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斉明天皇陵と推定されている奈良県牽牛子塚〈けんごしづか〉古墳は、令和4年(2022)に復元整備を終えて、平面八角形をした墳丘を白い凝灰岩で覆った往時の威容が…
私たちは古墳の副葬品というと鏡〈かがみ〉、剣〈つるぎ〉、玉をまず思い浮かべますが、奈良県ホケノ山古墳や中山大塚古墳、黒塚古墳、京都府椿井大塚山古墳といった畿…
岡山市の西端を流れる足守〈あしもり〉川は、かつて高梁〈たかはし〉川の支流と合して瀬戸内海へ注いでいました。吉備津〈きびつ〉と呼ばれたその一帯は対外交流の拠点…
現在、九州国立博物館を会場に「はにわ」展が開催されています。その様子はSNS等でさまざまに伝えられていますが、同じ埴輪を展示しながらも東京国立博物館の会場(…
岡山県北部の津山市にある高尾北ヤシキ古墳は、群集墳として著名な佐良山〈さらやま〉古墳群を構成する古墳の一つです。6世紀末に築かれた径13mの円墳で、長さ6m…
~教員なんていらねえんだよ。命令ばっかりする人たちだからな~ 今となってはたくさんのことを教えていただき、彼には本当に感謝しています。しかし当時僕を含めた教員たちは苦しい立場でした。 事実上の上司である木村さん(仮名)から突きつけられたこの一言はきつかったです。偏見と職業差別です。 僕は長い教員生活の中で、3年間だけ行政職として遺跡の発掘調査員をやったことがあります。 この時に突きつけられた言葉で...
岡山県の弥生集落を発掘すると、土器を使った棺〈ひつぎ〉が見つかることがあります。いずれも九州に見られるような棺専用の土器ではなく、日常用の土器を転用したもの…
山陽自動車道と国道53号バイパスが交差する岡山市北郊の田益〈たます〉地区。その航空写真を見ると、住宅地と水田を囲む楕円形の区画が見て取れます。この一帯に国立…
皆さんはこの焼き物を何だと思いますか? 直径20㎝余りの鉢にフードを被せたようなこのうつわは、炭火を入れて暖を採った「手焙〈てあぶり〉」という古民具に似てい…
トラウマセラピストの花丘ちぐさです!いま、翻訳を抱えていて順次世に出すのですが内容がいいので早く知らせたいと心が流行りますね。ただし、やりすぎると具合が悪くな…
花崗岩〈かこうがん〉由来の酸性土壌が広がる岡山県において、古人骨を発掘する機会はそれほど多くありません。けれども、古墳の石室や石棺のように密封された場所では…
岡山市街地の東部を流れる百間川〈ひゃっけんがわ〉の河川敷を発掘していると、赤く焼けた炉のあとが2つ並んで見つかりました。どちらも一辺1mほどの方形をしていま…
近ごろ、宮崎県沖の日向灘で地震が相次ぎ、南海トラフ地震との関連が懸念されていますが、震源域から離れた岡山県にも、安政元年(1854)11月5日に起こった南海…
現在使われている焼津体育館(※総合では無い方)の老朽化に伴い焼津神社前の焼津中央広場に新しい体育館を建設するとのことで、発掘調査が行われています。新焼津体育館に関しての詳細はこちら。https://www.city.yaizu.lg.jp/culture-sports/sports/sports-shisetsu/yaizu-gymnasium/new-gymnasium.htmlこんな感じになるらしい。令和9年春完成(予定)まで少し先。旧体育館は取り壊されちゃうのかなぁ??完成予想図は西側(上)...
「第4章 国宝挂甲〈けいこう〉の武人とその仲間」はこの特別展の目玉だけあって、5体の埴輪に一室を当てる贅沢な展示。勢ぞろいした「挂甲の武人」たちをつぶさに見…
ようやく秋らしい日和となった10月下旬、東京国立博物館で開催されている「ハニワ」展を見学しました。埴輪の特別展は50年ぶりということで、一昨年の企画発表か…
国の特別名勝に指定されている岡山後楽園〈おかやまこうらくえん〉は、元禄13年(1700)に岡山藩主池田綱政〈いけだつなまさ〉が築いた岡山城附属の大名庭園(御…
JR岡山駅の北側には、弥生時代の中ごろ(約2400年前)にさかえた南方〈みなみかた〉遺跡があります。さまざまな開発事業に伴って住居や墓、貝塚などが発掘されて…
岡山県北部にある奥津町(現鏡野町)は出湯の里として知られていますが、かつては中国山地の砂鉄と木炭を利用したタタラ製鉄が盛んに行われていました。平成12年(2…
さて、岡山城二の丸にあった榎馬場〈えのきのばば〉の下層から見つかったのはゴミ穴ばかりではありません(「岡山城二の丸の広場(1)」をご覧ください)。岡山県立図…
岡山市街地を流れる旭川の水面に黒い雄姿を映す岡山城天守。豊臣政権下で五大老をつとめた宇喜多秀家〈うきたひでいえ〉が文禄年間(1592~1596)に建てたこの…
美作岡山道路の建設に先立ち行なってきた発掘調査も、今ようやく終わろうとしています。勝央町の東端を南北に貫くように発掘した今回の調査では、この町の歴史に新たな…
今年も発掘調査が行なわれている岡山県総社市の備中国分尼寺〈びっちゅうこくぶんにじ〉跡を見学してきました。昨年の調査対象は南門・中門〈ちゅうもん〉・講堂でした…
岡山県の北東部にある勝央〈しょうおう〉工業団地は、中国山地で最大の人口を抱える津山市に近く中国自動車道へのアクセスもよいことから、多くの企業が進出してこの地…
『考古学者が発掘調査をしていたら、怖い目にあった話』大城道則 , 芝田幸一郎, 角道亮介
『考古学者が発掘調査をしていたら、怖い目にあった話』は、現地でのトラブルや心霊体験など、考古学者たちが実際に発掘現場で体験した「怖い」話が詰まっています。 まさか現実の考古学者たちも、インディ・ジョーンズのように危険な目にあっているとは…。
岡山県北東部の勝央町黒土〈くろつち〉で町道建設に伴う発掘調査をしていると、水田の下から大きな穴が東西30mにわたって見つかりました。深さ1mほどある穴の底は…
岡山県立備前高校(現備前緑陽高校)の構内に広がる長縄手〈ながなわて〉遺跡は、片上〈かたかみ〉湾にそそぐ流川が形成した扇状地上にあります。平成5年(1993)…
岡山県勝央町の小池谷〈こいけだに〉遺跡は、黒土〈くろつち〉地区を南に見下ろす標高120mの丘の上にあります。この丘の先端で、長さ10m、幅6mの長方形に土を…
「竪穴住居の埋土からイネのプラントオパールが見つかったらしい」 長縄手〈ながなわて〉遺跡という縄文時代中期末(約4000年前)の集落跡(「境界の縄文集落」を…
岡山県高梁〈たかはし〉市の臥牛山〈がぎゅうざん〉中腹にあるふいご峠駐車場は、ふもとの城見橋駐車場とシャトルバスで結ばれ、備中松山城跡(国史跡)へ上る起点とな…
【新店レポ】パティシエの職人技が光る、洋菓子のようなかき氷・・・天童市「天然氷果 そよぎ」
ご訪問ありがとうございます。当ブログは主に山形県の食べ歩きなどを記録しているブログです たまに食べ歩き以外のお出掛けや温泉、お取り寄せグルメの情報も発信して…
平成5年(1993)、岡山県備前市にある備前高校(現備前緑陽高校)で校舎改築が計画されました。遺跡地図に記載はありませんでしたが、市教育委員会に照会したとこ…
美作市〈みまさかし〉鍛冶屋逧〈かじやざこ〉B1号墳の横穴式石室(「いのちのリレー」をご覧ください)から見つかった7世紀中ごろの陶棺(焼きものの棺)を復元して…
近年、再開発が進みつつある岡山市街地の中心部ですが、その地下を50㎝ほど掘り起こすと焼けた瓦や溶けたガラスが混じる赤い焼土層に行き当たります。NHKの朝ドラ…
岡山大学で考古学を学んでいた頃、鳥取県倉吉市で、ある遺跡の発掘調査に誘われました。聞けば、芋穴を掘っていたところ古墳時代(6世紀後半)の子持壺〈こもちつぼ〉…
標高80mの丘陵上にある赤磐市土井遺跡では、事前の調査で弥生時代の集落が確認されていたものの(「斜面の住まい」をご覧ください)、西向きの急な斜面が大半を占め…
岡山市街地の南部にある岡山大学医学部から県立岡山病院(現岡山県精神科医療センター)の一帯は、殿下渡領〈でんかわたりりょう〉として摂関家に受け継がれた鹿田〈し…
今から40年ほど前、鳥取県中部の倉吉市で向山〈むこうやま〉309号墳の発掘調査に携わりました。直径が10数mの円墳でしたが、大形の箱式石棺と思われる埋葬施設…
平成23年9月3日に日本を襲った台風12号は、世界文化遺産に登録されている和歌山県の熊野古道に大きな爪痕を残しました。今から900年前、平安貴族たちがこの道…
岡山県南東部にある赤磐市〈あかいわし〉の土井遺跡は、古墳時代の埴輪窯〈はにわがま〉が見つかったことで知られていますが(「置き去りにされた盾持ち人」をご覧くだ…
平成14年(2002)4月、美作岡山道の建設が計画されている赤磐市〈あかいわし〉土井遺跡を訪れました。まもなく始まる発掘調査を前に現地の様子を確認するためで…
岡山県の北東部にあった美作〈みまさか〉国の勝田〈かつまた〉郡は、平安時代の辞書に当たる「和名類聚抄〈わみょうるいじゅうしょう〉」によると勝田、飯岡、植月、塩…
温暖な気候を利用したオリーブ栽培や沖合の島々が織りなす多島美から、「日本のエーゲ海」と称される岡山県南東部の牛窓〈うしまど〉町(現瀬戸内市)。その東側に広が…
勝央町黒土〈くろつち〉と美作市上相〈かみや〉の境を東西に走る道路は、江戸時代、津山藩によって整備された出雲街道にあたります。現在、その脇で発掘調査を行なって…
備前国分寺跡の西側にある赤磐市馬屋〈まや〉遺跡は、平成3~4年(1991~92)に山陽自動車道建設に伴って発掘調査が行われ、規則的に配置された奈良時代の建物…
弥生時代の岡山県では、竪穴住居の床を穿った穴に灰などを詰めて囲炉裏〈いろり〉に使ったと考えられています。しかし、ここに土器を据えて煮炊きを行っていた証拠は今…