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九州ひとり旅 現地日帰りバスツアーでも、ほぼプライベート感漂う✨
2025.3.4-6九州2泊3日福岡・熊本・宮崎💚2日目今日のバスツアーは博多駅(筑紫口)に集合です。(泊まったホテルのある方は反対側の博多口)ベルトラのツアーの方に名前を言ったら、バスの方に案内されました。出発15分前でしたが、もうすでに70%の人が乗車。男性のイケメンガイドさん(ジョン)は、一番前の席を案内してくれました。(マンマひとりの日本人だったので、直接説明をするのに便利)*バスの中からベルトラ福岡発高千穂日帰りバスツアーツアー詳細上色見熊野座神社+天岩戸神社+高千穂峡神話の秘密を探る旅<日月水金土/博多発着>*なんとなく関東の見慣れた景色とは違います。今日行く天岩戸神社は、日本神話で有名な地域です。マンマは日本人なのに、日本のことを知らなすぎるのでちょっと場違いな気もしましたが、↑のツアーに決...九州ひとり旅現地日帰りバスツアーでも、ほぼプライベート感漂う✨
令和七年皇紀二六八五年二月十一日建国記念の日です。各地でイベントなど開催されていたとおもいますけど参加されたでしょうか?ワタシは仕事があったためイベント等には参加できず…残念。建国記念の日本来であれば、もっともっと盛り上げなければいけない日だと思います。だって建国記念の日ですよ!もっと国を挙げてとか都道府県レベルでもイベント開催されてもいいのでは?私たちの国の建国記念の日ですからね。どこかの国の独...
出雲・境港・岡山ツーリングの旅 15 吉備津神社4 鳴釜神事
いや~一昨年の10月から放置しておりました出雲・境港・岡山ツーリングの旅。つづきです。吉備津神社のなが~い、360mの南端にある本宮社。バイクをとめた第一駐車場側の、北随神門。室町中期の再建というその門よりもよほど古そうな狛犬さん達と柱を前に、ちょいと撮影。そこから、「自然の地形そのまま(神社パンフレットより)」に、お山のふもとの勾配にそってゆるやかに上り下りしている廻廊をひょこひょこ歩きまして。随神...
えっと……待って……ちょっと待って……(大混乱中)「最終話ですべてがひっくり返される」みたいなことが予告されていて、どういう意味なのかと思ったら、情報過多すぎていっぱいいっぱいです(汗)雨野さんに事戸..
いやもう今回も二転三転で、毎回がクライマックスかってぐらい目が離せない展開!本当にこれ、あと一回で終われるんですか?前回、月読がああなって、一体どう始末つけるんだと思ってたら、まんまと連行されてる興玉..
■『日本書紀』ゆかりの「天照大神」が隠れた伝説の地『天の岩戸』(三重県志摩市)
目次 1 太陽神『天照大神』が隠れ住まわれた『天の岩戸』 2 『伊勢道路』沿いに天の岩戸への入り口があります 3 気持ちの良い杉木立の山道でアクセス 4 「名水百選」にも選ばれている程水が美しい 5 原初の自然崇拝を感じさせる幻想的な雰囲気 1 太陽神
今回もいろいろ衝撃的な回でしたが、なにはともあれこれだけは叫びたい。芹田さんが死ななくて良かったぁぁぁあああっっっ・゜・(ノ▽`)・゜・いえね、前回の予告で雨野さんが絶叫している場面を「芹田さんが殺られ..
図は、日本書紀の神功皇后から雄略紀までの、百済の毗有(ヒユウ)王に関係する書紀と三国史記などの記事だけを抜粋して表にしたものである。この時期の年代が明確な百済王の記事は、日本書紀では干支二運、120年遡って記述され、雄略紀で実年に合うようになっている。その
ほぼほぼ過去編でしたね。事情を明かした上で、これまでのハイライトシーンを入れてくれる親切仕様がありがたかったです。それにしても、荒波さんの幼馴染な大宜都比売命も全決メンバーの一人だったとは!っていうか..
全領域異常解決室。答え合わせの来週が待ちきれなくて、今日は一話目から見返してましたwwいやあ、ラストマンの時も感じたんですが、この脚本家(黒岩勉)さんって、本当に話の繋ぎ方がうまいと思います。話を跨い..
継体天皇までの年齢と在位期間、及び紀年記事の次の記事との間隔について つくられた万世一系⑸
上図は、推古までの古事記と日本書紀の天皇の年齢と在位期間を示したものです。さらに継体紀までは、日本書紀に紀年で書かれた記事の次の記事の年との差を表したものです。図はクリックして御覧ください。 たとえば、最初の神武は、古事記では137歳、日本書紀では127歳、
「全領域異常解決室」5話目を視聴。……うわあ、やられた!豊玉姫って天孫降臨した瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の息子の嫁で、神武天皇の祖母なのに、なんで敵方なの? ってちょっと疑問に思ってたら、ま さ か ..
光る君へ関係でチェックしていたXユーザーさんが、全領域異常解決室にもハマられていろいろ描かれているのですが。イラストの隅に「荒波警部の幼馴染も神ってる?」とあって、名前を確認したら大月比呂佳さんで料理..
いやなんかもう、ひっくり返しがすごかったですね。このドラマが、匂わせるだけでなく、ここまで超常現象をはっきり表に出してくるとは思いませんでしたよケセランパサラン(最初と最後で明らかに大きさが違う=本物..
天皇崩御年が記紀で異なるのは一人の天皇が複数のモデルで記された可能性 つくられた万世一系⑷
図は、古事記に記された天皇崩御年の干支と日本書紀との対照表。右側に干支の順番の番号をつけて、年差がわかるようにしました。たとえば、崇神天皇は、古事記は戊寅で15、日本書紀で辛卯は28。よって13年も異なることになります。このように崇神から継体まで崩御年が異な
景行紀の不自然に間隔のあいた記事の違和感 つくられた万世一系⑶
群馬県高崎市綿貫観音山古墳武人埴輪 景行天皇も116歳と長寿であるが、古事記ではさらに137歳となっており、偶然なのか神武と同じ年齢になっている。ただ書紀の神武は127歳と違っている。天皇としての在位期間も60年と長いが、開
図は神功皇后紀の百済・中国史書との記事対照年表 百済王の崩御即位記事は、二運120年ずらして神功紀にはめ込まれている。(画像はクリックして御覧ください) 日本書紀の中にあって、奇妙な存在のひとりが神功皇后こと気長足姫尊(オキナガタラシヒメノミコト)である。
継体天皇の年齢がなぜ古事記と日本書紀で異なるのか? つくられた万世一系⑴
1.古代の天皇の年齢は二倍年暦によるものなのか 日本書紀には、神武から天武までの間で、年齢が記載されていない天皇の方が多い。神武からいわゆる欠史八代、さらには応神までは途切れることなく記載されているのに、仁徳から武烈までは不記載が続く。図の書紀の年齢の( )
倭の五王が日本書紀の天皇に比定できない理由 武寧王と倭の五王⑵
宋書倭国伝に記された倭の五王、すなわち、讃・珎・済・興・武を、日本書紀の天皇のことだとし、理由を付けて各天皇に当てはめるということが行われている。しかし、掲げた図にもあるように、倭の五王の在位期間と、天皇のそれは全く一致しないのである。とにかく、近畿の
写真は京都府福知山市三和町大原地区、国道173号線沿いの大原神社に隣接の産屋1、日本書紀にみえる臼を背負う天皇の意味 日本書紀には、景行天皇の二年に皇后が双子を生む記事がある。大碓(おほうす)皇子と小碓(をうす)の兄弟の誕生の逸話だが、小碓が後のヤマトタケル
さて。吉備津神社です。いままであまり出会わなかったウナギの寝床の様な並びの拝殿本殿のならびに困惑しつつ、本殿の屋根に導かれるまま、拝殿左側から境内を散策することにした我ら。祈祷殿よこの階段をのぼれば、見えてきたのは一童社でございます。学問、芸能の神様が祀られ、両側にずらりと絵馬がかけられた「祈願トンネル」が目を引くここでは、それは撮らず、お社(たぶん拝殿?)の鈴部分のみを撮りました。いや~元受験生...
5.神武紀に描かれた猟の民俗―宇陀の血原の意味 神武東征の一場面に、菟田(宇陀)の兄猾(えうかし)と弟猾(おとうかし)を天皇は呼ばれたが、弟だけがやってきて、兄は歓待のふりをして襲撃の準備をしていると報告する。そこで道臣命を遣わして、兄猾を責め立てた。追い
3.火に囲まれた大国主が落ちて助かった穴の謎 古事記には、スサノオによる大国主への試練の一節に野原で火に囲まれてしまう場面がある。 鼠來云「內者富良富良、外者須夫須夫」如此言故、蹈其處者、落隱入之間、火者燒過。 鼠来て曰く、「内はほらほら、外はすぶすぶ」
阿蘇山の南側にある上色見熊野座神社へ来ました。 こちらのご祭神は ・伊邪那岐命 ・伊邪那美命 ・石君大将軍 です。 石君大将軍は健磐龍命と呼ばれる阿蘇の神様で、その荒魂(神道では神の霊魂が持つ側面のうち荒々しい面で、優しさの側面を和魂(にぎみたま)というそうです)を祀っているそうです。 ここは参道がとても神秘的で、左右には100以上の灯篭が並んでいて、まるで異世界への入り口のような雰囲気です。 登り坂と階段はけっこうありますが、頑張って登ってみます。 足元はコンクリートで綺麗に整備されていますが、所々に元々あった昔の石が顔を出しています。 どうですか? この厳かな雰囲気。 真ん中らへんにはまた…
シュメル神話と保食神(ウケモチノカミ)の語呂合わせ シュメルと記紀神話⑴
大いなる女神(左)に拝謁する若い植物女神(右) 山型の椅子に座るニンフルサグ女神は両肩から植物が芽生え、手に穀物の穂を持つ。(円筒印章印影図 アッカド王朝時代BC2334~2154) シュメル神話について書かれた『シュメル神話の世界』には、日本の神話との類似が見
上図の韓半島の地図は5世紀後半から6世紀初めの加耶の範囲を示したもの。 古代の韓半島には、金官加耶、安羅、大加耶といった複数の国々をまとめて加耶と呼ばれる国がありました。百済と新羅の挟撃に遭い、6世紀半ばには新羅によって滅亡してしまいます。 日本書紀では
さて。平濱八幡宮から3.5キロ。たどり着いた二つ目のお社は、揖屋神社。松江市東出雲町にある古社です。出雲のお社はどれもこれも風雅典雅古雅な佇まいを見せてくれますが、このお社もしぶい。まず、この地にいつ建てられたのか分からないというのが、渋いじゃぁないですか。え~神社の公式HPによりますと、『古事記』神代巻かみよまきには「伊賊夜坂(いふやざか)」についての記述があり、『日本書紀』齊明天皇五年(659年)の条...
さて。保久良神社のある金鳥山をくだり、御朱印を頂ける鷺宮八幡神社へ。阪急岡本駅から徒歩数分の、住宅街の中にあるだけにお社はちいさいですが、すこんと抜けた青空がよく似合うお宮さんです。御祭神は天照さんに八幡さん、春日さんと大御所がきて、熊野神社から熊野大神と高倉下命も来てらっしゃる。んん?高倉下命って誰よと調べたらば、天照さんの息子さんの天忍穂耳命の次男坊・饒速日命の、息子さん。つまりは天照さんのひ...
【ヒノカグツチ(火之迦具土神)】イザナミの死因となった防火の神【ヒーローレビュー第13回】
日本神話で有名なイザナギとイザナミ。この女神であるイザナミの死因となってしまったのが今回ご紹介する神様、ヒノカグツチです。 さぞかし荒々しい神様かと思えば、実はそうでもない、というよりも、何もしていない。少し可哀そうな神様かもしれないんです
【イザナミ(伊邪那美)】新婚さんが離婚をするまで【ヒロインレビュー第32回】
今回は日本神話の中でも知名度はトップクラスと思われる女神様、イザナミノミコトについてです。 日本神話は主に『古事記』と『日本書紀』という二つの歴史書によるところが大きいのですが、この二つ、微妙に細部が違っているのですよね。ですのでより細かな
型吹亀甲文紺色坏 慶州天馬塚 6世紀 類例は4世紀頃の東地中海から黒海周辺、南ロシアなど広く分布しているが、東アジアでは唯一の出土例とのこと。 『ユーラシアの風新羅へ』より 日本書紀は、古代の情報が豊富に綴られた重要な書物である。しかし、その記述には、様
はい、月讀(読)神社です。壱岐の島でとれる魚を堪能し、お土産もしっかり買った後はいずこかに感謝のひとつもささげねば。バスガイドやドライバーさん。そしてもちろんこのツアーを引率してくださっている添乗員さんに、サーヴィスを受けるたびに店員さん達にも感謝をささげています。さらに壱岐の神さんたちにもご挨拶と感謝をすれば、万全ではないでしょうか?じつはこの月読神社さん。ツアーの行程に入っていませんでした。だ...
はいはい、須佐神社からバイクをかっ飛ばして約50分。47.1キロ先にあります玉作湯神社にやってまいりました。や~スマホナビとタンクバイク様さまです。ツーリングやドライブをよくされる方ならご存じのように、日本の道って、標識が連続してないですよね。だからナビゲーションシステムが必須ですが、バイクの場合はメーター近くに専用の器具で固定していない限り、時折路肩に停めてスマホをだしてナビを確認。なんてことをしてい...
出雲・境港・岡山ツーリングの旅 6 須佐大宮(神社)と天照社
あ、さて。出雲二日目。昨日はツーリングの疲れ+美味しい酒と肴+ホテルご自慢の風呂でぐっすり眠りましたので、爽快な目覚め。須佐神社へリベンジと行きましょう。昨日はだんだん暮れていくお空の下参りました道を、朝日に照らされながら爆走します。おぉ昨日は見過ごしましたが、こんな看板が須佐神社の駐車場にはあったのね。うん。昨日も思ったけれど、この手水場は趣深いですなぁ。この竹のひしゃく、神社の特注かしら?おっ...
しつこいですが何度でも。出雲大社は広いです。ほけほけふえぇと境内をめぐっていれば、あっという間に時間がたち、疲労もたまり。大国主さんに別れを告げたはいいものの、あぁ二の鳥居までが遠い。三の鳥居の横道をたどれば、バイクを停めている駐車場までショートカットできそうだけれど、それでは神門通りを散策しづらい。ならば歩こう。松の参道、こんどは左側の道を進み、鳥居をくぐり、素鵞川にかかる祓橋をわたり、祓社にも...
対馬・壱岐 島めぐりの旅の更新をだいぶさぼっているのですが。先日、出雲~境港~岡山と二泊三日でツーリングしてきましたので、そっちの旅を先にご紹介しちゃおうかな~と。楽しかったからね。いや対馬ももちろん楽しかったんだけれどね。記憶の新しいのを先にやりたくなるよね。というわけで、しばしお付き合い頂ければ幸い。****我が家ちかくのインターから高速に乗り込み、まずは勝央で小休止。今回の装備はこちら。前回のバ...
あぁ。あれに見えるは一の鳥居。宇迦橋の大鳥居か。たぶんわたしはこの写真をとったあたりでバスをおりたのかな?もしかしたら「参拝の心得」に書いてある鳥居をふたつぶっちして、出雲大社バスターミナルあたりで下車、4つある鳥居の最後、銅の鳥居だけくぐってお参りしたのかもしれない。 まったく覚えていないけれど。 なにせ出雲大社、広うございます。古代出雲歴史博物館(今回は時間の関係で行かず)前の駐車場か...
あ、さて。腰を高々と上げた女豹のポーズでこんにちは。これなるは須佐神社(須佐大宮)のお向かいにある天照社の狛犬・阿さんです。こちらが吽さん。こちらも人体でやったら確実腰を痛めそうなポーズですね。我が家の猫たちも時々やってますが、狛犬では初めて見ました。で。こちらがお二人の守っている天照社。木立の奥にちんまりと鎮座されています。拝殿と呼んでよいのかな?と思いたくなる、大人5人並べばぎゅうぎゅうの小屋...
2.スサノオから試練を受けるオホナムヂ(大国主) オホナムヂが大国主神として成長する物語について、次のような解説がある。「蛇やムカデ、蜂の室に入れられ、さらに野火攻めに遭う話は、成年式儀礼として若者に課せられる苦難と試練とを、神話的に語ったもの」(古事記
モーツァルト晩年の傑作オペラである『魔笛』(初演1791年)は、楽曲そのものの評価とは別にその物語には矛盾があるとか、善悪が途中で逆転するといった批評がある。なんでも作者のシカネーダーとモーツァルトは共にフリーメーソンに加入しており、その教義が筋書きに使わ
3.英雄叙事詩『ベーオウルフ』と古事記の国譲り譚 多ケ谷氏によると、『古事記』国譲り譚では、①外来の英雄神(タケミカヅチ)が②土地の神(タケミナカタ)と③素手の闘い(力競べ)をして、④土地の神の手に損傷を与え(一説では手を抜き取り)、⑤そのため土地の神は湖
1.国譲り譚のタケミカヅチ(建御雷)とタケミナカタ(建御名方)の奇妙な戦い 古事記では国譲りを迫るタケミカヅチに、大国主の二番目の子のタケミナカタが戦いを挑む一節がある。しかし威勢よく現れたタケミナカタだったが、腕が剣に変わったタケミカヅチにたちまち怯んで
1.高句麗好太王碑文解釈の問題点 同碑の内容でよく注目される記事が、 「而倭以辛卯年來,渡海破百殘,□□新羅,以為臣民」である。 「倭は辛卯年を以て来たり、海を渡りて百残を破り、(東)のかた新羅を□して、以て臣民と為せり」といった釈読がされてきた。判読不明
1.天孫降臨のカラクニ 以下は古事記の天孫降臨の一節。 「向韓國(からくににむかひ)眞來通(まきとほりて)、笠紗之御前(かささのみさき)而、朝日之直刺(たださす)國、夕日之日照國也」 古田武彦氏の解読では、「真来通り」はまっすぐに通り抜けているという感じ
古代において、常識では考えにくい年齢が語られるケースでは、現在の半年の期間を一年でカウントしていた場合があって、天皇の長寿も本当はその半分が実年齢であると考えるのが、二倍年暦である。ただ説明しにくい二倍を超える年数をなんでも倍数で説明するのは、無理があ
記紀などの語る渡来人の記事では、百済、高句麗からの渡来が目立ち、新羅についてはあまり目立たないことが指摘されている(田中2013)。また秦氏の記事はあっても、政治の中枢部での活躍はあまり見られない。こういったことから、記紀は、渡来系移住民の「倭」全体の動向
天智(中大兄)と鎌足の関係は、金春秋と金庾信の関係がモデルだった。 つくられた乙巳の変⑸
1.二人の出会い以外にも参考にされていた。 新羅武烈王の金春秋(603~669)は654年に王に即位しているが、647年に人質として来日し、百済征討の支援をもとめるもかなわず、翌年には唐に渡って派兵を要請している。後に百済を滅ぼし朝鮮半島統一の基礎を固めた。后の文姫は
新潟県糸魚川市長者ヶ原考古館展示品の井の上遺跡からの出土で、男女の文様が描かれた土器です。糸魚川市と上越市のおよそ中間の海岸近くの舌状台地に広がる縄文中期から古代の大規模な遺跡でした。土砂崩れなどで多くは破壊されて住居址らしいものは見当たりませんが、