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「人間はどこまで耐えられるのか」フランセス・アッシュクロフト 高く登るにも深く潜るにも呼吸が大きな鍵 酸素、二酸化炭素、窒素は毒にもなる
「人間はどこまで耐えられるのか」 「人間はどこまで耐えられるのか」フランセス・アッシュクロフト 非常に刺激的なタイトルだ。 「人間はどこまで耐えられるのか」は、英国の生理学研究者フランセス・アッシュクロフトが、人間の限界を探る。 テーマは「どのくらい高く登れるのか」「どのくらい深く潜れるのか」「どのくらいの暑さに耐えられるのか」「どのくらいの寒さに耐えられるのか」「どのくらい速く走れるのか」「宇宙では生きていけるのか」「生命はどこまで耐えられるのか」の7題。 ここでは、「高く登れるか」「深く潜れるか」の2題に絞って紹介したい。 人間はどこまで耐えられるのか (河出文庫) 作者:フランセス・アッ…
私は最近、中国の小学校の国語の教科書を使って、中国語の勉強をしている。小学五年生の上巻をぱらぱらめくっていたとき、“日本清少纳言”の文字を発見した。なんと中国の国語の教科書に『枕草子』の第一段が載っていたのである。《四季之美》というタイトルで、卞立强という人が翻訳している。
パーフェク豚です。ホームヘルパーから電話があり父親がいないとの事だった。土曜日に行った時も父親がいなかった。帰ろうとしたら父親が帰って来たがかなり疲れていた。ホームヘルパーさんは本人不在の場合は何もできない。。だんだんと暖かくなり、父親も冬眠から覚め活発になってしまった。。。この季節は、認知症には危険だ!!認知症は季節ごとにいろいろと形を変えて問題が起きる。春は徘徊夏は匂い秋は混乱冬はミカン(サワ...
藤原道隆の一族、中関白家の道隆の嫡妻、高階貴子を演じるのは、板谷由夏。 藤原道隆の長男、藤原伊周を演じるのは、三浦翔平。三 浦の得意な過剰演技が、伊周にハマ…
1月後半ツイッターコピペw ~言葉遊びって・・・素敵やんw~
にほんブログ村 俺が昔からやってる課題に 清少納言の「うつくしきもの」を真似してみよう!というのがあるw 読めんw たとえば、おほきにはあらぬ殿上童(わらは)…
冬枯れの路傍に冬の薔薇が咲いていました。 薄い大倫の薔薇を慕うように、やや小ぶりながらも艶やかで濃い色の薔薇が取り囲んでいます。まるで宮廷の侍女のように。平安時代であれば、清少納言・・・ 藤原道隆の長女である藤原定子は、一条天皇の皇后でしたが、父亡き後、権力争いに巻き込まれて悲運な生涯となりました。 そんな定子に仕えていたのが清少納言で、清少納言もやはり権力抗争によって窮地に追いやられたり、様々な誘惑もあったのですが、結局は、心酔していた定子に寄り添って忠誠を尽くし続けたのでした。 冬に薔薇に囲まれて咲く薔薇に遭遇したときに、その儚くも美しい姿から、思わずそんな平安宮廷に思いを馳せていました。…
#4474 夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ
令和7年1月3日(金) 【旧 一二月四日 先負】 冬至・「雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)」夜をこめて鳥のそらねははかるともよに逢坂の関はゆるさじ ~清少納言 『後拾遺和歌集』 巻16-0939 雑歌二夜が更けている間に鶏の鳴き声を真似て、朝が来たと騙して帰ろうとしても
呑んで食って、呑んで食って、呑んで寝て、呑んで食って寝て、呑んで、呑んで…。そんな気ままな三賀日。 やりたいことはたくさんあれるけれど、今年は、あえて自然の風に身を委ねてみようかな…なんて思っています。 そんななか思い出すのは、テレサ・テンさんの名曲「時の流れに身をまかせ」。あらためて聴いてみると、そこには深い意味が隠されているのではないか…と気づきました。 「わたし」が身をゆだねているのは、〝今〟は目の前にいる「あなた」なのだけれど、実は「あなたを想うこれからの時」なのではないか…と。 「あなた=愛人」というのはとても不安定な存在。しかし不安定だからこそ強い愛情でつなぎとめようとする存在、そ…
Noteを更新しました。ご一読いただければ幸いです。 以前に清少納言と中宮定子についての投稿をしたことがありましたが、この投稿ではそんな二人のエピソードを「枕草子」から紹介してみました。 note.com ランキング参加中神社仏閣・古墳・歴史的建造物めぐり ランキング参加中日本の歴史 ランキング参加中歴史
古典文学にも登場する仁和寺『紫式部日記』には、仁和寺の僧都・済信(さいじん)が、また、『枕草子』には、仁和寺の僧正・寛朝(かんちょう)が登場します。中門五重塔寛永21年(1644年)再建。御室桜と共に仁和寺のシンボル的存在となっています。桃山時代建築の国宝建造物。仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂。堂内は四天王像や梵天像も安置され、壁面には浄土図などが極彩色で描かれています。経蔵寛永18年(1641年)か...
おはようございます。 今日で3連休も終わりですが、こちらの方ではまだまだ観光客がいっぱいです。そんな中、今日はまた客先企業さんのお葬式に出席。。色々ありますね…
古代から昭和までの古典作品の解説が展開される古典マンダラシリーズの1作目『田辺聖子の古典まんだら(上)【電子書籍】[ 田辺聖子 ]』について 古事記からとりか…
平安ノスタルジーの世界をたどる 清少納言と藤原定子、一条天皇 ~京都・鳥辺野陵
“あらたまる しるしもなくて 思ほゆる 古(ふ)りにし世のみ 恋いらるるかな” 「世の中が変わる様子もなく、ただただ過ぎ去ってしまった昔の世を恋しく思います」 ---清少納言が詠んだ歌。 近年「昭和ノスタルジー」ともいうべき風潮があちこちに見られます。「あの頃はおおらかでよかった」とか「日本が元気だった」とか。文字通りの「ノスタルジー」であって、今より当時が良かったわけでは必ずしもないわけですが、こうした風潮そのものが現代日本の状況をよく示しているのかも知れません。 そしてそんなノスタルジーを感じる方にとってこの清少納言の歌は「わかるわかる!と親近感を覚えるのではないでしょうか。 とはいえこの…
「香炉峰の雪」の章段は、「春はあけぼの」に続いて、代表的なものですね。 「少納言よ。香炉峰の雪いかならむ」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。」という一説です。 香炉峰とは、中国の廬山にある峰で、白楽天の詩に「香炉峰の雪は簾をかかげて...
さてさて…「おこがましい」って言葉は目上の人に意見をする時やおせっかいかもなぁという時なんかに「おこがましいのですが」と冒頭に使うけれども… 元々の意味はなん…
NHK大河「光る君へ」を楽しみに視聴させていただいております。 このブログで、2024.1.26日から「源氏物語と紫式部」を「桐壺」「若紫」「浮舟」と題して3回に渡って書かせていただいていますので、その展開がどのくらい史実と異なっているのかなどを含め興味深いからです。 ...
大河ドラマ『光る君へ』で、宮中で大流行りし、一条天皇の心が亡き藤原定子に心とらえさせ続ける『枕草子』の見方が変わる『枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘めら…
#819 孟嘗君に、逢坂の関にと from『枕草子』 ~『光る君へ』を楽しむため
清少納言と行成の知的なやりとりを『枕草子 下 (ちくま学芸文庫) [ 清少納言 ]』より、行成、清少納言に一夜を共にした後のような「後朝」の戯れから始まり、清…
大河ドラマ『光る君へ』で、中宮定子の下で活躍した清少納言を歴史小説で味わおうと思い『月の輪草子【電子書籍】[ 瀬戸内寂聴 ]』を読みました。90歳超の清少納言…
大河ドラマ『光る君へ』で、清少納言の恋愛遍歴、中宮定子との輝かしい生活と中宮定子への思いを描いた『小説清少納言「諾子の恋」 [ 三枝和子 ] 』を読みました。…
#805 レビュー 『「枕草子」をかいた女性随筆家 清少納言』
大河ドラマ『光る君へ』で、まひろと創作について語り合い、中宮定子の輝かしい姿を描いた『枕草子』を書いた清少納言を知ろうと『清少納言 『枕草子』をかいた女性随筆…
平安時代中期、奈良の興福寺別当であった定澄(じょうちょう)。壬生氏の生まれで左京の人。延喜19年(919年)17歳で得度し、仁和寺別当・寛空、興福寺別当・空晴に学ぶ。興福寺に籍を置き、永延2年(988年)の維摩会では講師を務めた。長徳元年(995年)権律師に任じられ、西大寺別当に就任[3][4][1]。長保元年(999年)興福寺権別当となり、翌年には正任の別当に転じ、権少僧都となって龍蓋寺・龍門寺の別当職も兼任した[5][6][7...
#793 清少納言と行成のとの交友関係 from『枕草子』 ~『光る君へ』を楽しむため
大河ドラマ『光る君へ』で、清少納言が、道長に一矢報いるべく、定子の光り輝く姿を描いた『枕草子 上 (ちくま学芸文庫) [ 清少納言 ]』より、その個所を見てい…
#784 敦康親王を生む定子の姿 from『枕草子』 ~『光る君へ』を楽しむため
大河ドラマ『光る君へ』で、清少納言が、道長に一矢報いるべく、定子の光り輝く姿を描いた『枕草子 上 (ちくま学芸文庫) [ 清少納言 ]』より、その個所を見てい…
#779 レビュー 『100分de名著 清少納言「枕草子」』山口仲美
大河『光る君へ』で、清少納言がついに『枕草子』を完成させたので、まずは『清少納言枕草子 (NHK「100分de名著」ブックス) [ 山口仲美 ]』を再読『枕草…
仁王門から本堂までの399段の長い登廊を上りきり、やっと長谷寺の本堂に到着。小初瀬山の斜面に建つ国宝の本堂は、慶安3年(1650)、徳川家光により造営された大殿堂。10mを越す本尊を安置する正堂(しょうどう)、相の間、本尊を参拝する礼堂(らいどう)から成る巨大な建築で、前面は京都の清水寺本堂と同じく懸造になっています。ご本尊は、右手に錫杖、左手に水瓶を持って方形の大磐石という台座に立つ長谷寺式十一面観世音菩薩...
「紫式部が藤原道長の愛人だった可能性、清少納言と友だちだった可能性の話」~テレビドラマを見なおす④
身分が違うから道長と式部は恋人同士になれない? 時期が違うから清少納言と式部は知り合えない? いや、いやそんなことはないだろう。 いつの時代も、若者の行動に節度など設けられないのだから、という話。(写真:フォトAC) 【配偶者を手に入れられなかったゴリラはどこへ行くのか】 40歳を過ぎてから、若いうちにあれをやっておけば、これをやっておけばと思うことが多くなりました。そのひとつは中高生の時代に脇目もふらず勉強して、京都大学の霊長類研究所にはいる、ということです。 私は東大・京大、あるいは全国の医学部・医大は、国公立私立を問わず努力で入れるものではないことを痛いほど知っていますから、それは中年男…
「光る君へ」の、若き日の藤原道長と紫式部が恋仲で、 清少納言と式部は互いに友情を感じているという設定――、 それって、荒唐無稽な話なのか。 とりあえず平安貴族の人数について調べてみた、という話。(写真:フォトAC) 【科学の神髄は『誰がやっても答えは同じ』・・・じゃなかったのか?】 子どものころの私は19世紀なみの理性主義者で、人間関係のことは理性がすべてを解決すると信じていましたし、生活上の具体的な問題については科学が必ず解決してくれると思い込んでいました。今、世界にうまく行っていないことがあるなら、それは理性が足りなかったり科学の進歩が追い付いていなかったりするだけで、いつか必ず、この地上…
清少納言の『枕草子』完成!紫式部(まひろ)は『源氏物語』を書き始め!大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第29回「母として」について清少納言は道長のやり口に…
自分の強み、自分らしさ、特徴を知って、人生を身軽に!「自分」をうまく動かす講座をご提供プロフィール メルマガの購読ブログ読者アンケート 個別相談、…
撮影日時 2024/08/03 19:21:32テレビっ子の私は大河ドラマも必ず観ています。きちんと観ることもあれば、何かしながら観て、録画も見直さないドラマがあります。今放映中の『光る君へ』はどちらかといえば後者です。それでも同じような名前ばかりなので、続き柄など頭の中で整理しながら観ています。すると、一条天皇は伯父(藤原道隆)の娘(定子)と結婚して、さらに叔父(藤原道長)の娘(彰子)と、つまりはいとこ同士で結婚し...
泉湧寺の塔頭・今熊野観音寺の正式な寺号は、観音寺(かんのんじ)ですが、「今熊野」の通称で知られています。山号は新那智山。本尊は十一面観音。西国三十三所第15番札所。洛陽三十三所観音霊場第19番札所。熊野権現のお告げを受けた弘法大師(空海)がお堂を建てたのが始まりで、熊野権現を篤く信仰していた後白河天皇が今熊野の地に熊野那智権現を勧請したので新那智山とも呼ばれています。頭痛持ちで苦しんでいた後白河天皇の枕...
皇室との関係が深いことから御寺と呼ばれる泉涌寺がある月輪地区は、清少納言の父・清原元輔の邸宅があったとされる場所で、清少納言が晩年を過ごしたとされています。境内には、清少納言の供養塔と歌碑が立っています。泉涌寺の創建については、伝承によれば、斉衡3年(856年)、藤原式家の流れをくむ左大臣藤原緒嗣が、自らの山荘に神修上人を開山として草創したという説、空海が天長年間(824年-834年)、この地に草創した法輪...
清少納言はなぜ枕草子を書いたのか?また題名の由来や紫式部との関係は?
「春は曙。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲のほそくたなびきたる。夏は夜、月のころはさらなり、・・・」で始まる「枕草子」は、高校の古文で習いますのでご存知の方が多いと思いますが、執筆の経緯など詳しく知っている人は意外と
白峯神宮の境内にある伴緒社は、源為義とその息子である源為朝を祀ってあります。伴緒社(ともおのしゃ)源為義源義親の子。義父である義忠が暗殺され、その犯人とされ逃亡した義綱を14歳で討ち取った。その後藤原摂関家に仕える。保元の乱では、子の頼賢、為朝らと供に上皇側につき、天皇方の義朝、平清盛らと戦ったが、義朝らに敗れた。東国へ落ち延びようとしたが、義朝のもとに降伏、比叡山に出家した。義朝は、為義と弟たちの...
もとは、蹴鞠・和歌の宗家である飛鳥井家の邸宅地で、手水舎の飛鳥井(あすかい)は、清少納言の『枕草子』の中で、9つの代表的な井戸のひとつに挙げられています。飛鳥井白峯神宮の飛鳥井は平安の昔から有名です。平安時代の歌謡曲の催馬楽「飛鳥井」には「飛鳥井に宿りはすべし、や、おけ、蔭もよし、御水(ミモヒ)も寒し、御秣(ミマクサ)もよし」と謡われていて、オアシスのように人々が憩っていたと想像されます。(や、おけ...
京都市上京区今出川通にある白峯神社のご祭神は、崇徳天皇と淳仁天皇。崇徳天皇は、鳥羽天皇の皇子としてご生誕、保安4年に第75代の天皇に即位されましたが、保元の乱により、讃岐に配流され、長寛2年に45歳で崩御、白峰山陵に奉葬されました。讃岐に配流されてからは、髪も剃らず、爪も切らずに日本国の大魔縁になって朝廷を呪い続けたと伝えられています。崩御されてから大火事や不穏な事件が頻繁に起きたため、崇徳天皇の祟...
法金剛院は、京都市右京区花園にある律宗の寺院で、開基は待賢門院とされています。ここは平安時代初期の右大臣・清原夏野の山荘を平安末期に待賢門院(鳥羽上皇の中宮、後白河天皇の母)が再興した律宗のお寺です。清原夏野(きよはら の なつの)は、平安時代初期の皇族・公卿。舎人親王の孫である内膳正・小倉王の五男。官位は従二位・右大臣、贈正二位。清原夏野『前賢故実』延暦23年(804年)同じ内舎人の官職にあった親族の...
「『NHK短歌』が大河ドラマ『光る君へ』について言及したよ」~古典・漢文の学習はやはり必要。何なら英語はなくてもいい①
Eテレ「NHK短歌」で「光る君へ」の特集をやった。 やはり誰が見てもこころ動かされるところは同じ。 死の床で権力者は妻の詠んだ和歌を口ずさみ、 清少納言は傷心の中宮のために「枕草子」を書き始めるという話。(写真:フォトAC) 【NHK短歌「スペシャル 短歌で『光る君へ』を10倍楽しもう!」】 日曜日の朝のEテレは午前5時から宗教を題材とする「こころの時代」、6時から「NHK短歌」、6時25分~35分がラジオ体操、6時35分から「NHK俳句」と続きます。 私の家では「こころの時代」と「NHK短歌」は気まぐれで流すときは流し、「NHK俳句」は妻の趣味なので朝食を取りながら見て、7時になるとフジテレ…
サブタイトルは「忘れえぬ人」。予告編ではまひろにとっての道長のようでありながら、他にもさわさん(九州に行った女友達)や、周明にとってのまひろだったり、あるいは一条天皇にとっての中宮定子であったりと、幾..
読書記録:枕草子ビギナーズ・クラシックス 日本の古典(角川ソフィア文庫)[清少納言]二週間以上かかってようやく読み終えられました。「枕草子」の初心者向け抄訳&解説本です。前にもちょっと触れた通り、現代語..
放送大学 /『枕草子』の世界(’24)/ 大河ドラマ「光る君へ」
NEKONOTE - 放送大学で今期から始まった”枕草子の世界”を受講しています。F4も出てくるよ〜- 脱出ゲームアプリの制作をしています。ブログでは4コマ絵日記、webや日常に役立つ情報をまとめています。ゲーム制作/web制作/放送大学/英語学習
少しは”忖度”してくださいっ! ~アスペルガーさんが孤立する理由~
突然ですが、あの有名な「源氏物語」の書き出しは次のうちどれでしょう。 ①春はあけぼの ②今は昔 ③いづれの御時にか もちろん③ですね。いづれの御時(発音は「お…
熊野御幸とは上皇(法皇)の熊野詣。白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇の院政期が中心で、この四上皇の度数がとりわけ多い。全体で100度を数える。この作品は後鳥羽上皇の熊野御幸に随従した歌人、藤原定家の記録を、和歌山県出身の作家 ...
【光る君へ】#21 感涙の「春はあけぼの」誕生、まひろ&道長は再逢瀬からの新たな道へ
NHK大河ドラマ「光る君へ」第21回「旅立ち」が5/26に放送された。まず公式サイトから、あらすじを引用する。 (21)旅立ち 初回放送日:2024年5月26日 定子(高畑充希)が髪をおろしたことは内裏に広まり、一条天皇(塩野瑛久)はショックを受ける。任地に赴くことを拒み逃亡する伊周(三浦翔平)を実資(秋山竜次)らが捜索し、やがて発見するが…。定子を守ることができず落胆するききょう(ファーストサマーウイカ)を励ましたいまひろ(吉高由里子)は、中宮のために何かを書いてはどうかとアドバイスする。越前へ旅立つ日が近づき、まひろは道長(柄本佑)に文を送り…((21)旅立ち - 大河ドラマ「光る君へ」 …
大津市の打出浜は、平安時代、貴族達の間で流行った石山詣をする際、逢坂の関を越え、舟で石山寺へ向かった出発の地とされています。『枕草子』にも「浜は、打出の浜」と記され、紫式部も父・藤原為時の越前赴任に伴い、ここから旅立ったといいます。その舟路で三尾崎を通ったとき「三尾の海に綱引く民のてまもなく立居につけて都恋しも」と詠み、その歌碑が白鬚神社(高島市)に建立されています。ここから見える三上山は、紫式部...
京阪電鉄/京津線「大谷」下車 徒歩3分のところにある「逢坂の関」は、逢坂山にあった関所で、東海道、東山道の京都への入り口にあたる要所として知られています。また、平安時代から蝉丸法師や清少納言など多くの歌人がこの関を歌った歌枕の地としても有名です。天禄元年(970年)には藤原道綱母が逢坂越を通った際に休息した事が『蜻蛉日記』に記されています。「逢坂」の地名を契機として別離や邂逅の感懐が詠まれることが多いが...