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2019.11.11 それはガラスだったかもしれない ―御即位記念 第71回正倉院展―
今月末から第76回正倉院展が開催されます。それに合わせて、私もこのブログで日間6日間、正倉院展の特集を始めます。寧楽の都は秋が最も似つかわしい季節、1300年前の記憶、紐解く錦秋の季節なのです。 Ⓒ奈良国立博物館 2019年11月11日、「
2020.8.7 よみがえる正倉院宝物 再現模造にみる天平の技
Ⓒ奈良国立博物館 2020年8月7日、奈良国立博物館まで出向きました。お目当ては開催中の特別展御大典記念「よみがえる正倉院宝物 再現模造にみる天平の技」。 主人は仕事でしたので息子とふたり、曇天で風も吹く、耐えられる暑さの奈良の空の下、だか
2020.10.24 いざ魔を討ち破らん! ―第72回正倉院展―
Ⓒ奈良国立博物館 2020年10月24日、第72回正倉院展、開幕。17時からの観覧予約、夕食のブイヤベースを作ったのが失敗、近鉄奈良駅着が16時45分!息子と小走りで奈良博へ向かい、着いたのは16時55分! 規約で、観覧時間の30分前からし
11/4(月)第76回 正倉院展へ行ってきた。今や奈良の秋の風物詩コロナ禍になった頃からか、混雑を避けるため事前に予約しチケット購入しないといけなくなったので、ぷらっと奈良に来て、おー、やってるー観てく??みたいなことは出来なくなったが、大抵の人は、今年は何が出てくるんだろう・・・とわくわく心待ちにしている人が多いから、事前予約になっても、それこそ混みこみでお宝の前まで行けない!!みたいな以前の感じより...
2021.10.30 1300年前から届いた手紙 ―第73回正倉院展―
Ⓒ奈良国立博物館 2021年10月30日9時、第73回正倉院展開幕。8時30分に奈良国立博物館に到着。もっと早くに来られている方もいらっしゃるはず。でも、1時間に500人の入場制限をかけているので、混むことはない。 私はのんびりゆったり鹿に
2022.11.10 とりむしけものくさきはな ―第74回正倉院展―
Ⓒ奈良国立博物館 2022年11月10日9時、第74回正倉院展に行きました。平日なので、息子は学校です。昨年はトチ狂って開催初日のしかも開始時間に参加して、えらい目に遭いました。もう二度と開催初日には行かない、ましてや開始時間なんかに。 先
2023.11.10 Twilight Museum ―第75回正倉院展―
Ⓒ奈良国立博物館 2023年11月10日、第75回正倉院展のレイト割で、18時前に奈良国立博物館へ入館。初めてのナイトミュージアム観覧です。金曜日の黄昏時、10分も待たずに入館できました。 Ⓒ奈良国立博物館 コロナ禍も収束したとして、今年の
これからおよそ1か月に渡り、寧楽の都の訪問記を転載します。2024年も残すところ2か月あまり。それまでに、閉鎖したブログの記事を移行し終える予定。これも私の「人生やり残したリスト」の一環で、達成も確定したかと。安堵と満足です。 2017年1
当時の太政官は、藤原仲麻呂の上位に外伯父の橘諸兄及び、実の兄、藤原豊成が、左右の大臣として、並んでいた。 藤原仲麻呂は、兄の豊成を中傷するための機会を窺って…
729年(天平元年)、藤原光明子は、皇后に立てられると、家政機関として、皇后宮職が、設置された。 749年(天平勝宝元年)、孝謙天皇の即位後、光明皇后は、皇…
藤原広嗣の乱の最中、聖武天皇は、突然、伊勢国、美濃国への行幸を始め、平城京には、戻らないまま、恭仁京へ遷都を行った。 恭仁京は、山背国相楽郡に位置しており、…
9月4日、聖武天皇は、朝廷に出仕していた、隼人24人に従軍を命じる。 9月5日に、佐伯常人・阿倍虫麻呂が、勅使に任じられた。 朝廷からは、伊勢神宮へと幣帛が…
前述の通り、橘諸兄の父、敏達天皇の曽孫、または、別説では、五世孫の美努王とされる。 諸兄の母は、県犬養三千代、即ち、橘美千代である。橘美千代は、美努王との間…
730年(天平二年)9月に大納言の多治比池守、天平3年(731年)7月に大伴旅人が、死去して、高齢の中納言の阿倍広庭を除くと、知太政官事の舎人親王の下にて、…
チケットをいただいたので、10月11日(金)に行ってきました。今回は1枚だったので仕事帰りに1人で。金曜日は19時までの開館なのです。遅くまで開館しているからか、多くの人がいました。やっぱり目玉はチケットにもなってる若冲でしょうか。鳥獣花木図屏風は以前に上野で観ましたが、何度観てもいい♪ミュージアムショップでマスキングテープが完売になってたのが残念です。こういうのって追加ないんですよねー在庫になるわけないか...
同年、聖武天皇は、元号を「神亀」から、「天平」に変えている。 729年(天明元年)は、天候の不順が続いて、天変地異が、頻繁に発生したため、聖武天皇は、自身の…
729年(神亀六年)2月、左京の人で、従七位下の漆部造君足及び、中臣宮処連東人が、長屋王の謀反を密告した。 朝廷は、その夜の内、使者を派遣して、不破関・鈴鹿…
~誰も読まない自費出版の本を売りさばかさせる退職校長~ 「大川原さん、本1冊買ってくれんかのう?」・・・「えっ?どれですか」・・・そこには本を十数冊抱えた教頭が立っていました。 僕が平成初期に勤めていたⅮ中学校の男子更衣室での出来事です。 本の題名は「これからの○○教育」。教員向けのものでしょう。手に取って少しページをめくってみました。著者名を見てピンときました。僕も知っていた退職校長の名前だったから...
藤原武智麻呂は、太政官の席次で、弟の房前の上位となり、藤原氏の中心的存在となる。 一方、前述の通り、同年10月、元明上皇は、死の床にて、右大臣・長屋王と共に…
#4364 いにしへゆ人の言ひける老人の若変といふ水ぞ名に負ふ瀧の瀬
令和6年9月16日(月) 【旧 八月一四日 先負】白露・鶺鴒鳴(せきれいなく)いにしへゆ人の言ひける老人《おいひと》の若変《をつ》といふ水ぞ名に負ふ瀧の流れ瀬 ~大伴東人《あづまと》 『万葉集』 巻6-1034 雑歌これが昔から言い伝えられている老人を若返らせるという、
天皇の座を奪う野望を抱かず陰で支える藤原不比等の戦略はその後400年続く藤原氏繁栄の礎となる。
二官八省五衛府 645年大化改新(乙巳の変)専横きわめる蘇我入鹿(そがのいるか)から政権奪回のため中大兄皇子と藤原氏勃興の祖となる中臣鎌足が蘇我入鹿と父蝦夷(えみし)の暗殺を実行、孝徳天皇を擁立し大化の改新を為す。 yaseta.hateblo.jp 672年壬申の乱 大友皇子:中大兄皇子(38代天智天皇)の子 大海人皇子:中大兄皇子(38代天智天皇)の弟 天智天皇の子と弟の天皇の座を巡る争い 大友皇子(39弘文天皇 諡)壬申の乱で敗北し自殺 大海人皇子673年40代天武天皇み即位 藤原不比等の父(中臣鎌足)が大友皇子方だったため不遇 40天武天皇(在位673年~687年)―鸕野讚良(うののさ…
官位相当表 1/4 官位相当表 2/4 官位相当表 3/4 官位相当表 4/4 【大宝・養老律令について】藤原不比等が律令国家と平城京建設の青写真を作り、701年大宝律令成立、710 年平城京完成、718年養老律令を成立させ、律令国家としての原型を構築しましたが孫の首(おびと)皇子の聖武天皇誕生と新しい政治の中心平城京を内外にアッピールした724 年の聖武天皇即位式を見ることなく、4年前の720年62歳で亡くなっていました。 律令とは『刑罰について定めた法令「律」』および『政治の仕組みを定めた憲法・行政法や民法などの法令「令」』のことで国家の根幹を成す法典である。 【官位相当制について】701…
『愛国百人一首』の選定された41首目は藤原為定です。これより鎌倉時代の歌となります。(著者所持の『愛国百人一首』の藤原為定の絵札) 命 を ば …
『まんが日本史』で大仏様の造り方が説明されていました。ヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想奈良の大仏様の作り方 (『まんが日本史』より、奈良の大仏…
#488 TVアニメ『まんが日本史07「大仏開眼-仏教文化と奈良時代」』
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の奈良の大仏建立と仏教による政治の展開を描いたヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感…
#483 12首目:雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)-シリーズ愛国百人一首 13
『愛国百人一首』の選定された12首目は雪宅麻呂(ゆきのやかまろ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の雪宅麻呂の絵札) …
『愛国百人一首』の選定された八首目は高橋蟲麻呂(たかはしのむしまろ)です。こちらも奈良時代の歌です。(著者所持の『愛国百人一首』の高橋蟲麻呂の絵札) …
『愛国百人一首』の選定された六首目は笠金村(かさのかねむら)です。こちらも奈良時代の歌になります。(著者所持の『愛国百人一首』の笠金村の絵札) ま…
『愛国百人一首』の選定された四首目は山部赤人(やまべのあかひと)です。こちらも奈良時代の歌になります。(著者所持の『愛国百人一首』の山部赤人の絵札) …
#3976 はだすすき尾花逆葺き黒木もち造れる室は万代までに
令和5年8月26日(土) 【旧 七月一一日 大安】・処暑・綿柎開(わたのはなしべひらく)はだすすき尾花逆葺き黒木もち造れる室《やど》は万代《よろづよ》までに ~元正上皇(680-748)『万葉集』 巻8-1637 雑歌はだすすきの尾花を逆さ葺きにして黒木で造った家は永遠に栄える
以前、【「赤袈裟」一考】という記事を書いた時、「赤袈裟」と「緋袈裟」の関係を検討する必要を感じた。既に「赤袈裟」は論じた通りなので、この記事では主として「緋袈裟」を検討したい。前提として、上記リンク先の記事でも申し上げた通りで、赤袈裟よりも、いわゆる緋袈裟の方が一般的だという見解もあり、更にこの「緋」とは、元々皇室が身に着ける色だったともいう。この記事では、その辺を明らかにしてみたい。其の華台上に一の化仏と作り、緋袈裟を著け、結跏趺坐し、項背に光有り。『陀羅尼集経』巻6「観世音等諸菩薩巻下」このように、「観世音菩薩」との関連で、「緋袈裟」を着けた「化仏」があるという。なお、この経典は密教系であるので、日本には密教系経典を通して「緋袈裟」が知られたと思っていたら、そこまで簡単な話では無かった。ただし、関連す...「赤袈裟」と「緋袈裟」について
金曜日の話。 空模様は微妙だったけど、Yahoo!の天気予報をチェックすると『21時ごろまで雨は降りません』って言ってるから、自転車で出掛けちゃおうかな!…
【奈良市雑司町】世界遺産・東大寺の大仏を久しぶりに見てきました
昨年末に奈良市内を散策した時の話は今回で最終回になります。最後は久しぶりに東大寺へ。大仏殿に入ったのは学生の時以来でした。東大寺は8世紀前半に聖武天皇の勅願で建立されたお寺です。華厳宗のお寺で、1998年にはユネスコ世界遺産に登録されています。ご本尊がこちら
【奈良市高畑町】奈良時代に聖武天皇の病気平癒を願い建てられた『新薬師寺』
少し前に奈良市内にある牛ひつまぶしのお店でランチをしてきました。その時に奈良市内も色々散策してきたので、まだ紹介していないところを紹介していきます。まずは個人的にあんまり行ったことがなかった高畑町へ。『空気ケーキ』という大好きなケーキ屋さんがあるエリアで
総社市にある、備中国分寺です。真言宗御室派の寺院です。山号は日照山、本尊は薬師如来です。五重塔奈良時代に、聖武天皇の詔により、創建された国分寺の一つです。奈良時代に建てられた七重塔や、建物は、南北朝時代に焼失したと伝えられています。現在の建物は、江戸時代
奈良時代天平年間に聖武天皇の勅命によって開基されたと伝えられている古刹で、江戸時代の寺領2800石余は東北随一で桃山様式、鎌倉様式などを残しています。 本堂は1618年最上氏により築造、本尊木造弥勒菩薩、釈迦如来坐像、地蔵菩薩坐像、不動明王立像、降三世明王立像、木造騎獅文殊菩薩、木造騎象普賢菩薩、十羅刹女像、木造二天王立像、木造如来坐像及び両脇侍立像、木造如来立像、木造菩薩坐像、木造力士立像などが安置されているそうです。 三重塔は1608年築造されるも焼失、1830年に再建されています。 画像はフォトムービーでもお楽しみください・・・・ 撮影:2015.10.21 山形県寒河江市慈恩寺JR左沢線、羽前高松駅 百寺巡礼(五木寛之)の本を元に全国を巡って写した、お寺の写真を4Kフォトムービにしています。 <Youtubeライブラリ>WiH..
橘樹郡衙跡(たちばなぐんがあと→神奈川県川崎市高津区千年)は、律令国家の頃の武蔵国橘樹郡の役所跡である橘樹郡衙(→郡家とも)跡である千年伊勢山台遺跡と、その西側に隣接して造営された古代寺院跡である影向寺遺跡から構成される古代官衙の遺跡で、7世紀から10世紀の官衙の実態とその推移を知るうえで重要であるとして、2015(平成27)年3月に国史跡に指定されました。〖千年伊勢山台遺跡(橘樹郡衙跡)〗丘陵上に営まれた縄文時代...
威徳山 月光院 影向寺(ようごうじ→神奈川県川崎市宮前区野川)は、奈良時代中期の740(天平12)年に聖武天皇の勅命により創建された関東屈指の古刹で、往時は金堂・三重塔・12の塔頭(たっちゅう→メインの寺の中にあるサブの寺)と多くの末寺を擁し「関東の正倉院」と呼ばれた大寺院だったと記録されます。本尊は薬師如来両脇侍像(→薬師如来坐像・日光菩薩立像・月光菩薩立像)です。江戸時代前期の1710(宝永7)年に編纂された『影向寺縁...
令和4年10月17日(月) 【旧 九月二二日 赤口】・寒露・菊花開(きくのはなひらく)秋の田のかりほの庵の苫《とま》をあらみわが衣手は露にぬれつつ ~天智天皇 『後撰和歌集』 巻6-0302 秋歌中秋の田の近くに据えた仮小屋の、屋根を葺いた苫の編み目が粗いので、私の衣の袖は
長寿寺 滋賀の紅葉の見頃や時期は?ライトアップや和傘、ハロウィンの飾りも幻想的で奇麗!
滋賀県湖南市にある長寿寺(ちょうじゅじ)の紅葉の時期や見頃について詳しくお伝えしています。 他にも、和傘のライトアップや床もみじ、参道での和傘のディスプレイ、可愛いオブジェなど、見に行ってきましたので詳しく紹介します!
長寿寺(ちょうじゅじ)という湖南市のお寺へ行ってきました。こちらは「湖南三山」と言って、滋賀県湖南市にある国宝を有する3つのお寺があるのですが、その中でも最も歴史が古いお寺で、紅葉が奇麗なことで有名です。 ぜひ一度来訪したかったお寺で、紅葉が見頃になってきましたので来訪してみました! 歴史的建造物も多く静かなお寺ですが、ところどころにSNS映えスポットもあったり、幅広い年齢の方が楽しみながら散策できるお寺だと思います。