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藤原道長が、源倫子と結婚した、理由は、諸説あって、定かではない。 藤原兼家の次男、庶子の藤原道綱は、源雅信の娘と結婚していたため、藤原兼家と源雅信の関係は、…
名和児童公園の前に一条院跡の案内板があります。一条院跡は、もと藤原伊尹(これただ)の邸宅で、その異母弟為光から藤原詮子に伝えられ、のち一条天皇・後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の里内裏となりました。紫式部が一条天皇の中宮彰子に仕えていた期間は、ほとんど一条院が皇居となってします。ゆえに『紫式部日記』で描かれる内裏は、一条院のことと考えられています。一条院は、平安宮の北東に隣接した邸宅で、一条天皇...
#748 詮子、源明子を道長に from『大鏡』 ~『光る君へ』を楽しむため
大河ドラマ『光る君へ』でも描かれている道長と源明子の関係についてを『大鏡』より (NHK大河ドラマ『光る君へ』より、源明子(C)NHK) 高松殿明子、選ば…
このの細い参道を上って行くと、住宅地の間に宇治陵32号墳があります。この宇治陵32号墳を藤原道長の墓とする説もありますが、誰がどこに埋葬されているかは特定されていないそうです。ここを見学していたら、住人の人が反対側にも陵墓の入口があると説明してくださいました。にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村歴女日記ブログランキングに参加しています。ご協力お...
JR・京阪木幡駅付近から北東に広がる丘陵は、藤原氏の墓地が営まれていた所で、宇治陵1号は総遙拝所に当てられています。宇治陵(うじりょう、うじのみささぎ)は、京都府宇治市にある古墳群と、藤原氏とその関係者の陵墓群である。地蔵山および御蔵山に散在する古墳群を総称したもの。地蔵山及びその北側浄妙寺山の南北約1.8キロ、東西0.9キロ、総面積89,332平方メートルに点在する大小320もの陵墓群である。明治10年に宮内庁によ...
京都市左京区浄土寺真如町にある真如堂は、正式には鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざん しんしょうごくらくじ)といい、永観2年(984年)、比叡山延暦寺の僧である戒算が夢告によって、延暦寺常行堂の本尊である阿弥陀如来を神楽岡東の東三条院詮子(藤原詮子)の離宮に安置したのが始まりであるとされています。『真如堂縁起』)。正暦3年(992年)一条天皇の勅許を得て、本堂が創建されました。東三条院(藤原詮子)は、藤原兼家...
道長周りに 無駄に アキコが、多過ぎる 藤原詮子(姉) 藤原彰子(娘) 源明子(妻の一人) 教科書通りに、せんし、しょうし、めいし、でいいよ アキコアキコ言…
京都の吉田神社は、貞観元年(西暦859年)藤原山蔭が、平安京の守護神として奈良の春日大社四座の神を勧請したのに始まるとされています。山蔭の子・中正の娘の時姫が関白・藤原兼家の室となって詮子(東三条院)を生み、詮子が円融天皇の女御となり一条天皇を生んだことから、藤原氏全体の氏神として崇敬を受けるようになりました。創建以来、厄除け開運の神様として崇敬を集めています。境内には、全国の神々を祀る大元宮(重要...
長徳の変(ちょうとくのへん)とは、長徳元年(995年)4月10日の藤原道隆の死後、弟の藤原道長が内覧の宣旨を得た後に起きた政変で、花山院闘乱事件(かざんいんとうらんじけん)ともいわれています。長徳2年(996年)正月16日、太政大臣藤原為光の四女に通う花山法皇を、自分の思い人の為光三女が目当てと誤解した藤原伊周が、隆家と謀って道すがら待ち伏せ、彼らの従者が放った矢が法皇の袖を突き通した一件に発端するといわれてい...
#656 『大鏡』からみる藤原遵子について ~『光る君へ』を楽しむため
『光る君へ』で関白で登場した藤原頼忠の娘の藤原遵子について『大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)』で見ていきたいと思います。たいそうよい慣例をさまざま制定され…
#636 円融天皇について from『大鏡』~『光る君へ』を楽しむため
『光る君へ』の第1回から登場し、兼家の謀略を実施した道兼の毒で体を壊して退位することになった第64代 円融天皇について『大鏡 全現代語訳 (講談社学術文庫)』…
名和児童公園の前に一条院跡の碑があります。一条院跡は、もと藤原伊尹(これただ)の邸宅で、その異母弟為光から藤原詮子に伝えられ、のち一条天皇・後一条天皇・後朱雀天皇・後冷泉天皇の里内裏となりました。紫式部が仕えた中宮彰子が住んだとされる一条天皇の里内裏であり、紫式部が「紫式部日記」に書いている内裏は、この一条院内裏を指しているそうです。一条院は、平安宮の北東に隣接した邸宅で、一条天皇の里内裏として有...
京都市中京区押小路通釜座西北角に「東三条院址」の碑があります。 東三条院とも。藤原良房の邸宅に始まり、忠平を経て藤原兼家へ伝えられました。入内した娘たちの里邸となり、親王の養育も行われ、里内裏としても用いられました。 兼家のあと藤原詮子(東三条院詮子)を経て藤原道長が所有し、道長から頼通へ伝えられました。 その後、焼失・再建を繰り返しながら藤原氏代々の氏長者に伝わり、立后・大饗などの儀式もここで行わ...
お互いに相手のことが気になりながら、相手が誰なのかはっきり分からないために会うことのできない藤原道長とまひろ(紫式部)が初の出会い場所にて再会する『大河ドラマ…
藤原詮子とは?藤原兼家の娘、藤原道長の姉で一条天皇の母の生涯と人物像。
2024年NHK大河ドラマは「源氏物語」の作者である紫式部が主人公でそのパトロンでもあった藤原道長とのラブストーリーも含む「光る君へ」(主演・吉高由里子 作・大石 静)です。2020年の「麒麟がくる」、2021年の「青天を衝け」、2022年