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現在、放映中の大河ドラマ「光る君へ」の時代は平安時代の中期。藤原氏の全盛期なのかな藤原道長による藤原全盛期でしょう。藤原氏の政(まつりごと)ってどんなものだっ…
大化改新の方程式(251) 自説のまとめ:鎌足失脚説 おまけの続き
前回に続き、「鎌足=金」説について論じたい。トンデモ級の説なのかもしれないが、「鎌足=豊璋」説よりはリアリティがあると思う。少なくとも、中臣氏との接点がまるでみえない後者に比べて、前者にはその心配はない。この説の可能性については、飯田眞理氏が『古代日本の探求 第一巻』にて多方面から語り尽くしているので、今回は、この説の論点を私なりに整理しておこうと思う。(1)同時代人にみえみえの改竄をあえてするか...
-つづき鹿寄せを見た後、春日大社を散歩。世界遺産 「古都奈良の文化財」という文化遺産に登録されてる。朝、こういう霊験あらたかな場所を歩くと気持ちが凛とする気がする。春日大社には約2000基の石灯籠がずらぁーーと並んでるねんけど、大体は灯籠には「春日社」と書いてある。その中で15基のみに、 「春日大明神」と書かれた灯籠があって、それを3つ見つけると大金持ちになれるという。むむむ 探せ~~~おっと! これは...
スポーツ観戦をしていると色んな選手の名前を見聞きしますけど、珍しい名字(姓)の人ってけっこういるなと思いますし、たまに読めない名字もあったりします。 そして、珍しい名字とか、素敵だなぁと思う名字を見かけると、ちょっと羨ましいような気持ちにも
#455 TVアニメ『まんが日本史05「大化の改新-中大兄皇子と藤原鎌足』
子どもの頃(1983~1984年)に放送されていた『まんが日本史』の大化の改新についてヒストリーチャンネルで放送されていたのを見た感想 聖徳太子の理想を引き継…
大化改新の方程式(244) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その2(補足)
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証する。<検証A>『日本書紀』や中国史書の記述に反して、豊璋が白村江敗戦後、高句麗に逃れず倭国に戻ったとする関氏の主張は、つまるところ、豊璋という人物の狡猾な行動原理を根拠にしたものにすぎないことを指摘した。<検証B>「鎌足=...
目次 藤原公任 説話 東三条殿の立后について失言を放つ 三船の才 藤原実資 説話 藤原実頼の名前が由来 豪華な邸宅 藤原済時 説話 気難しい性格 大饗において永平親王に接待させて大恥をかく 藤原師尹
大化改新の方程式(242) 自説のまとめ:鎌足失脚説 その2
【前回までのおさらい】自説の根幹としてあげた3つの命題のうち、最後の「斉明朝では鎌足は失脚していた」の話。それを語るうえで避けては通れない、関裕二氏が唱える「鎌足=豊璋」説を検証する。その第1弾では、『日本書紀』や中国史書の記述に反して、豊璋が白村江敗戦後、高句麗に逃れず倭国に戻ったとする関氏の主張は、つまるところ、豊璋という人物の狡猾な行動原理を根拠にしたものにすぎないことを指摘した。【ここでの...
8月上旬に初めてコロナに感染。家族と職場に持ち込み、ひどく恨まれてしまったが、感染経路は通勤途上以外全く思い当たらない。コロナ禍以前の状態に戻った満員電車に1時間以上も揺られていれば、さもありなんか。いまだ咳止まず。【ここでの課題メモ】これまで5回にわたって宝皇女の“興事好き”について語ってきた。自説の根幹としてあげた以下の3つのうち、残りは鎌足失脚説だ。・乙巳の変を解くカギは“女帝不可”の思想・宝皇女...
寛和の変(花山天皇の退位・出家)~出家の途中で安倍晴明の家の前を通りかかる
寛和かんなの変とは、寛和二年(986)6月23日に起こった花山天皇の退位・出家事件である。『古事談』では、寵愛していた弘徽殿の女御の死を悲しんでいたところへ藤原道兼が出家を勧めてきたとされている。しか
仮に、内親王殿下や女王殿下が「心は男性」と自認したところで、万世一系(男系)の皇統は絶えません。男系男子と男系女子によって、2600年、受け継がれてきたからです。そもそも、天皇・皇族には戸籍がない。皇統譜にお名前が記されているだけです。……こういった意味不明のパニックの裏には、「神武天皇のY染色体論」が隠れているのでしょう。2005(H17)年、八木秀次が言い出したのが始まりです。ですが、理論的支柱となったの...
長徳の変(花山院闘乱事件)は、長徳二年(996)1月16日、藤原伊周・隆家の従者と花山法皇の従者が闘乱になった事件である。この事件以降、藤原伊周・隆家兄弟は没落することとなった。 目次 道長と伊周・隆
その場に行かなきゃ、気づけないことはある。咲き誇る藤の花。その藤の花にふらふらと引き寄せられるのは、「映え」写真をSNSにあげようとする人だけではなかった。平等院鳳凰堂の藤棚は、クマンバチの一個大隊が飛び回っていた。(歳時記 | 世界遺産平等院 (byodoin.or.jp))平等院鳳凰堂の公式webサイトやパンフレットにのっけられた、枝垂れ藤から透かしみる鳳凰堂。うん。実にみやびやかで美しい情景。まさにこの世に浄土を...
半年くらい前に週刊新潮で保守派の論客高山正之氏が「大陸から日本への侵攻は元寇が初めてではない。その前の平安時代にも刀伊(とい)が大陸から来て九州に侵攻し、平安貴族制を大いに揺るがした。」と書いていました。私、日本史が好きでなかった、というか高校時代に日本史を教えられた社会科...
【年表を歴史小説でつなぐPJ】絶海にあらず<下> 北方謙三 940年頃の日本
瀬戸内の出師たちの反乱を収めた藤原純友に、京にいる藤原忠平は疑惑の目を向ける。 そして、伊予掾(いよのじょう)としての官位を解き、京への帰還を命じる。 京に戻った藤原純友は、弟の任官を願い、自分自身は無位無冠の身となり、自らは交易に力を入れ始める。 藤原純友が任地を離れる...