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田端にインドカレーを食べに行った時に赤紙が気になった田端東覚寺へ御朱印巡り。 仁王様の全身に赤い紙を貼り付けて、病気の身代わりを祈願するのが慣わしだそう。 …
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星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)は、平安時代の921(延喜21)年に高野山の無空上人によって創建されたと伝わる、鎌倉北条氏庶流の金沢北条氏(かねさわほうじょうし)と縁が深い真言宗豊山派寺院です。最盛期には禅宗・律宗・真言宗の兼学道場を兼ねて「(関)東の高野山」と呼ばれ、多くの末寺がありました。現在は宅地開発された小山の中でひっそりとたたずむ王禅寺ですが、「王禅寺」と名がつく地名が広域に残る...
龍池山 上珠院 玄国寺(→東京都新宿区高田馬場1丁目)は、安土桃山時代末期の1601(慶長6)年に創建されたものの、その後衰退し、延宝年間(→1673年~1681年)に僧の盛源によって中興された真言宗豊山派寺院です。当初は明王山 聖無動院 宝仙寺(→東京都中野区中央2丁目)の末寺だったようですが、中興後は神齢山 悉地院 護国寺(→東京都文京区大塚5丁目)の末寺に属したと記されます。また、江戸時代には隣接する新宿諏訪神社の別当寺として...
松寿弁財天(→神奈川県川崎市多摩区宿河原6丁目)は、真言宗豊山派寺院の雁三山 正幡院 常照寺(→神奈川県川崎市多摩区宿河原3丁目)が管理する弁天堂です。松寿弁財天は、神仏習合の頃には常楽寺の境内にあり、本堂には幕末期の1858(安政5)年に社水という絵師によって描かれた、「松寿弁才天図」が残されています。ご住職によると、この絵は江戸時代におきた多摩川の洪水をモチーフにしているといい、「洪水によって流された村人が1本...
顕弘山 蓮花院 極楽寺(→神奈川県横浜市緑区西八朔町)は創建年代の詳細は不明ですが、戦国時代に僧の元海が中興開基したと伝わる真言宗豊山派寺院です。元海は1533(天文2)年に死去しているため、中興は武蔵国が扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)の領国であった頃と推察されます。ご住職の話によると、本山の星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の住職の多くが、この極楽寺の住職を経てから王禅寺に入ったとのこ...
西八朔杉山神社(→神奈川県横浜市緑区西八朔町)は、創建年代等は不詳ですが、平安時代前期の927(延長5)年に作成された『延喜式神名帳』(えんぎしきじんみょうちょう→朝廷より官社に指定された全国の神社一覧)に「都筑郡一座杉山名神」と記載され、武蔵国六宮になっていた杉山神社に比定される神社の1つ(→論社)です。現在地には江戸時代前期の延宝年間(→1673年~1681年)に移転したらしく、それ以前は西北300ⅿほどの山麓にあったとい...
光明山 世尊院(→神奈川県横浜市緑区北八朔町)は、江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡北八朔村の条に記載がないため創建年代等は不詳ですが、真言宗豊山派寺院の顕弘山 蓮花院 極楽寺(→神奈川県横浜市緑区西八朔町)が管理する極楽寺別院です。本尊は聖観音菩薩で、江戸時代中期の1732(享保17年)に開創した旧小机領三十三所子歳(ねどし)観音霊場25番となっており、12年に1度、子年の春に開帳されま...
慈眼山 唐仏院 観音寺(→東京都多摩市関戸5丁目)は、鎌倉時代前期の1192(建久3)年にこの地に移住した唐僧が聖観音菩薩を草庵に安置したのがはじまりと伝わる真言宗豊山派寺院です。古くは「関戸観音堂」と呼ばれて信仰を集めたといいます。昨日ご紹介した関門山 地蔵院 延命寺(→東京都多摩市関戸5丁目)と同様に、観音寺でも毎年5月16日に、1333(元弘3)年5月16日の関戸合戦で討死した幕府軍の無縁仏の供養を行っているようです。真言...
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妙見山 不動院 長泉寺(→神奈川県横浜市都筑区北山田7丁目)は、創建の詳細は不明ですが、江戸時代中期の延享年間(→1744年~1747年)に死去した僧の覚推が中興開基したと記される真言宗豊山派寺院です。もとは西不動谷(→神奈川県横浜市都筑区南山田2丁目)にありましたが、江戸時代中期に現在地に移転し、この地の領主河野通有(こうのみちあり→八王子千人同心の1家)から二段五畝の畑を寄進されました。長泉寺は、江戸時代には本山・末...
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岩船山 大智院 高勝寺(→東京都稲城市坂浜)は、胎蔵界大日如来像を本尊とする真言宗豊山派寺院で、南北朝時代後期の1368(応安元)年に僧の鎮海が開山しました。1368(応安元)年は数え年11歳の足利義満(あしかがよしみつ)が室町幕府の3代将軍に就任した年でもあります。江戸時代には本山・末寺の制により真言宗御室派の総本山・大内山 仁和寺(→京都府京都市右京区御室大内)の末寺となり幕藩体制の一翼を担う一方、高勝寺自身も末寺19ヶ...
春日山 医王院 常楽寺(→神奈川県川崎市中原区宮内4丁目)は、奈良時代に行基(→東大寺の廬舎那大仏を造立した高僧)が聖武天皇の祈願所として開基したと伝わる真言宗豊山派寺院です。創建寺の宗派は法相宗であったと思われます。境内からは古墳時代の土師器(はじき)のほか、硬玉製の勾玉(まがたま)などが発掘されているので、古代から信仰を集めていたことが窺えます。源頼朝が伊豆に流罪となる平治の乱が起きたの1159(平治元)年には...
草香山 小沢院 威光寺(→東京都稲城市矢野口)は1643(寛永20)年以前に創建された真言宗豊山派寺院で、1675(延宝3)年に穴澤天神社(→東京都稲城市矢野口)の別当寺となり祭祀を司りました。創建時の本堂は江戸時代中期の火災で焼失し、明治時代初期の1870(明治3)年に改築されました。威光寺は江戸時代の本山・末寺の制により真言宗豊山派寺院の岩船山 大智院 高勝寺(→東京都稲城市坂浜)の末寺として幕藩体制の一翼を担いました。威光寺...
医王山 長楽院 常性寺(→東京都調布市国領町1丁目)は、創建年代は不詳ですが鎌倉時代には「常正寺」という名で多摩川沿いに創建されていたと記される真言宗豊山派寺院です。創建時の宗派は不明です。慶長年間(安土桃山時代後期~江戸時代初期→1596年~1615年)に現在地に移転し、僧の祐仙が成田山 新勝寺(→千葉県成田市成田)より成田不動尊を勧請して真言宗豊山派寺院として中興開基しました。江戸時代には本山・末寺の制により「関...
弘仁山 衆芳院 薬王寺(→神奈川県横浜市青葉区大場町)は、創建年代の詳細は不詳ですが、江戸時代前期に僧の俊誉が中興開基したと記されていますので、創建はそれ以前であったことが分かります。江戸時代には本山・末寺の制により「東の高野山」の異名を持つ星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺として幕藩体制の一翼を担った真言宗豊山派寺院です。王禅寺文書には有名寺院の三ヶ寺に数えられるほど立派な寺で...
雁三山 正幡院 常照寺(→神奈川県川崎市多摩区宿河原3丁目)は僧の法印賢智が創建した真言宗豊山派寺院で、創建年代は室町時代中期の1449(宝徳元)年とも1497(明応6)年とも1557(康正3)年とも言われていますが、法印賢智は戦国時代前期の1502(文亀2)年4月7日に死去しているので、創建はそれ以前であることが分かります。常照寺は、江戸時代には本山・末寺の制により明王山 聖無動院 宝仙寺(→東京都中野区中央2丁目)の末寺で、山号は雁...
稲毛山 廣福寺(→神奈川県川崎市多摩区升形6丁目)は、平安時代の承和年間(→834年~848年)に天台宗の高僧・慈覚大師(→円仁)が、あるいは鎌倉時代初期にこの地の領主稲毛重成(→小山田有重の子、畠山重忠の従兄弟)が開基し、僧の長弁が開山したと伝わる古寺を、江戸時代中期に僧の法印定賢が廣福寺として中興開基した真言宗豊山派寺院です。本堂には木彫の稲毛重成像、境内には稲毛重成の墓と伝わる五輪塔がありますが、これらは後世に...
麻生不動院(→神奈川県川崎市麻生区下麻生1丁目)は正式には明王山 不動院 般若坊といい、室町時代前期の応永年間(1394年~1428年)に第4代鎌倉公方足利持氏(もちうじ)の庇護により創建されたと伝わる真言宗豊山派寺院です。本山・末寺の制により江戸時代後期の1849(嘉永2)年に「東の高野山」の異名を持つ星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺となりました。明治時代末期から毎年1月28日に境内で「だるま...
大杉山 龍福寺(→神奈川県横浜市都筑区大棚町)は安土桃山時代中期の1587(天正15)年に僧の宝宗(→宝相坊とも)が開基した真言宗豊山派寺院です。創建時の宗派は新義真言宗で、「関東の高野山」の異名を持つ星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺でした。もともとの本堂は江戸時代中期の1762(宝暦12)年の火災で焼失し、2年後の1764(明和元)年11月に住職の日栄によって再建されています。以来、1923(大正12)年9月1...
青蓮山 福聚院 慈眼寺(→神奈川県横浜市都筑区中川7丁目)は戦国時代後期の1571(元亀2)年に僧の浄海が開山した真言宗豊山派寺院で、創建時は大徳寺といいました。戦国時代中期の永禄年間(→1558年~1570年)に火災に遭い、現在地に移ったようです。江戸時代には星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺でした。慈眼寺は江戸時代後期の1830(文政13)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』都筑郡大棚村の条に次のように...
岩子山 千手院(→東京都町田市小野路町)は、鎌倉時代初期に小野路に館を構えた小山田有重の2男小山田重義が創建したと伝わる真言宗豊山派寺院です。創建年代は不詳ですが、もとは観音堂で寺号はありません。なお、小山田有重の3男・小山田(稲毛)重成は北条時政の娘婿となり弟の小山田(榛谷)重朝とともに1205(元久2)年6月22日に畠山重忠・重保父子を謀殺する手引きをしましたが、のちに三浦義村らにより殺害されています。大河ドラマ...
初割山 永寿院 東福寺(→神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾町)は、江戸時代には星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺で江戸幕府(→3代将軍徳川家光の時代)より寺領9石5斗の寺領を拝領した真言宗豊山派寺院です。寺紋は王禅寺と同じく「三つ葉葵」で、境内には新義真言宗の始祖・興教大師(こうぎょうだいし)の坐像があります。江戸時代までは先日ご紹介した市ヶ尾杉山神社(→当時は杉山社)の別当寺として祭祀を司って...
稲荷山 光明院(→神奈川県川崎市多摩区登戸)は、もとは星宿山 蓮華蔵院 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺であった、大日如来を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。室町時代後期に僧の源空(誕生年不明~1566年)によって開山され、江戸時代に旗本の河野通良(誕生年不明~1689年)によって中興開基されたと伝わります。江戸時代の度重なる火災によって創建時の堂宇や文書が焼失し詳細は不明です。現在の山門(仁王門)・本堂・...
養老山 真福寺(→神奈川県横浜市青葉区荏田町)は、千手観菩薩像を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。創建年代は不明ですが、江戸時代中期の1789(寛政元)年には現在の荏田宿自治会館の場所にその存在が記されています。大正時代に堂宇が老朽化したため千手観音菩薩像と木像釈迦如来立像(→国の重要文化財)などを現在地に移し、「養老山 真福寺」として山門や本堂などが整備されました。本尊の千手観音菩薩像は平安時代末期に彫られた...
宝剣山 観福寺は、神奈川県横浜市青葉区荏田町にある如意輪観音像を本尊とする真言宗豊山派の寺院です。創建年代は不詳ですが、一説には鎌倉時代初期の1225(嘉禄元)年に印誉という僧侶が開基し、その後衰退したものの江戸時代初期に法印朝寿が中興したと伝わります。江戸時代後期に編纂された『新編武蔵風土記稿」には星宿山 王禅寺(→神奈川県川崎市麻生区王禅寺)の末寺であったと記されています。ご住職の話では現在の本堂は...