chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~ https://rashimban1.blog.fc2.com/

羅針盤ゼミナールの徒然ブログです。当塾の公式マスコットが歴史学の立場から解説を加え、訪問した神社・寺院・史跡などを紹介してまいります。塾の公式ブログですが塾の宣伝は少なめです。

質問やコメントはご自由にお書きください。

西住りほ
フォロー
住所
横浜市
出身
未設定
ブログ村参加

2022/07/12

arrow_drop_down
  • 妙延寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました

    万年山 妙延寺(→神奈川県川崎市麻生区多摩美1丁目)は、江戸時代前期の1620(元和6)年に祐玄という僧が日本橋浜町に開基し、1658(万治元)年に築地本願寺(→東京都中央区築地3丁目)の移転に従い築地に移転したと伝わる浄土真宗本願寺派寺院(→元築地58ヶ寺)です。現在地には1964(昭和39)年から約5年かけて移転したようです。妙延寺は『新編武蔵風土記稿』には記載がありませんが、東京都中央区が刊行した『中央区史』には次のように記さ...

  • 大戸神社(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

    大戸神社(おおとじんじゃ→神奈川県川崎市中原区下小田中1丁目)は、小田原北条氏の治世下であった戦国時代の永正年間(→1504年~1521年)に、北条氏の有力国衆であった世田谷吉良氏の被官内藤内匠之助(ないとうたくみのすけ)が戸隠明神(とがくしみょうじん→長野県長野市戸隠)を勧請して創建したと伝わる神社です。戦国時代、当地には世田谷吉良氏の所領がありました。神仏習合の頃は曹洞宗寺院の福聚山 金龍寺(現在は全龍寺→神奈川県...

  • 安楽寺(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

    向富山 安楽寺(→神奈川県川崎市中原区下小田中2丁目)は、小田原北条氏の統治下の天文年間(→戦国時代の1532年~1555年)の初年に甲斐国出身の高順という僧が、鎌倉時代の仏師湛慶(たんけい→運慶の子)が彫ったという阿弥陀如来像を本尊とする阿弥陀堂を建てのが起こりと記される曹洞宗寺院です。5代目住職の時に相模国徳翁寺の乾室巌隆を招いて寺格を整備しましたが、その後「住僧のうちよからぬ者」がやって来て本尊を失い、客殿など...

  • 善教寺(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

    井田山 善教寺(→神奈川県川崎市中原区井田1丁目)は、小田原北条氏の治世の戦国時代に創建されたと伝わる浄土宗寺院です。寺伝によると、戦国時代の井田郷にあった僧侶の庵から始まり、観音町という所にあった応龍院という観音堂が洪水で矢上村という所まで流され、その巽の方角(→東南)の山の麓に道全という禅門を招いて創庵したといいます。禅門というので創建当初は禅宗(→臨済宗または曹洞宗)だったのでしょう。その後、天台宗寺...

  • 井田三舞稲荷大明神(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

    井田三舞稲荷大明神(→神奈川県川崎市中原区井田三舞町)は、江戸時代後期に徳川家臣・旗本青山甚右衛門の屋敷稲荷として建立された神社です。社殿は欅の権現造(ごんげんづくり)で、龍の彫刻と青山家の家紋「丸に三つ割菊」が配されています。境内は約70坪あり、個人所有の稲荷神社としては区内屈指の広さといえます。現在の社殿は1986(昭和61)年に青山家と地元の有志らによって改修されました。青山甚右衛門は1873(明治7)年に明治政...

  • 井田神社(神奈川県川崎市中原区)を訪問しました

    井田神社(→神奈川県川崎市中原区井田中ノ町)は正式には天照皇大神宮といい、『武蔵国稲毛本庄検注目録』の中に「平治元年(→1159年)御検注定、井田郷鎮守神田三段」と書かれていることから平安時代に創建されたことが分かります。1159(平治元)年は平清盛が源義朝(みなもとのよしとも→源頼朝の父)を平治の乱で破った年でもあります。神仏習合の頃は太神宮といい、天台宗寺院の清林寺 仏乗院 金蔵寺(→神奈川県横浜市港北区日吉本町2丁...

  • 金蔵寺(神奈川県横浜市港北区)を訪問しました

    清林山 仏乗院 金蔵寺(こんぞうじ→神奈川県横浜市港北区日吉本町2丁目)は、平安時代前期の貞観年間(→859年~876年)に清和天皇の勅願により天台座主の円珍(智証大師)が創建したと伝わる天台宗寺院です。最盛期には「東三井寺」(ひがしみいでら→関東の三井寺園城寺)と称され、塔頭23寺を持つ大寺院だったと記されます。中世に火災で衰退したものの、江戸時代には本山・末寺の制により徳川将軍家の菩提寺の1つである東叡山 円頓院 寛...

  • 長円寺(神奈川県横浜市港北区)を訪問しました

    詠永山 長円寺(→神奈川県横浜市港北区高田西5丁目)は、江戸時代の初めに小長谷十郎左衛門の領地であった当地に創建された浄土宗寺院です。小長谷十郎左衛門は『伊豆国君沢郡内浦史料目録』の番所屋敷年貢免許覚書に名が記された旧小田原北条家臣の徳川家旗本です。長円寺はもとは詠月庵という草庵でしたが、1615(元和元)年10月5日に没した初代住職安蓮社尊誉が寺に改めたと記されています。江戸時代の頃は本山・末寺の制により松亀...

  • 塩谷寺(神奈川県横浜市港北区)を訪問しました

    薬王山 光明院 塩谷寺(→神奈川県横浜市港北区高田西4丁目)は、平安時代初期の851(仁寿元)年に文徳天皇の勅命を受け、天台座主の円仁(慈覚大師)が開山したと伝わる天台宗寺院です。寺伝によると、文徳天皇(在位851年~858年)が中宮の病や皇嗣問題に悩んでいた際、円仁が横浜高田の地に湧き出る「霊験あらたかな霊泉」を献上し、天皇がそれを使って儀式を行ったところ中宮の病が治り、惟仁親王(これひとしんのう)に注いだ時に雫が光...

  • 興禅寺(神奈川県横浜市港北区)を訪問しました

    円滝山 光明院 興禅寺(→神奈川県横浜市港北区高田町)は、平安時代の853(仁寿3)年に天台座主の円仁(慈覚大師)が自彫の十一面観音像と勝軍地蔵尊を安置して開山したと伝わる天台宗寺院です。南北朝時代には時の領主であった足利一族の桃井直常(もものいただつね)によって荒廃した伽藍が再建されたと伝わります。神仏習合の頃は興禅寺が別当寺として高田天満宮(→神奈川県横浜市港北区高田西3丁目)の祭祀を司りました。江戸時代には本...

  • 高田天満宮(神奈川県横浜市港北区)を訪問しました

    高田天満宮(→神奈川県横浜市港北区高田西3丁目)は、縁起によると鎌倉時代後期の1325(正中2)年5月25日の夜に申酉(→西)の方角より光物が現れて振動し梅の若木の下に小蛇が現れた奇端を「天神に観音の垂迹(すいじゃく)」とされ、新田義貞の鎌倉攻めに従軍し、南北朝時代にこの地の領主となった足利一門の桃井直常(もものいただつね)が「之を見聞し信心止みがたく遂に」社殿を建立したと記されます。神仏習合の頃は境内に天台宗寺院の...

  • 王禅寺(神奈川県川崎市麻生区)を訪問しました②

    星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)は、平安時代の921(延喜21)年に高野山の無空上人によって創建されたと伝わる、鎌倉北条氏庶流の金沢北条氏(かねさわほうじょうし)と縁が深い真言宗豊山派寺院です。最盛期には禅宗・律宗・真言宗の兼学道場を兼ねて「(関)東の高野山」と呼ばれ、多くの末寺がありました。現在は宅地開発された小山の中でひっそりとたたずむ王禅寺ですが、「王禅寺」と名がつく地名が広域に残る...

    地域タグ:麻生区

  • 奈良町住吉神社(神奈川県横浜市青葉区)を訪問しました

    奈良町住吉神社(→神奈川県横浜市青葉区奈良町)は、江戸時代の1772(安永元)年に地頭石丸藤蔵の寄進を受け、奈良村の村民が欅材を持ち寄って創建し、村の鎮守として祀ったと伝わる神社です。江戸時代には高野山真言宗寺院の摩尼山延寿院徳恩寺(→神奈川県横浜市青葉区恩田町)が別当寺として祭祀を司りました。1921(大正10)年には神饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうじんしゃ)となり、勅令に基づいて神奈川県知事から例祭...

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、西住りほさんをフォローしませんか?

ハンドル名
西住りほさん
ブログタイトル
らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~
フォロー
らしんばん航海日誌 ~探訪という名の歴史旅~

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用