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徳川家康は晩年に誕生した三人の男子に将軍家に次ぐ地位を与えた。それが、九男・義直(尾張藩)、十男・頼宣(紀州藩)、十一男・頼房(水戸藩)で、いわゆる「御三家」だ。万が一、将軍家に後継となるべき人材がないという事態に陥った場合の備えとして、その際には、この
筆者の生息地・尾張にはこんな言葉があります。 「尾張名古屋は城で持つ」 こんな意味合いだと説明されています。 ~江戸時代に流行した俗謡の一節で、名古屋城を自慢する言葉~ その名古屋城本丸は周りを堀で囲まれており、もう少し丁寧に眺めると、その堀の 外側の位置にニケ所の「金シャ...
<今尾陣屋>の”城門”を巡る-尾張藩付家老”竹腰家”の格式ある陣屋門が移築され残る
只今、城郭建造物の一つであります「城門」(『全国「城門」を巡る』シリーズ)をお届け中です。「城門」については、『全国「城門」を巡る”はじめに”』において、簡単…
今回は近隣にある 石山寺【天台宗】の紹介です。 この寺は自宅より3キロほどの場所にあって、ウォーキングがてら行きました。 寺の開山は寛元年間(1243)その後、延宝4年(1676)尾張藩主の徳川
今日は近隣の 相応寺【浄土宗鎮西派】の紹介です。 場所は現代で言う名古屋市千種区にあって、近隣には末盛城址(※城山八幡宮)もあります。 ここは実際に訪れるまでは恥ずかしながら全く存じておりませ
(写真:尾張徳川家の菩提寺『建中寺』の石碑) 尾張徳川家の菩提寺『建中寺』 初代尾張藩主義直(家康の9番目の息子)の菩提を弔い尾張藩の心のよりどころとするため第二代尾張藩主徳川光友卿が慶安四年(1651)約5万坪の敷地に開山した『建中寺』本日は、ここ尾張徳川家
読者のみなさま、おこんばんわ m(_ _ )m本日もご訪問ありがとうございます。 幸運エネルギーをONにして人生を書換える一生開運アチューメント2800名以上…