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「弥生時代中期前葉~中葉(紀元前4~前2 世紀)集落が大きく広がり、南居住域と北居住域、東墓域と西墓域など、集落の基本的な配置が定まりました。北居住域の南側には、環濠・逆茂木・乱杭等からなる強固な防御施設が築かれました」 上記は、あいち朝日遺跡ミュージアム
『何が歴史を動かしたのか』(雄山閣)所収の、藤田三郎氏の「唐古・鍵遺跡と清水風遺跡の絵画土器」についてふれさせていただく。⑴防御面が強調される弥生環濠の役割への新解釈 既に藤田氏は『ヤマト王権誕生の礎となったムラ 唐古・鍵遺跡』(2019)において、大規模な多
弥生土器の船絵に描かれた櫂の支点となる輪(カイビキ) 岐阜県大垣市荒尾南遺跡絵画土器の半円形弧線
『何が歴史を動かしたのか 第二巻』所収の、深澤芳樹氏らの「荒尾南遺跡の船絵に付属する半円形弧線について」にふれてみたい。1.弥生時代の櫂に支点を設けた漕法の表現 何やらムカデのようにも見える弥生土器の線刻絵画だが、その櫂の船べりに半円形が描かれている。言わ