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#674 藤原道綱母と『蜻蛉日記』‐大河『光る君へ』を楽しむ為に
『光る君へ』で兼家にとにかく道綱をとお願いし、石山詣ででまひろらと交流した藤原道綱母(大河では藤原寧子)とその作品の『蜻蛉日記』ついてです。本朝第一の美人の寧…
石山寺。源氏物語の中でも光源氏が訪れていたり藤原道綱の母(蜻蛉日記作者)も祈願に訪れています。紫式部もこの石山寺で源氏物語の構想を練ったと言い伝えがあります。…
#663 第15回「おごれる者たち」感想~大河ドラマ『光る君へ』
ききょう、ついに女房となり清少納言と名付けられ、まひろは『蜻蛉日記』の藤原道綱母に出会い、作家の道がみえてきたのかも・・・大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』…
平安時代の人々は、霊験あらたかな石山寺の観音様に会いに行くのが大きな楽しみでした。藤原道綱母もその一人で、『蜻蛉日記』には朝早く都を出て、逢坂(おうさか)の関を越えて近江に入り、打出浜から舟で琵琶湖から瀬田川へ進み、夕方頃に石山寺に入ったと記されています。まさに一日がかりの石山詣だったようです。逢坂の関打出浜大河ドラマ館を出て、境内を散策していきます。明王院の前には、比良明神影向石があります。ここ...
藤原道綱母の書いた『蜻蛉日記』には、夫である藤原兼家との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長の母)との競争、夫に次々とできる妻妾について書き、また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先での出来事、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談についてのの記事がある。藤原道綱母の没年より約20年前、39歳の大晦...
読書記録:蜻蛉日記和泉式部日記生方たつゑの(わたしの古典シリーズ)(集英社文庫)文庫-1996/9/20生方たつゑ(著)兼家パパの側妻さんで、道綱(大河ドラマで上地雄輔)の母が書いた「蜻蛉日記」と、「和泉式部日記」を..
上京区寺町通の梨木神社は、明治維新に大きく貢献した三條実万・実美父子を祭神とし、境内に約500株のハギが植えられていることから、別名萩の宮とも呼ばれています。境内がある辺りは、平安時代前期に藤原北家全盛の礎を築いたとされる藤原良房の邸「染殿第」があった場所とされています。また、『源氏物語』に登場する花散里(はなちるさと)邸や空蝉(うつせみ)が住んでいた中川の家は、梨木神社辺りだったのではないかといわ...
先日、壊れてリピートしたと書いた、ダイソーのメガネ型ルーペ(1.3倍)。その後、間一日おいて出勤した昨日、駄目元で室内を探してみたところ……見つかっちゃったよ(驚)テーブルからかなり離れた隅の方の絨毯..
京都の一条戻橋から東へ50mほど行ったところに、聚楽城 加藤清正邸の案内板があります。当地は平安京の左京北辺二坊五町にあたり、「蜻蛉日記」の著者・藤原道綱母が住まいした平安時代の一条邸跡とされています。藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)平安中期の歌人。父は正四位下藤原倫寧(ともやす)、母は『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』などに刑部大輔(ぎょうぶのだいぶ)源認(みとむ)の女(むすめ)とするが、通説は主殿頭(との...