の1782(天...

  • 武田神社(山梨県甲府市)を訪問しました

    武田神社(→山梨県甲府市武古府中町)は、1919(大正8)年に武田信虎・武田信玄・武田勝頼公と甲斐武田氏3代の政庁兼居館であった躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡に建てられた武田信玄を祭神とする神社です。拝殿の奥に宝物殿があり、武田二十四将図、復元された孫子の旗(→風林火山の旗)、復元された楯無の鎧などが展示されていますが、その多くが江戸時代に作成されたものや復元されたものでした。「お屋形さまの散歩道」を散策する...

  • 稲荷大明神(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    稲荷大明神(→神奈川県横浜市青葉区すすき野)は、御嶽神社に隣接する神社です。稲荷大明神なので稲荷神が祭神だと思われますが、本殿や社務所はなく祠(ほこら)が2つあるだけです。稲荷神を象徴する狐の像もありません。鳥居は比較的新しいのですが、横浜市立嶮山(けんざん)小学校に通じる道路沿いには「天下泰平」「國土安全」「享和三年(→1803年)」と三猿(→見ざる・言わざる・聞かざる)が刻まれた江戸時代の庚申塔と地蔵尊が並んで...

  • 御嶽神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    御嶽神社(→神奈川県横浜市青葉区すすき野)は創建年代は不詳ながら江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』には「御嶽社」として記載があり、江戸時代より黒須田村の鎮守社として崇敬を集めていました。現在もすすき野・もみの木台・荏子田・黒須田・あざみ野の人たちを中心に正月は初詣の参拝者で賑わっています。戊辰戦争が始まる1868(慶応4)年1月に社殿を再建したようですが老朽化のため、1975(昭和50)年11月に現在の社殿...

  • 大善寺(山梨県甲州市)を訪問しました

    柏尾山 大善寺(→山梨県甲州市勝沼町)は「ぶどう寺」としても有名な真言宗豊山派の寺院です。奈良時代の718(養老2)年に東大寺の大仏造立に貢献した行基が霊夢(→古代や中世の人が信じた夢のお告げ)により感得したという右手に葡萄(ぶどう)を持ち左手で結印した薬師如来と日光・月光菩薩の薬師三尊像を刻み安置したのが創建の由来とされています。奈良時代には聖武天皇から鎮護国家の勅号と大善寺の寺号をもらい、52堂3000坊を数える...

  • 荏田の真福寺(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    養老山 真福寺(→神奈川県横浜市青葉区荏田町)は、千手観菩薩像を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。創建年代は不詳ですが、江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』には1789(寛政元)年にはその存在が記載されています。当時の真福寺は現在地より3.4kmほど北の「観音堂」と呼ばれていた場所に安置されていたようですが、大正時代に寺が老朽化したため千手観音菩薩像と木像釈迦如来立像(→国の重要文化財)などを現在の観音堂の...

  • 菅田天神社(山梨県甲州市)を訪問しました

    菅田(かんだ)天神社は山梨県甲州市塩山にある神社で、創建は平安時代前期の842(承和9)年に、嵯峨天皇の勅命により甲斐国司の藤原伊太勢雄が創建したと伝わります。もともと素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀っていたようですが、平安時代中期の1004(寛弘元)年に都で猛威を振るった「怨霊」とされる菅原道真を祀ったため、これが天神社の由来となっています。鎌倉時代以降は甲斐国守護となった甲斐武田氏の保護を受け、戦国時代には武...

  • 雲峰寺(山梨県甲州市)を訪問しました

    裂石山 雲峰寺(さけいしざん うんぽうじ)は、山梨県甲州市塩山上萩原にある臨済宗妙心寺派の禅刹で、東大寺の大仏造立に貢献した行基が奈良時代中期の745(天平17)年に開基したと伝わります。行基は法相宗(ほっそうしゅう)の僧侶ですが室町時代以前の雲峰寺は天台宗寺院で、戦国時代に恵林寺の末寺となり臨済宗に改宗したようです。本尊は十一面観音像で、戦国時代には甲斐武田氏の祈願所の一つとされました。戦国大名は武運長久や...

  • 法泉寺(山梨県甲府市)を訪問しました

    金剛福聚山 法泉寺(→山梨県甲府市和田町)は臨済宗妙心寺派の禅刹で、鎌倉時代末期の元徳年間(1329年~1331年)に甲斐守護武田信武が開基し、月舟周勲が開山しました。鎌倉時代を通じて甲斐武田氏は鎌倉幕府の最高実力者である北条得宗家(→北条氏の家督)と親しい関係を築いており、鎌倉幕府滅亡後も北条一族や関係者を匿ったりしていました。それゆえ建武の新政では後醍醐天皇に冷遇され、1335(建武2)年7月に信濃で挙兵した北条時行(...

  • 中世の武家文書の様式について

    中世に新しく歴史の表舞台に登場してきた武家も、「下文(くだしぶみ)」や「下知状(げちじょう)」などの貴族たちが用いてきた官文書由来の文書を使用しましたが、その一方で、書状(しょじょう→手紙)に由来する「御教書(みきょうじょ)」などの書札様(しょさつよう)文書も公文書として用いました。ただ、用途には違いがあります。「御教書(みきょうじょ)」とは三位以上の公卿(→貴族のトップクラス)の意志をその家の家司(けいじ→家来)...

  • 大井窪八幡神社(山梨県山梨市)を訪問しました

    大井窪八幡神社(→山梨県山梨市)は、平安時代前期の859(貞観元)年に清和天皇の勅願により宇佐神宮(→大分県宇佐市)の八幡三神を勧請して創建されたと伝わります。当初は笛吹川の中島の大井俣にありましたが、後に現在地に移ったようです。本殿の祭神は下記の三神ですが、摂社の若宮八幡宮には仁徳天皇が、3つある末社にはそれぞれ武内宿禰(→武内神社の祭神)、藤大臣連保(→高良神社の祭神)、宗像三神(→宗像神社の祭神)がまつられてい...

  • 劔神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    劔(つるぎ)神社は神奈川県横浜市青葉区荏田町にある旧荏田村の総鎮守です。「劔」は「剣」の旧字体です。創建年代は不詳ながら江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿』荏田村の条(→ページ)には「劔社」と書かれていて、「村の中央榎木谷にあり、劔明神と号す。当所の惣鎮守なり」とありますので、江戸時代には村民の崇敬を集めた総鎮守として存在していたことが分かります。〖祭神〗・素戔嗚命(すさのおのみこと)当時の荏...

  • 恵林寺(山梨県甲州市)を訪問しました

    乾徳山 恵林寺(えりんじ)は、山梨県甲州市塩山にある釈迦如来像を本尊とする臨済宗妙心寺派の禅刹で、甲斐国の臨済宗の中心的な寺院です。境内には武田信玄の墓や柳沢吉保(よしやす→江戸幕府5代将軍徳川綱吉の頃の甲府藩主)の墓があります。恵林寺の創建は鎌倉時代末期の1330(元徳2)年で、北条高時や足利尊氏など鎌倉時代末期から南北朝時代前期の最高権力者の帰依を受けた夢窓疎石(むそうそせき)が開基しました。戦国時代になると...

  • 1868(明治元)年の信濃国の藩別石高と藩兵の考察

    大名とは?藩とは?江戸時代に、徳川将軍から1万石以上の領地を賜った(安堵された)武士を大名といい、大名の領地とその支配機構を藩といいます。俗に「徳川300藩」などと呼ばれますが、15代将軍徳川慶喜(よしのぶ)が大政奉還(→政権を朝廷に返上)を行った1867(慶応3)年10月14日時点に存在した藩の総数は270藩です。また、その270藩も江戸幕府の創設期から幕末まで同じ大名家で存続していた藩はあまり多くありません。初代将軍徳川家...

  • 芍薬塚(山梨県笛吹市)を訪問しました

    芍薬塚(→山梨県笛吹市)は、武田勝頼公の次男(→周哲大童子)の墓と伝わる史跡です。江戸時代に編纂された『甲斐国志』人物部には勝頼公の次男について、「武性院殿齋理周哲大童子 渡辺嘉兵衛ト云(いう)者ニ歳ノ児(ちご)ヲ保護シテ鎮目村ニ匿(かくま)ル、翌未年三月七日夭(よう)スト云(いう)」と書かれています。戦国時代の1582(天正10)年1月27日に、武田方国衆の木曾義昌(よしまさ)が武田氏から離反して織田信長に臣従したことを皮...

  • 武田勝頼公夫人遺愛の松(山梨県笛吹市)を訪問しました

    ホテル石風(→山梨県笛吹市)には「武田勝頼夫人遺愛の松」と呼ばれる松が植えられています。長篠合戦以降、国力の回復に努めていた甲斐武田氏は北条氏との同盟強化を懇願し、北条氏もそれを受諾しました。数え年14歳の北条夫人(→北条氏康六女)は、1577(天正5)年1月22日に数え年32歳の武田勝頼公のもとに輿入れ(→結婚)しました。北条夫人は甲府の躑躅ヶ崎館(→武田氏の本拠)に入る前に武藤家に宿泊して饗応を受け、その御礼として彼女...

  • 真福寺跡(神奈川県川崎市麻生区)と柿生トンネル跡を訪問しました

    1868(明治元)年に新政府が神仏分離令を発布し、それまでは神仏習合(しんぶつしゅうごう)といい仏教における仏と神社における神は同じものと考えられていました。時代によって本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ→仏が神より上)や反本地垂迹垂迹説(→神が仏より上)の優劣はありましたが、基本的に神社と寺院は同じ場所、あるいは隣接場所にありました。ところが、神仏分離令はそれまで一体化していた神社と寺院を切り離すもので、実質的...

  • 甲斐善光寺(山梨県甲府市)を訪問しました

    甲斐善光寺(→山梨県甲府市善光寺)は、正式には「定額山(じょうがくざん) 浄智院 善光寺」という浄土宗寺院です。創建開始は戦国時代中期の1558(永禄元)年のことで、戦国大名の武田信玄が第3次川中島合戦の折に善光寺(→長野県長野市)の寺宝が越後の上杉謙信に略奪されたことを知り、次の合戦(→第4次川中島合戦)で善光寺が焼失して秘仏等が失われることを恐れ、家臣に命じて善光寺本尊の阿弥陀如来像や寺宝を武田氏の本拠の甲府に移...

  • 泣石(山梨県甲斐市)を訪問しました

    泣石(なきいし→山梨県甲斐市下今井)は、昨日ご紹介した回看塚(みかえりづか)の次に武田勝頼公夫人(→北条夫人)の足跡を残している史跡となります。真偽の程は定かではありませんが、戦国大名の武田勝頼公が、1582(天正10)年3月3日に新府城(→山梨県韮崎市中田町)に火を放ち、家族や家臣とともに郡内国衆小山田信茂の進言に従い小山田領内の岩殿城(→山梨県大月市)を目指して逃避行する際に、兵卒よりも女性のほうが多いこの一行は、夫...

  • 新しいホームぺージを仮アップしました

    コースや本部所在地の変更など、いろいろ不具合があったホームページのリニューアル作業を実施しております。まだ、修正箇所などがあるため仮アップ状態ですので、本アップではないのですが、ほぼ完成に近い状態となりましたので、古いホームページと差し替えて公開することにいたしました。各ページは差し替えがしやすいように全てPDFファイルにしております。お問合せフォームなども、ご利用いただけますので、お気軽にお問合せ...

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らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~
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