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武蔵中原「元祖ニュータンタンメン本舗」卵×ニンニク×唐辛子のクセになる味。
武蔵中原の元祖ニュータンタンメン本舗で、タンタンメンを食べました。辛さが選べるんだけど、1番辛いメチャ辛を選択。具は挽肉、ニンニク、卵、粗挽き唐辛子。パンチがあって、クセになる味。つるモチの中太麺に、溶き卵と唐辛子が絡むー。
武蔵小杉「横浜サンド」朝6時から営業の昔ながらのサンドイッチ専門店。
こんにちは、Mai(@mai_dokuzetsu)です。前から気になっていた横浜サンドに行ってきました。 《横浜サンド》の雰囲気 オープンしている時間にお店の前を通ることがほとんどなく、ずーっと行けていなかったけど…今回やっと! 1997年
武蔵中原「とんかつ武蔵」お酒に合う料理がたくさんのとんかつ屋!日本酒&焼酎も豊富。
ランチタイムはトンカツ定食などを提供していて、ディナータイムはお刺身や、一品料理など小料理屋のようなお店に。メンチカツはとにかくジューシーで、しっかり肉の旨味を感じた。というか、もう肉でした!!
武蔵新城「鉄板酒房 のむら食堂」ねぎ好きにはたまらない!お好み焼きも美味しい!
武蔵新城駅から約5分、お好み焼き・鉄板焼が食べられる「のむら食堂」へ。お店名物の「のむらすぺしゃる」。まず、ビジュアルがすごい。これでもかと九条ネギがのっています。ボリュームもたっぷりで美味しかった。
花屋開業支援の株式会社アマビリス(住所:神奈川県川崎市中原区新城1-2-19、代表取締役:豊田英俊)が、7月22日、横浜地裁川崎支部において破産手続きの開始決定 破産管財人には、瀬沼一成弁護士(市役所通り法律事務所) 事件番号は令和2年(フ)第403号 同社は、2010年1月設立、花屋のフランチャイズとしてウッドランドフェアリーズを展開、開業支援から経営支援を行うほか、直営店として「ウッドランドフェアリーズ…
金属プレス加工のヒロキ産業株式会社(神奈川県川崎市中原区宮内1丁目23-10、代表取締役:桝田基弘)が、5月19日付、横浜地裁川崎支部において破産手続きの開始決定 破産管財人には、高橋慶弁護士(高橋慶法律事務所) 事件番号は令和4年(フ)第300号 負債総額は約3億円 同社は1968年6月創業、カークーラー温度調節部品、金型、オートアクセサリー、自動串刺し機などを制作、食品自動串刺し機「らくさし君」シリーズなど…
目次基本情報御由緒御朱印境内案内参拝を終えて地図基本情報神社名:住吉神社御祭神:大己貴命・天照皇大御神・天津児屋根命・誉田別命・大国主命・須佐之男命・菅原道…
中原区役所保護課(中原福祉事務所) 地図 住所 〒211-8570川崎市中原区小杉町3-245 電話番号 044-744-3184 管轄エリア 川崎市中原区全域 ホームページ 川崎市中原区役所のホームページ 中原区の
JR武蔵小杉駅のようす♪(相鉄東急直通線開業1ヶ月後訪問その2、神奈川県川崎市中原区小杉町)
<日付:2023/4/18:20230418> 相鉄東急直通線(相鉄東急新横浜線)開業1ヶ月後の後追いお散歩現地観察をしました。 2面2線化ホーム増設工事の残工事をしているJR武蔵小杉駅の朝のようす。 3番線増設ホームのようす、上下ホームは分離したのですが、乗換利用の利用者はちょっと歩く距離が伸びたようです、時刻表が様々な行き先を表示します なかなか降車客がはけない、上り線はずっと行列がある感じ。 上りホーム末端のようす、はがせる床板からはがしています。 ホームの増設状況、根本的に品鶴線の容量が足りないので現状では駅ホームの安全対策向上として良かったかと。養父が新鶴見構内北側から大船までの線増…
大栄山 東樹院 多聞寺(→神奈川県川崎市中原区宮内1丁目)は、創建の詳細は不明ですが、天正年間(安土桃山時代→1573年~1592年)に小田原北条氏の家臣石井源左衛門が中興開基したと伝わる真言宗智山派寺院です。石井氏は北条氏滅亡後も当地に残り帰農したようです。もともとは多摩川寄りにあったようですが洪水の被害を受け、現在地に移転したと記されます。江戸時代には龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)...
関蝉丸神社(せきせみまるじんじゃ→神奈川県川崎市中原区上小田中1丁目)は、甲斐武田氏(→1582年3月11日滅亡)の家臣原虎胤(はらとらたね)の末流の原勝久(はらかつひさ)が、1605(慶長10)年に当地を開墾する際に近江国逢坂の関蝉丸神社下社(→滋賀県大津市逢坂1丁目)を勧請して創建したと伝わります。逢坂山に住んでいた蝉丸は、『小倉百人一首』に「これやこの行くも帰るもわかれては 知るも知らぬも逢坂の関」という和歌が収録されて...
相鉄JR直通線の乗り鉄♪(その1、千葉駅から武蔵小杉駅へ、千葉県千葉市中央区新千葉、神奈川県川崎市中原区新丸子東ほか)
<日付:2023/2/27:20230227> この日のメイン訪問地、相鉄JR直通線へ。 まずは武蔵小杉駅へ移動。 JR千葉駅東口のようす 京葉線直通快速上総一ノ宮行きに接続する内房線快速君津行きの案内。 まもなく回送がくるらしい E131系の送り込み回送がやって来ました。 武蔵小杉駅に到着、結構降車客がいます。品川方面からの利用も多いです。 上下線のホームの分離が完成した横須賀線武蔵小杉駅(東京新宿方)、旧ホームは柵設置工事中 鶴見横浜方のようす 移設されたと思われる行き先案内表示器 上りホームの端っこ、上下線でホームの位置にズレがあります。 上りホームの端っこを見たところ 下りホーム先端部…
天輪山 無量院 安養寺(→神奈川県川崎市中原区上新城1丁目)は、戦国時代中期の1567(永禄10)年に僧の宥和が開山したと伝わる真言宗智山派寺院です。1567(永禄10)年は武田勝頼公の嫡子信勝、真田昌幸の次男信繁(→いわゆる幸村)、伊達輝宗の嫡子政宗らが生まれた年でもあります。江戸時代には、本山・末寺の制により龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)の末寺となり幕藩体制の一翼を担い、天満宮(→新城神社の...
大谷山 和光院 宝蔵寺(→神奈川県川崎市中原区上小田中1丁目)は、戦国時代中期の1520(永正17)年に小田原北条氏の有力国衆である吉良氏朝(→世田谷城主)に仕えた原勘解由左衛門勝光(はらかげゆざえもんかつみつ→1606年死去)が開基、僧の法印賢祐(→1533年死去)が開山した真言宗智山派寺院と伝わります。1590(天正18)年の小田原合戦で北条氏に与した吉良氏が滅亡したため、原勝光は上小田中村に移住して帰農し、原氏の祈願所として宝蔵...
正覚山 又玄寺(ゆうげんじ→神奈川県川崎市中原区新城中町1丁目)は、江戸時代中期に旗本で新城村の領主中川重興が開基した臨済宗妙心寺派寺院で、旗本中川氏の菩提寺でした。1590(天正18)年に徳川家康が関東入封したのち、新城村は旗本中川氏の知行地となり幕末までその支配が続きました。中川重興は1645(寛永21/正保元)年の生まれで、母の実家・吉田流弓術の中川重龍(しげたつ)の養嗣子(→家督相続人の養子)となり、弓術のほかにも...
新城神社(→神奈川県川崎市中原区新城中町4丁目)は、創建年代の詳細は不明ですが、「元禄七年九月領主中川左平太重興建立」という棟札が残っており、江戸時代前期(→5代将軍徳川綱吉の頃)の1694(元禄7)年9月に創建されたことが分かります。中川重興は正覚山 又玄寺(ゆうげんじ)を開基とした徳川氏の旗本で、1645(寛永21/正保元)年に生まれ、母の実家・吉田流弓術の中川重龍(しげたつ)の養嗣子(→家督相続人の養子)となり、弓術のほか...
宮内春日神社(→神奈川県川崎市中原区宮内4丁目)は、昨日ご紹介した春日山 医王院 常楽寺に隣接する神社です。平安時代後期の1159(平治元)年から1171(承安元)年の頃、現在の川崎市中原区の宮内から井田の地域にかけて「稲毛荘」と呼ばれる荘園が成立し、荘園の鎮守として「春日新宮」が造立されました。これが宮内春日神社の前身です。近年発見された「武蔵国稲毛本荘検注目録」には「平治元年(平安時代後期→1159年)御検注定、春日...
春日山 医王院 常楽寺(→神奈川県川崎市中原区宮内4丁目)は、奈良時代に行基(→東大寺の廬舎那大仏を造立した高僧)が聖武天皇の祈願所として開基したと伝わる真言宗豊山派寺院です。創建寺の宗派は法相宗であったと思われます。境内からは古墳時代の土師器(はじき)のほか、硬玉製の勾玉(まがたま)などが発掘されているので、古代から信仰を集めていたことが窺えます。源頼朝が伊豆に流罪となる平治の乱が起きたの1159(平治元)年には...
小杉神社(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)は、創建の詳細は残されていませんが江戸時代後期の記録には鎌倉時代末期の1331(元徳3)年の断碑(→壊れた石碑)があると記されているので、鎌倉時代末期には前身の社(やしろ)があったものと思われます。江戸時代に武蔵国橘樹郡小杉村と呼ばれていたこの周辺には、鎮守三社として小杉社・神明社・総社権現がありました。このうち総社権現は江戸時代前期の正徳年間(→1711年~1716年、6...
龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)は創建の詳細は不詳で様々な俗説が伝わりますが、川崎市教育委員会の調査によると室町時代中期の嘉吉(→1441年~1444年)・文安(→1444年~1449年)年間に川崎市宮前区有馬から現在地に移築されたという真言宗智山派寺院です。寺伝では西福寺は鎌倉幕府5代執権北条時頼の創建といいますが、真偽の程は定かではありません。ただし、有馬郷は鎌倉時代には鎌倉北条氏の荘園が...
宝林山 運昌院 泉澤寺(→神奈川県川崎市中原区上小田中7丁目)は、戦国時代前期の1491(延徳3)年に世田谷城主吉良頼高(きらよりたか)が世田谷領烏山(→東京都世田谷区千歳台、旧廻沢町)に開基した自身の菩提寺が前身の浄土宗寺院です。開山は僧の好善と記されます。世田谷吉良氏は武蔵守護扇谷上杉氏(おうぎがやつうえすぎし)の有力国衆でしたが、1546(天文15)年の河越合戦で扇谷上杉氏が北条氏康に滅ぼされると北条氏に従属し、北条氏...
恵日山 成就院(→神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町1丁目)は創建の詳細は不明ですが、江戸時代前期に僧の尊秀が創建した真言宗智山派寺院です。尊秀は江戸時代前期の1662(寛文2)年に死去しているので創建はそれ以前であることが分かります。創建時の本尊は大日如来でしたが、現在は阿弥陀如来となっています。江戸時代には本山・末寺の制により龍宿山 金剛院 西明寺(→神奈川県川崎市中原区小杉御殿町1丁目)の末寺として幕藩体制の一翼...
覚王山 高願寺(→神奈川県川崎市中原区宮内4丁目)は、南北朝時代中期に南朝方の新田・北条軍と北朝方の足利軍との間で鎌倉争奪戦(→武蔵野合戦)がおこり、市内各所でも戦闘が行われました。これらの戦いで死亡した人々を弔うために真言宗寺院の草庵(→後の高元寺)が建てられました。1352(正平7)年に南朝方の新田義興(→新田義貞の次男)・北条時行(→北条高時の次男)らが南朝の征夷大将軍宗良親王(→後醍醐天皇の子)を奉じて鎌倉奪還を目...
上小田中神明神社(→神奈川県川崎市中原区上小田中6丁目)は、神奈川県教育委員会の調査により江戸時代前期の元禄年間(1688年~1704年)から宝永年間(1704年~1711年)に創建されたと推察されます。現在の社殿は明治時代前期の1877(明治10)年に造営、1904(明治37)年に銅板葺屋根へ改修されたもので、神奈川県の有形文化財に登録されています。石造鳥居は太平洋戦争開戦の前年にあたる1940(昭和15)年に建てられました。1877(明治10)年は...
瑠璃光山 薬王院 長福寺(→神奈川県川崎市中原区上小田中6丁目)は大日如来を本尊とする真言宗智山派寺院です。創建の詳細は不詳ですが、過去帳(→故人の俗名・戒名・死亡年月日などを記した帳簿)に戦国時代中期の1554(天文23)年7月18日に死去した良僅という僧侶の名が記されているため、戦国時代には長福寺、もしくは前身となる寺院が建立されていたことが分かります。1554(天文23)年頃のこの辺りは小田原北条氏(→当主は3代北条氏康)...