メインカテゴリーを選択しなおす
←ポチッとお願いしますにほんブログ村すっかり桜が散って、ぐっちゃんの大好きな新緑の季節がやってきました。平地の緑地も、山間部も非常に明るくきれいな緑で囲まれる季節です。奈良盆地は狭い中に住宅地と農地と史跡などがたくさんあるのですが、そろそろ水田は田植えに向けて土起こしをする季節でもあります。トラクターで田んぼを起こすのですが、その前に懐かしい景色が広がっています。わかりますか?そう、蓮華(レンゲ)の花です。「レンゲの花を枕に、今、目が醒めた🎵」この歌詞でメロディが浮かぶ人は、相当な年配者です(笑)昔はぐっちゃんの実家周辺でもレンゲ畑になった水田がたくさんあって、当たり前の光景だったのですが、今はほとんど見られません。でも奈良盆地、ぐっちゃんの活動エリアである橿原市や明日香村では、このレンゲ畑がたくさんある...藤原京跡に新緑の季節
箕郷芝桜公園の近くに「松之沢百観音」があると調べて行ってみました。石仏には私たち二人とも興味があるのです。桜の下に佇む石仏像 敷地内に入ってみると正面「宝...
日時:令和7年4月19日 13時05分ごろ 住所:新潟県妙高市宮内城山 状況:ツキノワグマ1頭の目撃情報 現場:国指定史跡「鮫ヶ尾城跡」(標高約185m)の登山道 ...
興味をそそられるスポットを見つけ、どんなところか行ってみました。小菩提寺とは川を挟んで対岸にあった大菩提寺に対して小菩提寺と呼ばれていたお寺さん。奈良時代に建立された大きなお寺だったようですが、信長vs六角氏の戦禍に巻き込まれ、廃寺。その後、復建されることなく、一部の石塔と石仏が林の中に残った。これが、このスポット名の由来です。そのことつゆ知らず、帰宅後に知ったことですが。史跡は通りからちょっと入...
香川県にある続日本100名城です四国の城攻め第7弾です。前回の徳島県・勝瑞城館跡から移動し、香川県東部へ。続日本100名城の1つである、引田城跡を訪れました。…
こちらの記事は上田城千本桜まつりの後編となります。前回の記事はこちら時刻の方は進み陽が落ちたあたりから入場者の数は増えてきました。まぁ、今日は平日です。当然のことかもしれませんが仕事を終えた方々が今しか観られない夜桜を訪れているのでしょう。良い意味で上田城は活気に溢れてきました。こちらは一番の撮影スポット「大手門」昼にも増して見学者と撮影者でごった返しています。そもそも・・・桜という花は淡いピンク...
日本中で桜の満開が報じられていますが信州は一足遅くまだ つぼみの所もあります。そんな信州の桜の名所の中でも比較的早く満開を向かえるのがこちら真田氏の居城であった「上田城」です。これは完全に筆者の持論ではありますが?「紅葉」といえば寺院が映えるのに対し「桜」といえば?最も映えるのが城ではないでしょうか。訪れた日は割合でいえば9分咲き~満開といったところでしょうか。今年の桜は東京以外は遅めの開花でした...
←ポチッとお願いしますにほんブログ村世界遺産登録を目指している飛鳥地区。奈良県の明日香村にある国立飛鳥歴史公園は、広範囲にいくつかのエリアがあります。高松塚古墳のある高松塚地区、キトラ古墳のあるキトラ地区もそのひとつなのですが、最も広いのは甘樫丘地区。ここは飛鳥京跡および飛鳥寺などの中心部に近く、蘇我入鹿、蘇我蝦夷の自宅があった場所とされています。地図で見るとこんな感じ。赤矢印の部分がヒナゲシ畑があるエリアです。まあ、こんな感じできれいでかわいらしい花が咲いています。隣には菜の花畑もありますよ。動画も撮ってみました。おまけつきです(笑)ところで代車のデリカミニ、和歌山市往復など高速も走り走行距離880kmに到達した時点で、なんと、カタログ燃費と全く同じ19.0km/ℓまで燃費が向上しました。デリカミニ、や...国立飛鳥歴史公園・甘樫丘地区のヒナゲシ畑
細川・三好の居城 勝瑞城館跡四国の城攻め第6弾は、徳島県にある続日本100名城の1つ、勝瑞城跡・勝瑞館跡です。勝瑞城館跡周辺(パンフレットより)勝瑞には阿波の…
せっかく茨城県にやってきたのだからどこか1カ所くらいは大きなパワースポットに寄りたいものです。そう思いながら走っているときふと目に入った案内板✨そっかこちらには鹿島神宮があったんだ!ということで今回ボロラン号が向かった先は茨城県ナンバー1(たぶん)パワースポットの鹿島神宮です。参道ではいまが「見頃」と言わんばかりの川津桜が出迎えてくれました。そうそう!こちらは鹿島アントラーズの本拠地。サッカーに対...
_←ポチッとお願いしますにほんブログ村熊野三山の最後は熊野那智大社です。熊野那智大社はその名の通り、那智の滝のすぐ近くにあり、三社の中では最も標高が高い神社です。想像はしていましたが、かなりの山の中です。那智の滝、そして那智の滝をご神体としている飛瀧神社などの観光地があり、山の中ということもあって駐車場に苦労するかもしれません。「お土産買ってくれたら駐車可」とか「食事してら駐車可」という、「仮有料駐車場」がいくつかありますね。そして駐車できてもすぐに神社というわけではなく、これも想像通りでしたが、かなりの段数を誇る参道(階段)があります。階段の途中にお土産屋さんなどもありますよ。ようやく大鳥居。でも、ここからまだまだ登ります。さらに登ります(笑)途中にはこんな史跡も。ようやくこれが最後の階段です。ここを登...奈良発観光報告(57)熊野那智大社
氷川町「親地蔵・子地蔵」ここ氷川町宮原町。幹線の国道3号を一本東に入ると旧薩摩街道とその宿場町と門前町として栄えた面影が感じられます。以前「氷川町まちつくり酒屋」で紹介しましたがこのような建物のが残っていますよ。ここでは「氷川町「ひなまつり展」」が毎年開催されていて紹介してますよ。この旧街道を南に少し進むと2体のお地蔵様がまつられています。「親地蔵・子地蔵」だそうです。「親地蔵」「子地蔵」の由来 ...
←ポチッとお願いしますにほんブログ村ぐっちゃんの自宅から徒歩10分の所に、日本最初の本格的な都である藤原京の跡地があることは何度も説明していますよね。夏は蓮の花、秋はコスモスが一面に咲くことで有名ですが、春は桜と菜の花なんです。蓮畑やコスモス畑が広大な原っぱの一部、どちらかというと中心から南側に存在するのに対し、桜は道路を挟んだ北側の池まわり、菜の花はさらにその北側に存在します。Googleearthの写真で見るとこんな感じ。菜の花畑は一番北側、その近くにある四角い池の周辺に桜という配置です。桜側から見ても、菜の花側から見ても、まあ美しいこと。ウエディングドレス(風?)の衣装で写真を撮っているカップル(とカメラマン)もいました。会話を聞くと、中国人のようでした。正直、桜はこの週末がピークで、次の週末までど...藤原京跡桜と菜の花が満開
種山石工の卓越した技術がここに!文化庁の日本遺産に認定された「八代を創造(たがや)した石工たちの軌跡~石工の郷に息づく石造りのレガシー~」「めがね橋」を手掛けた熊本の石工集団。その石工の郷に鎮座するのは国道443に沿って石垣と擁壁に囲まれた高台の細長い敷地を境内とした 「若宮神社」です。明神鳥居が道路と同じ位置にあります。その鳥居の後方には 六地蔵塔がたっています。石段を上って参道が続きます。 参...
日時:令和7年1月10日 13時30分ごろ 住所:石川県加賀市山代温泉17区 状況:クマ1頭の出没情報 現場:あづま酒店裏の崖 ※周辺に山代温泉街、山代グラウンド、ローソン山代九谷広場店、松籟公園、真菰ヶ池などがある ------------------------ 日時:令和7年1月14日 08時10分ごろ 住所:石川県宝達志水町竹生野 状況:クマ1頭の目撃情報 現場:国道159号 ※宿こぶしグリーンパークから金沢市方面...
【58】続日本100名城 一宮城跡(登山口だけ)〜ランチは「和美彩美」さんで(徳島県徳島市)
一宮城跡に来たけれど…四国の城攻め第5弾は、徳島県の一宮城跡です。続日本100名城の1つで、山城です。 …ですが、最初に断っておきます。 山、登ってませ…
←ポチッとお願いしますにほんブログ村今回も前回に引き続いて熊野三山の紹介です。和歌山県新宮市にある、熊野速玉大社です。前回の熊野本宮大社はかなり市街地から離れたところにあり、スケール感が大きかったのですが、この熊野速玉大社は新宮市の市街地の中にあり、三社の中では最も交通アクセスが良い反面、境内はそれほど広くありません。観光客、参拝者は熊野本宮大社と同程度かむしろ少なめだと思うのですが、敷地の狭さもあって人口密度はなかなかのものでした(´∀`)最初にホームページから借用した境内の地図を載せておきます。後の写真を見て、この地図で位置関係を確認してみてください。駐車場から行くとショートカットして横から入ってしまえるのですが、一応、大鳥居まで戻って参道の入り口からスタートします。ちなみにこの神社のイメージは「紅」...奈良発観光報告(56)熊野速玉大社
【56】続日本100名城 岡豊城跡/長宗我部元親の居城に興奮(高知県南国市)
長宗我部氏の居城へ四国の城攻め第4弾は岡豊(おこう)城跡です。岡豊城は一時四国全土を平定した戦国武将、長宗我部元親の居城。15世紀頃の築城と推定されています。…
【54】日本100名城 高知城①/現存建物など見どころ沢山の城(高知県高知市)
約20年振りの高知城に興奮四国の城攻め第3弾は高知城です。日本100名城、現存天守、現存本丸御殿、珍しい石樋等々見どころありすぎの城郭です。長くなりそうなので…
【55】日本100名城 高知城②/数々の現存建物に感動‼️地酒ワンカップにも興奮‼️(高知県高知市)
高知城の本丸に入ります前回に引き続き高知城です。今回は本丸です。見どころは何と言っても現存天守と現存本丸御殿ですよね。コレがもう一度見たかった天守をアップで。…
100年経っても最強! 変態デザインの家を実現した大工の執念
この奇跡の家「聴竹居」を設計したのは、もちろん建築界のレジェンド 藤井厚二。しかし、彼の大胆すぎるデザインを 実際にカタチにしたのは誰か?その名は—— 酒徳金之助(さかとく きんのすけ)。どこか時代劇に出てきそうな渋い名前だけど、この男なくして「聴竹居」は生まれなかった。昔の日本では「尺」「貫」「升」など、江戸時代からの“ザ・和風単位”がふつうに使われていた。しかし昭和26年、ついに政府が「ええかげんメート...
「閑室」なのに全然ヒマじゃない!? 建築オタクの秘密基地、その実態とは!
聴竹居を見学した後、たどり着くのが「閑室」— これがまた面白い!ここは、藤井厚二が友人やお客さんをもてなすための“秘密基地” のような場所だったらしい。まるで「建築界のサロン」みたいなもので、ここでお酒を飲んで語り合ったり、建築の話に花を咲かせたりしていたという。……というと、なんだか「くつろぎの空間」っぽいけど、実はそれだけじゃない。藤井厚二、ここで何をしていたかというと——・個人住宅50軒を設計!・建築...
こちらは前回の記事の続きとなります。前回の記事はこちら残念な気持ちを抑えられないまま水戸城を後にした筆者ですが水戸城の真向かいには「徳川慶喜向学の地」と刻まれた碑があります。そうそう!江戸幕府最後の将軍徳川慶喜って、水戸藩主の息子であり一橋家の流れを組んでるんだったわ。この碑が建てられている場所こそ水戸藩が誇る藩校「弘道館」です。こちらでは水戸学と呼ばれる独自の教育を行うことで多くの優秀な人材を排...
日時:令和7年3月24日 20時00分ごろ住所:宮城県仙台市青葉区川内 状況:ツキノワグマ1頭の目撃情報 特徴:体長100センチ以上現場:青葉山公園 ※仙台城本丸跡付近 ...
今さらではありますが水戸といえば徳川御三家の1つ水戸徳川家のあった場所です。が・・・!肝心の水戸城は???はい、ぜんぜん有名じゃないですよね。。。今回ボロラン号が向かった先はそんな(ぜんぜん有名ではない)水戸城です。確かに水戸藩は尾張名古屋藩(62万石)や紀伊和歌山藩(56万石)に比べ35万石と、石高こそ控えめですが※ここから大事!大名では唯一 参勤交代を免除され藩主は国元ではなく江戸に定住し万が...
明治政府が掲げた殖産興業それを支えたのは…?三池の高品位で豊富な埋蔵量の石炭でした。團琢磨氏が主導して完成した「三池港」により当時世界最先端の産業システムを有する炭鉱に発展しました。各坑口から出炭した石炭や炭鉱資材などを三池港へ運搬するのが専用鉄道です。世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」石炭産業の三池の遺産として「三池炭鉱専用鉄道敷跡」も登録されています。路線総延長18.6kmの炭鉱専用鉄道です。明...
藤井『最高の家を建てる!』→ 兄『俺の財力、無限ちゃうで!?』
聞くところによると、この怪獣は、藤井厚二の師匠・伊東忠太 の作品らしい。そしてこの伊東忠太、なんと怪獣好きだった らしい。(まじか) でも、ただの怪獣オタクではない。彼は築地本願寺、平安神宮、靖国神社 など、日本を代表する建築物を手がけた建築界のレジェンド。しかも、日本の建築家で初めて文化勲章を受章した男 というとんでもない経歴の持ち主である。そんなレジェンドに学んだ藤井厚二、彼の人生もまた規格外だっ...
←ポチッとお願いしますにほんブログ村さて、今回の奈良発観光報告は、いよいよ熊野三山です。そう、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産です。熊野三山とは、熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の3つの神社の総称です。それぞれ、くまのほんぐうたいしゃ、くまのはやたまたいしゃ、くまのなちたいしゃと読みます。そして今回紹介するのは熊野本宮大社、参詣道の終点とも言われる神社です。熊野三山の中心であるばかりか、全国に4700社以上ある熊野神社の総本山です。この熊野本宮神社ですが、もともとは熊野川の中州に大量の社殿、拝殿が立ち並んでいたそうですが、1889年の十津川大水害によって熊野川が氾濫、大洪水となって、ほとんどの建物が流されてしまい、1891年に主要社殿三社を500mほど離れた高台の現在地に移築した、とい...奈良発観光報告(55)熊野本宮大社
建築の天才 vs 出雲大社のお嬢様 〜1万2千坪じゃ足りません!?〜
100年経っても語り継がれる**「理想の家づくり」** を追求した男、藤井厚二。彼の集大成「聴竹居」は、デザインも機能も当時の最先端をいく最高の住宅だった。……しかし、その家を気に入らなかった人物がいる。それは 藤井厚二の奥様 である。「この家、狭すぎるんですけど!!!」奥様は、どうやら 「狭い!狭すぎる!!」 と文句タラタラだったらしい。いやいや、ちょっと待って!?藤井さん、家の敷地 1万2千坪 あるんですけど!...
万田坑を見学するには【前編】三池炭鉱 万田坑、【後編】三池炭鉱 万田坑としつこく紹介してきました。その入場券はこちら「万田坑ステーション」で購入します。ついでにトイレも済ませてから見学に行かれることをお勧めします。で、ここがただの入場券の発券場かというと違うのですよね。昭和14年頃の万田坑施設全体を復元した模型万田坑の古写真などのパネル万田第二堅坑櫓の部材などここは無料で見学できますからトイレの使用...
万田坑に祀られる「山の神」三川坑跡「山の神神社」を紹介しましたがこちら万田坑にも第二竪坑巻上室をバックに祀られていました。「山の神」については三川坑跡「山の神神社」で紹介しています。「【前編】三池炭鉱 万田坑」では登場しませんでしたね。見どころ多くて別枠での紹介です。万田坑の坑内や施設の安全祈願のために神さまをおまつりしてある祭壇です。この山ノ神祭祀施設は国指定重要文化財なのですよ。山の神は石の祠...
楽しみにしていた見どころへと【前編】では「選炭場跡」から万田坑のシンボル的存在の「第二竪坑櫓」を眺めたところまででした。見学はこの地図を見ながら赤い矢印を進んでいます。「あれっ?何か抜けてない…?」地図をじっくりと見られた方既に見学されたことのある方すみません。それはとりあえず忘れてください(笑)【後編】のスタートです。 「第一竪坑跡」と「デビ―ポンプ室跡」です。第一竪坑は主に石炭を地上に引き揚げる役...
床下に土管!? 住むだけで涼しくなる“魔法の家” 聴竹居の秘密に迫る!
「聴竹居」この家、どこまで計算され尽くしてるんや……!?まず、客間。テーブルや家具は、すべて和装の人が快適に過ごせる高さや作りになっている。しかも、障子の開け方ひとつで部屋の表情が変わるという、まるでインテリアのプロが考え抜いたかのようなデザイン。「和室って全部一緒でしょ?」と思ったそこのあなた!この家は違う。・掛け軸の金具が見えないようにする細工 → こだわりが細かすぎる!・床の間の位置を計算して、...
100年先を行っていた家!? 「土壁+和紙5枚」で天然エアコンを作った天才の挑戦
聴竹居は、ただの住まいじゃない。「風が流れ、光が舞い、自然と共に生きるための究極のデザイン」 が詰め込まれている。天井は、杉の網代、竹の網代、紙の天井 の3種類。どれも単なる装飾ではなく、風が行き来できるように計算された設計 になっている。天井が風を受け入れ、呼吸することで、家全体が心地よい空気の流れ を生み出しているのだ。さらに、部屋にはすべて窓がついており、暑い夏はサンルームから心地よい風が流れ込...
藤井厚二、こだわりすぎ問題!「雨戸ダサいから却下」で生まれた神デザイン住宅
昭和初期、日本の建築家にとって住宅は「論外」だった時代。しかし、そんな常識を覆した男がいた。藤井厚二。「日本人にとって本当に快適な家とは何か?」それを突き詰めるために、彼はなんと2年ごとに家を建て、自分で住み、実験を繰り返した。そして、彼の集大成が「聴竹居(ちょうちくきょ)」という家に結実し、今も京都の片隅にひっそりと残っている。藤井厚二のすごさは、「家はただの箱ではなく、環境と共生するもの」 とい...
炭鉱遺産が良好な状態で保存されていた♪福岡県の「三池炭鉱 宮原坑」から熊本県の「三池炭鉱 万田坑」へやってきました。県境をまたぎましたが三池炭鉱の中核をなす坑口です。明治から昭和初期にかけて上質な石炭を生産し日本の近代化を支えた施設です。「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つとして世界遺産に登録されています。ここは保存状態が良くて6つの国指定重要文化財もあり撮影ポイントが多いのですよね。 まずは...
筆者の放浪の中には「史跡巡り」というものがあります。実際にこのブログでも城や神社というものがたくさん登場していますが今回の放浪記「ボロラン号 北関東を走る」でも事前にいくつかの史跡を調べてきました。で・・・水戸方面まで来たならば?これは外せないんじゃないかな?と思ったのがこちら!大洗磯前神社です。こちらの神社は人生で初となる場所なのですが・・・初めての場所って妙にワクワクする反面めっちゃ迷う部分が...
以前、岡山県古代吉備文化財センターに勤務されていた吉久正見〈よしひさまさみ〉さんから『吉備地域の石棚・石台を持つ横穴式石室について』と題した著作を拝受しまし…
水戸の偕楽園には「常磐神社」なるものが隣接しています。まぁ、世間では昭和のオヤジは「歴史好き」「史跡好き」などとも言われていますがその点は筆者も例外なく史跡や歴史が大好きです。こちらの「常磐神社」偕楽園とは大きな関わりがありいわゆる「歴史好き」にとって偕楽園に来たからには外すことのできない立寄スポットとなっています。その理由は???ヒントはこちらの自販機です。偕楽園の入口付近であり常磐神社の参道脇...
ボロラン号 北関東を走る第二弾となるのはこちら!水戸偕楽園の中にある「好文亭」です。なお、こちらは前回の記事の続編となります。※前回の記事はこちら朝イチで偕楽園へ入場した筆者ですがまぁ、「当然」といえば当然のごとくこちらの好文亭も一番乗りを目指します。 ※てか、実際に一番乗りで入場しました。その甲斐もあってか?ご覧のように独占(誰もいない)好文亭を拝めました。そもそも・・・好文亭とは なんぞ...
見どころは?世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産巡りでやって来たのは 「三池炭鉱 宮原坑跡」です。パンフレットを見て楽しみにしていました。先日紹介の「三池炭鉱三川坑跡」は斜坑でしたがこちらは竪坑です。その訳は- パンフレット -この三池炭鉱の断面図を見ると分かるかもしれませんね。こちらの竪坑には- パンフレット -現存する日本最古の鋼鉄製櫓があるのですよ。第二竪坑と煉瓦造の巻揚機室の内部も見学でき...
お久しぶりです。月内の仕事の繁忙期でしたので少し更新が滞っていました。冬の寒波も落ち着き、だいぶ暖かくなって参りました。ここ数年、秋田の祭事やイベントに出向けなかったのですが、この冬はちょいと色々見てきました。小正月行事などいろいろ。【石名坂のアマノハギ】にかほ市象潟町小滝石名坂 来訪神行事。明治期に作られた面の形相は一度見たら忘れられない。2匹1組で集落を巡行するが、その際に同時に巡行している...
明治の面影を残す世界遺産です「三池港展望所」に立つと内港の西側に洋風の建物が小さく見えています。先日紹介の世界文化遺産「三池港」開港と同時に明治41(1908)年に完成した建物です。「旧長崎税関三池税関支署」です。三池港を構成する一部として 世界遺産に登録されています。昭和40(1965)年まで支署として使用されていました。大牟田市の「景観重要建造物」第1号指定です。対岸の新庁舎へ税関が移転後も倉庫や三池...
遠浅の有明海で大型船が停泊できるのは?三池炭鉱で産出された石炭はどのように運ばれたのでしょう?大型船で一気に国内外へ運びたいですよね。ところが目の前の有明海は潮汐の干満差が大きく広大な干潟干潟広がっています。大型船の入港はできないですね。そのため大牟田川河口から小型船で長崎県南島原の口之津港まで運びそこで大型船に積み替え海外に輸出していました。明治20(1887)年に熊本県の宇土半島に以前紹介の「三角...
←ポチッとお願いしますにほんブログ村今回の奈良発観光報告は、信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)です。住所が生駒郡平群町信貴山、つまり山そのものです。そして、ここは奈良県でも北西部にあり、大阪との県境に近い場所です。それなりに坂や階段が多いだろうと想像していましたが、なかなかのものでした(´∀`)ここのシンボルマークはなんといっても、寅です。境内はとても広く、たくさんの建物があります。最初に、ホームページからいただいた境内図を載せておきましょう。これから大量の写真を載せますが、位置関係がわからなくなったらこの図に戻ってきてください。ここが入り口です。駐車場からこの鳥居をくぐって進めば境内ですが、鳥居の手前に分かれ道があって、右が境内、左は、橋です。しかもバンジージャンプやってます。ここで嬉しそうに...奈良発観光報告(54)信貴山朝護孫子寺
←ポチッとお願いしますにほんブログ村中社、上社ときましたので、今回は丹生川上神社下社です。上の行のリンクですが、この下社は公式ホームページがないので、かなり詳細に紹介しているブログをリンクしました。ちなみに、なら旅ネットの紹介ページはこちら、でも、このサイトには詳しい紹介はありません。ここののぼりは鮮やかな青色ですね。こののぼりと柵の向こう側には。ここも素晴らしい清流が流れています。この丹生川上神社下社は吉野郡下市町にあって、3社の中で最も西側になります。中社、上社が金峯山寺のある吉野よりも東側にあるのに対し、この下社だけが西側にあります。期待が膨らむ真っ赤な鳥居。そしてその内側には、神馬がいます。丹生川上神社の象徴でもある白と黒の馬ですが、実物がいるのはこの下社だけですね。そしてその脇には、この岩です。...奈良発観光報告(53)丹生川上神社下社
←ポチッとお願いしますにほんブログ村前回記事の丹生川上神社中社に続き、今回は丹生川上神社上社です。上社は中社より少し西側の、川上村にあります。ここには大滝ダム、という大きなダム湖があります。ちょっと水位が下がっていますが、なるほど立派なダムです。国道沿いなので簡単にダムに行くことができます。ダムの中を歩くこともできて、ちょっとした観光地ですね。ただ、ダムは立派ですがその周りの観光施設はほぼ廃墟化しているような…。丹生川上神社上社の紹介の前に大滝ダムを紹介したのは、この大滝ダムの下に、本来の丹生川上神社上社が沈んでいるからです。そう、ダムの建設によって丹生川上神社上社は湖の底に沈んだのです。そして丹生川上神社上社は山の上、高台に移築されました。つまり、丹生川上神社三社の中で、建築物は圧倒的に新しいのが上社な...奈良発観光案内(52)丹生川上神社上社
←ポチッとお願いしますにほんブログ村今回の観光報告は丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)です。丹生川上神社はとても複雑な歴史があって、一時はどこにあるのかわからなくなっていた時代がありました。そして再び丹生川上神社に脚光が当たった時、我こそは本家、と名乗りを上げた神社が3ヶ所もあったんです。日本の神道ならではの考え方で、どこか1つに決めるのではなく、3ヶ所とも本物と認定して、それぞれが協力して丹生川上神社の名を高めようと努力しています。上社、中社、下社の3社をすべてめぐる三社めぐりが設定されていて、1枚の色紙に三社の御朱印を並べて押してもらうことが可能です。純粋に丹生川上神社とだけ書くと中社を指しますので、今回は中社を紹介します。着きました。奈良県吉野郡東吉野村。中という名に反し、三社の中で最も東側にあっ...奈良発観光案内(51)丹生川上神社中社