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見た瞬間、正直に言っちゃうと本当に失礼なのですが、なんだか「ただの石の塔」に見えません? でも、実はこの奈良市の隣、木津川市にある五輪塔、国指定の重要文化財なんです! 信じられます? あんな何でもないショボい石の塔が・・・・。しかも、場所は車が一台やっと通れるくらいの狭い道で、周りには住宅がびっしり建っています。しかし、歴史を考えると、この五輪塔を「ショボい」なんてとても言えない、重い存在であるこ...
嘉吉の乱によって赤松満祐に謀殺された室町幕府6代将軍足利義教の首塚が、兵庫県加東市にある安国寺にあります。全国各地に「安国寺」という名称の寺がありますが、...
夕方近く、西に妙義山を背負って佇む妙義神社 まだ枝垂れ桜は残っていてくれた 歴史を感じる石段を急いで上って・・ 両側には早くも青モミジ花を咲かせている木も...
柏原街道のお地蔵様と廃ホテル坂野坂(愛知県蒲郡市)ふらりと立ち寄った蒲郡市の坂野峠。幽霊の噂がある坂野坂トンネルの近くを通る柏原街道を散策しました。...
【パワースポット?】大森の地蔵池(愛知県名古屋市守山区)オカルト板の愛知スレで頻繁に名前を聞く「大森の地蔵池」。怖いという噂でしたが、パワースポットに近い印象でした。...
【史跡】高天神城の千人塚(静岡県掛川市)田んぼの中にぽつんと立つ小さな塚。当時激戦に散った高天神城の城兵を祀る首塚です。...
おススメはこれ!前回「古今伝授の間」を紹介しました。水前寺成趣園を眺めるのに最高の場所です。建物も素敵で畳に座って眺める庭園はまさに日本の美です。それもお抹茶を飲みながらだったら…?もう最高でしょうね♪この庭園は肥後細川家・初代忠利公が御茶屋を建てたのが始まりです。父細川忠興公は茶人としても有名で利休七哲の一人に数えられます。茶人大名の城下には銘菓有りとも…それが一度に楽しめるのですよ。それがこちら...
水前寺成趣園内の歴史ある建物ですよ熊本の観光地「水前寺成趣園」池泉式回遊庭園。寛永9年(1632年)、肥後細川初代藩主・細川忠利公(ほそかわただとしこう)が御茶屋を置いたのが始まりで、その後、三代目藩主綱利公(つなとしこう)のときに庭園が完成し、中国の詩人陶淵明(とうえんめい)の詩「帰去来辞(ききょらいのじ)」に因み、成趣園と名づけられました。阿蘇の伏流水が湧き出る池を中心に、ゆるやかな起伏の築山、浮...
★史跡『大宰府政庁跡』の桜を愛でて『とんかつ濱かつ』で春限定の”明太重ねかつ”等頂く~♪★
昨日は 使用期限3/31までの濱かつ食事券が財布に1枚残ってた ので晩ご飯は 『とんかつ濱かつ 大野城緑ヶ丘店』(大野城市)に すぐ決定♪ でもその前に…
松林の中にひっそりと居並ぶ苔むした礎石〈そせき〉、備中国分尼寺跡のこうした風景は吉備路風土記の丘の見どころの一つとなっています。しかし、五重塔がそびえる備中…
広島県と境を接する井原市、その東部にある高越城〈たかこしじょう〉は室町幕府の奉公衆をつとめた備中伊勢氏の居城で、後に関東に雄飛する伊勢盛時(北条早雲)が若き…
入館して分かったことは?「御馬下の角小屋」を見学しました。江戸時代の商家であり参勤交代時に大名細川氏、島津氏の休憩所でもある貴重な日本古来の木造建築でした。 こちらは「御馬下の角小屋」の入口です。そして右手のこちらの建物が「記念館」です。「角小屋」内部に資料が無いと思っていたらこちらに展示されていました。熊本市の「記念館の相関図」です。訪問済みの記念館もありますがこうした関係を頭に回るのも面白そう...
篤姫様が輿入れの際に休憩した?国道3号線をを車で通行する際にいつも気になっていました。渋滞していることが多くて断念していました。 それがこちらの白壁の建物です。旧豊前街道 近世の熊本では、新町一丁目の札の辻を起点に、豊前街道、薩摩街道、豊後街道、日向街道が四方に通じていました。豊前街道は、札の辻、熊本城内―京町―鹿子木―味取―広―山鹿―肥猪―南関を経て福岡県に入り小倉に至る交通路であった。細川、島津の藩...
木曽呂の富士塚、県内最古の江戸時代の富士塚に登ってみた!【埼玉・川口市】
江戸時代に流行した富士山信仰。そして人工的な富士山・富士塚も広まった。木曽呂の富士塚は埼玉県最古の富士塚で、国重要有形民俗文化財に指定されてる。富士塚の歴史などもふり返りながら、木曽呂の富士塚に登ってみます。
昨日の松と同じ敷地内にもう1本、さらに大きな松がありました!これぞ、本家「連取(つなとり)の松」のようです。御神木としてお社まであり厳かに祀られていました...
「いせさき市民のもり公園(伊勢崎みらい公園)」に行った時歴史好きの相棒が「近くに連取(つらとり)の松というすごい松がある」と検索。早速行って見ることになり...
平成15年(2003)、調整池の建設が計画された勝央町間山〈はしたやま〉の中腹で発掘調査をしていると、灰色をした小さな瓦のかけらが見つかりました。その表面を…
岡山市街地を旭川に沿って遡り、新大原橋を渡るとすぐ、牟佐大塚〈むさおおつか〉古墳(国史跡)の標識が眼に入る。住宅の裏手にそびえる墳丘は、畑や道路によって周囲…
温羅〈うら〉という異国の鬼が築いたという鬼ノ城〈きのじょう〉、「吉備津神社縁起」が伝える鬼退治伝説の舞台となったこの場所に、はじめて科学のメスが入れられたの…
倉敷市と総社市を結ぶ県道54号線を小田川から北へ1.5km走ると、左手にうっそうとした竹林の小山が見えてくる。これが吉備の巨石墳の一つ、倉敷市箭田大塚〈やた…
京阪本線中書島駅に、日本史の教科書で登場する寺田屋がありました。寺田屋は伏見京橋に置かれた船宿で、大阪と京都を結ぶ船が運行されており、当時位は薩摩藩の定宿...
国立博物館敷地を出て美術館などの並ぶエリアをそぞろ歩き。アンデスの音楽を奏でるストリートミュージシャンなどを気に留めながら芸大の奏楽堂の付近に来ました。い...
五料茶屋本陣「お東」の中にも古代雛がゆかしく飾られていました。お道具もしっかり揃っています。こちらは吊るし雛 薄暗い部屋の中に華やかさを感じさせてくれます...
武蔵松山城跡、激しい争奪戦が繰り返された戦国の城跡【埼玉・吉見町】
"武蔵松山城は戦国時代の平山城。北武蔵の要衝だったため、扇谷上杉・小田原北条・甲斐武田・越後上杉の争いが絶えず起こった。巨大空などの遺構が良く残っており、山城歩きが体感できます。そんな武蔵松山城跡を、その歴史もふり返りながら、見どころ・歩きどころを紹介。 "
五料茶屋本陣には東西二つの棟があります。1つは「お東」、もう一つが「お西」と呼ばれています。今日はその二つの建物のお庭を中心に見て頂きますね^^「お西」の...
道具の一つ一つに刻まれた時の移ろい 密やかに顔を出している古い時代の光と影 藁草履や木下駄など 針の止まった時計 蚕に繭を作らせる道具煤けたランプ糸や藁を...
五料茶屋本陣の室内をめぐると様々なお雛様が・・吊るし雛もあったので少し撮ってみました♪一つ一つが違っていてそれぞれが可愛らしいですね^^縮緬などの風合いも...
群馬県指定史跡「五料茶屋本陣」にて「ひな人形展」をやっていました。「古(いにしえ)の雅なおひな様」をコンセプトに展示され享保の時代のものなど古代雛が史跡で...
中尊寺金色堂展の後、一旦敷地内のレストランでランチ。その後、「東洋館」に入りました。いくつもの館の中でここは東洋(アジアやオリエント)に関する展示がありま...
昨日(2月28日)は久々に東京へ。東京国立博物館にて「中尊寺金色堂」の宝物展に行ってきました!朝イチで行ったのでまだすごい混みようではなく・・列に並んで入...
実は凄い!「見沼通船堀」は日本最古の閘門式運河【埼玉・さいたま市】
見沼通船堀公園には約300年前の運河の跡が残る。閘門式運河としては日本最古で、同方式のパナマ運河より100年以上前の江戸時代に造られたというのは凄い!その歴史をふり返りながら見沼通船堀跡を見学するとともに、周辺にある関連スポットをめぐってみました。
斎宮跡 No.1「斎宮跡の菜の花畑と近鉄電車-1」 三重県多気郡明和町
「三重の風景」斎宮跡 No.1「斎宮跡の菜の花畑と近鉄電車-1」 三重県多気郡明和町2024.02菜の花畑は敷地内の何箇所かに植えられているみたいで、時間差で順番に開花していくようでした。斎宮跡の花の見ごろ:https://www.town.meiwa.mie.jp/main/soshiki/saikuuato/bunkazaik/shisetukouen/1613549159223.html →【斎宮跡 No.1「斎宮跡の菜の花畑と近鉄電車-2」】へココ【斎宮跡 No.1「斎宮跡の菜の花畑と近鉄電車-1」】...
なぜ山城「杉山城」は築城の教科書と呼ばれるのか?登城して体感してみた【埼玉・嵐山町】
杉山城跡は地形を生かした戦国時代の山城跡で、築城の教科書とも呼ばれる。少しミステリアスなこの城は、山城歩き初心者から城巡り上級者まで、幅広く楽しめる城跡です。
熊本地震震災遺構が有った!流水型の立野ダムが満水に?で今しか見ることのできないダム湖を紹介しました。そのダム湖を撮影しようとウロウロしていたら…何だっ?この道路は…?先日発生の「能登半島地震」を思い出します。「立野地区犀角山周辺の地表地震断層」立野地区犀角山周辺の地表地震断層 2016年熊本地震を引き起こした布川断層帯は、南阿蘇村河陽付近から西原村、益城町を通り、宇土半島まで延び、全体の長さは64km以上と...
大正モダン建築・旧田中家住宅、見逃せない和洋折衷の魅力【埼玉・川口市】
川口市にある旧田中家住宅は大正時代の本格的な洋館建築です。煉瓦造3階建の洋館を中心に、和館や庭園が備わる。国重要文化財に指定された建物内部も見学できます。川口の産業の歴史にも触れられる、旧田中家住宅をご紹介します!
久しぶりに実家に戻っていたので、神戸の三宮での三宮神社 に行ってきました。神戸の三宮というとJR北側の生田神社が有名ですが、南側のビジネス街の近くに三宮神社が…
京極氏館跡からのつづきです。近江と美濃の国境にそびえる標高1377mの伊吹山の南、弥高山の「刈安尾」と呼ばれる尾根の先端に、かつて京極氏の居城・上平寺城が...
本が好き!の献本で『評伝 伊藤野枝~あらしのように生きて~』を読みました。希望した理由は、茅ヶ崎にはその伊藤野枝に「青踏」を任せる女性解放運動家の平塚らいてう…
秋田県南秋田郡の歴史と史跡を巡る旅に行ってきました。 今回は古くから朝市が開催される五城目町の原始・古代から近世・近代までの歴史や史跡をブログにまとめましたのでご紹介します。
「女性天皇」と「男性天皇」の違いー不公平な待遇に見る女性差別の実態ー
古寺十禅寺へ続く参道。右手には徳林庵(山科地蔵)があり、今や民家が立ち並ぶ細道を数分歩くと、そこには十禅寺が佇んでいる。かつて盲目となり、出家された人康親王の御所・山階宮があった場所で、859年に人康親王が開基とされる古いお寺です。ここには聖徳太子の作とされる聖観音像が安置され、その本尊とされています。しかし、室町時代から関ヶ原の合戦に至るまで、戦火に巻き込まれ数度の焼失を経験し、寺は荒廃していき...
八郎潟町 願人踊が有名な八郎潟町をブラリ散策してきました🏍️
秋田県南秋田郡にあります、八郎潟町の町並みの様子をブログにまとめました。現在の町並みの様子と歴史をご紹介してますのでぜひご覧ください。
民家と民家の間には、まるで見逃してしまいそうなほどの細い小道がそっと広がっている。その細道を進むと、四ノ宮泉水町広場ー史跡 目の神様ーと書かれた看板がひっそりと掲げられた場所に辿り着く。広場と聞くと広々とした場所を想像しがちですが、ここは山の麓にあって、とても小さな小さな一角だ。四宮大明神はかつて、徳林庵の境内社として大切に保たれていたようだ。昔は現在地よりも50メートルほど山のふもと北側に位置し...
PayPayキャンペーンやってますし いつもの如く便乗して観光名所の紹介でもしますね。 舞台は栃木県さくら市🌸 さくら市といえば千葉県だよなあ?と思う千葉県民。 あっちは佐倉市ですが。 氏家駅から歩いていき… 氏家ゆうゆうパークを通り 雄大な自然を鑑賞し 途中のむすびの鐘を鳴らしておきました(ぼっち) 恋人たちが願いを唱え2人で鳴らすと幸せになれるとされています。 ※公式サイトより抜粋 一人で鳴らしたけどご利益ないっすかね?? そして鐘の背後に見えるこんもりした森が… 勝山城跡 sakura-navi.net 橋がちょっといい雰囲気。 そして勝山と言ったら安房勝山だよなあ?? 普通は福井の勝山…
地獄からの生還ー詩人、彫刻家、政治家: 小野篁の不朽の遺産ー
小野篁はまさに多彩な才能を抱えた人物だった。その弓馬の腕前や武芸の才能、政務能力の高さ、そして天下を驚かせた詩才や書道の秀でた能力。彼は古代政権において蔵人や東宮学士などの要職に就き、その重要な役割を果たしてきた。また、遣唐副使にも任命されが、2度の唐への航海は失敗に終わった。そして3度目の航海では、遣唐大使である藤原常嗣の考え方に対し反対し、彼の行動を非難して船に乗らないという大胆な行動をとった...
過日、インスタの城友さんよりお誘いを受け、かつて北近江を支配した京極氏遺跡めぐりのオフ会に参加させていただきました。近江と美濃の国境にそびえる標高1377...
平安時代前期、第58代仁明天皇の第四皇子、人康親王。彼は学問と和楽器の才に恵まれ、多くの親王や貴族など身分の高い家柄の青少年(=公達) たちに尊敬された存在だった。彼の元には、多くの公達たちが訪ねてきて教えを請うたという。輝かしい非凡な才能をもち、さらに人からも慕われるという人康親王だったが、なんと、28歳の時に、両目を患い盲目となってしまった。彼の人生は一変した。学問好きだったのにもう書物を読むこ...
🏰アル・ジャディーダの要塞と函館の関係👟そして麻薬 inモロッコ
砂嵐を超えてやっと到着した町。 新しい宿に行く前に、カフェで一休みしながら昼ごはん。 ところが宿が見つからない
昨年の令和3年12月19日、JR「大久保駅」周辺の風景写真を撮りに行ってきました。 JR「大久保駅」の北側です。 北側すぐのところにはパレット大久…