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■鎌倉殿と北条氏ゆかりの伊豆『修善寺』へ伊豆箱根鉄道『旅助け』で訪問(静岡県伊豆市)
目次 1 三島・修善寺の旅に出発! 2 新幹線グリーン車にお得に乗車 3 伊豆箱根鉄道は『旅助け』がオススメ 4 「駿豆線」はローカル線の長閑な車窓が楽しめます 5 古くからの温泉地の風格『修善寺温泉♨️』 1 三島・修善寺の旅に出発! (写真:今日は朝
女子旅での「伊豆の小京都」修善寺の歩き方!所要時間を含めた日帰り観光モデルコース
「浄蓮の滝」や「修善寺温泉」で有名な修善寺は、紅葉や梅の季節にも訪れたい風情あふれる観光地です。「温泉」「歴史」「パワースポット」これらのワードに弱い女子必見!修善寺を凝縮したおすすめの日帰り観光モデルコースをご紹介します。
伊豆の国市韮山の政子産湯の井戸の近くに、光照寺があります。もとは北条時政が源頼朝のために建てた館の跡で、頼朝の死後に寺になったそうです。伊豆には、頼家の面に伝わる伝承がいくつか残されています。頼家の病状を伝えるため、面に写して鎌倉に送ったという共通点はあるものの、面を刻むに至った理由については・北条氏が密かに温泉に漆を混入させ、頼家の全身をかぶれさせた・単に伝えるための2種類が認められ、面を届ける...
修禅寺に幽閉されていた源頼家が非業の死を遂げたことを知った地元の人々は、笠冠地蔵を建立しました。元は月見ヶ丘の中腹にありましたが、昭和36年に道路拡張工事で山の一部が削られたため、修善寺橋の袂に移されました。幽閉されていたころの頼家は、修禅寺の山を下り、狩野川のほとりの月見ヶ丘で月を眺めてその憂さを晴らしたり、里の子どもと遊びながら、鎌倉に残した息子・一幡に思いを馳せていたといいます。23歳の若さで無...
源頼家の墓は、鹿山のふもと源氏公園内の指月殿の隣にあります。正面に立っている石碑は、元禄16年(1703年)頼家公500回忌の際に、時の修禅寺住職が建てた記念碑で、墓は記念碑の裏にある小さな五輪石塔で、それぞれ頼家、側室の若狭の局、子の一幡のものといわれています。 毎年7月下旬ごろの『頼家まつり』では、頼家公行列と墓前供養が行なわれます。正治元年(1199年)に父頼朝の後を継いで18歳で鎌倉幕府の二代将軍となった...
修善寺温泉街の中心にある修禅寺地名は「修善寺」、ですが、寺名は「修禅寺」、表記が異なります。807年(大同2年)に空海が創建したと伝えられています。当時は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と言われていましたが、鎌倉時代初期には修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになりました。手水舎から出ているのは温泉です。現在の本堂は1883年(明治16年)に再建したもの。岡本綺堂の「修禅寺物語」の舞台...