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古代において、常識では考えにくい年齢が語られるケースでは、現在の半年の期間を一年でカウントしていた場合があって、天皇の長寿も本当はその半分が実年齢であると考えるのが、二倍年暦である。ただ説明しにくい二倍を超える年数をなんでも倍数で説明するのは、無理があ
英雄マナスの伝説における二倍年暦の場合の、一か月の日数の問題
英雄マナスを語るキルギスの老人(ウィキペディア)1.英雄の異常出生譚 以下は「シルクロードの伝説」のキルギス(柯爾克孜)族の男、マナス(瑪納斯)のお話。 はるか昔、ジャケップ(加庫甫)夫婦は百歳にもなるのに子がなかった。ある年、妻の
天皇の言葉を信じて八十年も待った女性の説話の意味 不自然な年数のある説話も、二倍年暦で自然に理解できる。(その1)
古事記や日本書紀では、天皇の年齢が百歳を超えるといった記述がいくつもあり、古代の天皇は長寿だったのか、などと言われますが、それはありえないといえるでしょう。これも魏志倭人伝の記事と同様に、古田武彦氏の提唱された二倍年暦とすると不自然な年齢ではなくなりま
三十年も泣いてばかりいる誉津別命(ホムツワケノミコト) 不自然な年数のある説話も、二倍年暦で自然に理解できる。(その2)
2. 三十年も泣いてばかりいる誉津別命 日本書紀の垂仁天皇二十三年秋九月の記事。天皇暗殺をもくろんだ狭穂彦(サホヒコ)の妹で垂仁天皇の皇后である狭穂媛が生んだ皇子の誉津別命は、三〇歳にもなっているのに髯も長いのに泣いてばかりいてしゃべれない。困った天皇が
狭穂彦王のセリフ、「枕を高くして百年を終える」という現代語訳の疑問 不自然な年数のある説話も、二倍年暦で自然に理解できる。(その3)
3. 狭穂彦王のセリフ、「枕を高くして百年を終える」という現代語訳の疑問 次は、日本書紀の垂仁天皇紀の狭穂彦王と妹の狭穂姫が、天皇殺害を企てるも果たせずに自分たちの身を亡ぼすという顛末の説話。妹に対して、狭穂彦王の次のような台詞がある。 「必與汝照臨天