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目次 1 腹ごなしに『修善寺温泉』の街を散策開始 2 鎌倉殿との所縁も深い曹洞宗寺院『修善寺』 3 紅葉も盛りの『修禅寺』境内 4 修善寺庭園『東海第一園』を鑑賞 5 2代目「鎌倉殿『源頼家』」にも13人の配下が 1 腹ごなしに『修善寺温泉』の街を散策
■めし屋『みづ』修善寺でワサビと蕎麦を味わえる食事処(静岡県伊豆市)
目次 1 修善寺温泉にて昼食をいただきます 2 「和食処 めし屋『みづ』」にて昼食をいただきます 3 オススメは『修善寺懐古蕎麦』と『花車弁当』 4 『花車弁当』は美しく目でも楽しめる逸品 5 名物の生わさびも楽しめる『修善寺懐古蕎麦』 1 修善寺温泉に
■鎌倉殿と北条氏ゆかりの伊豆『修善寺』へ伊豆箱根鉄道『旅助け』で訪問(静岡県伊豆市)
目次 1 三島・修善寺の旅に出発! 2 新幹線グリーン車にお得に乗車 3 伊豆箱根鉄道は『旅助け』がオススメ 4 「駿豆線」はローカル線の長閑な車窓が楽しめます 5 古くからの温泉地の風格『修善寺温泉♨️』 1 三島・修善寺の旅に出発! (写真:今日は朝
こんにちは②の続きです24日は 朝から 曹洞宗 大本山『永平寺』へ お参りしに行きました外からでも 凄さをピリピリ肌に感じますこちらは、お坊さんになる為の修行…
神社仏閣巡りのまとめのブログです(*'▽')過去から順番に書いていきたいと思ってます♪ 2014年12月13に日帰りバスツアーで伊豆方面へ行ってきました(^…
1ヶ月ほどカレンダーを遡るお話なのですが、せっかくの撮り歩きをお蔵入りさせるのも勿体ないので、伊豆の修善寺でちょっとだけ写真散歩した時のネタをアップしておきます。ちと長い記事になってます、すみません。御承知のように、中伊豆の修善寺は平安時代
ホテルの敷地から富士山がみえます。といっても、写真はズームで撮っています。普段、朝というと、「そんな朝から食欲ないし。」とう感じで、トーストとヨーグルトとか、…
入手場所:修善寺屋静岡県伊豆市修善寺952TEL:0558-72-5571伊豆最古の温泉といわれている修善寺温泉。平安時代に弘法大師が開いたという“修禅寺”(修善寺とは字が違う)へ参拝。弘法大師が独鈷を用いて岩を砕き、そこからお湯が湧出したという伝説が残る“独鈷の湯(とっこのゆ)”で記念撮影をした。その後、お土産でも買おうかと立ち寄った店が「竹と民芸品 修善寺屋」さん。店内には修善寺を中心とした伊豆の名産品がところ狭し...
伊豆の国市韮山の政子産湯の井戸の近くに、光照寺があります。もとは北条時政が源頼朝のために建てた館の跡で、頼朝の死後に寺になったそうです。伊豆には、頼家の面に伝わる伝承がいくつか残されています。頼家の病状を伝えるため、面に写して鎌倉に送ったという共通点はあるものの、面を刻むに至った理由については・北条氏が密かに温泉に漆を混入させ、頼家の全身をかぶれさせた・単に伝えるための2種類が認められ、面を届ける...
修禅寺に幽閉されていた源頼家が非業の死を遂げたことを知った地元の人々は、笠冠地蔵を建立しました。元は月見ヶ丘の中腹にありましたが、昭和36年に道路拡張工事で山の一部が削られたため、修善寺橋の袂に移されました。幽閉されていたころの頼家は、修禅寺の山を下り、狩野川のほとりの月見ヶ丘で月を眺めてその憂さを晴らしたり、里の子どもと遊びながら、鎌倉に残した息子・一幡に思いを馳せていたといいます。23歳の若さで無...
横瀬八幡神社の境内には、源頼家の母・北条政子の悪病平癒の伝説を持つ『孔門石(紅門石)』または『玉門石』と呼ばれる女陰の石尊がまつられており、女性特有の病や子宝開運のご利益があると言われています。こちらの祠の中にあるのですが、石の姿は見えません。横瀬八幡宮縁起兼ねて修善寺温泉に湯あみしける徒然に横瀬八幡宮に詣うで、ゆかりある祠にてめづらかなる世のまれごとを伝えたり此所は、狩野川と桂川との合流点にあた...
修善寺の横瀬八幡神社は、旧修善寺村の氏神として古来より厚く尊崇されている神社で、祭神は不詳、相殿は源頼家です。元々は現在の場所より200mほど東側にある月見ヶ丘にありましたが、のちに現在の場所に社殿を建立し、源頼家の束帯の立像を作り、廟(みたまや)とし、八幡と称しました。2017年、道路の拡張のため境内の一部が削られた際、鳥居と神橋が撤去され新たに鳥居が奉納されました。(撤去された鳥居と神橋は本殿の横に置...
十三士の墓は、頼家の墓近くにあります。頼家の家臣十三人が、頼家が殺された6日後に謀叛を企てたものの、挙兵前に発見され、全員殺されたと伝えられています。北条氏との確執で、病気を理由に修禅寺に配流された頼家は、元久元年(1204)7月18日、入浴中に暗殺された。吾妻鏡(鎌倉時代史書)によると、この6日後、頼家の家臣らは謀反を企てたが、挙兵以前に発覚して、相州金窪太郎行親らに殺されたことが記されている。...
独鈷の湯(とっこのゆ)は、修善寺温泉の修善寺川(桂川)の川中にあり、伊豆最古の温泉ともいわれています。大同2年(807)、修善寺を訪れた空海は桂川で病気の父の身体を洗う少年の孝行の心に打たれ、「川の水では冷たかろう」と持っていた独鈷杵で川の岩を打ち、霊泉を湧き出させました。その湯に浸かったところ、十数年来の父親の病気はたちまち完治させることができたといいます。これにより、温泉療法が広まり、修善寺温泉が...
修善寺の筥湯(はこゆ)は、鎌倉幕府二代将軍、源頼家が入浴中に北条氏の刺客に襲撃された温泉したという伝説の名湯です。伊豆最古の温泉場として栄えてきた修善寺には、かつて桂川沿いに7つの外湯があり、それぞれが浴客で賑わっていました。しかし昭和20年代には「独鈷の湯」だけになったといわれてます。平成12年に筥湯がオープンし、外湯が復活。檜造りの湯舟には掛け流しの湯があふれ、修禅寺温泉の情緒を味わえます。修善寺...
源頼家の墓は、鹿山のふもと源氏公園内の指月殿の隣にあります。正面に立っている石碑は、元禄16年(1703年)頼家公500回忌の際に、時の修禅寺住職が建てた記念碑で、墓は記念碑の裏にある小さな五輪石塔で、それぞれ頼家、側室の若狭の局、子の一幡のものといわれています。 毎年7月下旬ごろの『頼家まつり』では、頼家公行列と墓前供養が行なわれます。正治元年(1199年)に父頼朝の後を継いで18歳で鎌倉幕府の二代将軍となった...
修禅寺の山門から川を挟んだ対岸にある指月殿は、修善寺で暗殺された源頼家の冥福を祈って母の北条政子が修禅寺に寄進した経堂で、伊豆最古の木造建築物といわれています。その際、政子が寄進した経典の一部は、修禅寺の宝物殿で展示されています。この時宋版大蔵経、釈迦三尊繍仏なども合わせて寄進し、門前の虎渓橋も架け替えたといわれています。堂内中央に禅宋式という珍しい様式の丈六釈迦如来座像が安置されていますが、持ち...
修善寺温泉街の中心にある修禅寺地名は「修善寺」、ですが、寺名は「修禅寺」、表記が異なります。807年(大同2年)に空海が創建したと伝えられています。当時は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と言われていましたが、鎌倉時代初期には修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになりました。手水舎から出ているのは温泉です。現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したもの。岡本綺堂の「修禅寺物語」の舞台...
修善寺温泉街の中心にある修禅寺地名は「修善寺」、ですが、寺名は「修禅寺」、表記が異なります。807年(大同2年)に空海が創建したと伝えられています。当時は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と言われていましたが、鎌倉時代初期には修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになりました。手水舎から出ているのは温泉です。現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したもの。岡本綺堂の「修禅寺物語」の舞台...
修善寺の日枝神社は、隣にある修禅寺の鬼門に当たり、もとは修禅寺の山王社(鎮守)で弘法大師の建立といわれています。明治初年(1868)の神仏分離令により分離されました。境内には、源範頼が幽閉されていた信功院があった場所でもあります。源範頼は、義経とは対照的に、常に頼朝に従順な態度を示し、異心なきを誓っていましたが、建久4(1193)年、曾我兄弟の仇討ち事件への対処方が疑われ、伊豆国修禅寺に幽閉されました。その後...
伊豆マリオットホテル修善寺④ ~ホテルチェックアウト後のおすすめ観光スポット~ 宿泊記
こんにちは! バジルです🍃 このブログはSPGアメックスホルダーの旅好き20代が執筆するブログとなっております。 今回の記事では、ホテルをチェックアウトした後の観光について紹介していきます🙆🏽♂️ 伊豆マリオットホテル修善寺ー修善寺駅 修善寺温泉 修禅寺 独鈷の湯 竹林の小径 猿の手湯 修善寺温泉の激レア蕎麦屋 修善寺温泉にあるワイナリーとは? ~おまけ~ 伊豆マリオットホテル修善寺ー修善寺駅 ホテルから修善寺駅からまではシャトルバスが出ています 👆ホテルHPより 修善寺駅からは伊豆箱根バスを利用し,修善寺温泉口まで向かいます🚍 修善寺温泉 着きました! まだまだ修善寺温泉の入り口ですが、…