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令和7年4月21日(月) 【旧 3月24日 友引】 穀雨・「葭始生(あしはじめてしょうず)」芦のびて鯰とる子をかくすほど ~岸風三楼(1910-1982)『往来』 二十四節気「穀雨」の初候5日間(4月20~24日)は七十二候の第16候「葭始生(あしはじめてしょうず)」。この時期の雨
#4446 ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手の高屋の上にたなびくまでに
令和6年12月6日(金) 【旧 一一月六日 仏滅】 小雪・「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手の高屋の上にたなびくまでに ~舎人皇子《とねりのみこ》(676-735) 『万葉集』 巻9-1706 雑歌ぬばたまのような漆黒の夜に霧が立ちこめている。高屋の
【橿原市地黄町】万葉歌人で三十六歌仙である柿本人麻呂が祀られた『人麿神社』
前回の続きで橿原市内を散策した日の話になります。小綱町に鎮座する入鹿神社を後にして5分ほど歩くと地黄町の『人麿(ひとまろ)神社』に到着しました。地黄町という地名は漢方薬に使用された地黄(サオヒメ)が盛んに生産されていたことに由来しているそうです。人麿神社のご祭
令和6年11月2日(土) 【旧 一〇月二日 大安】霜降・楓蔦黄(もみじつたきばむ)我が衣色取り染めむ味酒《うまさけ》三室の山は黄葉しにけり ~柿本人麻呂歌集 『万葉集』 巻7-1094私の衣をきれいな色に染めましょう。三室の山も紅葉している頃です。 「味酒」は「三室の山
#4406 大野らに小雨降りしく木の下に時と寄り来ね我が思ふ人
令和6年10月28日(月) 【旧 九月二六日 仏滅】霜降・霎時施(こさめときどきふる)いつもここに秋の雨にも潦 ~山口誓子(1901-1994) 潦《にわたずみ》は和歌・短歌では「流る」「行く」「川」などにかかる枕詞に使われますが、ここでは「水たまり」の意味。我が家の前の
令和6年9月24日(火) 【旧 八月二二日 大安】秋分・雷乃収声(かみなりすなわちこえをおさむ)路の辺の壱師の花の灼然《いちしろ》く人皆知りぬ我が恋妻を ~柿本人麻呂歌集 『万葉集』 巻11-2480 寄物陳思道端の壱師の花が目立つように、私の恋しい妻のことを みんなに
柿本人麻呂は政争に敗れて死に追いやられたのか?いろは歌は彼の暗号か?
柿本人麻呂と言えば、百人一首の「あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む」という歌が有名ですが、その生涯についてはあまりよく知られていません。そこで今回は柿本人麻呂についてわかりやすくご紹介したいと思います。1.柿本人麻呂
令和6年7月18日(木) 【旧 六月一三日 先勝】・小暑 「鷹乃学習」(たかすなわちわざをならう)日並《ひなみしの》皇子《みこ》の命《みこと》の馬並《な》めて御猟《みかり》立たしし時は来向かふ ~柿本人麻呂(662-710)『万葉集』 巻1-0049皇太子の一行が馬を連ねて今
#4301 大君の遠の朝廷とあり通ふ島門を見れば神代し思ほゆ
令和6年7月15日(月) 【旧 六月一〇日 赤口】・小暑 「蓮始開」(はすはじめてひらく)大君の遠の朝廷《みかど》とあり通ふ島門《しまと》を見れば神代し思ほゆ ~柿本人麻呂(662-710)『万葉集』 巻3-0304 雑歌大君の遠の朝廷(太宰府)に都人が通うこの島門を見れば神代
#4293 ぬばたまの夜霧に隠り遠くとも妹が伝へは早く告げこそ
令和6年7月7日(日) 【旧 六月二日 先勝】・小暑 温風至(あつかぜいたる)一本の細書キを購ふ小暑かな ~勝又一透(1907-?) 最近はあまり出さなくなった暑中見舞いですが、本来これを送るのは「小暑」と次の「大暑」の間。一本の細筆を買われたのも暑中見舞いを書くた
今日は明石に行って来ました。柿本人麻呂を祀る柿本神社に参拝しました。合格祈願、安産祈願、病気平癒祈願と色々ご利益をいただけます。境内には本殿向かって左手に筆柿、右手に盲杖桜があります。山門を出ると展望台になってます。明石海峡大橋、柿本人麻呂(人丸)から命名された山陽人丸前駅が見えます。向かいには明石市立天文科学館があります。日本標準時子午線の標示柱が立っています。標準時子午線の通る人丸前駅を発車する山陽3000系電車を撮影しました。柿本神社の隣にある月照寺です。もともとは一つのお寺でしたが、明治時代に月照寺から柿本神社が分離されました。山門をくぐります。本堂の前には立派な松と梅の木があります。ふれあい観音と人丸観音です。ふれあい観音は目の病にご利益があるそうです。最後に鳥と亀と蛙の石像。「ようお参り」と言...日本標準子午線と山陽3000系/柿本神社・月照寺(明石市)
令和6年4月17日(水) 【旧 三月九日 大安】・清明 虹始見(にじはじめてあらわる)楽浪《さざなみ》の志賀の辛崎幸くあれど大宮人の舟待ちかねつ ~柿本人麻呂 『万葉集』 巻1-0030 雑歌さざ波寄せる志賀の唐崎は昔と変わらないけれど、大宮人が乗る船はいくら待ってもも
#4181 鴨山の磐根し枕ける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ
令和6年3月18日(月) 【旧 二月九日 仏滅】・啓蟄 菜虫化蝶(なむしちょうとなる)鴨山の磐根し枕《ま》ける我をかも知らにと妹が待ちつつあるらむ ~柿本人麻呂 『万葉集』 巻2-0223 挽歌鴨山の岩を枕にして死んでゆく私のことを知らずに、妻は私の帰りをずっと待っている
柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は、飛鳥時代を代表する歌人で、三十六歌仙の一人としても有名です。また、『玉川児童百科大辞典21別巻世界人名辞典』(玉川大学出版部:編、誠文堂新光社:1968年刊)という本によると、彼は次のような功績を残したそうです。1.長歌(五七五七五七・・・五七七)を、序詞・枕詞などを自由に使いこなして、最高の形式的完成にみちびいた。2.それまで長歌に付属するものであった反歌(五七五七七)を長歌から独立させ、ひとつの詩としての完成にみちびいた。3.叙事性と叙情性を一身にそなえた「万葉集」最高の歌人として、日本文学史の上に一時代を画した。このため、紀貫之は柿本人麻呂を歌聖とたたえたそうです。そして、旧暦の三月十八日は彼の命日とされ、『柿本人麻呂と鴨山』(矢富熊一郎:著、益田郷土史矢富会:...光線を意味する古語
今回の散歩の目的は、川越氷川神社にて御朱印帳を頂く事。 現在使っている御朱印帳が残り2社分となり、次の御朱印帳 … <p class=
【墨坂神社】奈良万葉の旅百首を片手に万葉歌碑巡り【柿本人麻呂の妻の万葉歌】
「奈良通が選んだ奈良万葉の旅百首」を片手に万葉歌碑巡り。今回は奈良県宇陀市に鎮座する墨坂神社の境内にある柿本人麻呂の妻の歌碑をご紹介します。墨坂神社の故地は「神武天皇の東征の際に合戦地となった墨坂の地」でした。そちらにも同じ歌碑が建っています。
万葉歌碑巡り【御食向かふ南淵山の巌には】石舞台展望台からの眺めと共に
奈良県高市郡明日香村島庄の「石舞台古墳休憩所横」にある万葉歌碑をご紹介します。柿本人麻呂歌集からの一首です。奈良県景観資産に選定されている、石舞台展望台からの眺めも一緒にお楽しみ下さい。
『愛国百人一首』の選定された一首目は柿本人麻呂の歌です。「歌聖」と言われ、三十六歌仙人の一人である柿本人麻呂の歌がまずは選ばれています。(著者所持の『愛国百人…
柿本人麻呂が妻の死を悼み詠んだ歌が書かれた歌碑を見に行って来ました。歌碑は奈良県橿原市見瀬町の牟佐坐神社の境内にあります。「天飛ぶや 軽の道は 我妹子が 里にしあれば・・・」ここに来て妻を想い涙を流して袖を振る人麻呂が目に浮かぶようでした。
#3968 山の際ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく
令和5年8月18日(金) 【旧 七月三日 先負】・立秋・蒙霧升降(ふかききりまとう)山の際《ま》ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺にたなびく ~柿本人麻呂(660?-724) 『万葉集』 巻3-0429 挽歌山あいから立ち昇る雲、その出雲という地のあの子は今、霧となって吉野山の峰
#3936 大海に島もあらなくに海原のたゆたふ波に立てる白雲
令和5年7月17日(月) 【旧 五月三〇日 仏滅】・小暑・蓮始開(はすはじめてひらく)海の日の海に日の没《い》る出雲崎 ~角川春樹(1942-)Photo:出雲崎の夕べ(新潟県三島郡) ~GOOD LIFE! IZUMOZAKI 7月の第3月曜日は「海の日」。元々は1876(明治9)年7月20日、明治天
江戸川柳でたどる偉人伝(古代・奈良時代)久米仙人・柿本人麻呂・光明皇后・阿倍仲麻呂・吉備真備・中将姫・浦島太郎
「川柳」は「俳句」と違って、堅苦しくなく、肩の凝らないもので、ウィットや風刺に富んでいて面白いものです。今では、「サラリーマン川柳」や「シルバー川柳」など「〇〇川柳」というのが大はやりで、テレビ番組でも紹介されており、書籍も出ています。そこ
山陰駅巡り22夏-島根山口編(20) 山陰本線 波子駅 ~中国地方最大の水族館「アクアス」の最寄り駅~
久代駅から出雲市行きに乗車してひと駅戻ります。お隣の駅は波子駅。1番線に到着。ここで折り返すために下車します。 波子駅は島根県江津市波子町にある山陰本線の駅。海近くの国道9号と並走していた線路が、国道と別れて南の山側に向きを変えたところにある駅。山側に入ると前回紹介した久代駅のような立地となります。波子の街は駅の西側にあり、その先に波子海水浴場があります。また、島根県立しまね海洋館「アクアス」とい...
#3689 笹の葉は深山もさやにうちそよぎこほれる霜を吹くあらしかな
令和4年11月12日(土) 【旧 一〇月一九日 仏滅】・立冬・地始凍(ちはじめてこおる)笹の葉は深山もさやにうちそよぎこほれる霜を吹くあらしかな ~九条良経 『新古今和歌集』 巻6-0615 冬歌笹の葉は深山までもさやさやと打ちそよがせて、凍った霜を吹き払うような嵐です。Ph
「辞世」の和歌や俳句などに見る死に直面した人の心の風景(その1)
団塊世代の私も73歳を過ぎると、同期入社した人や自分より若い人の訃報にたびたび接するようになりました。そのためもあってか、最近は人生の最期である「死」を身近に感じるようになりました。「あと何度桜を見ることができるのだろうか」などと感傷に耽っ
令和4年9月22日(木) 【旧 八月二七日 仏滅】・白露・玄鳥去(つばめさる)路の辺の壱師の花の灼然《いちしろ》く人皆知りぬ我が恋妻を ~作者未詳(柿本人麻呂歌集) 『万葉集』 巻11-2480 寄物陳思道端の壱師の花が目立つように、私の恋しい妻のことをみんなに知られてし
令和4年7月18日(月) 【旧 六月二〇日 先勝】・小暑・鷹乃学習(たかすなわちわざをなす)風吹きて海は荒《あ》るとも明日と言はば久しくあるべし君がまにまに ~作者未詳(柿本人麻呂歌集)『万葉集』 巻7-1309 譬喩歌今日は風が吹いて海が荒れているから明日にしましょうと
令和4年5月10日(火) 【旧 四月一〇日 先勝】・立夏・蛙始鳴(かわずはじめてなく)橘の林を植ゑむ霍公鳥《ほととぎす》常に冬まで棲みわたるがね ~作者未詳 『万葉集』 巻10-1958 雑歌橘の木を植えて林にしよう。ホトトギスがずっと冬まで棲み続けられるように。Photo:餌
令和4年4月25日(月) 【旧 三月二五日 先負】・穀雨・霜止出苗(しもやみてなえいずる)霜害を恐れ八十八夜待つ ~高浜虚子(1874-1959)Photo:八十八夜の別れ霜 ~デジャブロ.com 今日は七十二候の第17候「霜止出苗(しもやみてなえいずる)」。二十四節気「穀雨」の次候に
万葉集で詠われた美しい絶景「浮布池(うきぬののいけ)展望台」(島根県大田市三瓶町)
飛鳥時代の歌人「柿本 人麻呂(かきのもとのひとまろ)」により、”万葉集” で詠われたと伝わる「浮布池」と「三瓶山」の美しい景色は、約770年前と同じ彩りを今に伝えている。浮布の池 島根県大田市 日本遺産「石見の火山が伝える悠久の歴史」 (iwami-kazan.jp)浮布池
令和4年4月10日(日) 【旧 三月一〇日 赤口】・清明・鴻雁北(こうがんかえる)春草を馬咋山《うまくひやま》ゆ越え来なる雁の使は宿り過ぐなり ~柿本人麻呂歌集 『万葉集』 巻9-1708 雑歌春草を馬が食うという馬咋山を越えてやって来た雁の使いは、故郷から何の便りも持た