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#4604 山越えて遠津の浜の岩つつじわが来るまでに含みてあり待て
令和7年5月14日(水) 【旧 4月17日 友引】 立夏・「蚯蚓出(きゅういんずいずる)」山越えて遠津の浜の岩つつじわが来るまでに含《ふふ》みてあり待て ~作者未詳 『万葉集』 巻7-1188 雑歌山を越えた遠くにある遠津の浜の岩つつじよ、私がまた帰ってくるまで、つぼみのま
#4516 世の中に恋といふ色はなけれどもふかく身にしむものにぞありける
令和7年2月14日(金) 【旧 1月17日 大安】 立春・魚上氷(うおこおりをいずる)バレンタイン・デー暖炉に薔微の木を焚けり ~角川春樹(1942-)Photo:聖ヴァレンティヌス ~Whats-Your-Sign.com そもそも本当の「バレンタインデー」ってなんだろうと思って調べてみました
比叡山の麓にある坂本の恵日院の境内にある慈眼堂は、慶長12年(1607年)から比叡山南光坊に住み、織田信長の比叡山焼き討ち後の延暦寺の復興に尽力した天海の廟所です。正保3年(1646年)に建立された江戸時代初期の禅宗様を基本とする仏堂で、国の重要文化財に指定されています。堂内には木造慈眼大師坐像(重要文化財)を祀っています。境内には天海によって高島市から当地に移された鵜川四十八体石仏群のうちの13体の阿弥陀如...
中世のヘンテコ説話からかつての日本人の信仰世界と世界観を覗き見る ~京都・五条エリア
1.「宇治拾遺物語」にあるちょいとおもしろい説話 1-2.この説話に秘められた神仏の世界観 2.かつての日本人の信仰/精神世界をさらに探ってみる 2-1.浄土宗や修験道との関係 2-2.五条の地に伝わる他の説話・伝説 1.「宇治拾遺物語」にあるちょいとおもしろい説話 京都市の中心部、五条駅周辺の五条エリアには五條天神社という神社があります。「天使の宮」などとも言われていて京都市内(洛中)でももっとも古い神社の一つ、らしい。名前が「天神社」ではありますが、主祭神は菅原”天神さま”道真ではなくスクナビコナノミコト(少彦名命)、ほかにオオナムチノミコト(大己貴命)とアマテラスオオミカミが祀られていま…
2020年 (208-3) 和泉式部&貴船神社奥宮/左源太カフェ/貴船のお店たち24Nov13
*** 和泉式部と奥宮 *** 今の奥宮=藤原道長/紫式部/和泉式部時代の本宮です。1046年に当時の本宮が水害に遭ったので、今の本宮に遷座し…
京都市左京区浄土寺にある東北院は、藤原道長の没後、道長の娘である藤原彰子(上東門院)の発願によって道長が建立した法成寺東北の一郭に常行三昧堂として建立されました。彰子は東北院を建てた後、晩年ここを在所としたため、別称を東北院ともいいます。法成寺の区域の東北にあり、上東門院の母・源倫子が建立した常行三昧堂が法成寺の区域の西北にあって「西北院」と呼ばれていたことから、こちらは「東北院」と称せられました。...
鹿を巡る伝説・信仰の世界を踏み分け進んでみる ~猿丸太夫の百人一首の歌を足がかりに
“奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき” --猿丸太夫(生没年不詳) from 百人一首 史上に名高い歌人の中でも喜撰法師(六歌仙のひとり)と並んで謎めいた存在となっている猿丸太夫。架空の人物説も。上記の歌はそんな彼の代表作(もしかしたら唯一の歌?)です。 前回の投稿で金沢市にある彼を祭神にした猿丸神社を紹介した際にこの歌を挙げたので今回は主役級の扱いで。 今回のテーマは「鹿」です。 1.猿丸太夫の歌を鹿狩りをテーマにした歌を通して鑑賞してみる 1-1 万葉集に出てくる鹿狩りの歌を鑑賞してみる 1-2 鹿狩りと和泉式部を巡る伝説を見てみよう 2.鹿の「利用」と鹿にまつわる不思…
一緒に足湯につかるなら♨鶴瓶の家族に乾杯「光る君へ」泉里香が佐賀県嬉野市の茶畑へ!鶴瓶足湯で人生語る👸11/18 (月) 19:57 ~ 20:42
ゲストは大河ドラマ「光る君へ」で和泉式部を演じた泉里香。ぶっつけ本番旅の舞台は「和泉式部伝説」が残る佐賀県嬉野市。お茶が大好きだという泉は名産の嬉野茶の生産農家に会うために嬉野温泉駅前のイベント会場へ。そこでお茶の品評会で日本一に輝いた農家を紹介される。一方の鶴瓶は酒蔵で聞いた吉田焼の窯元を訪れ、3
江戸時代の怪談から女人救済の世界を垣間見る ~京都・誓願寺ほか
“晴れやらぬ 身のうき雲の たなびきて 月の障りと なるぞ悲しき” ~和泉式部(978?-不明) このところ出だしに歌を紹介することが多くなっているので今回も踏襲してみました。なかなかに見栄えがするかなぁ、と(笑)あと最近「~を覗き見る/垣間見る」ってタイトルが多いですね。ちょっとマンネリ化?😅 紫式部や清少納言と同時代に生きたおなじみの女流歌人、和泉式部。紫式部と清少納言は前者が今年(2024年)の大河ドラマのの主人公になったように現実的な視点から語られる傾向が強い(紫式部に関しては有名な地獄堕ちの伝承もありますが)のに対して和泉式部は各地に彼女を巡る伝説が伝わっているなど何かと神秘のヴェー…
もし出会うのであれば✨鶴瓶の家族に乾杯「光る君へ」泉里香が和泉式部ゆかりの佐賀県嬉野市へ!
ゲストは大河ドラマ「光る君へ」で和泉式部を演じた泉里香。旅の舞台は和泉式部の生誕の地のひとつとされる佐賀県嬉野市。和泉式部公園で鶴瓶を待つ泉はソリ滑りを楽しむ。
出た和泉式部 恋多き女和泉式部 忘れもしないおゆすき高1の時国語教師が 和泉式部日記は、エロ本読んだらわかるあれはエロ本だ と鼻息荒く言ってたのを思い出す……
2024年8月は、大河ドラマ『光る君へ』についに登場した和泉式部のことや、最近はまっているウイスキー沼の本、定番購入の歴史関係などの15冊を読みました。15冊…
大河ドラマ『光る君へ』に和泉式部が登場し、和泉式部について知ろうと思い、その人となりを知るための本『和泉式部 (人物叢書 新装版) 』について和泉式部の生い立…
#800 和泉式部と弾正宮・帥宮の恋愛関係 from『大鏡』 ~『光る君へ』を楽しむため
大河ドラマ『光る君へ』で、和泉式部と兄弟親王の弾正宮・帥宮との恋愛関係などを『大鏡』より前任の蔵人頭の源俊賢が、一条天皇に藤原行成をその能力から後任に推薦する…
大河ドラマ『光る君へ』に、恋に生き、恋心を詠う和泉式部が登場したので、和泉式部について知ろうと思い、その著作『新潮日本古典集成〈新装版〉 和泉式部日記 和泉式…
大河ドラマ『光る君へ』に、恋に生き、恋心を詠う和泉式部が登場したので、和泉式部について知ろうと思い読んでみた『今ひとたびの、和泉式部 (集英社文庫(日本)) …
大河ドラマ『光る君へ』に、恋に生き、恋心を詠う和泉式部が登場したので、和泉式部について知ろうと思い読んでみた伝記小説『あくがれ わが和泉式部 (ウェッジ選書)…
大河ドラマ『光る君へ』の第30話「つながる言の葉」で、ついに和泉式部が登場しました。 自分の心の正直というのか、恋愛体質というのか、恋に対して行動も、歌も自由…
#4349 声聞けば暑さぞまさる蝉の羽の薄き衣は身にきたれども
令和6年9月1日(日) 【旧 七月二九日 大安】・処暑 「天地始粛」(てんちはじめてさむし)声聞けば暑さぞまさる蝉の羽の薄き衣は身にきたれども ~和泉式部(978?-?)『和泉式部集』第1-0038 蝉の声を聞くと、暑さも一段とまさって感じられます。蝉の羽のような薄い衣を
『源氏物語』は、紫式部が生涯で唯一残した物語作品です。平安中期、宮仕えで宮中の内情にも精通した紫式部が、和歌795首を詠み込んだ物語を通して、当時の貴族社会を描きました。『源氏物語』の原本は、今は残されていませんが、現存する最古の写本は、鎌倉時代に藤原定家(ふじわらのさだいえ)が残したものであるといわれており、定家の写本は、以後『源氏物語』の主流となり、広がっていきました。また、定家が京都小倉山の山...
京都市中京区にある安養寺は、通称は倒蓮華寺(さかれんげじ)と呼ばれています。寛仁2年(1018年)に、恵心僧都源信が大和国の當麻に蓮台院を建立する。その後、源信の妹である安養尼が入寺し、寺名を安養寺に改名した。天永年間(1110年 - 1113年)、隆暹が京都に寺を移転させると、鎌倉時代に証仏が寺運を広めている。天正年間(1573年 - 1592年)に、豊臣秀吉によって現在地に移された。本尊の阿弥陀如来立像は八枚の蓮華を逆...
大河ドラマ『光る君へ』に、恋に生き、恋心を詠う和泉式部が登場したので、和泉式部について知ろうと思い読んでみた恋の和歌『あかねさすーー新古今恋物語 (河出文庫)…
誠心院は、京都市中京区にある和泉式部ゆかりの寺院で、通称「和泉式部寺」と呼ばれています。新京極通の東側、誓願寺南にあり、華岳山と号し、真言宗泉涌寺派。本尊阿弥陀如来。寺伝によれば、藤原道長がその女上東門院彰子に仕えていた和泉式部のために、東京極今出川いまでがわ南にあった東北とうほく院の一隅に一庵小御堂を結び与えたのが始まりという(貞徳百人一首頭書)。和泉式部は越前守大江雅致の女。和歌に優れ和泉守橘...
娘である小式部内侍を失った和泉式部は、娘の菩提を弔いつつ、自らの往生も考えるようになり、播磨国(兵庫県姫路市)書写山圓教寺(えんぎょうじ)を訪ねたという伝承があります。圓教寺は、書写山の山上にあり、康保3年(966年)、性空の創建と伝えられています。摩尼殿圓教寺は、都の皇族や貴顕の崇拝が篤く、なかでも性空に対する尊崇の念が強かった花山法皇は、寛和2年(986年)に来山して、圓教寺の勅号を与え、米100石を寄進...
貴船神社は、心願成就信仰としての「丑ノ刻詣(うしのときまいり)」でも知られています。鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「丑の刻参り」昔、宇治の橋姫が丑ノ刻詣りをして男に呪いをかけた伝説があり、これをもとに作られたのが謡曲「鉄輪」です。竜閑斎画『狂歌百物語』より「橋姫」橋姫が頭にのせた鉄輪を老いた鉄輪掛石が貴船口駅の傍らにあるそうです。丑ノ刻詣りというと、単に呪いをかけるというイメージがありますが、本来は...
思い川から奥宮への参道を進んで行くと、神門が見えて来ます。神門神門をくぐると、左手にあるのが連理の杉。連理の杉連理の杉(御神木)貞明皇后御参拝の折(大正十三年)称賛された連理の杉。連理とは別々の木が重なって一つになる意で、夫婦、男女の仲睦まじいことをいう。この神木は杉と楓が和合したものでひじょうに珍しい。貴船神社のお参りは、本宮、奥宮、結宮の順にお参りする三社詣という慣わしがあります。奥宮は、もともと...
貴船神社の奥宮の手前にそびえる杉の巨木。相生の杉(御神木)同じ根から生えた樹齢1000年の二本の杉。相生は、相老に通じ、夫婦艫に長生きの意味。自然の生命力を感じますね。貴船神社の縁結びのシンボルであるかのように、二本の杉が寄り添うように生えています。貴船神社の末社・「私市社(きさいちしゃ)」「林田社」私市社の御祭神は大國主命林田社の御祭神は少名彦命にほんブログ村 歴史ブログランキングに参加しています。応...
貴船神社の本宮から結社(中宮)へと向かいます。料理旅館の立ち並ぶ貴船川沿いの道は、秋は紅葉のトンネルとなります。夏には川床が設けられ、涼を求める人達で賑わいます。本宮より歩くこと10分、和泉式部もお参りしたという結社(ゆいやしろ)が見えてきます。結社は、本宮より上流300メートル、山側の小高い地にあり、本宮と奥宮の中間にあるため中宮 (なかみや)とも呼ばれています。御祭神は磐長姫命 (いわながひめのみこと)を...
貴船神社の社務所には、「水占い」というおみくじが売られています。まずは、紙の中から好きな一枚を選びます。最初は文字が書かれていませんが、境内の霊泉に浮かべると、文字が浮き出できて、普通のおみくじのように、恋愛、出産、病気、転居などの運勢が書かれています特に女性の間で人気があるようです。(私も引いたことがあります(^^;)また、おみくじには、QR Translatorが印刷されていて、外国人観光客は、それぞれの言語で...
「和泉式部(笑)」 昨日、18:15にジムから帰宅したら、母が「光る君へ」を見ていた。 予約録画していたが、取り敢えず見た。すると今まで見た事のない女優さんが…
貴船神社の社殿の前に白と黒の神馬の像があります。雨乞いの社として知られる貴船神社は、歴代天皇より、日照りには黒馬、長雨には白馬、または赤馬を献じて、祈願されてきましたは、平安時代の文献によると、時には生馬に換えて板立馬を奉納したと伝えられています。その板立馬が今日の絵馬の原形と言われ、貴船神社には絵馬は、絵馬発祥の地にちなんで黒馬・白馬の絵馬、貴船神社の神様である龍神さまにちなんだ龍絵馬などがあり...
京都の奥座敷「貴船」に佇む貴船神社は、全国に約450社ある貴船神社の総本社で、地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることから濁らず「きふね」といいます。創建年代不詳ですが、貴船川は鴨川の源流にあたり、御所の真北に鎮座することから、“京都の水源を守る神”として朝廷からも大切にされてきました。この日は、バスの時間が合わなくて、貴船口から貴船神社まで歩いて行きました。その向かう途中に出会った蛍岩(ほたる...
新京極にある誓願寺は、清少納言、和泉式部、松の丸殿が帰依したことにより、女人往生の寺として名高いお寺です。飛鳥時代、天智天皇 6年(667)、天皇の勅願により奈良に創建されました。鎌倉時代に奈良から一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、天正19年(1591)、秀吉の命により現在の地に移転し、慶長2年(1597)、秀吉の側室・松の丸殿(京極竜子)の援助によって伽藍の再興が完了しました。清少納言も和泉...
次回の「光る君へ」から和泉式部が登場するようなので、しばらく和泉式部についての記事をアップします。日本三大祭の一つに数えられる祇園祭は、八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)と呼ばれました。八坂神社 西楼門四条通りの突き当たりに建つ切妻造の楼門。南楼門八坂神社の正面門にあたる楼門。舞殿本殿現在の社殿は承応3年(1654)に4代将軍徳川家綱により建立されたもので、拝殿と本殿を大...
【第11話】詩と歌【和泉式部公園(佐賀県嬉野市)のレビュー・感想】
K1 2024年6月18日 今回は佐賀県嬉野市の和泉式部公園を紹介します。平安時代の歌人である"和泉式部"に所縁のある場所であり、和泉式部が詠った和歌が紹介されていたり、和泉式部の巨大な像が立てられていたりして、少し異色を放つ公園でもあります。この公園の一番の目玉はスピード良く滑れる大きな草スキー場です
熊野御幸とは上皇(法皇)の熊野詣。白河・鳥羽・後白河・後鳥羽上皇の院政期が中心で、この四上皇の度数がとりわけ多い。全体で100度を数える。この作品は後鳥羽上皇の熊野御幸に随従した歌人、藤原定家の記録を、和歌山県出身の作家 ...
新京極にある誓願寺は、清少納言、和泉式部、松の丸殿が帰依したことにより、女人往生の寺として名高いお寺です。飛鳥時代、天智天皇 6年(667)、天皇の勅願により奈良に創建されました。鎌倉時代に奈良から一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、天正19年(1591)、秀吉の命により現在の地に移転し、慶長2年(1597)、秀吉の側室・松の丸殿(京極竜子)の援助によって伽藍の再興が完了しました。清少納言も和泉...
読書記録:蜻蛉日記和泉式部日記生方たつゑの(わたしの古典シリーズ)(集英社文庫)文庫-1996/9/20生方たつゑ(著)兼家パパの側妻さんで、道綱(大河ドラマで上地雄輔)の母が書いた「蜻蛉日記」と、「和泉式部日記」を..
#4181 鴨山の磐根し枕ける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ
令和6年3月18日(月) 【旧 二月九日 仏滅】・啓蟄 菜虫化蝶(なむしちょうとなる)鴨山の磐根し枕《ま》ける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ ~柿本人麻呂 『万葉集』 巻2-0223 挽歌鴨山の岩を枕にして死んでゆく私のことを知らずに、妻は私の帰りをずっと待っている
読書記録:■和泉式部日記・訳|杉篁庵 https://sankouan.sub.jp/izumisikibunikki-yaku.htm個人サイトさんで公開されている、「和泉式部日記」の口語訳。原文と口語訳を、同画面で対訳しているページも用意されて..
#4130 竹の葉にあられ降るなりさらさらに独りは寝ぬべき心地こそせね
令和6年1月27日(土) 【旧 一二月一七日 仏滅】・大寒 水沢腹堅(さわみずこおりつめる)手枕の夢にふりこむ霰かな ~二葉亭四迷(1864-1909)Photo:霰が降った時の瓦 ~photoAC(あみん30さん) 二葉亭四迷の本名は長谷川辰之助。国語の授業では言文一致体の小説『浮雲』
「紫式部」という名を知らない人は少ないでしょう。紫式部といえば、いうまでもなく『源氏物語』の作者であり、平安時代を代表する女流作家ですが、じゃあ、紫式部...
#537 レビュー清少納言・紫式部はどんな女性⁉『平安ガールフレンズ』
紫式部、清少納言、和泉式部ってどんな人なのか、2024年大河ドラマ『光る君へ』に向けて読む『平安ガールフレンズ 酒井 順子』のレビュー清少納言、紫式部、和泉式…
#3739 下もゆる雪まの草のめづらしくわが思ふ人にあひみてしがな
令和5年1月1日(日) 【旧 一二月一〇日 先負】・冬至・雪下出麦(ゆきわたりてむぎのびる)下もゆる雪まの草のめづらしくわが思ふ人にあひみてしがな ~和泉式部 『和泉式部集』 第1-0076雪の下に萌えている草の芽のように愛おしく私が思うあの方にお逢いしたい。Photo:スノ
#3692 とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子は勝るらむ子は勝りけり
令和4年11月15日(火) 【旧 一〇月二二日 先勝】・立冬・地始凍(ちはじめてこおる)とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子は勝るらむ子は勝りけり ~和泉式部 『後拾遺和歌集』 巻10-0568 哀傷歌みんなを置いてこの世を去って、娘は一体誰を哀れと思っているのか。親よりも子
能楽「東北とうぼく」から、歌舞の菩薩となった和泉式部いずみしきぶの霊を描きました。東北のあらすじです早春の頃、東国から都へ旅をしてきた僧の一行が、見事な梅の咲く東北院とうぼくいんに着きます。折から花ざかりの一本の梅の木を見て眺め入...