メインカテゴリーを選択しなおす
京都旅⑤≪超 国宝-祈りのかがやき-奈良国立博物館特別展≫✨
京都旅記録第⑤ なんで京都旅で奈良、なのか… 実は旅に出る少し前に知ってしまったのだ。 『奈良国立博物館』では今年130周年を記念して、『超 国宝ー祈りのかがやきー』と題した特別展をやる。同一会期で『京都国立博物館』でも特別展『日本、美のるつぼ展』が開催される、というニュースを… 開催期間は、4月19日~6月15日まで。(本日を含め残すところあと9日間❗💦) 京都に行くなら『京都国立博物館』へ行けばあ❓と思うところだが、目を付けたのは国宝『七支刀』のこと。 『神功皇后』の逸話から、百済から送られたという『七支刀』が気に掛かり、前に奈良を訪れた際に『石上神宮』に行こうと思ったが日程の都合で行け…
2025年5月22日に七支刀のCT解析結果がニュースになった。七支刀は百済と日本が初めてお互いの存在を認識し同盟を結んだ際に百済から日本に送られたとする解釈があり、今回の結果はそれを裏付けたものとなった。 七支刀の年代解釈 日本書紀では神功52年西暦252年に百済から七支刀がもたらされたとの記事があり、120年繰り下げる紀年論からは西暦372年のこととなる。 また神功55年西暦255年の百済の肖古王崩御は百済の記録から西暦375年と確定する。 このため、百済から我が国への七支刀贈答を西暦372年とするのが定説となっている。 七支刀の銘文冒頭の年号について泰?四年とあり、東晋太和四年と解釈すると…
読者のみなさま、おこんばんわ m(_ _ )m本日もご訪問ありがとうございます。 たった一度で一生開運神仏融合アチューメント3,600名以上の実績逢うだけで運…
七支刀については、埴輪の例もあるように、鹿角をモチーフにした霊剣であったと考えるが、ではその霊剣がどのように倭国にもたらされたのか、百済との関りで私見を提示したい。1.銘文の一般的な解釈表 泰和四年十一月十六日丙午正陽造百練銕七支刀出辟百兵冝供供侯王□
上図は、三重県松阪市の宝塚古墳の船形埴輪、下は京都宇治市の庵寺(あんでら)山古墳の衣笠型埴輪 両者の特徴ある形状には共通点があるという。 古墳には周囲を取り巻くように円筒埴輪が置かれていることが多いが、その要所要所に衣笠(蓋)型埴輪が据えられていること