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紫式部の父・藤原為時は、長和5年(1016年)4月29日に園城寺(三井寺)にて出家。式部の母の兄弟である康延(こうえん)、式部の異母弟・定暹(じょうせん)は、三井寺の僧侶でした。『紫式部日記』には、中宮彰子が出産の際、園城寺の心誉阿闍梨(しんよあじゃり)がもののけの調伏に当たったとあります。園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山で、山号は長等山(ながらさん)。三井寺という通称を持ちます...
「源氏物語」を生んだ一条朝は、紫式部、清少納言、安倍晴明など、おなじみのスターが活躍した時代。藤原道長が権勢をふるった時代とも記憶されているが、一条天皇は傀儡の帝だったわけえなく、「叡哲欣明」と評された賢王であった。「源 ...
今宮神社の祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)・事代主命(ことしろぬしのみこと)・奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)で、正暦5年(994)に船岡の上に創立されたといわれ、平安初期に疫病を祓うために、京中の人々が疫神お祀ったのに由来するとされています。東門長保3年(1001)の疫病流行の際、一条天皇が船岡山に安置されていた疫神を当地に移し、今宮と名付けたのが始まりとされています。楼門本殿本殿は明...
藤原道長の時代から行幸が始まり、一条天皇は即位直後から、たびたび行われた神社行幸を度々行っていました。一条天皇の神社行幸は、藤原氏の権威を示す側面もあったといいます。四条通の西端に鎮座する「松尾大社」もそのひとつです。大宝元年(701)、秦忌寸都理(はたのいみきとり)がふもとの現在地に社殿を建てて移し、同氏の氏神にしたと伝えられています。平安京の鎮護の神とされ、東の厳神といわれた賀茂社に対し西の猛霊と称...
第66代天皇・一条天皇の父は円融(えんゆう)天皇、母は藤原兼家の娘・東三条院詮子(せんし)。984年(永観2)花山天皇の皇太子となり、986年(寛和2)7歳で即位。初め外祖父の兼家が摂政となり執政し、兼家死後はその子道隆、道兼が摂関となり、ついで藤原道長が内覧の肩書で大臣として政権を掌握しました。初め、道隆の女定子を皇后としましたが、のち道長の女彰子が立后、一帝二后の例を開きました。定子には第1皇子敦康、彰子には...
京都市南区九条町にある東寺は、真言宗の寺院で、東寺派の大本山。延暦 15 (796) 年平安遷都のとき羅生門の東に創建され、西寺に対して東寺といい、また左大寺、左寺とも。弘仁 14 (823) 年嵯峨天皇から空海に賜わり、真言密教の根本道場となって教王護国寺と号しました。鎌倉時代に文覚が堂舎を修復。文明 18 (1486) 年の火災で堂塔など大部分を焼失しましたが、豊臣氏、徳川氏の助力により再建されました。『紫式部日記』には、...
現在の京都御苑の仙洞・大宮御所の北側には、藤原道長の邸宅・土御門第がありました。土御門第跡(つちみかどていあと)平安時代中期に摂政・太政大臣となった藤原道長の邸宅跡で、拡充され南北二町に及び、上東門第(じょうとうもんてい)、京極第(きょうごくてい)などとも呼ばれました。道長の長女彰子(しょうし)が一条天皇のお后となり、里内裏(さとだいり)である当邸で、後の後一条天皇や後朱雀天皇になる皇子達も、誕生...
【2024年大河ドラマ『光る君へ』第三十五回「中宮の涙」】《新たな推しの誕生》 中宮彰子役をつとめる見上愛の名演技に魅せられて。
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寛弘5年(1008)、藤原道長は、娘の中宮彰子のために、金峯山で懐妊祈願を行いました。その甲斐あってか、ついに彰子の懐妊が判明。出産のために、彰子が道長の邸である土御門邸へ里下がりすると、4月から5月にかけて、彰子の安産祈願のための法華三十講が行われました。※法華三十講法華経二十八品 (ほん) に開経の無量義経と結経の観普賢経を加えた30巻を、1日に1巻ずつ、または朝夕に1巻ずつ講ずる法会。京都市左京区聖護院山王町...
まひろとの会話や伝えようとする話から殻を破りそうな中宮彰子を描いた『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第34回「目覚め」について敦康新王には心を開くも、父…
藤式部(まひろ)には考えを語る中宮彰子様、その導きで一気に爆発的な覚醒をなさった『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第35回「中宮の涙」について藤式部の導…
金峯神社は、吉野山最奥の青根ヶ峰のそばにあり、吉野山の地主神を祀る神社です。二の鳥居金峯神社に伝わる経筒は、金峯山から出土したもので国宝となっています。令和6年(2024)には、金峯神社と金峯山寺が所有する藤原道長直筆の「金峯山経塚出土紺紙金字経」が国宝に指定されました。拝殿 吉野神宮の旧拝殿を移築したもの義経隠れ塔源頼朝に追われた源義経がここに隠れていたという塔。その際に追っ手に囲まれてしまい、屋根を蹴...
御嶽詣(みたけもうで)とは、吉野郡金峰山(きんぶせん)に参拝すること。藤原宣孝は、正暦元年(990年)3月頃に御嶽詣を行いますが、『枕草子』によると「御嶽は『質素な服装で詣でよ』などと仰らないだろう」といって長男の隆光とともに派手な衣装で参詣したことが書かれています。帰京後の同年8月に筑前守に任ぜられたことから、「あのとき言った通りであった」と噂されたといいます。吉野・大峯は古代から山岳信仰の聖地であり、...
2020年 (185-3) 紫式部小旅-3-/野宮神社/須磨源氏寺/中宮彰子/一条天皇/藤原兼家
*** 彰子中宮発願東北院 *** 『2020年 (129-2) 吉田神社/摂社たち/紅葉/遠望23Dec13』*** おひさの吉田神社 *** 吉田神社京都…
現在の京都御苑の仙洞・大宮御所の北側には、藤原道長の邸宅・土御門第がありました。藤原道長の日記『御堂関白記』には、寛弘4年(1007年)道長が、曲水の宴を土御門殿で主催したとあります。平安時代のこの辺りは、公家の屋敷や寺院が建つ土地で、東側には紫式部の邸宅跡・廬山寺、その南の鴨沂高校の辺りには、道長が創建した法成寺もありました。寛仁2(1018)年10月16日、道長の「御堂関白記」に和歌を詠んだ記載があり、その歌...
【光る君へ】#33 藤式部まひろ宮中で華々しく作家生活スタート。道長、彰子を照らす光に
まるで平安版「プラダを着た悪魔」、高級女官の生活を垣間見 NHK大河ドラマ「光る君へ」第33回「式部誕生」が9/1に放送された。大河ドラマの33回と言えば、「おんな城主直虎」の高橋一生の名演が否応なしに頭に浮かぶ。毎年、大体が節目となる大事な回だと思うが、今作ではとうとう(やっとのこと?)帝に認められ、まひろが宮中作家として華々しいデビューを飾った。 では、公式サイトからあらすじを引用する。 (33)式部誕生 初回放送日:2024年9月1日 道長(柄本佑)に頼まれ、まひろ(吉高由里子)は彰子(見上愛)が暮らす藤壺に住み込みで働き始める。まひろは早速、物語の続きを書こうとするも、宮中での暮らしに…
まひろ、道長のために立ち上がり、一条天皇に献上する物語を書いていく大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第31回「母として」について道長の願いで、中宮彰子の為…
まひろ、中宮彰子の下で宮仕えをしながら、物語の創作活動に励む『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第33回「式部誕生」についてまひろ、中宮彰子のもとで宮仕え…
#802 第32回「誰がために書く」感想~大河ドラマ『光る君へ』
まひろ、ついに宮中での女房生活に入ることとなる大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』の第32回「誰がために書く」について道長は『源氏物語』に興味を持った一条天皇…
誠心院は、京都市中京区にある和泉式部ゆかりの寺院で、通称「和泉式部寺」と呼ばれています。新京極通の東側、誓願寺南にあり、華岳山と号し、真言宗泉涌寺派。本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、藤原道長がその女上東門院彰子に仕えていた和泉式部のために、東京極今出川いまでがわ南にあった東北とうほく院の一隅に一庵小御堂を結び与えたのが始まりという(貞徳百人一首頭書)。和泉式部は越前守大江雅致の女。和歌に優れ和泉守橘...
【光る君へ】#30 作家まひろ、原稿を燃やした娘が許せない。道長は嫡妻倫子様と亀裂拡大・・・バレた?
藤原F4の集いで、まひろの名が上がる NHK大河ドラマ「光る君へ」第30回「つながる言の葉」が8/4に放送された。ラストに道長がまひろの前に姿を現したところで、またまた2週間のお預け!次回放送は8/18に。 次回予告の限りでは、せっかく「源氏物語」冒頭の「いずれの御時にか」に辿り着くようなのに、なんでーなんでー!と言いたいが(いや、オリンピックのせいだと分かってはいるけど)、NHKは視聴者を引っ張るのがお上手だということにしておく。 今回も、まずは公式サイトからあらすじを引用する。 (30)つながる言の葉 初回放送日:2024年8月4日 夫の死から三年、まひろ(吉高由里子)は四条宮の女房達に和…
「和泉式部(笑)」 昨日、18:15にジムから帰宅したら、母が「光る君へ」を見ていた。 予約録画していたが、取り敢えず見た。すると今まで見た事のない女優さんが…
平安時代、高松殿址は、 醍醐天皇の皇子・源高明(たかあきら)の御殿・高松殿があったところです。後に高明の娘・源明子が藤原道長の妻となり、高松殿を住居としました。その高松殿内に伊勢から天大神を勧請して祀った鎮守社が高松神明神社の起こりとされています。その後、後白河天皇の内裏となり、保元の乱では後白河天皇の本拠地となり、源義朝や平清盛らがここに参集して白河の地へ攻め込みました。平治の乱により高松殿は焼...
京都市西京区大原野南春日町にある大原野神社は、延暦3年(784年)に桓武天皇が長岡京へ遷都した際、皇后の藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である奈良・春日社(春日大社)の分霊を勧請したのが始まりとされています。嘉祥3年(850年)、藤原冬嗣を祖父に持つ文徳天皇が現社地に社殿を造営。貞観3年(861年)以降、皇后の参拝が再々あり、また円融天皇、一条天皇が度々行幸するなど藤原氏のみならず朝廷からも特別な崇敬を受けるようにな...
昨夜のドラマでは、清涼殿で、安倍晴明が一条天皇に彰子の入内は、吉日である11月1日がふさわしいと提言する場面が描かれていました。一条天皇や藤原道長の信頼を集めるようになった安倍晴明の様子が、道長の日記『御堂関白記』などの貴族の日記に記されています。藤原実資の『小右記』によると、正暦4年(993年)2月、一条天皇が急な病に伏せった際、晴明が禊(みそぎ)を奉仕したところ、たちまち病は回復し、正五位上に叙された...
土屋町通に平安宮内裏凝華舎(ぎょうかしゃ)(梅壺)跡・飛香舎(ひぎょうしゃ)(藤壺)跡の案内板があります。飛香舎(ひぎょうしゃ)は、藤原道長の娘で、一条天皇の中宮藤原彰子の御殿です。庭に藤の木が植えられたことから藤壺(ふじつぼ)と呼ばれ、この舎で藤や菊を愛でる宴が行われました。通常非公開ですが、現在の京都御所に復元されています。内裏の後宮七殿五舎の一つ。南庭(壺)に紅白の梅を植えていたので梅壺と呼ばれた。...
『日と月の后 下』では、最愛の夫・一条天皇を亡くした彰子が、夫の意思を継ぎ周囲の人々を救う国母へと成長していきます。 ・『日と月の后 上』はこちら 我欲の道長と、懲りない伊周 彰子は父親の道長と、その政敵である伊周に苦労させられます。 ただ
『日と月の后』は、紫式部が仕えた中宮彰子が主人公。父・藤原道長に逆らい夫・一条天皇を支えていきます。 少女が後宮で人の欲望や愛を知り、国母(天皇の母)へと成長していく物語です。 『日と月の后 上』あらすじ 藤原道長の娘・彰子は、12歳で一条
#555 TVアニメ『まんが日本史14「花ひらく王朝文化-清少納言と紫式部」』
『大河ドラマ「光る君へ」 - NHK』が始まるのでその藤原道長の摂関全盛期の紫式部が活躍時代についての『まんが日本史』をヒストリーチャンネルで放送されていたの…
2020年 (129-2) 吉田神社/摂社たち/紅葉/遠望23Dec13
*** おひさの吉田神社 *** 吉田神社京都市左京区吉田神楽岡町の吉田山に鎮座する古社、吉田神社。貞観元年(859年)、藤原山蔭が一門の氏神として、奈良の春…
二后を持った一条天皇とは?平安女流文学開花に寄与した生涯と人物像に迫る。
2024年NHK大河ドラマは「源氏物語」の作者である紫式部が主人公でそのパトロンでもあった藤原道長とのラブストーリーも含む「光る君へ」(主演・吉高由里子 作・大石 静)です。2020年の「麒麟がくる」、2021年の「青天を衝け」、2022年
紫式部が仕えた中宮彰子とは?道長没後も摂関政治を支えた生涯と人物像に迫る。
2024年NHK大河ドラマは「源氏物語」の作者である紫式部が主人公でそのパトロンでもあった藤原道長とのラブストーリーも含む「光る君へ」(主演・吉高由里子 作・大石 静)です。2020年の「麒麟がくる」、2021年の「青天を衝け」、2022年