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#中臣鎌足
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謎解き編39/大和朝廷の政変事情
いつもの通り、お話は古今東西いろいろに飛び散ることになりますが、 さてこんな説明にぶつかりました。 ~(革命とは、)被支配階級が時の支配階級を倒して政治権力を握り、 政治・経済・社会体制を根本的に変革すること。 また漢語の「革命」の語源は「天命が改まる」の意味で、王朝交...
2025/04/12 07:28
中臣鎌足
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大化改新の方程式(260) 乙巳の変を解くカギは“女帝不可”の思想
テンプレートを変更してみました・・・仁藤敦史氏の『東アジアからみた「大化改新」』(以下、本書)において、自説と照らし合わせていきたい論点は以下の3つだ。・女帝不可の思想の影響・「韓政に因りて」の解釈・孝徳朝における鎌足のスタンスまず、最初の「女帝不可の思想の影響」についてみていこう。繰り返しになるが、「乙巳の変を解くカギは“女帝不可”の思想」というのが自説の根幹の1つだ。仁藤氏も「乙巳の変を解くカギ...
2025/02/03 00:17
大化改新の方程式(259) 『東アジアからみた「大化改新」』を読む
仁藤敦史氏の主張に賛同するかどうかは別として、『東アジアからみた「大化改新」』は、厩戸皇子(聖徳太子)没後から孝徳期までの対外関係を唐および朝鮮3国の動向をからめて理解するには、一般書としては最適な本であると私は評価したい。amazonへのリンクそこで今回は、その概要を解説しておこう。仁藤氏が本書で提起した課題は、なぜ7世紀中葉になって、〔大化改新という〕政治改革が必要となったのかについては、「蘇我氏の専...
2025/01/13 01:06
大化改新の方程式(258) 2025年は「乙巳」の年
まもなく迎える来年は「乙巳」の年。中大兄と中臣鎌子によるクーデターで蘇我本宗家が滅亡したとされる年から24度目の「乙巳」である。2年前になるが、当ブログで「大化改新」をテーマに自説を展開してから10年になるのを機に、刊行されたばかりの仁藤敦史氏の『東アジアからみた「大化改新」』を片手に、自説の振り返りを行うと宣言した(自説を振り返る 大化改新の方程式(235))。ただその前段として、自説の根幹たる以下の3点...
2024/12/31 01:18
古代史メモ(8) 不比等落胤説の可能性
これまでトンデモの類だと思っていた不比等の天智天皇落胤説だが、前回までの記事を書いているうちに、どうにも気になった事柄が発端となって、不比等が落胤だった可能性も否定できないと思うようになった。結果的にトンデモかもしれないが、後日あらためて検討するかもしれないので、以下にその思考実験の顛末を書き記しておこう──不比等の落胤伝説は、かなり時代が下った『大鏡』や『帝王編年記』などにみえるもので、『日本書紀...
2024/11/16 06:26
大化改新の方程式(257) 「大織冠・藤原・内大臣・鎌足」のどこまでが不比等の創作か? その6
いよいよこのテーマの最終回。前回、「藤原」は天武13年の八色の姓直後の改姓で初めて登場した姓と考えるのが妥当とした。では、それが事実として、「藤原」が鎌足の死に際して賜姓されたというでっち上げは、なぜ必要だったのであろうか。前回の議論からまず思い浮かぶ理由が、「葛原」から「藤原」に戻すために必要な“前史”だった、ということだ。もし「藤原」が鎌足にまで遡る姓であったなら、「葛原」への再改姓を強要されるよ...
2024/11/05 01:15
大化改新の方程式(256) 「大織冠・藤原・内大臣・鎌足」のどこまでが不比等の創作か? その5
引き続き、「藤原の姓はいつ誕生したか」の話。前回、藤原姓の起源については以下の2つの説がありうるとした。A: 『日本書紀』が描くとおり、中臣鎌足が死に際して賜姓され、それを中臣大嶋らが拝借した。B: 鎌足は中臣姓のままで死去し、藤原姓は八色の姓直後の改姓にて初めて創出された。そして、『日本書紀』の記事をもとに、この謎を解くヒントとして以下の2つをあげた。1.意美麻呂(臣麻呂)が改姓したのは、大嶋や不...
2024/10/29 01:14
大化改新の方程式(255) 「大織冠・藤原・内大臣・鎌足」のどこまでが不比等の創作か? その4
前回に続き、「藤原の姓はいつ誕生したか」について語りたい。前回確認したことは・・・・天武13年(684年)の八色の姓では「中臣」として朝臣を賜姓されていることから、当時、藤原氏を称する者はひとりもいなかった・天武13年から14年にかけて、中臣から藤原への改姓を願い出て勅許を得たであろう・この改姓は中臣氏の氏上と思われる大嶋の主導のもとで行われたはず以上を踏まえれば、「藤原」誕生の謎解きは、2つの説に分かれ...
2024/10/20 02:20
鎌足稲荷神社(神奈川県鎌倉市浄明寺)探訪記
↑神奈川県鎌倉市浄明寺に鎮座する、鎌足稲荷神社(かまたりいなりじんじゃ)を探訪しました。この鎌足稲荷神社は・・・↑鎌倉五山第五位の古刹、浄妙寺(探訪記は、このリンクから)の鎮守社で、浄妙寺東側の稲荷山の中腹に鎮座しています。浄妙寺は鎌倉における足利氏菩提寺で、開基は足利宗家2代当主の足利義兼(妻は北条政子の妹)、中興開基は、足利宗家7代当主の足利貞氏(尊氏・直義兄弟の父)で、寺号は足利貞氏の法号「浄...
2024/10/13 09:47
大化改新の方程式(254) 「大織冠・藤原・内大臣・鎌足」のどこまでが不比等の創作か? その3
前回、中臣鎌足がその死に際して「大織冠」を授与されたのは、長く「内臣」という枢要な地位にありながら、その出自ゆえに大臣職にあがれなかった鎌足に破格の冠位を与えることで、「内臣としての大臣」=「内大臣」に任じることが目的であったことを示した。それでは、「藤原」の賜姓は、同じタイミングでなされたのであろうか。『日本書紀』によれば、鎌足の死後、「藤原」姓が登場するのは、天武紀〔下〕冒頭で「藤原大臣」の娘...
2024/10/13 02:02
大化改新の方程式(253) 「大織冠・藤原・内大臣・鎌足」のどこまでが不比等の創作か? その2
前回、藤原不比等の父として、百済王子・扶余豊璋でもない、近江朝の右大臣・中臣金でもない、「中臣鎌足」なる人物が実在し、確かに「大織冠」を授けられた事実があったと想定できることを示した。以下はそれを前提とした推論なので、「大織冠はまったくの虚構」と考える方にとっては意味のない話になることを先に断っておきたい。それでは、「内大臣」についてはどうであろうか。『日本書紀』によれば、孝徳天皇による大化政権発...
2024/10/01 21:13
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】拾八
百済王の太子、余豊璋は、その後、唐の長安に連行され、嶺南地方に流刑にされている。 なお、歴史作家の関裕二氏は、余豊璋と中臣鎌足が、同一の人物であるとの説を唱…
2024/09/21 00:04
大化改新の方程式(252) 「大織冠・藤原・内大臣・鎌足」のどこまでが不比等の創作か?
相当インターバルがあいてしまいました。申し訳ございません。この春から夏にかけて、毎年大きく携わっていた2つの業務が他社へ移管され、その引継ぎやら後始末やらで、心身ともに余裕のない状態でした。これを機会に第一線を退く旨は会社には伝えており、今後はこのブログに割く時間が増えるものと期待しています。今後ともよろしくお願いいたします。前回の記事にて、死期を悟った不比等が恥を忍んで『日本書紀』に最後の改竄を...
2024/09/16 01:18
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】拾六
しかし、改革は、決して、順調とは言えなかった。 648年の冠位十三階の施行の際には、左右両大臣が、新制の冠の着用を拒んだと『日本書紀』に記されている、翌年に…
2024/09/16 00:08
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】拾五
紀元645円6月14日、「乙巳の変」の翌日には、皇極天皇は、弟の軽皇子に譲位した。 孝徳天皇である。 中大兄皇子は、皇太子に立てられた。 「乙巳の変」の最大…
2024/09/15 05:46
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】拾四
中大兄皇子が、即座に「入鹿は、皇族を滅ぼして、皇位を奪おうとしました」と答えると、皇極天皇は、無言のまま、殿中へ退いた。 佐伯子麻呂と犬養網田は、蘇我入鹿を…
2024/09/14 00:14
No.005【万世一系を実現した、藤原氏の内紛】拾参
中臣鎌足は、更に蘇我一族の長老、蘇我倉山田石川麻呂を同志に引き入れると、その娘を中大兄皇子の妃とした。 蘇我倉山田石川麻呂は、蘇我馬子の息子、蘇我倉麻呂の息…
2024/09/13 23:17
継体持統⑭:入鹿が目指した未来
日本書紀の蘇我氏悪役歴史観により悪様に描かれる蘇我入鹿。実際の蘇我入鹿は何を考えて行動していたのか? 極めて有能であった入鹿 日本書紀は蘇我氏を悪役に仕立てているため、入鹿に対しては悪意をもった解釈でしか描かれていない。 本当の入鹿はどんな人物だったのか。 奈良時代の藤原仲麻呂が書いた藤氏家伝では、入鹿は極めて有能であったと描かれている。藤氏家伝は藤原仲麻呂による脚色の多い小説みたいな記録との分析があるが、奈良時代において蘇我入鹿を有能と描いても不自然ではなかったとは解釈できる。 実際、有能でなければ日本書紀も悪様には描けなかったであろう。 入鹿が生きた時代の背景 蘇我氏はもともと朝鮮半島情勢…
2024/08/31 16:13
天皇の座を奪う野望を抱かず陰で支える藤原不比等の戦略はその後400年続く藤原氏繁栄の礎となる。
二官八省五衛府 645年大化改新(乙巳の変)専横きわめる蘇我入鹿(そがのいるか)から政権奪回のため中大兄皇子と藤原氏勃興の祖となる中臣鎌足が蘇我入鹿と父蝦夷(えみし)の暗殺を実行、孝徳天皇を擁立し大化の改新を為す。 yaseta.hateblo.jp 672年壬申の乱 大友皇子:中大兄皇子(38代天智天皇)の子 大海人皇子:中大兄皇子(38代天智天皇)の弟 天智天皇の子と弟の天皇の座を巡る争い 大友皇子(39弘文天皇 諡)壬申の乱で敗北し自殺 大海人皇子673年40代天武天皇み即位 藤原不比等の父(中臣鎌足)が大友皇子方だったため不遇 40天武天皇(在位673年~687年)―鸕野讚良(うののさ…
2024/06/01 19:01
列伝編25/御落胤その噂と真相の間
多分ちょっとしたシャレのつもりだったのでしょうが、顔見知りのオジサンが こんなセリフを吐きました。 ~拙者の趣味は御朱印、そして生い立ちは内を隠そう、ご落胤なのだ~ 御朱印と御落胤ってかぁ。 発音が少し似ているというだけのその対比には、とてもじゃないがセンスが 感じられな...
2024/05/20 06:15
大化改新の方程式(251) 自説のまとめ:鎌足失脚説 おまけの続き
前回に続き、「鎌足=金」説について論じたい。トンデモ級の説なのかもしれないが、「鎌足=豊璋」説よりはリアリティがあると思う。少なくとも、中臣氏との接点がまるでみえない後者に比べて、前者にはその心配はない。この説の可能性については、飯田眞理氏が『古代日本の探求 第一巻』にて多方面から語り尽くしているので、今回は、この説の論点を私なりに整理しておこうと思う。(1)同時代人にみえみえの改竄をあえてするか...
2024/02/08 02:21
謎解き編36/御落胤の噂をあれこれ詮索
唐突な話題で恐縮ですが、いわゆる「天一坊事件」の経緯を簡単に示すなら 以下のような説明になるようです。 ~江戸時代中期、山伏の天一坊改行が、江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の落胤を 称して浪人を集め、捕らえられ獄門になった事件~ ここに登場している文言にも少し触れておくなら、こ...
2023/12/05 07:55
#455 TVアニメ『まんが日本史05「大化の改新-中大兄皇子と藤原鎌足』
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の大化の改新についてヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想 聖徳太子の理想を引き継…
2023/10/29 07:06
探検576 持統と不比等の姉弟?政権
「藤原」姓は、中大兄皇子(後の第38第・天智天皇/626-672年)に協力し、後の国家改造を導くことになった中臣鎌足(614-669年)に下賜された。 通説ではこのように鎌足が「藤原氏」の始祖と説明されることが多いのだが、しかし、実際にはその鎌足の子である「藤原不比等」
2023/09/08 18:15
<真説>CG『蘇我馬子』 ~聖徳太子は蘇我馬子の存在と業績を抹殺する為に日本書紀に創作された架空の人物である~
CG : The theory that Prince Shotoku = Umako Soga 『聖徳太子』は紙幣の図柄に何度も採用されるなど、日本の歴史上で最も有名な偉人なのかも知れない。「仏教振興」「冠位十二階」「十七条の憲法」「遣隋使」「法隆寺創建」など古代史上で偉業を成した。 しかし筆者は
2023/08/31 08:08
【高市郡明日香村上】中臣鎌足が蘇我入鹿の首に追われ逃げ込んだ森の中に鎮座する『気都和既(けつわき)神社』
今年の春、自転車で明日香村をあちこち巡りました。以前から気になっていた『気都和既神社』に初めて参拝したので今回紹介したいと思います。気都和既神社は明日香村の石舞台古墳から桜井市方面へと続く道路の脇に鎮座しています。桜井市駅からも飛鳥駅からも5キロの距離にあ
2023/06/14 17:41
仏様、ご先祖様は大事にね。
おはようございます☂️☔️ 今日は久しぶりに夕方から大雨の予報です。 天気悪いと体のあちこち、昔骨折したところの痛みや偏頭痛などが出て来ますね😅 昨年暮れからずっと腰が痛いんですが、昨日12日はお義父さんの月命日でもう四年目になるけど、なるべく12日は仕事帰りに仏壇に手を合わせに行ってます。 最近はお義母さんが入院しててバタバタしてたので手を合わせてチンまでするけど線香まではあげてなく、昨日久しぶりに線香まであげて手を合わせたら急に腰が痛くなくなりました。 まぢか? ちょっとビックリです。 たまたまの偶然なのか分かりませんが違和感がなくなってますw ちゃんと見てくれてるんかなーって思いました。…
2023/01/13 06:27
【高市郡明日香村小原】藤原鎌足誕生の地とその母大伴夫人の墓
鬼の雪隠を後にして、万葉文化館へ。館内にあるカリオンさんで村で採れた野菜盛りだくさんのカレーを食べました。ヘルシーでとても美味しかったです。万葉文化館に来る土産物店でいつも大和当帰葉の入浴剤を買っています。高取は薬草・当帰葉の産地として知られています。冷
2022/10/07 13:59