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戦争遺跡のイメージが強い広島にも、お城の跡がちゃんと残っています。観光に来た人の多くが、原爆ドームや平和記念資料館といった、原爆関連の施設に行く一方で、広島城には注目されにくい現状があります。古くからのこる遺構は、石垣や礎石など、燃えない石材類が中心です。目に見える現存物の少なさが一因かもしれません。今回はそんな広島城にスポットライトを当てつつ、城内の「気になるもの」を探してみたいと思います。それ...
地図と拳 [ 小川 哲 ]→通常の書籍3冊分はあるから腰を据えてかかってくだせえ!
内容紹介(出版社より)【第168回直木賞受賞作】【第13回山田風太郎賞受賞作】 「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野……。奉天の東にある〈李家鎮〉へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。 ひとつの都市が現われ、そして消えた。日露戦争前夜から第2次大戦までの半世紀、満洲の名もない都市で繰り広げられる知略と殺戮。日本SF界の新星が放つ、歴史×空想小説。 【著者紹介】…
*横浜中央市場の一般開放日(第1と第3土曜日)の帰りに、老舗の海苔問屋「つた金」さんに立ち寄りました。店先のパネルにあるように、タレント出川哲朗さんの実家です。てっちゃんの足元に注目してみたら『SMALL3』のサイン__左から出川哲朗、田中裕二、岡村隆史とみましたが、間違いな...
江戸時代後期の天保年間(1830-1844年)ともなると、江戸幕府の体制には大きな 歪みが生じていました。 たとえば、年来の大飢饉のなかで大坂市中に餓死人が続出したのも、その一例で、 それを見かねた元大坂町奉行与力の大塩平八郎(1793-1837年)が当局に救済策を 上申し...
日清戦争 きっかけ・勝てた理由をわかりやすく 楽しい日本史 -近代国家への道-
ロシアの南下を防ぐため朝鮮へ進出しようとした日本と朝鮮を属国にしていた清が衝突した日清戦争。 そんな日清戦争に
*妻の誕生日ランチを荒井屋でささやかに祝いました。そごう横浜店限定の牛ひつまぶし膳をいただきました。ひつまぶしに刺身・茶碗蒸し・デザート付き。美味しゅうございました。 since1895___創業は日清戦争の講和条約(下関)があった明治28年。明治維新はちょん髷がざんぎり頭...
新城神社(→神奈川県川崎市中原区新城中町4丁目)は、創建年代の詳細は不明ですが、「元禄七年九月領主中川左平太重興建立」という棟札が残っており、江戸時代前期(→5代将軍徳川綱吉の頃)の1694(元禄7)年9月に創建されたことが分かります。中川重興は正覚山 又玄寺(ゆうげんじ)を開基とした徳川氏の旗本で、1645(寛永21/正保元)年に生まれ、母の実家・吉田流弓術の中川重龍(しげたつ)の養嗣子(→家督相続人の養子)となり、弓術のほか...
#3784 中垣のとなりの花の散る見てもつらきは春のあらしなりけり
令和5年2月15日(水) 【旧 一月二五日 先勝】・立春・魚上氷(うおこおりをのぼる)中垣のとなりの花の散る見てもつらきは春のあらしなりけり ~樋口一葉(1872-1896)『一葉歌集』Photo:李鴻章(左)と丁汝昌《ていじょしょう》 今日は中国の官僚・政治家であった李鴻章
明治人の顔(日本人の顔) 稲穂を刈る僕の曾祖父・村内栄一の力強い顔
栄光の明治!日清戦争、日露戦争と二度の戦争に勝利した栄光の時代に生まれた日本人の肖像 明治人の肖像(村内栄一) 僕のひいおじいちゃんである村内栄一(むらうちえいいち)のアルバムを見つけました。 感激しました。 今の日本人の顔と違うんです。 まったく表情や精気が違うんです。 ...
3 陸奥宗光 (1844 ~ 1897)3uwl1b~日本を列強諸国に加え外交で苦悩した和歌山の家出少年~ 条約改正で、中学校や高校の歴史教科書で必ず登場する有名人ですね。第二次伊藤博文内閣の外務大臣として活躍し、その鋭い辣腕は「カミソリ大臣」 とあだ名されました。幕末に結ばされた不平等条約の一つである領事裁判権の撤廃に成功しました。関税自主権の一部も獲得した功績は、国民全体に大きく貢献した日本史上の偉...
戦争がどこか遠くの他人事ではなくなったようにやっと感じるようになった今、戦争でおきた悲劇は知っていても、その戦争がなぜ起きてしまったのか、何を巡った争いだったのかを何も知らないことに気がつきました。 第二次世界大戦で原爆が落とされたのは、今からつい77年前の出来事。 海外旅行へ自由にいけて、食べるものにも困らない今の日常は、ほんのつい最近になって手に入った平和な日々なんだと気がつきます。 また日本に住む私たちが目を向けていないだけで、世界中では未だ戦争の絶えない地域もあり、この平和な日常は簡単に崩れ去ってしまうほどに脆いものなのかもしれません。 平和な日々のありがたさに気付いたからこそ、改めて
東郷神社(→東京都渋谷区神宮前1丁目)は、1905(明治38)年5月27日~28日にかけて行われた日本海海戦でロシア・バルチック艦隊を全滅させ、日露戦争の勝利を決定づけた東郷平八郎を祭神として祀る神社です。1934(昭和9)年5月30日に東郷平八郎が86歳で死去すると、全国から海軍省に東郷を顕彰する神社の創立を求める要望書と献金が相次いだといいます。その中に旧岡山藩主池田氏の子孫の池田宣政(のぶまさ)がおり、池田侯爵家が所有す...
1894年(明治27年)7月25日、日清戦争開戦時に東郷平八郎艦長の指揮する巡洋艦浪速がイギリス商船高陞号を撃沈する事件が起こりました。 1. 高陞号事件 高陞号撃沈の図 午前十時、済遠をさがしていた浪速は、べつの目標を発見した。大型汽船で
旧乃木邸(→東京都港区赤坂8丁目)は、日清戦争(1894年~1895年)や日露戦争(1904年~1905年)を戦い、1912(大正元)年9月13日の明治天皇の大葬の日に自刃(→殉死)した陸軍大将乃木希典(のぎまれすけ)夫妻の邸宅です。乃木坂(のぎざか)に面した乃木公園の中にあり、昨日ご紹介した夫妻を祭神とする乃木神社に隣接しています。乃木希典の略歴は昨日ご紹介しましたので、本日は施設のみのご紹介とさせていただきます。乃木邸は室内には入れ...
乃木神社(→東京都港区赤坂8丁目)は、明治時代の軍人・乃木希典(のぎまれすけ)と妻・乃木静子(のぎしずこ)を祭神として祀る神社で、大正時代末期の1923(大正12)年11月1日に創建されました。旧乃木邸は乃木希典夫妻が明治天皇の大葬の日に殉死する当日まで暮らしていた邸宅で、神社に隣接する場所にある東京都の史跡です。〖祭神〗・乃木希典(のぎまれすけ)・乃木静子(のぎしずこ)〖摂社〗・正松神社……1963(昭和38)年創建。 →乃...
遊就館(→東京都千代田区九段北)は、靖國神社の境内にある戦争博物館ともいえる施設です。「遊就」とは中国の古典『荀子』勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇(えら)び、遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」が選ばれたものです。本来は高潔な人に交わり学ぶという意味ですが、近代日本(→大日本帝国)が経験した戦争によって命を失った戦没者(→英霊と呼ばれる)の遺徳に触れ、学びの場とするという願いが込められていると思います。展示...
靖國神社(→東京都千代田区九段北)は、1869(明治2)年6月29日に明治新政府によって建てられた「招魂社」に遡ります。近代国家建設の過程でおきた戊辰戦争(1868年1月~1869年5月)で戦死した官軍将兵の鎮魂とその事蹟を後世に伝えるために明治天皇の発願という体裁で建設されました。1877(明治10)年の西南戦争を経て招魂社は1879(明治12)年6月4日に「靖國神社」と改称されて、現在に至ります。なお、「靖國」とは「國を靖んずる(→国家...
前回は、旧約聖書出エジプト記やヨシュア記に記されている、神様のご指揮によるイスラエル民族の戦いついて書かせていただいた。 今回は、日本人が戦った「太平洋戦争」…
「アジア旅行地ガイド」に「じっくり学ぼう!韓国・朝鮮史4(李氏朝鮮後期)」を公開しました
「アジア旅行地ガイド」に「じっくり学ぼう!韓国・朝鮮史4(李氏朝鮮後期)」を公開しました。 韓国・朝鮮の歴史を…
【日清戦争】 みなさんこんにちは。今日は日清戦争について簡単に書いていこうと思います。 <日清戦争> 別にインスタントラーメン業界の競争というわけではありません(笑) 日清戦争は、1894年(明治27年)から1895年にかけ、日本と清国(中国)との間で行われた。李氏朝鮮と朝...