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前回、不比等の蘇我娼子との婚姻を根拠として、鸕野讚良皇女(後の持統天皇)はかなり早い段階から不比等が異母弟であると信じていたのではないか、とした。ただ、それだけでは不比等落胤説自体を支持するには力不足だ。出仕したばかりとはいえ、愛息・草壁皇子の大舎人に任じられた(と推測される)不比等の器量に鸕野讚良が惚れたという解釈もできなくはないからだ。不比等の天智天皇落胤説にはより強力なサポート材料が必要だろ...
あれこれの異説もあるようですが、通説に従えば初代・神武天皇から第44代・元正天皇 までの歴代天皇の諡号は、淡海三船なる人物が一括で付けたものとされています。 とはいうものの、第39代・弘文天皇はその中に含まれていません。 それはある意味当然なことで、明治時代になるまでその「...
日本の全ての土地・人民を、天皇(公)の所有・支配とする、「公地公民制」は、財産の私的所有を禁止し、「国家」による、挙動所有とする、現代の「共産主義」であると…
令和6年7月18日(木) 【旧 六月一三日 先勝】・小暑 「鷹乃学習」(たかすなわちわざをならう)日並《ひなみしの》皇子《みこ》の命《みこと》の馬並《な》めて御猟《みかり》立たしし時は来向かふ ~柿本人麻呂(662-710)『万葉集』 巻1-0049皇太子の一行が馬を連ねて今
「藤原」姓は、中大兄皇子(後の第38第・天智天皇/626-672年)に協力し、後の国家改造を導くことになった中臣鎌足(614-669年)に下賜された。 通説ではこのように鎌足が「藤原氏」の始祖と説明されることが多いのだが、しかし、実際にはその鎌足の子である「藤原不比等」
歴代を「○○天皇」と呼ぶ○○の部分のことを「諡号」(しごう)といいますが、 それは、こんな説明になっています。 ~貴人、僧侶の死後、その人の生前の行ないをほめたたえておくる名(諡名)~ そして、異説もあるものの、まあこんなところが通説だとされています。 ~初代・神武天皇から...