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江戸時代後期の天保年間(1830-1844年)ともなると、江戸幕府の体制には大きな 歪みが生じていました。 たとえば、年来の大飢饉のなかで大坂市中に餓死人が続出したのも、その一例で、 それを見かねた元大坂町奉行与力の大塩平八郎(1793-1837年)が当局に救済策を 上申し...
幕末に活躍した人物の一部については、その評価が分かれることも少なくない。その行動を肯定的に捉えれば、間違いなく一種の「先駆者/功労者」という評価になるものの、一面ではちょっとばかり首を傾げたくもなる行動も併せて取っているということだ。たとえば、幕末尊王攘
さて、お話は幕末だ。その頃、現在の岐阜県海津市に当たる地域に「美濃国・高須藩」という3万石ほどの小さな藩があった。その藩主・松平義建(よしたつ/1800-1862年)が儲けた男子はなんと10人(つまり長男から十男まで)。ひょっとしたら、ヒメ隊員もその名を耳にしたこと